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【E》te-r-na《L】  作者: 夜方宵
10/12

決意

 ――叶世久遠の姿は、学校にあった。


 宇水中学校の、屋上。


 昼間は大勢の子供達のはしゃぎ声溢れる学び舎も、今はこの世から切り離されたように真っ暗で、静かだった。


 フェンスに手をかけ、久遠は光に満ちた街並みを見下ろす。


 無表情に輝きを眺める彼女の頭の中には、彼女のことが駆け巡っていた。


 拒んでも、拒んでも、それでも自分のことを独りにしてはくれなかった彼女。


 無愛想な自分を前に、笑顔ばかりを咲かせていた彼女。


 努めて親しみを表に出さずにいたのに、共に戦ってくれた彼女。


 けれど彼女は泣いた。真実を知り、絶望し、泣いた。そして離れていった。私のもとから。


 本当ならば今だって、隣に彼女がいたはずなのだ。


 そこまで考えて、久遠は。


 ……どうでもいい。


 そう思い直した。自分にそう思い直させた(、、、、、、、、、、、)。


 もとより私は孤独であるべき存在。仲間など、初めから必要ではなかった。だからこれでいい。私は、独りで構わない。


 だから、これから起こるだろうことも。


 誰の力も借りず、自分の力のみをもって片をつけるのだ。


 それがソリテュードとして、正しい姿なのだから。


 ――かつり。


 久遠に思考の終わりを告げる音が静寂としていた屋上に響いた。


 意識から無駄と呼べる一切を排除し、凛とした顔つきで久遠は振り返る。


 足音に続き、それは闇の中から現れた。


「叶世久遠さん、でしたよね。こんな時間に、しかもこんな場所へ呼び出して、一体何の用があるというんですか」


 大人びた優しい微笑みと柔和な声音。お嬢様方が通う私立高校として名高い白鶴学院高等学校の名に相応しくお洒落なデザインの制服。そして胸元に光るハートの首飾り。


 久遠の前に姿を見せたのは、愛愛門華蓮であった。


 言葉もなく久遠に見つめられ、華蓮は困ったように眉を下げて笑う。


「あなたは今だってここの生徒だからいいとして、私は卒業してもう一年以上経つんですよ。もしも誰かに見つかったとき、なんて言い訳すればいいんでしょうか」


「今この学校の敷地内に、私達以外の人間はいない」


「あら、そうなんですか」


 人の気配がないことくらい、華蓮は承知しているはずだ。要するにただのおふざけだった。


「それで、私を呼び出した理由は何なんですか。ひょっとして他のソリテュードよろしくあなたも私の持つアニマカルタが、そして私自身のアニマカルタが目当てなの?」


 一見して穏やかな笑み。


 しかし久遠の瞳に映るそれは、嘘に塗れた、惚けた表情でしかなかった。


 回り道をする気なんて、久遠には更々なかった。


「暮乃朱音を殺したのは、あなたね」


 華蓮の目が鋭く尖った。


 だがそれもほんの一瞬のこと。すぐに表情は余裕に満ちた笑顔に戻る。


「急に何を言い出すかと思えば。私が、彼女を? 一体何を言っているの」


「惚ける必要はないわ。あなたも分かる通り、ここに木崎永遠はいないから」


 久遠の言葉に遠慮はない。


「どうしてあなたがあの子に拘るのかなんて私にはどうでもいいことだけれど、わざわざあの子が一度命を落とすように仕向け、大切な友人を失わせ、絶望させるなんてあまり褒められた趣味じゃないわね」


「ちょっと。勝手に決めつけないでもらえますか? 何の証拠もないのに人殺し呼ばわりするなんて短絡的で幼稚です。それとも近頃木崎さんがあなたのことをそっちのけで私と仲良くしていたことを妬んで言いがかりでもつけてやろうって、そういうことかしら。だとしたら普段は無口で無愛想なクールを気取っているようですけどあなた、本当にお子様ですよ」


