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忘却姉さん  作者: 白沼俊
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第四章「あの日の出会い」3話

 薄く雪をまぶされた道を歩く。


 踏まれて黒くなったところは凍って滑りやすいので、なるべく足跡のついていない部分を踏む。マナさんも、たぶん楽しいからとかそんな理由で雪道に足跡をつけていく。


 今日はカフェのバイトのある日だった。なんと昼間から。ネルさんはおれが学校に行っていないことを知ると、「ちょうどいいじゃないか」と言い出して時間を変えてきたのだ。


「ところでさ」


 おれは隣を歩く彼女を見やる。


 道の端、おれから二メートルほども離れたところを歩くマナさんに。


「これ、さすがに遠すぎないか?」


 二メートル――おれとマナさんの間で取り決められた新しいルール。


 並んで歩くとその距離を露骨に感じる。家を出る時も、町を歩く時も、駅の改札を通る時でさえ、マナさんはそのルールを破らせなかった。


 おれには、これからずっとマナさんと一緒にいようというつもりはない。おれは振られた身。忘却の呪いさえ解けてしまえば、おれが彼女のそばにいる必要もなくなる。


 そうなった時は別れの意思を告げるつもりだ。そうでないときっとまた、同じような過ちを犯してしまうから。


 だからせめてそれまでは、という思いもあるのだった。


「ちょうどいいじゃない。遠すぎるくらいに思ってくれなきゃ意味がないでしょ?」


 なるほど……。


 カフェに着き、二人別々に中へ入る。そこから店に出るまでの間も、やはりルールは破られなかった。


 そう、仕事中でさえも。


 例えば注文を伝えようとした時、


「Bランチのブレンド…」


「北村くん、二メートル」


 奥に引っ込もうとすれちがいかけた時、


「二メートル」


 そしておれがついぼんやりしてしまった時も、


「二メートルくん、そこどいて」


 と、終始この有様だった。……せめて名前で呼んでもらえないか。


 そして、カフェからの帰り道。


 辺りはすっかり暗くなり、冷え込みが厳しくなっていた。


「あ、見て」


 急に明るい声を出し、マナさんが遠くを指差した。


 驚いて目を向けると、道の先で二人の、小学校低学年くらいの子どもが笑いあっていた。この寒いのに、片方は半袖短パンだ。


「ああいう子はね、一緒に遊ぶと盛りあがるのよ」


「へえ。まあ、元気はよさそうだな」


「……今の、独り言だったんだけど」


 それは驚きだ。


 それにしても、あそんで「あげる」じゃないところがマナさんらしい。


 ところでその二人の子どもは、ダッフルコートを着込んだ防寒ばっちりの女子高生に連れられていた。


 はっと息を止める。


「――にいな」


「え?」


「ま、マナさん、隠れてて」


「なんでよ」


「いいから!」


 マナさんはむすっとして、傍にあった住宅の、庭の木陰に身を隠した。


 おれは落ち着きなく前髪に手を触れる。


 にいなはこちらに気づくと、マフラーやら手袋やらでしっかりと身を固めたぬいぐるみのような格好で手を振った。


「お~い、秀一~」


 にいなは子どもらを伴い、こちらへ走り寄ってきた。


「やっぱり秀一だ~」


 周囲を一瞬でぽかぽかとさせる、陽だまりのような笑みが広がる。


 にいなのことは大好きだ。けれど実をいうと、今はあまり話したくない。


 今おれは呪いと積極的に関わろうとしている。いつ佐野の時のような目に遭うか分かったものじゃない。


 そんな状況にもしにいなを巻き込んでしまったらと思うと――。


「心配してたんだよ~、もう風邪はいいの?」


 勘付かれてはいけない。いつもどおり、ごく普通に話そう。


 何食わぬ顔で手をあげる。


「……おう。もう平気だ」


「あれ? 何かあった?」


 なんでわかるんだよ!


