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忘却姉さん  作者: 白沼俊
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第六章「幻」1話

 カツカツと、白いチョークが黒板に叩きつけられる。


 化学の先生はやたらと筆圧がつよく、日直のとき黒板をきれいにするのが大変だ。あの骨と皮だけでできていそうな細い腕のどこからそんな力が漲っているのだろう。


 黒板の文字をノートに書き写して、一息。


 窓の外に目をやろうとすると、窓際に座るにいなと目があう。……すごい勢いで逸らされた。


 チャイムが鳴り授業が終わると、おれは真っ先に財布を取り出し席を立った。


「お? 今日は弁当じゃねえのかよ」


「珍しいね~。やっぱり久しぶりの早起きは辛かった?」


「ま、まあな」


 弁当箱を持ってきたにいなと西村に曖昧な笑みを返し、そそくさと教室を後にする。


 弁当を作る余裕なんて、あるわけがなかった。


 早起きが辛かったのは否めない。けれどその原因は、昨夜の出来事にある。




        *




 昨夜、何を思ったか家を飛びだしたおれの前に、佐野が駆け戻ってきた。片腕を吊った状態で白い息を吐きだし、あたふたと視線を彷徨わせる。


「すいません、一ついいですか。気になってしまって」


「……何が」


「もしかしたら、変な誤解をされちゃったんじゃないかって」


 おれは無感情に佐野を見返す。人と話せる気分ではなかった。


「もしかしてきみは、暴走の呪いが一生解けないものだと思ってませんか?」


 自分の目がみるみるうちに大きくなっていくのがわかる。無意識に佐野の肩をつかんでいた。


「ちがうのか」


「い、痛いっ、痛いですっ」


「あ、悪い……それで」


「全くの誤解です。そこまで強力な呪いなはずがないです。


 強力な呪いというのは、それなりの手順を踏んで、時間をかけなければ扱えないものなんですよ。一生その人を蝕み続けるような呪いなら、確かにきみの想像のとおり、ほんの一瞬でかけるのは不可能です。


 多分、今夜を凌げば呪いは解けるはずですよ」


 しばらく、佐野の言ったことを咀嚼するのに時間がかかった。あまりに追いつめられて都合のいい夢でも見てしまったのではないかと思ったほどだ。


「なんだ……そうか。そうなのか」


 おれは額に手を当て、大きくため息をつく。


 やがて、腹の底から笑いがこみ上げてきた。


「はははは……そうか、おれの早とちりか」


「君がそんなに笑うと、なんていうか不気味ですね」


「よく言われるよ。はははは」


 それでも笑いはおさまらなかった。


 大変だったのはそれからだ。


「おかしいなあ。暴走の呪いにかかった人をなんで一人にしちゃったんだろう」


 ぶつぶつとつぶやく佐野のそばで拘束され、ひどく窮屈な一夜をすごす羽目になった。




        *




 黒い布から開放されたのは夜明け前。それからぱたりと眠りについたから、目覚ましをかけ忘れてしまった。


 朝はシャワーを浴びたり学校へ行く準備をしたりで弁当どころではなかった。


 それにしても最近、不可解なことが多い。


 学校を意味もなくまるまる一週間やすんだり、縁もゆかりもない藍色のトラを追い回したり、どろどろのトラに突然逆上したり。


 にいなたちには体調をひどく心配されたけれど、本当に気味が悪いのは最近のおれ自身だった。







「ぃよっし! 北村、夢路ちゃん! いっしょに帰ろうぜ!」


 放課後の教室。


 いつもどおりの元気な声で誘ってきた西村に、にいなは申し訳なさそうにほほ笑んだ。


「ごめんね~、部活の友達と集まって遊ぶことになってて」


 誘いを断るときですら、ぽかぽか陽気ののどかな雰囲気は絶えない。得な性格をしているなとたまに思う。


 足早に教室を出ていくにいなを見送り、西村はおれに視線を投じた。


「いいのかよ」


「何が」


「……まあ、集まってってこたぁ何人かで遊ぶってことだもんな。大丈夫か」


 何が大丈夫なんだ?