 だんだんと華蓮の表情から笑みが消えていく。つまりは、そういうことだった。


「あくまで白を切るってわけね。まあいいわ。本題は別にあるのだから」


 その表情、目線、息遣い、全てを注視しながら。


 しかし久遠は感情を表に出さず、平静に、冷静に、言葉を紡ぐ。


「あなたもこの町に住んでいるのだから知っているわよね。最近この町で異常な数の人間がイマーゴに捕食されていること」


「何なんですか、急に。……ええ、知っています。毎日のように失踪者が出たとニュースで流れるんですもの。異常な事態だってことにはとっくの昔に気づいていました」


「そう。じゃあそんな、ソリテュードであれば誰もが気づいて当然の異常事態が今になっても収まる気配を見せないのはどうしてか、あなたには分かる?」


 少し押し黙り、訝しげな眼差しを久遠に向ける華蓮だが、そこでは何も言うことなく言葉を返す。


「そうですね。この異常事態がいつまでも終わらないのは、その異常を誰も取り除くことができないから。そしてその異常が何なのか明確に答えられるソリテュードがいないのは、それを知った全員がもう生きてはいないから。つまり、状況から推測するに今この町には生半可な力では到底太刀打ちできないほど凶悪なイマーゴが存在しているってところでしょうか」


「流石ね。私と同じ考えよ」


 年下に自分のことを見下した発言をされたのが癪に障るのか、華蓮の表情は僅かに険しさを増していた。


 苛ついた感情を吐き出すように華蓮は溜息をつく。


「ねえ、あなたは一体何がしたいんですか。まさかこのつまらない意見交換のためだけにこんな場所に呼び出したって言うんじゃないでしょうね」


「ええ、勿論違うわ」


「だったら早く用件を――」


「それじゃ本題に移りましょう」


 久遠は急かす華蓮の言葉を遮った。会話の間、久遠はずっと見ていた。華蓮の表情、目線、息遣いの全てを。だからもう充分だった。久遠はもう、確信していた。


 だから核心に迫ることを躊躇しなかった。


 華蓮を見据え、久遠は言った。


「――愛愛門華蓮。あなた、真島(ましま)ミユキのアニマカルタは持っているの?」


 真島ミユキ。それはかつて華蓮が戦いを共にしていた、彼女にとってかけがえのない友人だったソリテュードの名前。そして、今となっては死んでしまった人間の名前。そのアニマカルタを持っているのかと、久遠は訊いたのだ。


「そんなことを訊いたとして、一体何になるって言うの」


「いいから答えなさい」


 既に久遠は、華蓮に一切の口答えを許す気などなかった。


「真島ミユキが死んだとき、当然その場にあなたもいたはずよ。常に行動を共にしていたあなた達ですもの、一緒にいなかったはずがない。だったらあなたがイマーゴと化した彼女を葬ったはず。そして葬ったのなら、当然にあなたは彼女のアニマカルタを持っているはずよね。さあ早く答えなさい。そして持っていると言うのなら、すぐにそれを提示してみせなさい」


 互いに互いを見合う久遠と華蓮。そして屋上を支配する、沈黙。


「やっぱり持っていないのね」


 華蓮の言葉は、ない。つまりはそれが、華蓮の答えにほかならなかった。


「もうこれ以上、あなたと話をする必要はない」


 久遠は言い捨てた。


 すると華蓮の声が久遠の鼓膜を揺らす。


「くく……くくく」


 嗤い声だった。腹の底から嫌悪感の湧くような、厭らしく、どす黒い嗤い声だった。


 華蓮の顔は嗤っていた。あの大人びた優しい微笑みはどこにもなく、醜く歪められた顔だった。


「本当に嫌な子。どうしてあなたが木崎さんと一緒にいるのかしら。困ったものだわ。だから今のうちに始末しておかないと。彼女に変なことを吹き込まれる前に、綺麗さっぱり掃除しておかないと」


