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【E》te-r-na《L】  作者: 夜方宵
11/12

孤独への剣撃

 ――それは蹂躙だった。


 華蓮を相手にすれば異形に嬲られ、異形を相手にすれば華蓮に嬲られる。


 そんな一方的な戦いだった。


 それでも久遠は諦めていなかった。


 刃が如き化け物の腕を斧で弾き、気味悪く蠢く鎖共を銃で撃つ。


 しかし久遠の身体に傷は増えていく。久遠の攻撃の全てを掻い潜り、敵の爪が、牙が、刃が、彼女の血を啜っていくのだ。


 立っているだけでつらそうに顔を歪める久遠を、華蓮は嘲った。


「ねえ叶世さん。下手な踊りはもう止めにしません?」


 その声と同時、イマーゴの腕が受け止めた斧ごと久遠を弾き飛ばした。


「あぐううっ……!」


 フェンスに叩きつけられた衝撃で息が詰まり、肺が呼吸を拒む。


 だがそんな久遠に敵が情けをかけるはずもない。


床に落ちる前の久遠を華蓮の鎖が絡め取っていき、一瞬のうちに久遠は身体の自由を奪われて金属製の柵に磔となった。


 からんからんと、虚しい音を立てて巨斧だけが床を転がる。


 久遠は、抵抗する術を失った。


「あなたの負けですね、叶世さん」


 勝ち誇った顔で、華蓮が告げた。


「あんな大口を叩いておきながら、蓋を開けてみれば私達はほぼ無傷であなたはその様。本当、口だけの人間ってあなたような人のことを言うんだわ」


 その厭らしい顔を目一杯に睨みつけてやる久遠だったが、それすらも愉しそうに華蓮は嗤う。


「死に損ないになってもまだ私に野犬みたいな目を向けるなんて、あなたって本当に可愛くない子ですね。でもその目も、その顔も、少し後には全部ミユキのお腹の中だからどうでもいいのだけど」


 懸命に鎖から逃れようともがく久遠を眺めながら、やがて「ああ、そうだ」と、華蓮は何かを思いついたように口許に人差し指を当てた。


「気になっていたようだし、殺す前に教えておいてあげます。私が木崎さんをどうしようと考えているのか」


「…………!」


 次に言った華蓮の言葉を聞き、久遠は怖気を感じると共に憤りを覚えた。


「私、木崎さんには私だけを心の拠り所にして欲しいと思っているんです」


「なん、ですって……!」


「だって彼女、言ったんですよ。私のことを理解して(わかって)くれるって。だから理解してもらうんです。私の全てを。大切な人を失う悲しみも、孤独でいることの悲しみも、全部全部理解してもらうんですよ。彼女自身にも同じつらさを何度だって味わってもらってね」


 それはすなわち、これから何度も永遠を死なせるということ。


 暮乃朱音を使ってそうしたように、永遠が死ぬように仕向け、穂香のように穂香以外の友達、家族を失わせるということ。


「そして絶望していく彼女を私が支えてあげるんです。そうすればいずれ彼女は私以外に頼る存在を失くすでしょう。私だけを心の支えにして、だからこそ私の全てを理解してくれるようになるに違いありません。とても素晴らしいことだと思いませんか?」


 ……素晴らしいこと、だと?


