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忘却姉さん  作者: 白沼俊
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第三章「探し人との出会い」4話

 我ながら情けない。


 まさかこんないきなり、こんなあっさり捕まることになろうとは。


 目覚めてまず、ひどい埃臭さにむせた。


 遅れて周囲を見回す。汚らしい壁に黒ずんだ木材がいくつも立てかけられている。どこぞのボロ小屋に連れこまれたようだ。


「だまされたわけか、おれは」


 そういって佐野を睨み上げる。


 黒い布のようなもので縛られているせいで、芋虫のような体勢だ。


「すっ、すいません」


 それだ。その上擦った声に完全に惑わされた。


 何が「助けてください」だ。こっちのセリフだ。


 この状況、どうしたものだろう。


 割れた窓ガラスの外は真っ暗で何も見えない。明かりといえば、天井に吊るされた電球の弱々しい光のみ。


 音も聞こえてこないし、もしかすると、外からの助けが入ってこられないようにしてあるのかもしれない。なかなか用心深いやつだ。


「あんたが白い影を閉じこめた犯人だな」


「そ、そうです。すいません」


「何のためにそんなことを」


「それは……呪いの力を、分けて欲しくて」


「……そんなことができるのか」


「む、無理やり奪うんですけどね。今きみを縛ってるその布だって、呪いの力がないと動かせないんです。だから、仕方ないことなんですよ」


 仕方ないかはさておき事情はわかった。話に聞いていた印象よりは言葉の通じそうなやつだ。


 下手なことさえしなければ、荒事の心配もないだろう。おばさんたちに迷惑をかけなくて済む。


「あの、動けますか?」


「動けるように見えんの」


 刺激してはいけないと分かっていながら、つい強い口調でいってしまった。


「見えないですけど……」


 佐野はほっと胸を撫で下ろす。中性的な顔に柔らかい笑みをうかべ、おれのそばにしゃがみこんだ。


「じゃあ、じっくりと質問ができますね」


 急に声の震えがなくなり、落ちつきはらった態度になる。


 ……おやおや。


「その前に、この格好だけどうにかして欲しいんだけど」


「だめです」


 優越感バリバリに見下ろされた。いい性格してるな。


「それで、学校で何をしていたんですか?」


「何も」


「探してたんですよね、白い影を閉じこめるために貼ったお札を。写真に撮ってましたけど、あれ、どうするつもりなんですか?」


 おれは鼻を鳴らした。


「見てたんじゃないか」


「あの時は肝が冷えました。でも、きみが迂闊な人でよかったですよ。おかげでこうして捕らえられた」


「……で? 口封じに殺すか」


「こっ、怖いこと言わないでくださいよっ」


 人を縛りつけておいてそんな反応をするあんたのほうが怖い。


「そんなことしなくたって、口封じの方法はいくらでもあるんです。ついでに質問にもきっちりと答えてもらいますよ」


 佐野が指を鳴らす。すると縛られた体の右腕だけが解放され、思い通り動くようになった。


「何がしたいんだ」


「今に分かります」


 彼はおれの前にプラスチックの下敷きを置き、その上に黄ばんだ厚紙を乗せた。


「この札に、これからぼくが言うとおりの言葉を書いてください」


 ペンを握らされる。用意周到といった感じだけれど、訳がわからない。呪いの前準備だろうか。


「ただ書けばいいのか」


「はい、書くだけです」


 あやしい臭いがプンプンするが……芋虫状態では仕方ない。


 佐野、咳ばらい。


「では、いいますね。『佐野の言葉には逆らいません』、はい、どうぞ」


「……悪趣味なやつ」


「ひ、必要なことなんですっ」


