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忘却姉さん  作者: 白沼俊
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第四章「あの日の出会い」2話

 びゅうびゅうと冷たい風が吹きつける。竹ぼうきで掃いていた落ち葉が飛んでいって、おれは眉根を寄せた。


 翌々日は風の強い一日となった。寒がりにはきつい。


 ちなみに昨日も今日もまだ怪異は見つかっていない。修行は長くなりそうだ。


 掃き掃除を終えて店内に戻ると、カウンターにいる田原がショートカットの頭を下げた。


「おつかれさまです」


 平坦な声に頷いて、テーブル席のほうへ目を移す。


「そっか。きみ、ここで働いてたんだ」


「今日からですけど」


 理子先輩が来ていた。コーヒーの香りを楽しみながら、すみれ色の上品な笑みを浮かべる。


 おれはできる限りの自然な笑顔を作り、自然な間をとって切りだす。


「ここにはよく来るんですか?」


「うん。常連って言えるほどかは分かんないけどね」


 テーブルの上には文庫本が伏せられている。平日の放課後にシャレた時間を過ごして、かつ背伸びしている感じが全くしないのが理子先輩のすごいところだ。


「これこれ、新人」


 努めて自然に話そうとするおれの肩を、誰かががしりと掴んだ。


「まだ終わってないわよ」


 そう。マナさんだ。


「ほら、来る。次の仕事教えるから」


 店の奥へと強制連行される。なんとかお辞儀すると、理子先輩はにこりと手を振ってくれた。


 キッチンを通り抜け、廊下へ。


 おれの手を引きながらマナさんは横目で振り向いた。


「あなた、案外爽やかに笑えるのね」


 いつも爽やかなつもりなんだけど。


「……で、つぎのしごとは」


「え?」


「まだ仕事があるんだろ」


 マナさんは目をぱちくりとさせ、首を傾げた。


「わたし、そんなこと言ったかしら」


「言っただろ」


「そう? 変ね」


 やや幼げな顔がきょとんとする。奥二重のまぶたがぱちくりと瞬きした。


「ま、いっか!」


 マナさんは伸びをして、何事もなかったかのように店に引き返していく。


 なんだったんだ? おれは首を捻るしかなかった。




 帰りの電車はがらがらだった。おれたちの乗った端っこの車輌に関しては他に誰もいなかったくらいだ。


 帰宅ラッシュを過ぎた頃とはいえ、こういうとき田舎なのだと感じる。昔住んでいた町ではこうはいかなかった。


 長椅子にマナさんと並んで腰かける。


「遠くない?」


 おれは答えない。呪いの札に集中する振りをする。


 詰めて座るのが照れ臭くて、一人分開けてしまった。マナさんのほうも、あえて詰めようとはして来なかった。


「どう? そっちは効果出てきた?」


「……この札の? いや、まだ」


「そう、わたしも。この鍛錬意外ときついわよね」


 その気持ちはよく分かった。ただ眺めるだけと言えば簡単そうだけれど、なんの効果も感じられないまま続けることとしてはあまりに退屈だった。目を使うので、鍛錬中は他のこともなかなかできない。


 といって投げ出すわけにもいかなかった。言ってしまえば、この鍛錬にはマナさんの人生がかかっているのだ。


 二人して札を睨む様は、傍からはさぞ奇妙だろうけれど。


 無言。静かな時間が流れる。がたんごとんと電車の音がするばかり。


 視線を感じた。が、暗くなった窓ガラスにくっきりと映るマナさんは、やはり札を睨んでいる。


 気のせいかと思うと、また視線。目をやると、微笑みを向けられていた。


「な、何」


 彼女は黙っておれを見つめる。


 声が出せなかった。今喋ったら動揺を隠しきれない。


「ねえ」


 長椅子に手をつき、身を乗り出して、マナさんは挑発的に目を細める。


「わたしの、どこが好きなのかしら」


「はっ? な、なんだよ急にっ」


「聞かせて」


 至近距離でからかうような声音を使われ、おれは喉を動かした。


「それは――」


 声が上擦る。舌が回らない。


 マナさんはますます身を乗り出してきた。


 甘い匂いと熱のこもった視線に耐え切れなくなったとき、ようやくマナさんはつまらなさそうなため息をついた。


「なぁんだ。ちょっと期待したのにな」


 足をぶらつかせ、ぷいと前を向く。


 なんなんだ? 今のは。どうしてがっかりされているんだ?


