第三章「探し人との出会い」3話
大事なことを聞き忘れていた。
白い影を閉じ込めた痕跡というのがどこにあるのか、素人のおれたちにはさっぱり分からなかったのだ。
学校についてからそのことに気づいてげんなりしたけれど、マナさんがネル店長の携帯番号を知っていたのが幸いだった。
「まずはげた箱のあたりかねえ。その辺に札が貼ってあったら写真に撮ってもらえるかい。人に見つからないようにしてるだろうから、根気強く調べな」
とのこと。思ったより面倒な作業になるかもしれない。
「で、なんで坊主は私の番号を知ってんだい」
無言でスマホをしまった。
マナさんを忘れてしまったであろう今、その名を持ち出しても意味がない。あとで店に戻ったときについでに説明した方が楽そうだ。……待てよ。さっき店で会った時はマナさんのことを知っていた風だったような。
ちなみに今日は校内を歩く上で、先生たちに見つからないようこそこそとする必要はなかった。
なんとマナさん、田原京子の制服を着込んでいる。
あのぶっきらぼうな少女は、マナさんが頼み込むと意外にも簡単に制服を貸してくれた。朝に部活があったらしく、ちょうど制服を着てきていたのだ。返す時泥棒と指を差されないか心配ではあるが。
校舎に向かいながらブレザー姿のマナさんをちらちら見ていると、ふと目があった。
「そんなに似合う?」
「……さ、寒くないのかと思っただけ」
「素直じゃないのね」
黒いブレザーに澄みきった白い肌が映えていた。明るく妖しげな赤い瞳も、より鮮やかに映る。
「あら? ねえ、あれ」
マナさんが声をあげた。視線の先を追う。
おれは閉口した。
校舎の入り口、げた箱のあたりを無駄に図体のでかい男がうろついていた。
「もしかしてお札を探してるのかしら」
荒川はげた箱に置かれたすのこをひっくり返し、その裏と石の床とを見比べている。
目を異様なほど大きく見開きながら。
常軌を逸した禍々しい空気を感じ、おれは無言で方向転換する。
「どうしたの?」
「あれと一緒には調べたくない」
「いいじゃない。どうせなら協力してもらいましょうよ」
腕を引っぱられる。
「待った」
「待ちません」
「電話だ、ネルさんから」
嘘ではなかった。ポケットのなかで震えていたスマートホンを取り出す。
「……北村です」
「坊主、もしかして荒川と知り合いなのかい?」
第一声におれはぽかんとする。
ネルさんの口からその名が出るとは思わなかった。
「はい、一応。知ってるんですか、先輩のこと」
「常連なのさ、あいつは。専門家としてのアタシから、よく情報を買いにくる」
「情報、っていうと?」
「怪異やら呪いやらの情報だ。どこに怪異が出ただの、誰が人に呪いをかけただの、そんな話さ。たとえば昨日の白い影とかな。でだ、もし学校で荒川に会っても、佐野のことは話さないでもらえるかい」
「どうしてですか」
「あいつは人間相手でも躊躇いがなさすぎる。すぐに流血沙汰を起こすんだ。アタシも穏便に済ます気はないが、警察沙汰にはしたくない。とにかくこの件は荒川に黙っていておくれよ」
途中、さらりと不穏なことを言わなかったか? いや、それより。
最高のタイミングでお達しが出た。
おれはマナさんに心からの笑顔を向け、今言われたことを包み隠さず説明した。
というわけで、別のげた箱から当たってみる。
荒川がそうしていたように、おれたちもすのこを持ち上げ、裏とその下を覗く。砂ぼこりに咳きこんだ。
「荒川のやつ、なんで呪いのことであんな血まなこになるんだ?」
ネルさんには常連とまで言われていた。自分や身内に何か降りかかっているならまだしも、無関係だろうとお構いなしという風情だ。
「店長が言うには、呪いに恨みがあるみたいよ。昔、大切な恩師に呪いをかけられたことがあるんですって」
「恨み――」
さっきの荒川は確かにそんな感じだった。佐野に合わせたらどうなってしまうことか。
作業再開。
一人でやっていれば怪しげな行動でも、二人ならなんとなく意味ありげに見えるはず。こそこそする必要がないと、作業も自然と早くなる。
「あったわ!」
三分ほどで札が見つかり、さすがに拍子抜けした。傘立ての裏に貼られていた。
「迂闊なやつだな。貼りっぱなしにしておくなんて」
ひとまずスマホで写真に収める。これで仕事完了とはあっさりしたものだ。
しかし本当にこんな紙切れで怪異を封じられるのか?
