第七章「再び、出会い」2話
その夜おれはある男に電話をかけた。会う約束を取り付けるために。
目的を果たすには彼の協力が必要不可欠だった。とりあえず都合はつくらしい。
「どうするつもりなの?」
布団の上であぐらをかいて、マナさんはいった。
あのあと――時間をくれとマナさんに頼み込んだ、そのあと。カフェで働いている間、彼女はずっと待っていてくれた。
考えがある、というおれのことばを信じてくれたのだ。
それで今夜だけ、このアパートに泊まってもらうことになった。
「まだ教えられない。話すのはあいつに協力してもらったあとだ」
「いいじゃない、ちょっとくらい」
唇をとがらせ、ふてくされたようにうつ伏せに寝ころがった。
「じゃあ北村くんは押入れで寝て」
「おれ、家主なんだけど」
マナさんはもう答えなかった。
「……はいはい」
おれは諦めて押入れに入った。
押し入れの中で、おれはしばらく考え事をしていた。
考えていたのは、明日のこと。おれのやろうとしている悪行のことだ。
――俺のような人間にはなるな。
父の口ぐせだった言葉が頭をよぎる。
母の、そして名も知らぬ若者の、ごく当たり前の幸せを壊した父。そんな人間にだけはならないと胸に誓ってきた。誰にも迷惑をかけず、誰に頼ることなく生きていく。そんな立派な人間になるために。
その信念は、まだ完全には折れていない。
人の幸せをぶち壊しにするような真似だけは、何があっても許されない。その部分だけは、これからも折れることはないだろう。
だからおれは悩んでいた。おれがやろうとしていることが本当に正しいのか、確かな自信を持てずに。
今ならまだ引き返せる。約束を取り消すこともできる。
けれど――。
無視してはならないことがあった。
忘却の呪いの元凶、藍色のトラが呪いをかける、その手順。
トラはまず出会った人を誘惑する。人々から愛される術として、魅了の力を与えてやると。
そこで力を欲した者には嘘偽りのない力を与える。しかし時間が経ってその力を失ったとき、入れ替わりに忘却の呪いをかけられてしまうのだ。
つまり、マナさんが呪いにかかったのは「愛されようとした結果」だった。彼女はもっとも望んでいたものを、望んでしまったがために手放すこととなったのである。
そんな理不尽な話、おれは絶対に許さない。
まぶたの上に腕を乗せる。深くため息をついた。
今さら何を迷うのだろう。
やるべきことなんて決まりきっているのに。
改めて覚悟を決める。
どんな手を使っても、マナさんを決して一人にはしない。
この先どれだけ打ちのめされようと、絶対に折れてなどやるものか。
ようやく決意を固めると、ふしぎとすぐに眠りに落ちることができた。
翌朝。
高校の正門前におれたちは来ていた。
「ど、どうぞ」
畳まれた布を差し出すのは、繊細そうな顔立ちをした要注意人物、佐野である。朝のつめたい空気に首を縮め、へこへこと頭を下げる。
「ありがとう。明日には必ず返す」
手渡されたそれは、呪いの力を宿した黒い布だった。
人を丸ごとつつんで持ち歩いたり、大きく広がって壁を作ったり、中々に汎用性の高いしろものだ。これを使って埃臭い小屋の床に押さえつけられたことがあったが、腕力ではとても逆らえなかった。
「あ、あの。これ、何に使うんですか?」
「大したことじゃない。気にするな」
「はあ」
「それより佐野こそ、何か隠してることはないだろうな。白い影のこととか」
「さ、さすがにもう他にはいませんよっ。と、ともかくこれで白い影の件は許してくれるんですよねっ?」
「次はないけどな」
「は、はいっ! もちろんです!」
ふんと鼻を鳴らし、おれはマナさんとその場を後にした。
いつもの、店の少ない殺風景な道を、駅へ向かって二人で歩く。
「必要な協力って、その布のことだったの?」
「これは前準備」
半ばダメ元だったけれど、素直に貸してもらえて助かった。本番前にあまり時間はかけていられない。
「それで、これからどうするの?」
「ああ。化け物に会いに行こうと思ってさ」
背後でマナさんが立ち止まる。
「怪異のこと? まさか、捕まえるつもり?」
「いや」
身を翻し、黒い布をばさりと広げる。
使い方を聞き忘れていたけれど――適当に開いたら勝手に大きくなってくれた。
「捕まえておくのは、あんただよ」
黒い布はたやすくマナさんを包み込み、そして、ポケットに入れられるくらい、軽く小さくなった。