 思考がまとまらず、心臓の鼓動も鳴りやまず、おれはしばらく不自然な瞬きを繰り返した。


 ふいに、窓に映るマナさんと目があう。


 そして彼女は――。


「あなたって、単純に惚れっぽいタイプなのね」


 ぼそりと一言。


 呆れた声で、彼女は言った。


 暴れ狂っていた思考が、その言葉の意味を探ることに集中する。惚れっぽい? どうして今、そんな話を?


 考えに考えて、ようやく気づく。


 聞き捨てならなかった。


 それは――理子先輩とのことを言っているのか?


 惚れっぽいから、マナさんへの気持ちも軽いと言いたいのか?


 そこまで言ってくれるのなら、おれだって――。


「……た、例えば」


 酷く小さな声で答える。マナさんは窓のおれに目をあげた。


「何か言った?」


「顔色がコロコロ変わるところ、とか。か、可愛いと、思い……ます」


 一刻も早くこの場から逃げ去りたかった。


 けど、言ってやった。これならマナさんも――。


「うーん……」


 マナさんは肩をすくめ、呆れたように笑った。


「わたし、そんなんじゃないでしょ」


 そんなんだよ!


 人がせっかく正直に答えたのに。


 かちんときた。


 あんたがその気なら、こっちだって。


「――静かに前を見てるときの表情……とか」


「あら、まだあるの?」


「あとは、メシを美味そうに頬張るところ」


「もういいわよ」


「少し声が低めなところも、い、色っぽいと、思う」


「え? そ、そう?」


「子どもみたいにはしゃぎ出すところも、そのくせ意外とまじめなところも、たまにからかってくるところも、こうと決めたらすぐ行動できるところも……。それに、ねむそうにしてる顔も、得意げな顔も、ちょっと不機嫌そうな顔も」


「ちょっと」


「今の、困ってる顔も」


「ああもう! 分かったわよ!」


 たまりかねたようにマナさんが叫んだ。


「あなたの気持ちはよく分かりました。だからさっきのことは忘れて」


「……そうか」


 分かってもらえたか。それならいい。決して軽い気持ちではないのだと伝われば、それで。


 見事使命を果たしたおれは、多大な満足感に包まれながら背もたれに身を預けた。


 しばらくして冷静になったおれが七転八倒するほど身悶えたことは、きっと、言うまでもない。




 自宅アパートのそば。


「ほっ! そいっ! てやっ!」


 マナさんは両手を猫じゃらしの代わりにして野良猫とたわむれている。それを横目に、おれはかかってきた電話に出ていた。


「ああ、大丈夫。明日はまだ無理だけど、寝てれば治るって言われてるから」


「でも、休み始めてもう三日だよ。明日も入れたら四日になっちゃうし」


 相手はにいなだった。心配してくれるのはありたがいけれど、嘘をついている今はただただ後ろめたい。


「そうだ、ごはん作りにいこうか? ちゃんと寝てなきゃいけないんだよね」


「いいって。普通に買い物だって行けるし」


「う~ん? ……怪しいなあ。なんか焦ってるような」


 察しがよすぎやしないか?