 子犬のようにつぶらな瞳に見つめられ、内心激しく動揺する。


「ま、まだ病みあがりなんだ。あんまり近づかないほうがいいぞ」


「そういうことじゃなくて~」


「な、何」


「う~ん……何か隠してるような~……」


 目をそらす。動かした視線の先ににいなの顔が移動する。


「わたしの目はごまかせませんよ~」


「に……にいなこそ、なんかあったんじゃないのか」


 本当はそんなこと、ちっとも疑っていなかった。目には目をの精神で言ってみただけ。


 しかしこの問いが案外、役にたった。


「え~? わたしは別に何もないよ~」


 にいなは笑う。


 普段どおりの、動揺など微塵にも感じさせない声で。


 それでおれは、おかしい、と気づいた。


 後ろめたくもないのに疑われたら、にいなならもっと悲しそうな声になる。少しも変化がないのは何か隠している証拠だ。


「怪しいな」


「秀一だって」


 見つめ合い。否、睨み合い。


「話してみろよ」


「秀一が先」


「……」


 堂々めぐりの気配がする。


「なあなあ、早く行こうぜ」


「早くしてよ」


 大人しく黙っていた子どもたちについに言われてしまい、いったん話を切り上げる形でその場は収まった。


「そういや、その子たちは?」


「友だちの弟なんだけどね~、急な用事が入ったとかで預かってたんだよ~。これからお家に連れ帰すところで」


「大変だな」


「そんなことないよ~、いい子たちだもん。……それに」


 一瞬、にいなの笑みが引っ込んだような気がした。本当に、一瞬。


「こうやって頼ってもらえるほうが、わたしもうれしいから」


 けれどやっぱり、その顔には温かな笑みが広がっていた。


「秀一も悩みがあるなら言ってね。わたしたち、家族なんだから」


「……そうだな」


「じゃあ、またね」


 にいなは子どもたちに笑いかけ、去っていった。


 ……そんなふうに言われたら、ますます打ち明けられない。


 大切な家族だからこそ心配や迷惑をかけるべきじゃないと、おれは思うのだ。




 四日後、日曜日。


「ねえ。きみ、なんだか避けられてるみたいだけど」


 理子先輩に耳打ちされたのは、カフェでのバイト中のことだった。マナさんがカウンターの奥に引っ込むと、見計らったように声をかけてきた。


 仕事の間だけ二メートルルールは取り消しになったのだけれど、分かる人には分かってしまうらしい。


「それが」


 おれは言いよどむ。


 理子先輩は先を促そうともせずに待ってくれた。そういうさりげない優しさを好きになったのだったと思いだす。


「実は、怒らせてしまって」


 自然と口が開いていた。


 理子先輩はおれとマナさんを見比べると、やや身を乗り出した。


「仲いいんだ。もしかして恋人さんなのかな」


「え?」


 興味深そうに目を覗かれて、おれはたじたじになる。


「友だちですよ」


「本当に?」


「そんな嘘つきません」


 ふうん、と背もたれに身をあずけ、先輩は微笑む。


「そっか。じゃあ、他には?」


「なんです?」


「恋人。いるの?」


「……いません、けど」


 二人から立て続けに振られた軟弱男としては、胸の痛む一言だった。


「そうなんだ」


 カップに指をかけ、一口啜る。そろそろ仕事に戻ろうかと考えると、ちょうど先輩が口を開いた。


「それじゃあ、今もきみはわたしのこと、好きでいてくれてるのかな」


 元々静かだった店内から、完全に音が消える。


 言葉に驚いたからじゃない。


 その声が、あまりにも甘く切なげだったから。


「……先輩?」


「わたしは好きだよ。君のこと」


 目を見張る。


 ありえない。


 なぜならあのとき――おれが思いを口にしたとき、先輩は。


 そんな疑念を打ち払うように、理子先輩は立ち上がり、おれを抱きしめた。


「ごめんね。あのとき、嘘ついちゃった」


 先輩のやわらかな熱をぼんやりと感じる。花の香りがした。


「笑っちゃうよね。せっかく君が気持ちを打ち明けてくれたのに、わたし、恥ずかしくて逃げたんだ。本当は嬉しくてたまらなかったのに」