 同じ人間の喉から出ているとは思えない、怖気立つ声音。


 けれど久遠は動じない。彼女の狂気を目の当たりにしても、少しの怯えも見せはしない。


「残念だけれど、始末されるのはそっちの方よ」


 そう言って自身の胸元に光るそれを、クラブマークのフェイタルオーナメントを握り締める。


 久遠の言葉を嘲るように、華蓮の唇がより卑しく歪む。


「あなた一人にできるのかしら」


「当然」


 躊躇いのない即答。


「やっと見つけたんだもの。逃がしてあげる気なんて、殺されてあげる気なんてこれっぽっちもないわ」


 引き千切られるフェイタルオーナメント。瞬く間に幻想的な輝きが久遠の身体を包み込んでいき、膨らみ、天に向かって走る光の中、久遠の言葉だけが続いていく。


「これは宣告よ、愛愛門華蓮。今日この日、この場で、数多くの人間の命を奪い続けてきたあなた達(、、、、)を――」


 飛び出したのは、纏う衣装を変えた久遠。


 その手に握られた巨斧が、その刃が、目の前で不敵な笑みを浮かべる少女の首を刈り取らんと疾駆した。


「――纏めて私が殺してみせる!!」


 斧が華蓮を引き裂く寸前。


 久遠の眼前を、先ほど自身を包んだのと同じ光が弾けた。


 ――――――。


 輝きの消えた先。久遠の斧は華蓮を殺すに至っておらず。それどころか、掠り傷の一つすら与えてはいなかった。


 刃は、華蓮の前に立つそれに受け止められていたのだ。



「ウウウウウウウウウゥゥゥ…………!」



 蒼白色の肌。理性のない瞳。人に近くとも、決して人ではないその造形。


 イマーゴが、華蓮を庇い立っていた。


 あらゆるものを裁断し、或いは叩き潰すはずの巨斧をいとも容易く堰き止めたという事実が、目の前に立つ化け物が他のイマーゴとは一線を画した強さを持つことを物語っていた。


 飛び退き、後退する久遠。


「それが、真島ミユキのなれの果てというわけね」


「そうです」


 華蓮はもう誤魔化すこともなかった。


 そうだ。華蓮が真島ミユキのアニマカルタを持っていないということは。


 つまり、真島ミユキのアニマカルタはまだ回収されていないということ。


 それはすなわち、イマーゴとなった真島ミユキがまだ生きているということ。


「アアアアウウウウウゥゥゥ…………!」


 よく見れば、イマーゴの四肢には華蓮が扱うものと同じ鎖が繋がれていた。理性のないイマーゴが人間を庇うはずがない。目の前の少女が、自身の力をもって強制的に従わせているのだ。


 巨斧を構え、隙を窺う久遠に、華蓮は余裕の笑みを投げやった。


「この子はミユキ。私の大切なミユキ。たった一人の私の親友。なのに皆、この子をいじめようとするんだもの。だから私が守るんです。この子を殺そうとするソリテュードは一人残らず私が殺してあげるんですよ。私達を引き裂こうとする奴らは、皆、皆」