 言われた通りにペンを動かす。佐野の言葉には逆らいません。紙を押さえる手がないから書きづらくてしょうがなかった。


「書いたけど」


 こんなものがどうしたというんだ。目で問うたが、佐野は何食わぬ顔で見下ろすばかり。


 というより、何かを考え込んでいる様子だった。


「おい、佐野」


 呼ばれて彼はびくりとする。


「どうしてぼくの名前を?」


「同じ学校なんだから知ってたって不思議じゃないだろ」


「ぼくの質問には正直に答えてください。いいですね」


 そう言われてすなおに正直者になりきるやつがどれだけいるのか。


 などと思ったおれは、やはり甘かったらしい。


「どうして、ぼくの名前を知ってるんですか?」


「だからいま――」


 瞬間、胸を鈍い痛みに襲われて、息がつまった。


 呼吸ができなくなり、おれの言葉は呻きに消える。


「な……これは……」


 次第に痛みは強くなり、やがて心臓を素手で握られるような強烈な感覚に変貌する。


 その痛みが一度和らぎ、また心臓を握りつぶされ――それが短い間隔で繰り返される。


 佐野は床に置かれた厚紙を悠然と拾い上げ、パタパタと揺らした。


「これは『誓いの札』といって、文字を書き込むだけで書き込んだ人を呪ってくれる優れものです。その紙に書いたことは誓いと見なされて、もしそれを破るようなことがあれば、心臓が爆ぜて死ぬことになります。ぼくの質問には正直に答えたほうがいいですよ。命が惜しいのでしたらね」


「殺さ……ないんじゃ……ねえのかよ」


「殺しませんよ。きみがぼくの言葉に従ってくれればいいだけです。答えてください。どうしてぼくの名前を知ってるんですか?」


 痛みの波が押し寄せる。何とか浅い息をしながら、右手で佐野の足を掴んだ。


「ひっ! ぼ、暴力はなしですからっ」


「聞いたんだ。あんたのことを、ネルさんから」


 痛みに耐えられず、言ってしまった。我ながら情けない。


 そして、嘘のように痛みが引いた。胸には違和感すら残らない。


「ネル……ネル・ミッチェルの差し金ですか」


 見上げると、佐野は顔を真っ青にしていた。


「さっき撮った写真も、ネルに見せようと?」


「ああ」


「なんてこと考えるんですかっ。ね、ネルにはお札は見つからなかったと言ってください。それから、ぼくのことは誰にも話さないようにお願いします」


 佐野からの命令が増えていく。質問には正直に、暴力を振るうな、札や佐野のことは話すな。


「おれはいつまでこうしてればいいんだ。もうあんたには逆らえないんだろ」


 黒ずんだ床に押さえつけられるのは気分のいいものじゃない。埃で喉も痛くなってきた。


 ところが佐野は、冷えきった声音で答えた。


「もう少しそうしていてください。そのほうがぼくも気分がいいです」


「あんた、ほんとに趣味がわるいな」


「怒ってるんですよ、ぼくは。今度のことがネルに知られたら何をされるか……」


 佐野はぶるぶると身震いし、天井を仰ぎ見た。それから微かな笑みをこぼし、おれに冷たい視線を落とす。


「きみには少し、痛い目に遭ってもらいます」




 無意識に、ごくりと唾を飲みこんでいた。


 口封じのための呪いも済み、もう解放してもらえるものだとばかり思っていたのに。


 彼は田原のことも呪っている。初めから油断すべきじゃなかった。


「見たら分かると思いますけど、ぼく、昔から結構いじめられやすいほうなんです。小学生のときも、中学のときも、高校に入ってからだって、誰かが必ずぼくに目をつけた」


 突然の自分語りに面食らう。佐野は暗い喜びをその笑みににじませた。


「ぼくはずっと、そういう人たちを見返したいと思ってました。だから呪いの力を手に入れた。ぼくを見下す人、ぼくを酷い目に遭わせる人を、徹底的に痛めつけられる人間になりたかった」