「先輩……」


「教えて。今の君の気持ちを」


 生まれて初めて告白されて、頭が働かなくなっていた。


 呆然としてしまったおれの目を覚まさせてくれたのは、脳裏によみがえる、一人の少女の姿。


 幻のように儚げな、少女の。


 一度は告白した相手だ。おれだって彼女の気持ちは嬉しい。だけど今のおれが好きなのは――。


「――すいません」


 おれにはそれしか言えなかった。


 理子先輩がほほ笑む。


「他に、好きな人がいるのかな」


「……はい」


「そっか。ざんねん」


 相手を振るというのがこれほど胸の重くなる行為なのだと、おれは今日に至るまで思いもしなかった。




 電車の中。


 今日も相変わらず空いていた。同じ車輌に、別の乗客は二人だけ。


 ガタンゴトンと揺れる車内で、一つ隣の長椅子に座るマナさんは何度もあくびをしていた。


 わざわざ別のイスに座らなくても。


「マナさん」


 返答はない。


 さっきから、一言も喋ってくれない。


 バイトが終わってからずっとこの調子だ。キス未遂の後から避けられてはいたけれど、全く口を利いてくれないわけではなかった。


 電車が停まる。ドアが開き、二人の乗客が出ていく。車輌に残ったのはおれたちだけになった。


 一昨日も二人きりになったけれど、こんなにも空気が違ってしまうものか。


「なあ」


 さらに距離を取られる。みぞおちが痛くなってきた。


 と思ったら、マナさんが突然立ち上がって、同じ長椅子に腰かけてきた。少しだけ距離は空いているけれど、明らかに二メートルより近い。


「えっと」


「……」


 長い沈黙。外の風景の流れる音だけが車内に満ちていた。


 やがて。


「――なんで振ったの?」


 マナさんは言った。やっぱり、聞いてたのか。


 ガラスに映ったマナさんは、膝をそろえ、わずかに俯いていた。


「一度は告白した相手なんでしょ? 好きな気持ちは残ってなかったの?」


 密かに唾をのむ。嘘をつくつもりはなかった。


「……残ってない、とは言えない」


「だったら」


「でも、ダメだ」


「どうして」


「それは」


 先輩を愛するよりもっと、マナさんを大切に想っているから。


 そう言いたかったけれど、その言い方はあまりにも失礼だ。真摯に思いを伝えてくれた理子先輩に対して。


 おれは言葉を飲み込むしかなかった。


「……」


 マナさんは再び腰をあげて、おれを見下ろした。久しぶりに目が合う。


「もしも――これからわたしがあなたを好きになるって期待してるなら」


「そんなんじゃない。安心してくれ」


「……そう」


 元の位置に戻るのか、彼女は口を結んで歩きだす。


 そこで、電車が揺れた。


 一瞬のことだった。


 マナさんが軽くよろめいたのを見て、おれは反射的に立ち上がり――。


 マナさんの白い手を掴んでいた。


 近づくなと言われているのに、ニメートルも離れろと言われているのに……よりにもよって、期待するなと釘を刺された直後に触れてしまうなんて。


 恐る恐る、顔をあげる。


 死刑宣告を待つ気分だ。


 今度は何と言われるだろうか。五メートル以内に近づくな、とか?


 けれどその予想は、大きく裏切られることになる。


 マナさんの顔は真っ赤に染め上がっていた。




「……はっ、離してっ」


 彼女の上擦った声を聞くのは、もしかしたら初めてだったかもしれない。


 目を白黒させ、口も震わせ、それでもなお動揺を隠そうと、マナさんはそっぽを向く。


「マナさん……?」


 これでは、まるで――。


 けれどそれ以上、そのことについて考えることはできなかった。


 おれの目に、信じられないものが映っていたから。


「マナさん! 後ろ!」


 おれはとっさに飛び出す。


 車内に、巨大な火の玉が浮いていた。


「ど、どうしたの?」


「見えないのかっ?」


 こんな――人ひとりを覆い尽くしてしまえるような大きな炎が?