「メ、メシ食いたいからもう切るよ。じゃあな」


「あっ…」


 逃げるように通話を切った。


 マナさんを呼ぼうとすると、ちょうど猫に逃げられて戻ってくる。


「学校?」


「家族からだよ」


「ふうん。家族ねぇ」


 冷えたドアノブに手をかけ、マナさんはちらと振り返る。


「今だけはわたしも、家族ってことでいいのよね。こうやっていっしょに暮らしてるわけだし」


 おれは瞬きして頬をかいた。


「そう、なるんじゃない」


「……そっか」


 マナさんの口元に微笑みがこぼれる。


 さっきので意識しすぎてしまって、いつもより余計に顔が熱い。まともに目を合わせられない。


 思い出したらまた恥ずかしくなってきた。恋人相手ならまだしも、振られた相手になんという……。


 ――ダメ。まだ。


「え?」


 声がした気がして顔をあげる。


 マナさんは玄関のドアをあけ、中に入るところだった。


 今、なにか……。


 確かにマナさんの声だった。おれに向かってかけられた言葉ではないようだったけれど。


 おれは小首を傾げ、部屋に入った。




 その日の深夜、事件は起きた。


 おれはいつものように「はいはい今日も押入れね」と眠りについていた。これが案外暖かくて快適なのだけど、その話はまたいずれ。


 何時頃のことだったのだろう。


 押入れの襖がすっと静かに引かれた。マナさんの手によって。


「……どうした」


 夜起こされるというのは今までにないことだった。のっそりと身を起こして彼女の影を見返しながら、おれの目はみるみるうちに冴えていった。


 もしや、トラが見つかったという報告が入ったのか?


 最初はそう思ったけれど、それにしてはマナさんが静かすぎる。それにマナさんはこちらの出方を待つばかりで身じろぎすらしない。


 緊急の用ではなさそうだと分かると、途端に眠気が戻ってきた。


「降りて」


 やがて、ぽつりとマナさんがいった。


「一緒に寝ましょ」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。


 寝るといったって、今ちょうど眠っていたところじゃないか。寝ぼけた頭をかきながら、間の抜けたことを考える。


 数秒してようやく、同じ布団で寝ましょうと言われたのだと気づいた。


「はっ? い、一緒にって、えっ?」


 それは、そういうことなのか?


 いやいやいや、まさか。おれは振られた身だ。


 でもいま現にマナさんが……。


「わ、分かった。マナさんが、いいなら」


 声を何度も上擦らせ、ごくりと唾を飲みこむ。


 どくんどくんと脈打つ期待を胸に、おれは押入れを飛びおりた。




「……」


 なんだ添い寝か。


 お前は何を考えていたんだ、なんて野暮なことは聞かないでほしい。


 ほっとした反面恥ずかしくて、なかなか頬の熱が引いてくれなかった。


 隣ですやすやと寝息を立てるマナさんに口元を緩める。


 ……ん?


 待て。これは、この状況は――。


 今おれ、マナさんの隣で寝てるのか?


 意識すると急にさっきの緊張が戻ってきて、視線がマナさんに吸い寄せられる。


 同じ布団で、同じ毛布を使って、マナさんが眠っている。こちらに体を向けて、無防備に目を閉じて。


 微かな甘い匂いと毛布の中で伝わる熱に、どうしようもなくくすぐったい気持ちになり――強く、思ってしまった。


 ずっと二人で、こうしていたい。


「わたしね」


 目をつむったまま、マナさんが呟く。


「お、起きてたのか」


「こうやって一緒に、誰かと眠りたかったの」


 幸せそうな、甘くとろけた声。


 ……そうか、マナさんは。


 毛布から手を出して、恐る恐る手を伸ばす。


 マナさんの髪は見た目の通りにさらさらしていて、絹のように柔らかかった。


 嫌がられないか不安だったけれど、マナさんは頭を少しこちらに寄せ、気持ちよさそうにほほ笑んだ。


 その笑顔が、あまりにも愛おしかったから。


 頭がどうにかなってしまったのだ。


 すぐ傍の華奢な肩に手を乗せ、目をとじ、首を伸ばす。


 おれはマナさんにキスをした。




 けれど。


「だめじゃない。勝手にこんなことしちゃ」


 マナさんがつぶやく。


 唇と唇の間には、二本の指が挟まれていた。


 はっとした時にはもう遅い。マナさんは布団を抜けだし、押入れのふすまに手をかける。


 そして動けないおれに背中を向けて、冷たく言い放った。


「しばらく、二メートル以内に近づかないで」


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