「ふざけるのもいい加減にしなさい……っ!!」


 身体の痛みも忘れて、久遠は怒りを顕わにした。


 この女は、永遠を壊すと言ったのだ。


 何度も殺し、孤独、絶望、あらゆる負の感情を味わわせ、永遠の心を壊すと言ったのだ。


 そして自分を慰めるための人形に仕立て上げるのだと、そう言ったのである。


 久遠の心を、湧き上がる激憤の情が支配していた。


「そんなことは絶対に許さない……っ! 絶対にさせない!」


 犬歯を剥く久遠を、華蓮は侮蔑し嘲笑い、そして哄笑した。


「その格好で一体何を言っているんでしょう。あなたはこれから死ぬんです。そんなあなたにできることなんて何一つとしてないんですよ」


 その事実を今一度宣告するように、華蓮は鎖を引いた。


 じゃらり、とイマーゴに繋がれた鎖がその化け物を動かす。


「さ、もうお終いにしましょう」


 にこりと嗤い、華蓮が告げた。


「――ミユキ。そいつ、食べちゃってください」


 月の下に轟く咆哮。


 数多の人間を貪り、千切り、引き裂いた化け物が、今度はソリテュードの肉を喰い荒らさんと久遠へ迫る。


 久遠は悔しかった。


 殺されてしまうことよりも、自分が殺されてしまうせいで永遠に対して何もしてやれないということが。


 自分が無力なばかりに、戦わずに済むようにしてやれなかった。


 自分が無力なばかりに、眼前の女のおぞましい考えを阻止できなかった。


 そう自分を恨む久遠の視界は、既に五つの鋭利な爪を生やした手に覆われていた。


 胸の内、自分と友達になりたいと言ってくれた彼女へ精一杯の謝罪を述べつつ、久遠はそれを睨み続けた――。



――久遠の視界を、漆黒の影と銀鼠色の剣が疾駆した。



 肘から先を切断された異形の腕が、鮮紅色の液体を撒き散らして宙を舞う。


「ガアアアアアウウウウアアアアアゥゥゥァァァァア!!」


 イマーゴが悲鳴を上げる。


 しかし、その両刃剣が敵に情けをかけるはずもなかった。


 ――一閃。そしてまた一閃。音を凌駕する速度で刃が走り、化け物を刻んでいく。


 そして飛び上がった人影は宙を返りながら化け物の顔面を蹴たぐり、あっという間に瀕死へと追いやられたイマーゴは華蓮の元へと転がっていった。


 また一筋駆けた剣が、今度は鎖の束縛から久遠を解き放つ。


 力なく重力のままに落ちる久遠の身体を、優しく人影が抱き止めた。


 久遠は、信じられなかった。


「どうして、あなたがここに……」


 だって自分を抱いてくれているのは、紛れもなく黒色の衣装を身に纏った木崎永遠だったのだから。


「ごめんね、叶世さん。私が弱かったばっかりに痛い思いをさせちゃって。つらい思いをさせちゃって。でも、もう二度と手を離したりしないよ。絶対にあなたを独りぼっちにしたりはしないよ」


 永遠はより強く久遠を抱いて。


 精一杯誠実に、目一杯の気持ちを込めて言葉を紡ぐ。


「――だって叶世さんは、私の大切な友達だから」


 永遠の言葉が、久遠を胸の内から癒していく。


 それは永遠と出逢って初めて、久遠の瞳に涙を浮かべさせた。


 ほどなくして、傷ついた久遠をそっと座らせると永遠は振り返る。


 そしてその双眸に異形と人の二つを映した。


「ああなんてことなの! ミユキ! 大丈夫なのミユキいいい!!」


 身体を痙攣させ、今にも息絶えようとしている化け物を見て髪を振り乱し狂乱する華蓮に少しばかり驚愕し混乱する永遠だったが、それもすぐ、彼女の言葉を聞いて全てを把握することとなった。


「……そっか。そのイマーゴがミユキさん、なんですね」


 悲しげに瞳を伏せる永遠を、凄まじい憤怒と憎悪の渦巻く華蓮の眼が射た。


 そして、同じように憤怒と憎悪に支配された叫びが吐き散らかされる。


「木崎さんんんんんんんっ!! どうしてこんな酷いことをするのよ! 私の話を忘れたの!? この子は、ミユキは私の親友なのよ! それなのにどうしていじめるの……どうしてこの子を殺そうとするのよおおおおお!!」


「カレンさん……」


 永遠は悟った。


 もう華蓮が正常な精神状態を保っていないことを。


 まるで姉のように優しく微笑んでくれていた彼女の姿が浮かび、今の彼女を直視するのがつらくなるが、しかし永遠は凛とした瞳で見据える。


「もうやめましょう、カレンさん。あなたのやっていることは間違ってます。確かにそのイマーゴはミユキさんだったのかもしれない。でも決してミユキさん自身じゃないんです! もうそれは、理性のない、人間を喰い殺すだけの化け物なんですよ! これ以上人を殺させちゃいけない。だからカレンさん、せめてあなたの手で、そのイマーゴを葬ってあげてください……!」


「嫌よ! 嫌よ嫌よ嫌よ嫌よ嫌よ嫌よ嫌ああああっ!! この子はミユキなの! たとえ人としては死んでいたって、こんな姿になったって……この子は私の大切なミユキなのよ! それを殺すだなんて、友達を殺すだなんてできるはずがないじゃない! なんでそんな悪魔みたいなことが平気で言えるのよ! 木崎さん、あなたは私のことを理解してくれるんじゃなかったの!?」