 それならば間違いない。いや、そもそもこの見てくれで違うと言われたほうが驚きだ。


「北村くん? ねえ、何が…」


「怪異がいる。今、目の前に」


 マナさんは息をのんだ。


 まさかこんな、逃げるに逃げられない場所で居合わせてしまうとは。鍛錬の成果とはいえ、喜ぶに喜べない。


 次の駅に着くというアナウンスが流れる。じりじりと後ろに下がりながら、少しずつ一番近いドアに近づく。


 緑色の火の玉はメラメラと燃える他には微動だにしない。燃えるといっても特に熱も感じないし、もしかすると無害なのかもしれなかった。だが、油断は――。


 しまった、と息をのむ。


 目が合った。


 火の玉には目なんてついていない。それなのになぜか、鋭い視線のようなものを感じ、背筋を戦慄が走り抜ける。


 イスの上から荷物を取り、さらにじりじりと後退する。


 電車が停まりドアが開いた瞬間、マナさんの手を引いて逃げ出した。


 悪寒がする。恐怖に体が震えているのが走りながらでも分かった。


「北村くんっ、怪異はっ?」


「……追ってきてる」


 目を合わせたのがまずかったのだろうか。火の玉はおれたちの後をついてきていた。改札を抜け、ホームから飛び出してもなお追ってくる。怪異に気づかない他の人々には目もくれなかった。


「くそっ、どうしたらっ」


「――北村くん」


「待ってくれ、今どうするか考えて…」


「あそこにいるのって」


「……え?」


 おれたちが走る、さびれたシャッター街。わずかに残された街灯だけが道を照らす、人通りのない静かな道。


 その先で、金髪碧眼の女店主――ネル・ミッチェルが仁王立ちしていた。




「坊主テメエ、自分がどんだけ危険なことやってるかわかってんのか!」


 胸ぐらを掴まれ、店のシャッターに背中を打ち付ける。


 火の玉はどこかに消し飛んだ。ネルさんが軽く手を払っただけで。


 今はお説教中だ。ネルさんはどういうわけかおれの目の変化に気づき、おれの行なった鍛錬を言い当てた。トラに近づこうとしていることはもちろん、怪異を呼び寄せたこともネルさんの怒りを買う原因となったようだった。


「待ってください。北村くんはわたしのために」


「それで肝心のマナちゃんを危険に晒して、怪我でもさせたらどうすんだ? 下手すりゃ呪いを解くどころじゃなくなるかもしれねえってのに」


「……ネルさんの言うとおりだ。浅はかだった。おれには危険な怪異からマナさんを守る手段がない。それを考えなかったのはおれのミスだ」


 ネルさんがいなければどうなっていたか分からない。新たな呪いをマナさんに背負わせる結果となっていたかもしれなかった。あの状況に至るまでその可能性に気づけなかったのは、やはり、おれのミスだ。


「だけど」


「で、坊主。テメエに余計なことを吹き込んだのはどこのどいつだ? ――佐野か?」


「…………」


「ふん、まあいい。とにかく二度と――」


 胸ぐらから手が離れ、おれは顔を上げる。


 何故かネルさんは説教を中断した。あらぬ方を見上げ、大きく目を剥く。


「……なんですか」


「あれは」


 生気のない青い瞳が、今、さらに大きく見開かれた。


「――トラ、か?」


「!」


 おれはほとんど反射的に視線を追う。


 立ち並ぶ商店に挟まれた、冷たい空気に澄みきった夜空。大いなる闇にはたくさんの星々が散る。


 その光の粉を隠すように、藍色の影が駆けていた。そこに大地があるかのごとく、悠然と、力強く。


 影はこちらに向かってくる。近づくにつれ、その正体がはっきりとしてきた。


 それは確かに、獣の――トラの姿をしていた。


 トラはおれたちには見向きもせず、頭上を颯爽と駆け抜けていく。


「すいません、ネルさん。謝ったばかりなのに」


「おい、坊主…」


「行こう」


 言うが早いか、マナさんの手を引き駆けだす。


 黙って見ていられるわけがなかった。


 ずっと探し続けていた、マナさんを救うための唯一の方法が、自ら姿を現したのだ。こんなチャンスはきっと、もう二度と訪れない。


 空を睨み、おれは固く心に誓った。


 ――ここで必ずトラを捕まえ、マナさんにかけた呪いを解かせてやる。


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