「……それで?」


「分かりませんか。きみにも仕返しをしようと言うんです。いずれはネル・ミッチェルにも」


「今回のことはどう考えてもあんたが悪いと思うんだけど」


「きみたちはいつも同じことを言いますね。悪いのはぼくのほうだって。いじめられるほうに問題があるんだって」


 おいおい待て待て。何の話をしているんだ。というか今まさにいじめられているのはこっちなのだけど。


 ……これはもう、何を言っても無駄だ。


「なら佐野くんは、おれに何をしてくれんのかな」


「そうですね、じゃあ手始めに――」


 真面目腐った顔で考えこみ、ぱんと手を叩く。


「この床、埃臭いですよね。汚いですよね」


「……まさか」


 血の気が引いた。


 佐野は満足気に頷いて、埃で煤けた床を指差した。


「そうです。舐めて…」


「おい! あんまり調子に」


「暴言を吐かないでください」


「これは暴言じゃ」


「口答えもなしです」


 そう言われては口をつぐむしかない。


 くつくつと、佐野が笑った。


「では、もう一度言います。ちゃんと聞いていてくださいね。叫んだりして誤魔化しちゃだめですよ」


 言わせてはダメだ。


 はっきりと命令されたら従うしかなくなる。


 けれど、どうすれば。


 佐野が口を開く。ゆっくり、ゆっくりと。


 そして。


「この汚れた床を、舐めて掃除…」


「北村くん!」


 声が響いた。


「なっ、なんですっ?」


 バリバリと音を立て木の板が割れる。


 おれたちの頭上、小屋の屋根がぱっくりと裂け、上からブレザー姿の少女が降ってきた。


「ひいいっ」


 少女はその勢いで佐野に飛びかかり、手にしていた大きなスコップを投げ捨て、彼を床に押さえつける。


「なんですかきみはっ!」


「あんまりうごかないで。関節痛めちゃうわよ」


 腕を取り、肩をおさえつけて、少女はぴしゃりといいはなつ。


 そうして、おれに微笑みかけた。


「遅くなっちゃってごめんなさい。元気してたかしら?」


 おれは苦い笑みをかえし、息を漏らした。


「いや、絶妙なタイミングだよ――マナさん」




「もうほんと、イヤになっちゃうのよ!」


 奇跡的な登場をして早々、マナさんは頬を膨らませた。


「壁の周りに変な布が張ってあってね、どうしても中に入れなくて。それで屋根までのぼることにしたんだけど、これがまた大変で、腕なんかもうパンパン!」


 けれど油断大敵。呑気に頷いている場合ではなかった。


「ぼくの上で愚痴らないでください!」


「きゃあっ!」


「マナさん!」


 形勢はほんの一瞬で逆転する。


 おれの体を押さえつけていた黒い布がいきなり広がって跳びあがり、マナさんの全身をあっという間に縛り付けた。


「あらら……ごめんね、つかまっちゃったみたい」


 再びのピンチ。と、思いきや。


「こ、このっ」


 マナさんは佐野に乗っかったまま、しかも肩をおさえたままの状態だった。黒い布は思ったほど器用に動けないらしく、佐野ごと床に縛りつけていた。


「どいてくださいよぉ!」


「あなたこそ、この布どかしてよ」


「それはだめですっ」


「これじゃ動けないじゃない!」


 身動きの取れない二人は、しばし言い争いをつづけ、佐野ははたとおれに目を止めた。


 こっそり起き上がっていたおれは、ぎくりと身を引く。


「きみ! ぼくを助けてください!」


 やっぱり、そうくるか。


 瞬間、心臓を鈍い痛みが包み込む。誓いの札の呪いだ。


「そのスコップでこの人を殴って!」


 さらに命令が重なる。


 痛みに呻き、おれは床に膝をついた。


「北村くんっ? ……あなた、何をしたの!」


「いいからぼくから離れてくださいっ」


「動けないって言ってんでしょ!」


 二人の声を少しだけ遠くに感じる。脈打つような痛みは次第に強烈さを増し、息をするのも一苦労になる。


「スコップをとって! いますぐに!」


 仕方なく、それだけは従う。喉をひゅうひゅうと鳴らしながら、なんとかマナさんが落としたスコップを手にとる。


