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忘却姉さん  作者: 白沼俊
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第三章「探し人との出会い」1話

 ミニサイズのファンヒーターがいつもより気合いを入れて部屋を暖める。


 おれの住むアパートの狭苦しい一室。キッチンと流しのある廊下の他には、浴室、トイレと、畳の六畳間しかない。


 その畳の部屋に、コートを脱いでくつろいだ格好になったマナさんが座っていた。


 あの後ふたりで話し合って、呪いが解けるまではこのアパートにマナさんを泊めることに決まったのだ。


 背の低い狭い机を前に、おれは手を合わせる。


「いただきます」


「おかわり!」


 満面の笑みで茶碗を差し出される。部屋が一段階明るくなったようだった。


 いや待て、おかしい。笑顔にだまされるな。今食べ始めようとしたところだぞ。


「お、か、わ、り!」


 突きつけられた茶碗を覗くと、中身はきれいになくなっていた。


「……はいはい」


 渋々受け取る。


 けれどもまあ、美味しく食べてもらえるなら作った甲斐があるというものだ。


 たくさん食べそうだから山盛りにしておこう。


「ほら」


「おかわり!」


「え」


「おかわり!」


「まって…」


「おかわり!」


「……」


 五分もすると、炊飯器のなかはすっかり空っぽになっていた。


「あ~美味しかった。ごちそうさま」


「明日の分のごはんまで……」


 マナさんはそしらぬ顔でお腹をさする。


 美味しかったならいいけど。


 おれのほうもさっさと食事を済ませ「ごちそうさま」と手を合わせる。そのまま片付けに入ったから、気になっていることを聞きそびれてしまった。




「さて。メモの準備はいいかしら?」


 コホン、とマナさんは咳払いする。


 洗いものを済ませたあと、おれは忘却の呪いの詳細についてマナさんから聞かされていた。


「忘却の呪いが、皆からわたしのことを忘れさせる呪いだっていうことはもういいわね? で、その呪いが発動する条件なんだけど――」


 マナさんは畳の上であぐらをかき、人差し指を立てる。


「ずばり、わたしから十メートル以上、ほんの一瞬でも離れたらアウトです!」


 十メートル――ずいぶんはっきりしてるんだな。


 しかし十メートルか。このアパートにいるうちは心配しなくてもよさそうだけれど、外に出たら注意しないといけない。


「他にはあるのか」


「いいえ、ないわ。忘却の呪いが気にしてるのは、わたしとその人がどれだけ離れてしまったか、それだけ。


 例えばわたしと北村くんの間に分厚い壁を挟んでも、距離さえ離れてなければ忘れることはないわ。逆にお互いを直接見てるときでも十メートル以上離れたら、たとえ声をかけ合っていても絶対に記憶を消される。