「理解してますよ! だってカレンさん、言ったじゃないですか。自分のために他人を不幸にしたくないって、そんなのイマーゴとちっとも変らないからって。あの言葉がカレンさんの本当の気持ちだって、私ちゃんと分かってますから。だからカレンさん、これ以上誰かを犠牲にするのはやめてください!」


「知らない! そんなこと言った覚えなんてないわ! 私にとってはミユキが一番……この子が何より大切なの! この子のために人が何人死のうが構わないのよ!」


「カレンさん……っ!」


 もう話し合いでの解決は不可能だと、永遠は理解した。


 どうあっても華蓮はミユキだったイマーゴを殺すことに賛同はしないだろう。


 だったら自分が。自分がそこに転がる化け物にトドメを刺す他はないと、そうしてその化け物がいなくなれば万が一にでも華蓮が目を覚ましてくれるかもしれないと、永遠は考えた。


 両刃剣の柄を握り締め、永遠は前進した。


「嫌よ! やめて! お願い、この子を殺さないでええええ!!」


 華蓮は泣きじゃくりながらイマーゴに覆い被さり、その怪物を守ろうとする。


 胸が苦しくなるが、永遠は足を止めない。


「……カレンさん。お願いです、どいてください」


 そう言いながら、歩を進め。


 ――と。


 あと数歩を歩けば刃が届くというところで、永遠は足を止めた。


 なにやら華蓮がぼそぼそと声を漏らしていたのだ。


「……殺させ……ない……この子だけ……は……殺させない……!」


 次の瞬間、唐突に顔を上げた華蓮は絶叫した。


「ミユキは絶対に殺させないわ――――!!!」


 その叫びを合図に、イマーゴの四肢を縛っていた鎖達が緩み、消えていく。


 永遠は剣を構えた。


 鎖がなくなったということは、イマーゴが華蓮の強制から解かれたのだ。


 一体何が起こるのか分からない以上、相手は瀕死といえ警戒しないわけにはいかなかった。


 狂ったように哄笑する華蓮の傍ら、イマーゴがその首をもたげる。


 そして、大口を開けて。



 ――華蓮の首元にその牙を突き立てた。



「なっ……!?」


 我が目を疑う永遠と久遠。


 まさか華蓮が、自身を化け物の餌とすることなど考えもしなかったのだ。


「カレンさん……どうして、そんな」


 鎖骨の辺りから肩にかけて、ごっそりと肉を削がれた華蓮は真っ赤な鮮血を噴き出しながら、けれど実に嬉しそうに笑っていた。


「あははは、嬉しい。本当に嬉しい、わ。これで私は、ミユキ、と、一つに、なれる」


 自らの肉を貪る化け物に、華蓮はまるで恋人に向けるような微笑みを見せる。


 そして、幸せそうに言った。


「――大好きよ、ミユキ」


 その言葉を最後に。


 ――――――――――ッ!!