「それでいい、ぼくの言う通りにしてください。じゃなきゃ、きみが死ぬことになります」


「なに? どういうこと」


「彼はぼくの言葉に逆らえない。命令を無視すれば心臓が爆ぜて死にます。そういう呪いなんですよ」


 でまかせでないことくらい、この激痛を味わえば分かる。意識が朦朧としてきて、スコップを落としそうになった。


「さあ早く! この人を殴って、ぼくを助けてください!」


 殴らないと、おれが死ぬ。


 一刻の猶予もない。今すぐ決断しなければならない。


 分かってる。そんなことは分かっている。


 けど――。


「痛いですよね、言うことを聞けば楽になれますよ」


 優越感に浸りきった声で佐野が誘惑する。


 痛い。確かに痛い。とても耐えられないくらいに。


 でも。


「北村くん! わたしのことはいいから!」


 声が遠い。視界が狭まる。そのくせ意識だけははっきりしていた。


「早くしなきゃ本当に死んじゃう!」


 気づくとおれは泡を吹いていた。でも、体が動かないわけじゃない。命令が聞けるようにはなっているらしい。


 ゆらゆらと、二人のほうへと向かっていく。


 涙でうるんだマナさんの赤い瞳は、相変わらず明るく澄んでいた。まるで、光に透かしたガラス玉のように。


 殴れるわけがなかった。


 おれは、親父のようにはならない。苦しみから逃れるために、他人を不幸にするような人間には。


 おれは……マナさんに手を上げるくらいなら……。


 最後の警告だろうか。忘れかけていた激痛が波のように襲いかかる。呻いたつもりが、声は虚しく掠れるばかり。


「い、いい加減にしてくださいっ」


 佐野が声をあげる。何故か息を乱していた。


「ほんとに死にますよ、いいんですかっ。脅しじゃないことくらい分かるでしょう!」


「北村くん! お願いっ、言うことを聞いてっ」


 おれはふらふらと座り込み、浅くため息をついた。


「悪い。それはできない」


 そろそろ時間だ。


 おばさん、おじさん、にいな……ごめん。




「いい! もういい! 命令は取り消しだ!」


 ぎりぎりのタイミングで叫び声があがった。


 途端に視界が広がり、周りの音がはっきりする。


 胸の痛みは消え、乱れた息もすっかり整った。


 助かった……のだろうか。


 死んだことにも気づいていないだけとか、そんなオチは勘弁だ。


「北村くん! 大丈夫っ? 大丈夫なのよねっ?」


「ああ……」


「よ、よかった……」


 自分の体にぺたぺたと触れ、ようやく実感する。おれは死なずに済んだらしい。


「バカ! どうして言うこと聞かないのよ!」


「あんたを殴れるわけないだろ」


「でもやるの!」


「無理だって」


「やってよ!」


「だから……」


 怒りに任せて叫ぶマナさんに、おれはため息をついた。


 視線をやや下に向ける。


「なんて人だ、考えられない……」


 つぶやく佐野は、半ば放心状態だった。そっちが呪われたのではないかと疑うくらい、息を激しく乱している。


 泡を吹いたのが嘘のように、体はすっかり軽かった。形勢が逆転したことをひそかに知り、拳を握りしめる。


 スコップを手に、佐野の前に立つ。


「さっきあんた、言ってくれたよな。命令は取り消しだ、って」


「い、言うに決まってるじゃないか。あのままじゃきみ、死んでたんですよ。どうかしてますっ」


「言ったんだな? おれの間違いじゃなかったわけだ」


 スコップの柄を肩にのせる。十分な重さだ。


 おれは口の端を上げた。


「取り消し、ね……今までの命令、全部」


「……へ?」


「つまり――殴ってもいいってことだよな!」


「ええっ、ち、ちが……!」


 スコップを振り下ろす。固い音が小屋に響いた。


 黒い布がしわくちゃになって、音もなく床におちる。


 佐野は声にならない呻きを上げて、がくりと動かなくなった。


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