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第3章 黙って守られてください(5)

 二階へ続く階段は、明かり取りの窓から降り注ぐ光にあふれていた。

 まるで、劇場のスポットライトのような光のカーテンの中から、スミレ色のレースとフリルのかたまりがしずしずと降りてきた。

 十二歳ほどの、ティモシー王子と似た年頃の少女だった。

「こんにちは」

 先を歩くジェリーが、すれ違いざまに声をかけた。

 豊かに波打つ濃い金髪、みずみずしい輝きを放つ葡萄のような紫色の瞳、真珠のようになめらかでつややかな頬。精巧な人形めいた美しい顔立ちに、シャノンは思わず見とれた。

「ごきげんよう」

 水晶の鈴を転がすような可愛らしい声で、少女は外套の下から覗くドレスの裾をつまんだ。ドレスと同系色のボンネットは、まるで大輪の花が咲き誇っているかのように華やかだ。

 そのまま立ち去るかと思いきや、少女はじっとこちらへ視線を向けた。

 挨拶を交わしたジェリーではなく、シャノンの顔を食い入るように覗き込んでいる。

「どうかしましたか、レディ?」

 今は男装しているので(似合っているかは別として)、紳士らしく膝をついて彼女と目線を合わせた。

 少女の瞳が揺れる。

「シェヴン……」

「わたしの名前は、シャノンといいますが」

 シャノンは、にっこりと笑いかけた。

「失礼」

 幼い少女らしからぬ堂々とした振る舞いで、彼女はフリルたっぷりの裾をひるがえし、小さな踵を鳴らして立ち去った。

「とても綺麗な子ね」

「先輩のほうが綺麗ですよ」

 聞いていて恥ずかしくなる台詞を、ジェリーは笑顔でさらりと口にした。

「もう……、あら?」

 足元に、レースで縁どられた白いハンカチが落ちていた。シャノンはそれを拾い上げる。

「きっと、あの子のだわ。届けてくるから、ジェリーはゆっくり見てて」

「いえ、おれも行きます」

「大丈夫。すぐに戻るから」

 ジェリーに手を振り、シャノンは小走りで文豪の生家を出た。

 重い荷物を持つジェリーを振り回したくないし、入り組んだ路地裏で人を追いかけるなら一人のほうが身軽だとシャノンは判断した。

 身なりからして、貴族の令嬢だろう。馬車を待たせているとしたら、大通りへ向かうと当たりをつけた。

 思った通り、すぐに少女の後ろ姿を見つけることができた。ふわふわの金髪が左右に揺れながら、狭い路地を大通りに向かって進んでいる。

 レディ、落し物ですよ。

 そう声をかけようとしたシャノンの足が止まった。

 少女の前に、黒い装束に身を包んだ男が三人、立ちふさがったのだ。

 鼻から下を黒い布で覆うその姿は、明らかに従者という風体ではない。

 少女が後ずさりをする。

 すると、男の一人が彼女の手首をつかんだ。

 小さく悲鳴があがる。

「待ちなさい!」

 シャノンはハンカチを握りしめ、石畳の路地を蹴って駆け出した。

 昨晩は満月だった。大陸からやってくる人さらいだとは考えにくい。彼らは、月の弱い夜を狙って現れるから。

(ミカヅキさん、どうかお守りください)