 愛愛門華蓮はイマーゴの腕に心臓を貫かれて、事切れた。


 化け物が咆哮する傍ら、だらしなく首からぶら下がった華蓮の死に顔を、永遠は見ることができなかった。


 幾許もせずして、華蓮の死体が変化を起こした。


 孤独になり果て、華蓮は死んだ。すなわち、華蓮の死体がイマーゴ化を始めたのだ。


 しかし、数秒もしないうちに飛び出した生まれたての異形を。


 ミユキだったイマーゴが握り潰し、喰い千切った。


 初めて目の当たりにしたイマーゴ同士の共喰いに絶句する永遠達を気にもかけず、ミユキだったイマーゴは華蓮だった同類の死体から何かを取り出した。


 それは一枚のカード。ハートマークにQが描かれた、アニマカルタであった。


 そしてあろうことか、イマーゴはそのカードを飲み込んだのだ。


 その奇怪な行動に永遠達が驚くより、変化は早かった。


 みるみるうちに治癒していくイマーゴの身体。


 それだけではなかった。体躯をさらに大きくし、無数の尻尾のようなものを背中から生やし、イマーゴは肉体をより強靭なものへと変貌させたのだ。


 それはまるで、華蓮のアニマカルタを取り込んだことで彼女の能力を吸収したかのように永遠の目には映った。


 結果として強大なイマーゴが一匹、永遠と久遠の前に立ちはだかったのである。


 ギロリ、と。化け物の眼が永遠を捉えた。


「ウウウウウアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァ――――!!」


 ――咆哮。


 この世全ての生を、希望を恨むかのような叫びが夜の校舎を震動させる。


 けれど永遠の耳には、そんな風には聞こえなかった。


「――泣いているんですね、ミユキさん」


 永遠にとって今の咆哮は、かつて人間だった頃の彼女の叫びだった。


「罪のない人達を殺してしまって、そして大切な友達まで殺してしまって、あなたはつらくて泣いているんだ」


 目の前に立つのは理性のない怪物。


 それに人間だった頃の記憶などがあるはずもない。


 今のだって普通に考えれば獲物を前にした雄叫び。


 だが何故だろう。永遠には、ミユキが自身に語りかけたように思えてならなかった。


 もう人を殺したくない。


 そう叫んでいるように思えてならなかったのだ。


 だから永遠は、剣を握った。


「けどもう大丈夫です。もう泣かないでください」


 そして、永遠は。


 月光を浴びて輝く両刃剣を構えた。


「――今から私が、悲しみから、苦しみから、孤独から、あなたを解放します」


「待ちなさい。あなただけには戦わせないわ」


 いつの間にか立ち上がった久遠が、巨斧を構えて永遠の隣に立った。


 だがしかし、満足に治癒も進んでいない久遠の肉体は既に満身創痍だった。


「か、叶世さん。でも、大丈夫なの」


「正直に言えば、まだしばらくは寝転がっていたい気分ね」


「だったらここは私に――」


「でも、あんな化け物の相手をあなた一人に任せるわけにはいかないでしょ」


 そこで一旦言葉を切り。


 少しばかり照れくさそうな顔をして。


 永遠を見つめ、ほんのちょっとだけ口角を上げて、久遠は言った。



「――だって私達は、友達なんだから」



 それはまるで魔法のような言葉だと、そう永遠は感じ、そして同じことを久遠も思った。


 だってその一言を言うだけで、聞くだけで、こんなにも力が漲ってくるのだから。


「うんっ」


 永遠は力強く頷いた。


「私達は友達だよ。大切な、友達。だから一緒に戦おう。だから一緒に乗り越えよう。私達ならきっと大丈夫だよね――――久遠ちゃん」


 久遠も力強く頷いた。


「ええ。私達なら乗り越えられる。この戦いも、これからの運命も。だから私達ならきっと大丈夫よ――――永遠」


 二人に怖れなどなかった。


 だって永遠も、久遠も、独りぼっちじゃないのだから。


 孤独なんかじゃないのだから。


「それじゃやろう。私が直接イマーゴを叩くから、久遠ちゃんは武器を銃に変えてフォローをお願い」


「分かったわ。あなたには掠り傷だって負わせはしない。だから永遠、私を信じて躊躇わずに突っ込んで頂戴」


「うん、信じてる」


 こくりと頷き。


 コンクリート製の床を砕かんばかりに踏み蹴って。


「だから久遠ちゃんも――――私を信じて撃ち続けて!」


 永遠は目の前に聳えるイマーゴへと突進した。


「でええええあああああああ――――!!」


 迷わず、真っ直ぐに、化け物の懐を目がけて突き進む永遠。


 迎え撃つイマーゴが咆哮し、刃状に変形した両腕を永遠の頭上へと振り下ろす。


 永遠にとってその速度は、反応するに容易かった。


 目にも止まらぬ速さでそれらを弾き、さらに懐へと潜り込む。


 先ほどまでの相手だったならば、ここで永遠の剣は化け物の肉体を見事に斬り捨てていたであろう。


 だがしかし、今の相手の背中には、無数に生えてうねる尻尾があった。


 イマーゴの両脇から襲いかかる、大蛇が如き、華蓮の鎖が如き幾多の槍。


 後転し、間合いを空けて永遠はそれらを斬り落としていく。


 だが数が多過ぎた。斬り零した尻尾が、その鋭い切っ先で永遠を貫きにかかる。

 ――尻尾が、弾けた。


 久遠の構える銃から硝煙が上がっていた。久遠の的確な援護射撃が永遠の剣を逃れた尻尾を撃ち抜いたのだ。


 ちらと見やり、笑みを浮かべて、永遠は再びイマーゴへ猛進する。


「ええええやああああああああああっ!!」


 寸分の狂いもない援護を受け続け、永遠は敵を斬っていく。一瞬のうちに再生する尻尾だけが厄介だったが、久遠の援護のおかげでさほど気にする必要もなかった。


 いける。このまま押し込めば……倒せる!