「そうやってその化け物を匿って、何人もの人間を餌として与えて続けていたのね……なんて愚かなことを」


 いくら友人だったとはいえ、既に記憶も意識も理性もないただの化け物を匿い続けるなど、もはや常人の思考ではない。


 いや、実際に華蓮は狂っていた。


 唯一の支えを失ったことが彼女をここまで崩壊させたのか、久遠には分からなかった。


 ただ一つ確定的な事実は、眼前のソリテュードとイマーゴが宇水市を襲っていた連続失踪事件の犯人だということ。


 華蓮が言う。


「あなたもそう言うんですね。でも構わない。どうせあなたは、今から死ぬんだから」


 じゃら、という金属環同士が擦れ合う音と共に、久遠の視界に二つの影が聳え立つ。


 華蓮の狂気が久遠の肌に纏わりつく。異形の唸りが久遠の鼓膜に纏わりつく。


 殺意に満ちた双眸が久遠を見据えた。


「さあ続きをしましょう。ミユキったらお腹を空かせていると思うから、早くあなたを食べさせてあげたいの」


「面白くもない冗談は止めなさい」


 それら全てを久遠は一蹴する。


 狂気などが、恐怖などが、彼女の足を止めはしない。


 今の叶世久遠を支配するのはたった一つのみ。


 宿命を呪うどころか他人を犠牲にすることで運命そのものに叛逆した人間を、数多の人々を喰い殺したおぞましき怪物を、打倒する。その意志のみ。


 柄を握り締め、久遠は姿勢を低く構える。


「言ったでしょ」


 そして人殺しへと、人喰いへと、敵へと鋭い眼光を飛ばして。


 床を踏み蹴り、弾丸の如く猛進した。


「あなた達は私が殺してみせると――――――!!」


 一つ瞬きを終えるより早く、月光を浴びる屋上に絶叫、咆哮、そして消魂しい金属音と激しい火花が四散した――。





 ――いまだ永遠は暗闇の中にいた。


 泣くことにも疲れ果て、悔やむことにも疲れ果て、自己嫌悪にも疲れ果て、けれど眠りに就くことはできないまま、永遠はベッドの隅で蹲っていた。


 そのとき、こんこん、と。誰かが扉をノックした。


 誰か、なんて言うまでもなく祖母に決まっていた。


 きっと夕食にも姿を見せなかったことを心配して、様子を見に来てくれたのだろう。


 申し訳なさで胸が一杯になる。だが、それでもやはり顔を見せる気にはなれなかった。


「ごめんおばあちゃん。まだちょっと一人でいたいから」


 そう言って、永遠は祖母が去るのを待った。


 しかし、次に永遠の耳に届いたのは予想外の声。


「――永遠。あたしだよ」


 聞き慣れた、若い声だった。


「瑛奈……ちゃん?」


「入るね」


 永遠の返答を待たず、開かれるドア。


 天井照明に灯りがともり、永遠の部屋に二人の姿が顕わになる。


「瑛奈ちゃん、どうして……」


「ごめん。永遠のおばあちゃんには止められたんだけど、無理言って上がらせてもらったの」


 そう言ってぎこちない笑みを一瞬だけ浮かべて、瑛奈は永遠を見つめた。


「とりあえず、病気じゃなかったみたいだね。少し安心した」


 言葉とは裏腹に、瑛奈の表情はとても心配そうだった。


「あのさ。元気、してた? ……って、そんなわけないよね」


「…………」


 長くはない沈黙を経て、瑛奈が口を開く。


「永遠、どうしてずっと学校を休んでるの」


 唇を噛み、悲痛な表情を浮かべる永遠を見て、瑛奈も目つきを悲しげにさせる。


「穂香のことが悲しいから? だから部屋に引き籠っちゃったの?」


 永遠は、顔を上げない。


 その様子を見た瑛奈は躊躇い、言おうとして、また躊躇って。


 けれど遂には、意を決して永遠に言った。


「――それとも穂香が死んだことについて何か知ってて、それが原因なの?」


 永遠の瞳が揺らぐ。


 その変化を瑛奈は見逃さなかったが、自分からは何も言わなかった。


 無音の空間。


 瑛奈は永遠の言葉を待った。永遠もそれは承知していた。


 どれくらい経っただろうか。


 やがて永遠は、震えた声で言葉を紡いでいく。


「……学校になんて、行けるはずがないよ」


 そして懸命に、紡ぐ。


「だって私はこれ以上友達を、大切な人達を……失いたくないもん」


「友達を失う……? どういうことなの、永遠」


 永遠の言葉に混乱する瑛奈。けれど永遠の顔は悲痛に満ちていて、その目には涙を溜めていて、冗談を言っているようには見えない。そして何より親友の言葉だ。瑛奈は真剣に永遠の声に耳を傾けた。


 永遠は顔を上げ、瑛奈を見た。


「私ね、もう昔の私じゃないの。普通の女の子じゃないんだよ。他人を不幸にすることでしか生きられない、そんな人間になっちゃったの」


 言葉にすればするほどに、永遠の中から悲しみが溢れてくる。


 それは瞬く間に涙となり、止まることを知らずに彼女の頬を伝った。


「私だってみんなと会いたいよ。瑛奈ちゃんと会いたかったよ。……でもダメなの。私と一緒にいたら、また誰かを不幸にしてしまうかもしれないもん。また大切な誰かを傷つけてしまうかもしれないもん……瑛奈ちゃんを、失っちゃうかもしれないんだもん!」


 そう言って永遠は自分の肩を抱いた。自身の言葉が自らに恐怖を与えていた。


「永遠……」


 永遠を取り囲むものの正体は、瑛奈には分からなかった。ただ、永遠が苦しんでいるということだけは、親友が苦しんでいるということだけは、確かに瑛奈にも理解できた。


 力を振り絞るように永遠は続ける。


「それだけは絶対に嫌なの……! 私のせいで誰かが傷つくのはもう見たくないよ、私のために誰かが死んじゃうのにはもう耐えられないよ……! おばあちゃんを失いたくないから、瑛奈ちゃんを失いたくないから、私は孤独でいなきゃいけないの。そうすれば私は、誰も失わずに死ねるから……!」