 シャノンは銀の腕輪に祈りをこめた。淡く青い光が、優しく身体を包んでくれる。

「その手を離しなさい!」

 黒装束の男が二人、シャノンの行く手を阻む。中肉中背の、顔は見えないがおそらく二十代から三十代。

「あなたたちに用はないの」

 シャノンは、ブーツの踵で石畳を強く蹴った。

 魔法騎士は日頃、靴底に薄い金属板を仕込んでいる。王太子の物置部屋から拝借したこのブーツにも、魔道具の金属板が備え付けられていた。

 シャノンの華奢な身体は綿毛のように舞い上がり、二人の男たちの頭上を軽々と飛び越えた。

 風を切って身体をひねり、少女を連れ去ろうとする男の前に降り立つ。

「離しなさい。レディの手が(けが)れる」

 シャノンは、男が次の動作へ移る前に少女を抱き寄せ、自らの背にかばった。

(けが)れているのは、その娘だ」

 男の乾いた声に、少女が身じろぎをした。

「我々の役目は、女神シェヴンの名のもと、シルクレアの『清浄』を保つこと」

「人さらいが、女神の教えだとでも?」

 眉をひそめると、男は懐から短剣を取り出した。シャノンも、護身用の警棒を構える。

「女。邪魔をするなら、貴様もその娘と同様、『浄化』する」

 彼の言葉を合図に、後ろにひかえていた二人の男たちも短剣を取り出した。

(あぶない新興宗教……というわけでもなさそうね)

 シャノンは、少女を背中にかばいながら半歩ずつ後退する。

 男たちは、じりじりと距離を詰めてくる。

 三対一では、少々分が悪い。

 幼い少女を守りながらとなると、尚更。

 彼女を抱えて逃げ切れる自信はない。

 シャノンは意を決して、警棒に魔力をこめた。近隣の住宅を巻き添えにしない程度に、自分たちを守る最小限の炎をまとわせる。

「あなた、何をする気ですの? わたくしのことはいいから、お逃げなさい!」

 幼いながらも凛とした声で、少女は言った。人の上に立つ存在であることがうかがえる。

「レディ。彼らは、あなたを殺す気です。今、運良く逃げられたとしても、また襲ってくる。仲間を呼ぶかもしれません」

「あなたは女性でしょう? 一人で敵うはずが……」

 シャノンは、肩越しに少女を振り返って笑みを向けた。

「大丈夫。わたし、強いですから」

 身を隠して特殊任務に携わっている今は、魔法騎士と名乗ることはできない。

 でも、目の前で襲われている少女を見過ごすことはできない。

「ああ、そうだ。レディ、落し物ですよ」

 シャノンは、握っていたハンカチを後ろ手に少女へ渡した。

「あ、ありがとう……」

 手が触れた瞬間、シャノンは自分を包んでいた腕輪の加護の光を少女へと転移させる。

 シャノンはあらためて、紅く輝く炎の警棒を構えた。

 そして、魔法具を仕込んだ踵で石畳を強く踏み鳴らした。

 鈍い音とともに、一瞬だけ地面が縦に揺れる。

 男たちがバランスを崩した隙をついて、シャノンは路地を蹴って飛び出した。

 警棒を振りかざし、先頭の男の短剣を叩き落とす。

「くっ」

 そのまま、腰を落として警棒を横一線に振り抜いて男の足元を掬う。

 倒れた男の喉元に、煉獄を凝縮させたように熱い警棒を突きつけた。

「首に風穴を空けられたくなかったら、立ち去りなさい」

「すごい……」

 背後で、少女が小さくつぶやいた。

「……ふっ」

 男が笑った。

 瞬間、シャノンはただならぬ殺気を感じて後方へ飛びのいた。

 見ると、後ろにひかえる二人の男が、携帯用の短杖(ロッド)を掲げていた。細かな魔法石が無数に散りばめられている。一般市場には流通していない、稀少な杖。

(こいつら、どこでそんなものを……?)

 シルクレアの王宮には、魔法騎士団とは別に、高い魔力を誇る宮廷魔法使いを集めた「魔法師団」が存在する。

 彼らが持つ杖と、とてもよく似ていた。

 しかし、シャノンの知る宮廷魔法使いは、いわゆる頭脳派(インテリ)がほとんどで、身体を使った戦闘に関しては素人なのだ。

(王宮から杖が盗まれたということ? それとも、あれは贋作(レプリカ)……?)