いくらまじまじと眺めても、奇妙な文字が書かれただけの、ごく普通の半紙にしか見えない。
まあいい。用は済んだ。さっさとカフェにもどって写真を見せてしまおう。
もし佐野が犯人であってくれれば呪いの話を聞き出せる。そしてもし呪いの解き方も知っていてくれたら、すべてが解決する。
このまま上手いこと話しが運んでくれればいいのだけれど。
「失敬」
マナさんに声をかけようとすると、いつものごとく唐突に手を引かれた。出口とは逆方向へ。
「ちょっとごめんあそばせ」
何のことはない、手洗いに行きたかったようだ。
女子トイレに背を向けて棒立ちになる。この高校の手洗いくらいなら外で待っていても十メートル以上離れることはない……いや、あるか?
大丈夫、大丈夫だ、マナさんのことは覚えている。黒髪赤目の元気な少女で、おれが振られた人――。
焦りやら悲しみやらが顔に出ていたのだろう、通りすがりの女子生徒に気味悪そうな目を向けられた。
マナさんはまだか。女子の手洗いは長いな。
寒さと不安にそわそわしながら待っていると、
「あ、あのっ」
上擦った声をかけられた。
目を丸くする。
そこにいたのは、先ほど写真で見せられた優男、佐野だった。
「な、何、してるんですか」
実物は思ったより小さい。背丈というより、変に縮こまった態度がそう見せるのだ。
田原に呪いをかけたというからどんな凶悪なやつかと思ったけれど……。
「……別に。何も」
「そんなはずないですっ」
見かけどおりの小心者らしく、声はわざとらしいくらいに震えていた。
どういうつもりだろうか。向こうから校内で接触してくるなんて。
「悪いけど用があるんだ。話に付き合ってやる時間は…」
「し、白い影をっ」
佐野が叫んだ。
ガチガチに震えながらも、彼はまっすぐにおれを睨み、続ける。
「白い影をつかまえたのは、きみ……うわっ」
おれは、自分で気づくより先に佐野を突き飛ばしていた。
「いっ、いきなり何するんですかっ」
「あんたこそ、何のつもりだ」
今のは自白か? 白い影の話を持ち出してくるなんて。
間合いをとって身構えるおれに、佐野は手をばたばたと振った。
「ご、誤解ですっ。ぼくはただ……その……お願いが」
佐野は半ば泣きそうになりながら、すがりつくような視線をよこした。
「たすけてくださいっ」
「……は?」
「ですから、助けて欲しいんですっ」
思いがけない展開だった。
どういうことだ? 佐野が犯人じゃなかったのか?
警戒を解かずに睨みつける。
「何から」
「ここでは、ちょっと」
佐野はびくびくしながら周囲を窺う。
休日の校舎とはいえ人は通る。内容によっては話しづらいだろうことは分かった。
今はちょうど、廊下に人はいないけれど。
「こっちに来てください」
「いや、それは」
手を引かれそうになり軽く払いのける。マナさんから離れるわけにはいかない。
「お願いします」
「待ってくれ、今は」
「どうしてですか。まだぼくのことを疑ってるんですか?」
「そういうわけじゃ」
「じゃあ来てください!」
なんだ? 急に語気が荒く。
「どうしても、来てくれないんですね」
明らかに、目つきが変わった。
びくびくした態度と上擦った声は相変わらずだけれど、恨めしげな視線には、背筋を凍りつかせるだけの迫力がある。
――今廊下には、誰もいない。
まずいと思った時には遅かった。
佐野の背中からふわりと黒い布が広がり、身を引こうとしたときには視界が真っ暗になっていた。何かに包まれ、身動きが取れなくなる。
待て。ふざけるな。ここから出せ。
おれの叫びは声にもならない。
マナさん――。
思い浮かべた少女の顔は、意識とともに、ぼんやりと薄れていった。