 剣を走らせつつ、永遠がそう思ったときだった。


 今まで永遠を狙っていた尻尾の全てが、唐突に久遠の方へ伸びていったのだ。


「久遠ちゃん――――っ!?」


 久遠の連射では自身に襲いかかる全てを撃つことはできなかった。かといって斧に変形させていてはその間にやられる。


「くっ……!」と、久遠は唇を噛んだ。


 永遠が援護に回った。一旦イマーゴの懐を離れ、久遠を狙う尻尾の槍を斬り落していったのだ。


 それが敵の狙いだった。


 がら空きになった永遠の背中に、刃の腕が横薙ぎに迫る。


 寸でのところで自身の両刃剣を滑り込ませ、肉を裂かれることだけは回避した永遠だったが、無理な姿勢で受けたこともあって踏み止まれず、そのまま数メートルの距離を吹き飛ばされた。


 着地だけは上手くこなし、膝立ちで剣を構える永遠。


 確認してみれば、ほとんど久遠と同じ場所まで押し戻されていた。


「ごめんなさい、私のせいで」


「気にしないで」


 軽く会話を交わし、二人はイマーゴを見据える。


 確かに傷を負わせてはいるが、どれもが致命傷からは程遠い。数分も経てば全てが塞がってしまうだろう。


 永遠が押していたようで実は上手いことかわされていた、ということだった。

 苦い顔を浮かべる永遠。


「やっぱり、あの尻尾が邪魔で思うようにダメージを与えられないよ」


 何と言ってもあの尻尾。数十本に及ぶあれらの繰り出される速さ、そして再生能力の高さが、永遠達にとっての脅威であり、イマーゴにとっての防壁となっている。おまけにさっきのように突然標的を変えられてはたまったものではない。