 釈然としない思いのまま、おれは西村と教室をあとにした。




 その帰り。


「うおっ、この! 食らえ!」


 ゲームセンターに寄っていた。


 おれは西村が格闘ゲームに熱中するのを後ろから眺めるのみ。と油断していたら何度かプレイさせられた。


 こういう場所はうるさいしタバコ臭いし苦手なのだけど、休んでいた間の授業のノートを見せてもらった手前誘いを断われなかった。


 一時間ほどしておれたちは店を出た。


「さて、帰るか」


 どちらからともなく言いだして、駐輪場のほうへ足を向ける。


 そのとき。


 前からやってくる、長い黒髪の少女に気づいた。


「あの子――」


「北村?」


 流れるようなさらさらとした髪と、透きとおるような白い肌が印象的な、おれたちと同い年くらいの少女だった。妖しく光る、鮮血色の明るい瞳が目を惹く。


 冷たい風に当てるのが不安になるくらい、その少女は儚げで、まるで幻でも見ているようだった。


 すれちがう瞬間、甘い匂いが鼻をくすぐる。


 あの子、なんというか、すごく――。


「北村、おーい」


「……かわいい」


 無意識に声がもれた。


「ほーう?」


「え? あ、いや」


「いいや! いい! 言わなくたっていい! ぼくも同じ気持ちさ!」


「おれは別に」


「よっしゃあ! そうと決まりゃあナンパだナンパ!」


「何も決まってない。帰るぞ」


「んだよぉ、ビビってんのかあ? かーっ、情けないやつだぜ! しょうがねえ、臆病な親友のためにここはぼくが人肌ぬいで…」


「帰るぞ」


「いって! いてててて! 耳は! 耳は引っぱんなって!」


 西村を連れながら、名残惜しい気分で少女の後ろ姿を見送る。


 あの子――本当に可愛かったな。一目惚れしそうになるくらい。


 きっとしばらく、あの顔は忘れられない。


 だから何ということもないのだけれど。




 一面の畑に挟まれた長い一本道の途中。


「けどよ、北村」


 自転車を走らせながら西村が言った。


「やっぱ一緒に帰ってやったほうがよかったんじゃねえか? 夢路ちゃんと」


「なんで」


「なんでってお前、そりゃあ」


 急に真面目な顔になる。


 ――なんだ?


「にいながどうか…」


「げっ! つめてえ!」


 西村が叫ぶと同時に、首に冷たい感触がした。


 ぼたぼたという音とともに、アスファルトの地面に黒い点ができていく。


「雨かよォ! 天気予報で言ってなかったよなあ?」


「さあな。見てない」


「ちくしょう! ぼくも見てなかったぜ!」


 冬のくせに最近雨が多い。おれたちは全力の立ちこぎで一本道を走り抜ける。


 息を切らして力を振り絞りながら、前をいく西村の背中に目をやる。


 今のはなんだったんだろう。


 西村の珍しく真面目くさった顔が、しばらく頭から離れなかった。




 翌朝。


 見慣れた住宅街に朝の日ざしが降り注ぐ。水たまりがきらりと光り、おれは顔をしかめた。


 自転車に跨ったままそばの家を見あげる。ちょうど玄関のドアが開いた。


 おれはあらぬほうを見つつ、軽く手をあげる。


「……おう」


「あれ~、秀一。どうしたの?」


「べつに、なんとなく」


 出てきたのはにいなだった。今日も朝からぽかぽかの笑顔だ。


 ここへ来たのは気まぐれではなかった。気になっていることがある。


 昨日の、西村の真面目くさった顔のことだ。


 先週、偶然にいなと会ったとき、彼女は何か隠している様子だった。それと関係があるのではないだろうか。


 にいなの顔色がおかしくないかじろじろと探っていると、くりくりとしたつぶらな瞳がこちらを向いた。


「ん? なあに~?」


「いや」


 ……考えすぎか。


 にいなは元々一人で抱え込むようなタイプじゃない。大事なことならすぐに相談してくれるだろう。




「来年度は受験生だね~」


 自転車での登校中。信号のない交差点で止まって、にいながいった。


「そうだな」


 自動車が二台、前を通り過ぎていく。


「それでさ、その~……」


「ん?」


 さらにもう一台。


「受験生になるっていうことはさ、アルバイトとか、やりにくくなると思うんだ~。今みたいには」


「かもな」


 左右を確認すると、もう車は見えない。ペダルに足をかけ、踏み出す。


 なんとなく、言いたいことを察した。


「だから……春になったら、うちに戻ってこない? 家賃とか大変だよね」


「別に。貯金あるし」


 ……ほとんどは大学に入るための費用なのだけど。


 にいなは隣を走るおれをまっすぐに見つめる。何かにとりつかれたみたいに、じっと。


「危ないぞ」


「えっ? そ、そうだね」


 目を泳がせるも、まだちらちらとおれのほうを窺っている。


 やがてにいなは首を傾げた。


「本当に平気?」


「ああ。心配なんてしなくていい」


「……そっか」


 静かにほほ笑み、目をそらす。


 その仕草が、ひどく寂しげに見えた。


 気づかれただろうか。


 正直、勉強はあまり得意じゃない。この先アルバイトや家事の時間が惜しいと思うタイミングはきっと来るだろう。だとしてもまた厚かましく居座るわけにはいかなかった。今だって十分世話になっているというのに。