 十メートル以上離れないこと。それだけ守ってればきっと大丈夫。少なくとも、今まではそうだったから」


 マナさんの説明はやたらとすらすらしていて、言い慣れている印象が強かった。


「なるほど。よくわかった」


 シンプルなのはありがたい。壁を気にしなくていいならいくらでもやりようはある。


「――と、そうだ。電話しないと」


 ふと思い出し、おれは携帯を出す。


「電話……?」


「おれ、玄関のすぐ外にいるよ。それなら十メートルも離れずに済むだろ。その間に風呂に入っといてくれ」


 マナさんはテーブルに腕を乗せたままの格好で、目をぱちくりとする。


「ねえ。電話って、こんな時間に?」


「あ……そうか、もう」


 壁にかけた時計を見ると九時半をこえていた。


「もしかして明日、なにか用事あった?」


「……バイトの面接」


「アルバイト?」


「つい先週、働いてたファミレスがつぶれちまったんだ。だから新しいバイト探してんだけど」


「わたしがいたんじゃ面接なんて行けるわけないと」


「いや……」


「そういうことなら、いい場所知ってるわよ」


 意外な言葉にマナさんを見返す。彼女は得意げに鼻を鳴らした。


「わたしが働いてるお店、教えてあげる」


「マナさんが?」


 ……できるのか? 店で働くなんてこと。


 もしかすると、さっきの食事中に聞きそびれた疑問に答えてもらえるのかもしれない。


 呪いにかかったマナさんが今までどうやって生き抜いてきたのか、という疑問に。


 が、今すぐ話してもらえるわけではなさそうだ。マナさんは伸びをして、そのまま仰向けに寝ころがった。


「細かいことは明日話すわ、実際にお店に行ってみてからね。そのほうが早く済むと思うから。ついでにそのとき、呪いを解くための手がかりがないか聞いてみましょ」


「……待った。なんで呪いの話が出てくるんだ」


「そのお店にいるのよ。怪異の専門家が」


「怪異の――」


 そうか。専門家ならあるいは。


 これまでマナさんは呪いを罰として受け入れ手を打たずにきた。もしかしたら聞く機会がなかっただけで呪いの解き方を知っているかもしれない。


 マナさんのためだ。本来会いたくはないけれど、四の五の言ってはいられない。


「わかった。明日、その店に行ってみよう」




 就寝時間。


 ふすまに手をかけ、暗い部屋を覗きこむ。


「なんで家主が押入れで寝なきゃならないんだ」


「まあまあ。大好きな女の子と同じ屋根の下で寝られるわけだし」


「なっ……」


 何も言い返せなかった。


 部屋のど真ん中に敷いた布団にマナさんは素足をなげだしていた。その指が、シーツの上でくねくねと動く。


「ねえ、後悔してない?」


 こちらを振り向かずにマナさんがつぶやく。


「なにが」


「北村くん、学校で会ったとき、『面倒ごとはごめんだ』って言ってたでしょ?」


「変なことに首つっこんで、家族に迷惑かけたくないんだ」


「ふうん。家族思いなのね」


「さあな」


「でもだったらどうしてわたしの呪いを解くなんて言ってくれたの? 滅多にないくらいの面倒ごとなのに」


 すぐには答えなかった。今度は落ち着いて、丁寧に自分の気持ちを伝えたほうがいいと思ったから。


「おれは、面倒ごとに家族を巻き込みたくない」


「……うん」


「逆に家族が面倒ごとで困ってたら、間に割って入りたいんだ。マナさんでも、同じだよ」


「わたし、家族じゃないわ」


「けど、マナさんは大事な人だ」


 言ってからぐんぐんと体温が上がっていくのを感じた。こっそりと毛布をおろす。


「北村くんって、結構積極的よね」


「……」


 くすくすと笑い声。それが胸にくすぐったくて、暗闇のなかにも関わらず、マナさんのほうを見られなかった。


 沈黙がおりる。マナさんとの沈黙は思った以上に心地いい。けれど静かになると、自然と呪いのことを考えてしまった。


「なあ、マナさん」


 ふいに不安になって尋ねる。


「朝起きたらあんたのことを忘れちまってる……なんてことないよな」


「――えっ?」


 ぎょっとしたような声。まさかの反応だった。


「あるのか」


「さ、さあね。ないんじゃない?」


「ちゃんと答えてくれ」


「うーん……わかんない!」


 マナさんは不自然に元気よく、あっけらかんと答えた。


「呪いにかかってこの方、誰かとこんなに近くで眠るなんてことなかったから」


 なんてことだ。そんな話を聞いてしまったら。


「でも、いくらなんでも眠らないわけにはいかないでしょう? 二日三日でなんとかなるならともかく、そう簡単に呪いが解けたら苦労しないもの」


「そ、そりゃそうだけど」


「はい、ちゃちゃっと寝ちゃいましょう」


 一度不安に思ってしまったら手遅れだ。


 案の定その夜は眠れなかった。暗闇の中でひたすらにマナの存在を意識して、ねばってねばって、睡魔に逆らえなくなったのは、外から小鳥のさえずりが聞こえてきた早朝の頃だった。


 目覚めたのは昼。正午を告げるチャイムが町中に響いたときだった。やけに周りが暗くて驚いたあと、自分が押入れで寝ていたことを思いだす。


「あれ。そういやなんでおれ、押入れなんかで……」


 つぶやいてから、おれはあっと声をあげた。


「マナさん!」


 勢いよくふすまを開けると、白くまぶしい肌が目に入る。


 マナさんがTシャツを脱いでいた。


「おはよっ! 北村くん!」


 ふすまを閉めた。


「えっ、北村くんっ? 北村くん! まさか本当に忘れちゃったの?」


「早く服を着てもらえないでしょうか」


「ああ、なんだ、そんなこと」


 その無頓着さは女の子としてどうなのだろう。寝るときはおれを押入れにつめこんだくせに。


 少し待って、着替えが終わったことを確認してから押入れを出る。


「覚えてたよ」


「――うん」


 カーテンの開かれた窓から、真昼の日差しが差し込む。


 そこで、ぎゅるぎゅるとお腹がなった。おれとマナさん、二人同時に。


 何故かマナさん、得意げだ。


「メシにするか」


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