 久遠の援護射撃をもってしても完全に抑え込むことのできないあの槍たちを、しかしどうにかしなければこの戦いに終わりは見えなかった。


 どうすればいい。一体どうすれば。


 敵の挙動を窺いつつ懸命に策を練る永遠の傍ら、久遠が言った。


「単純に前衛と後衛を二分した戦い方では奴は倒せないわ。二人で攻めましょう。もっと複雑な動きで相手の隙を突くのよ」


「二人で攻めるって、でも具体的にどんな」


「詳しく説明している暇はないわ。最初に永遠が私に道を作って。次に私があなたへ道を作るから。そしてあなたがトドメを刺すの」


 具体的も何も、道を作るなどという全くもって抽象的な内容。


 けれど二人にとって会話はそれで充分だった。


 互いが絆で結ばれ、互いを信じ合った今ならそれで事足りた。


「分かった」


 小さく顎を引き、永遠は剣を構えて腰を落とした。


 やがて二人の視線が重なり、一つを目指す。


「これで終わらせましょう、永遠」


「うん。これで終わらせよう、久遠ちゃん」


「私を信じて、永遠。私もあなたを信じるから」


「あなたを信じるよ、久遠ちゃん。だからあなたも私を信じて」


「――さあ」


「――さあ」


 二人の呼吸が、重なった。


「――いこう!」「――いきましょう!」


 ありったけの力で床を蹴り、永遠が駆け出す。


「ウウウウウウアアアアアアアアアアアァァァァァァ!!」


 待っていたと言わんばかりに、イマーゴの背中から数十に及ぶ蒼白色の槍が超高速で永遠の肉を引き裂きにくる。


 永遠の背後から銃弾が飛ぶ。


 一本。また一本と、弾丸が槍を撃ち落としていく。


 残りを狩るのが、永遠に課された一つ目の仕事だ。


「ええええやあああああああ――――!!」


 研ぎ澄ませた全神経を、手に握る両刃剣まで伸ばす。


 この剣は腕。この剣は指先。この剣は、私の身体だ。


 もっと速く、もっと繊細に、そしてもっと確実に。


 意識を超越した剣捌きで、永遠は降り注ぐ槍の嵐を断裁した。


 その先に見えたのは、イマーゴまでの一本道。


「久遠ちゃん!」


 宙へ返った永遠の下から現れたのは、巨斧を握り突進する久遠の姿。


 久遠は足を止めずに斧を振り上げて、


「はあああああああ――――っ!!」


 そのままコンクリートの床へと叩きつけた。


 当然のように混凝土の破片が周囲へ飛び散り、煙が巻き上がる。


 化け物の視界を遮り、その間に久遠は肉薄した。


 そして斧を構え、敵の懐へと滑り込む。


「――――っ!」


 しかし読まれていた。


 煙の晴れた先、久遠の滑り込む先には、見事に刃状の腕が構えられていたのだ。


 滑ってくる久遠をそのまま真っ二つにしようと、イマーゴの腕が振り上げられる。


 ――久遠は、避けた。


 斧の腹でその刃物みたいな異形の腕を滑らせて、久遠はそれをかわしたのだ。


 それができたのは、久遠がイマーゴ目がけて巨斧を振っていなかったから。


 そうしなかったのは、久遠に課せられた二つ目の仕事が、化け物にトドメを刺すことではなかったから。


 久遠は攻撃を避けた勢いを殺さずに、イマーゴの股下を掻い潜る。


 本当の標的は、そこにあった。


 摩擦で靴底がなくなってしまうんじゃないかというくらいにブレーキをかけて、久遠はそれを見る。


 そして、思いきり巨斧を振り上げた。


「えやああああああああっ!!」


 刃が斬り落としたのは、散々苦しめられた槍が如き尻尾の束。


 そいつらを、根元からバッサリと切断してやったのだ。


 いくら再生能力が驚異的だとはいっても、ここまで綺麗に刈り取られてしまっては一瞬のうちに元に戻すことは不可能だった。


 二つ目の仕事も、成った。


「永遠――――っ!!」


 その場を飛び退き、久遠が叫んだ。


 聞こえていた。


 既に永遠の姿は、イマーゴの真正面を跳んでいた。


 永遠の視界にあるのはたった一つ、イマーゴの姿だけ。


 一つ目の道よりもなお見晴らしの良い、遮るものなど尻尾の一本たりとも存在しない、敵へと続く確かな道がそこにはあった。


 残る仕事は、あと一つだけだ。


 せめてもの抵抗に、イマーゴの両腕が永遠を殺そうと迫る。


 しかしそんなものが何の妨げになり得るはずもなかった。


「やあああああああ――――!!」


 華麗に宙を舞いながら、永遠の剣がそれらを細切れにして散らしてゆく。


 今度こそ本当に、永遠を遮るものは消滅した。


 イマーゴの咆哮を耳に聞きながら、永遠は重力を受けて落ちていく。


 永遠は、思う。


 凶悪なイマーゴだった。


 殺されてもおかしくはない敵だった。


 しかし、そうならなかったのは。


 自分が一人じゃなかったから。


 自分が独りじゃなかったから。


 大切で、かけがえのない友達が、一緒に戦ってくれたから。


 だからもう終わらせよう。


 孤独が人を狂わせたことで生んでしまったこの悲劇を。


 一度は同じように孤独に絶望してしまった、私の手で。


 けれど大切なものに気づくことができた、私の手で。


 彼女達をこの苦しみから解き放つために、終わらせよう。


 決意し、見据え、そして永遠は強く柄を握り締めて。



「はあああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」



 その両刃剣をもって異形の化け物を一刀両断した。


「――――ア――――――ガ――――――――――ガ――――――――――」


 一瞬にして二分されたイマーゴは、断末魔を上げることすらなかった。


 斧に割られた薪のように左右に崩れ。


 どさり。重たい音を立てて化け物が沈む。


 血糊に塗れた剣を振り、言葉もなく佇む永遠に。



 それは祝福か、はたまた呪詛か。



 闇を吸ったように赤黒い雨が降り、やがて止む。



 そして世界は再びあるべき静寂に支配されて。



 月だけに見守られていた血みどろの戦いは、ここに終わりを告げた。



 言葉もなく、ただただ永遠はそれを眺めていた。


 永遠の肩がだいぶ上下しなくなった頃、久遠がそっと隣に寄り添った。


「……終わったんだね」


「……ええ、終わったわ」


 永遠が一歩前に出て、両刃剣をかざす。


 すると化け物の死肉、血液、体液の全てが霧となって吸い込まれ、後には鉄臭さも生臭さもなく、少しばかりその身を削り抉られただけの屋上がそこには残る。


 まるでここで殺し合いがあったことなど夢のことであるかのように。


 しかし夢ではなかったと、永遠の前に浮かぶ二枚のカードが語るのだ。


 そっと手に取り、永遠はそれらに目を落とす。


 ハートのQに、ハートのJ。


 片方には、無垢な瞳をした心優しげな少女の姿が描かれていた。そしてもう片方に描かれた少女は、かつて自分のことを救ってくれた彼女にそっくりで、かつて自分を救ってくれた際に向けてくれたのと同じ円かな表情を湛えていた。


 言葉にならない感情が込み上げて、永遠の目に涙が浮かぶ。


 思わず永遠は二枚のアニマカルタを抱きしめた。


「カレンさん……」


 そして、この絵に描かれた二人がどうか苦しみから解き放たれたことを祈って、永遠は瞳を閉じるのだった。



 ――その祈りを妨げるように、非情(、、)に軽快な男の声が屋上に響いた。



「いやあ素晴らしかった。実に見事な戦いでしたよ」


 燕尾服にシルクハット、そして気味の悪いニヤケ面が彫られた仮面。


 この悲しみの元凶が。


 苦しみの元凶が。


 幾多の孤独を生み出した男が立っていた。


「……ジョーカー」


 静かに激昂する永遠の瞳など気にもかけず、いつものように飄々とした様子で男は歩み寄ってくる。


「あれ程に人を喰らって成長した、更にはアニマカルタを喰らって強大化したイマーゴを倒してしまうなんて驚きですよ、貴女達には。特に永遠さん、貴女は非常に素晴らしい。瞬く間に力をつけた貴女は、今この時を以て既に大抵のソリテュードを凌ぐ実力に到達してしまっている。驚愕ですよ、これは。流石はスペードのAといったところだ――」


 刹那、永遠の手に握られた両刃剣がジョーカーの首を目がけて振られていた。


 しかし、あろうことか仮面の男はその刃を人差し指と中指の二本で受け止めてみせたのだ。永遠の隣に立つ久遠は我が目を疑ったような表情をしていた。


「――はて。これは一体どういうことでしょうか」


 命を狙われたというのに、なお仮面の男は愉しそうに笑っていた。


 剣を受け止められたことに驚きを見せることなく、ただ真っ直ぐにジョーカーを見据えた永遠が静かに言う。


「――あなたの好きにはさせない」


 それは宣言であり、誓いであった。


 それは目の前の道化師に対する、永遠からの宣戦布告であった。


「あなたの目的が何なのか、今は分からない。けれど必ず暴いてみせる。そして必ず打ち砕いてみせる」


「ほう。それは実に楽しみだ」


 不敵に笑い、ジョーカーは物理法則を無視した動きで飛び跳ねると金属柵の上に器用に立った。


「貴女のその言葉、覚えておきましょう。果たして本当に有るかも分からない私の思惑を追いかけ彷徨うことで滑稽な姿を曝け出して、本物の道化であるこの私を愉快な気持ちにさせてくれるというのですから、今から胸が躍って堪りません。但し、そんなお遊びばかりに夢中になって気がついたら人喰いになり果てていた、なんて残念な落ちにはならないように充分お気をつけ下さいね」


 そう言って腰を折り、再び姿勢を戻して、男はシルクハットのつばを下げる。


「それではまた。何時とも知れぬ時、何処とも知れぬ場所にて再びお会い致しましょう」


 にへらとした声音で、そんなふざけた台詞を言い残して。


 以前永遠の部屋から去ったときと同じように、男は背中から落ちていった。


 そして誰もいなくなったフェンスの上。


 ただの暗闇となった空間を、永遠はいつまでも睨み続けた。


 今日という日を忘れないためにずっと。


 今日という日にした決意を忘れないためにずっと、永遠は睨み続けたのだった。


 こうして、宇水を襲っていた連続失踪事件は終わる。


 確かに終わるのだけれど。


 闇夜の中、ずっと永遠の胸の内を騒ぎ駆け巡る何かが。


 どうしても拳を握り締めずにはいられない何かが。



 今日の終わりが終わりでなく、今日こそが本当の始まりであるということを永遠に告げていた――。


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