 杖に気を取られ、シャノンは目の前の男が短剣を拾い上げたことに意識が向いていなかった。

「あぶない!」

 少女が悲鳴のような声をあげた。

 曇った夜の三日月のように、鈍い光を帯びた刃が、シャノンに向かって振り下ろされた。

(しまった)

 身構える暇もない。シャノンは息を呑んだ。

 次の瞬間、シャノンの視界がまぶしいほどの銀色に覆われた。

 ギイン! と、金属のぶつかる音が、閑静な住宅街に反響した。

「大丈夫ですか、先輩?」

 茫然と立ちつくすシャノンを背中にかばうようにして、ジェリーがそこにいた。

 右手に短剣、左手には食材のたっぷり詰まった手籠を持って。

「ジェリー……どうして」

 すると、ジェリーは拗ねたように口を尖らせた。

「おれたち、デート中なんですよ?」

「へ?」

「一人でいても寂しいから先輩を追いかけてきたら道に迷うし、やっと見つけたかと思えば、なんか知らない男と立ち話なんかしてるし!」

「ええ……?」

 この状況で、何言ってるのこの子。

 シャノンは、やや引き気味に後退した。背後で、金髪の少女も変質者を見るような目でジェリーの様子を見守っている。

「……なんてね」

 ジェリーの目つきが鋭いものに変わる。短剣を逆手に構え直し、男たちを迎撃する姿勢をとった。

「先輩、その子をお願いします」

「いいえ、わたしも一緒に」

「いいから!」

 初めて、ジェリーが声を荒らげた。

「先輩は、黙って守られてください」

 ほんの少し、苛立ったような声色。

 シャノンを一人で行かせたことを、彼は後悔しているのかもしれない。

「わかった」

 シャノンは警棒にまとわせていた魔力を解き放ち、少女の手を握った。

「女の次は、女みたいな顔をした優男か」

 男たちが侮蔑の笑みを漏らす。

「よく喋るゴミだなあ」

 口の中でふわりと溶ける綿菓子のような声で、ジェリーは切って捨てるように言った。

(え……?)

 シャノンの心臓が大きく跳ねた。


 ――気をつけて。月の弱い夜は、彼らのようなゴミがうろついているから。


 そんなはずがない。あるはずがない。

 あの人は……ミカヅキさんは、とうにこの世界から旅立った人。

 でも、似ているところが、重なるところがありすぎて、別人だと言い切る自信がどんどん薄れていってしまう。

騎士(ナイト)さん?」

 少女の手が、シャノンの震える手を気遣うように握り返した。

「ごめんなさい、レディ。大丈夫」

 シャノンと少女が見守る中、ジェリーは一度も魔法を使うことなく、短剣一本で男たちを気絶させた。

 城下を巡回する騎士団が駆けつける前に、二人は少女を連れてその場を立ち去った。



「ありがとうございました。このご恩は、必ずお返しいたしますわ」

 大通りに出て安全を確認すると、少女は恭しくドレスの裾をつまんだ。

「お気になさらず。レディがご無事で何よりです」

「どこかに馬車を待たせているのでしたら、そこまでお送りしますよ」

 シャノンとジェリーが言うと、少女は紫色の瞳をきらめかせて上品に微笑んだ。

「お気遣い感謝いたします。迎えでしたら、あそこに」

 少女が示した先を見ると、若い黒髪の男性がこちらへ向かって駆けてくるところだった。

「やっと見つけましたよ、セシア様。お一人で勝手に動き回らないでくださいと、あれほど」

 漆黒の外套に長身を包んだ、片眼鏡の男性が口にした名前に、シャノンとジェリーはそろって目を丸くした。

 セシアと呼ばれた小さなレディは、二人を見上げてこう言った。

「道をお尋ねしてもよろしいかしら? ハーフォードという方のお屋敷に行きたいのだけれど」

 それは屋敷の執事グレッグの姓であり、

 王太子メルヴィンが世をしのぶ仮の姓であり、

 ジェリーとシャノン夫妻(偽装)に与えられた、かりそめの姓であった。

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