 俺のような人間になるな――久しぶりに父の言葉を思いだす。


 そうだ、家族に頼ってばかりではいけない。誰にも迷惑をかけず、誰の力を借りることもなく生きていく。そう決めたんじゃないか。


 親父のような、人の幸せを食い散らかす人間にならないために。




 相変わらずの寒風に吹かれながら自転車を漕ぐこと二十分。そこでおれはようやく気がついた。


「なあ、にいな」


「なあに?」


「ちょっと顔色わるくないか?」


 にいなは元々肌の色の濃いほうではないけれど、それにしても今日はやけに顔が白っぽかった。


「そう? う~ん……寝不足かな」


「寝不足? にいなが?」


「て、テスト勉強で」


「まだ一ヶ月も先だろ」


「そろそろ受験生ですから」


 少し考えて、カゴに入れた鞄のチャックを開ける。信号待ちになったとき、中から水筒を出した。


「これ。あったかいから」


「えっ? いいよ~、秀一のでしょ?」


「いいから」


 強く差し出すと、にいなは水筒を見おろし、ほほ笑んだ。


「ありがとう」


 何故だろうか。その笑みが少し、悲しげに見えた。




 その日の放課後。


「さ、北村。今日はちゃんといっしょに帰れよ!」


 にもつをもったクラスメイトたちが次々と教室を出ていく。その流れに乗ろうとすると、肩を西村につかまれた。


 背後のにいなに親指を向けている。にいなは困り顔で首を傾げていた。


「西村は部活だろ」


「おうよ。二人で帰りな!」


 ……なんなんだ?


「か、帰ろ~。西村くん、じゃあね~」


「おう! また明日な!」


 笑顔で手を振り、力強く頷いてくる。


「なんだよ」


「わかんだろ?」


 まったくわからない。


 にいなと教室をあとにして、おれは後ろを振り返る。


「どうしたんだ、あいつ」


「ど、どうしたんだろうね~」


 西村の言動がおかしいのは珍しくもなんともないけれど……今回の奇行は、いつものそれとは明らかに違う。


 少しの間、様子を見てみるか。




 それからおれはにいなの家までいっしょに行き、そのまま自転車でログハウスのカフェに向かった。


 カフェにやってくると、今日は顔の知らない男の人がカウンターに立っていた。アルバイトだろう。


 軽く頭をさげ、店の奥へ着替えにいく。


 エプロンを身につけて廊下に出ると、店長が右往左往していた。


「ネルさん、どうも」


「おう、坊主か」


「どうかしたんですか」


「いや。ちと探し物をな」


「というと」


「ノートさ、普通のノート。呪いに関することが書かれてるはずなんだが」


「はず?」


 ああ、と億劫そうに頭をかく。


「何が書かれてんのかはよくわからねえんだ。『これを見たらかならずノートを見るように』っつう、覚えのないメモ書きが色んなところにあってな。そいつがどうやら、アタシの書いた文字らしい」


「よく分からないんですけど」


「おそらく、藍色のトラの『忘却の呪い』に関係してるんだがねえ」


 藍色のトラ――脳裏におぞましい情景がよみがえる。


 ゾウのように大きな身体――その首からゆっくりと頭が滑り落ちていく。やがて激しく燃えだしたその身は、灰も残さず消えてしまった。


 あんな化け物、もう縁のないものだと思っていたけれど。


 不安を感じ取られたか、ネルさんは手を振りにっかりと笑った。


「ま、大したことじゃねえさ。坊主は仕事してな」


 店長から直々にそう言われれば、店員ははいと頷くのみだ。


 すぐに着替えて店に出て、先のアルバイトと交代した。


 豆を挽き、料理をだし、時々お客さんと談笑し――それから、細かい雑務をいくらか。


 特別な変化のない、普段どおりの仕事。


 けれど、なんだろう。


 お客さんが多いわけでもないのに、いつもに比べて忙しいような。


 大変というわけじゃない。ただ純粋に、「いつもに比べて」忙しいような気がする。


 この感覚を具体的にいうならば――いつもより一人、アルバイトの人が少ないような、そんな感じ。


 その違和感の正体は、結局バイトが終わってからもわからないままだった。


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