 何もかもを吐き出すように、永遠は声を荒げた。


「だから私は、独りぼっちでいなきゃいけないの――――――!!」


 ――――――。


 永遠の身体を、瑛奈が抱きしめていた。


「そんなことない。そんなことあるわけないよ」


 優しく、本当に優しく、瑛奈は永遠に語りかける。


「永遠が独りぼっちでいなきゃいけない理由なんてどこにもないよ」


「……瑛奈、ちゃん」


「だいたいさ、永遠が引き籠っちゃったら私まで独りぼっちになっちゃうじゃん。そんなの、やめてよ」


 瑛奈の言葉に、永遠の心が揺れる。


 孤独になることを、独りぼっちになることを心が拒否したがる。


 でもだめだ。孤独を拒んではいけないと、永遠は自身に言い聞かせる。


「違う、違うの瑛奈ちゃん……! 私と一緒にいちゃいけないの、私と仲良くしちゃいけないの……! じゃないと瑛奈ちゃんが――」


「黙りなさいっての、このばかちん」


 さらに強く、瑛奈は永遠を抱きしめる。


「別に永遠の言ってることを疑ってるわけじゃないよ。あんたは昔から嘘のつけない子だったから、寧ろ本当のことだって信じてる。けど、そんなの関係ないって言ってんの」


 瑛奈の手が、そっと永遠の頭を撫でた。


「私が不幸になるなんて、そんなのどうでもいいよ。それよりあたしは、永遠が独りで苦しんでる姿を見たくない。そっちの方が、私にとってはよっぽど不幸で悲しいことだから」


 自分のことがどうでもいいだなんて。それより他人のことが心配だなんて。


「どうして。どうして瑛奈ちゃんはそこまで私のこと――」


「そんなの決まってんじゃん」


 瑛奈は微笑んだ。そして、迷いもなく言った。


「――あたし達、友達でしょ」


 永遠にはもう、瑛奈を拒むことはできなかった。


 止め処なく、永遠の瞳から涙が溢れた。


 永遠も自ら瑛奈を抱き、彼女の胸に顔を埋め、泣いた。


 そんな永遠を瑛奈は受け止め続けた。


 やがて瑛奈が口を開いた。


「それにさ、あんたには独りぼっちでいる暇なんてないじゃない。あたしよりまず側にいてあげなきゃいけない相手がいるんじゃないの」


「私が、側にいてあげなきゃいけない相手……?」


「そう」


 頷き、そして瑛奈は言った。


「叶世だよ」


「叶世さんの側に、私が……?」


 まさか瑛奈の口から出たその名前。


 叶世久遠の名に、永遠は目を丸くした――。





 ――蛇のようにうねる無数の鎖が、久遠に襲いかかった。


 巨斧をもってそれらを弾き返す久遠だが、その重量級の武器を必死に振るったところで全てを防ぐことはできない。


 弾き損ねた一本が、久遠の右足に巻きついた。


「くっ!」


 足を掬われ、そのまま引き摺られる久遠。


 冷静に斧でもって鎖を断ち切るが、そこに剣状へと変形したイマーゴの腕が振り下ろされる。


 すかさず久遠は斧の腹で受け止めた。だがしかし、隙の生じた腹部へと痛烈な蹴りを浴びせられ、フェンスにぶつかって止まるまで久遠の身体は吹き飛ばされた。


「うぐ……かはっ」


 斧を地面に突き立て、なんとか膝立ちで身体を支える久遠。


 何と言っても二対一だ。状況は、久遠が圧倒的に劣勢であった。


「あれだけ威勢が良かった割に随分とだらしないじゃないですか、叶世さん」


 ボロボロの久遠を眺めて喜々とする華蓮。


「こんなことなら木崎さんを連れてきた方が良かったんじゃないんですか。まあ、おかげでこんなところを彼女に見せずに済んで、私としては助かってはいるんですけど」


 華蓮の言葉を受けた久遠は、ぎり、と奥歯を鳴らす。


 木崎永遠をこの場に呼ぶなんて。彼女に戦いを強いるなんて。


 そんなことは、そんなことだけは絶対に――。


「あの子の助けなんて、必要ない……! あなた達の相手は……私一人で、充分」


 それは久遠の決意。そしてまた、それは自身に対する暗示。


 華蓮はつまらなそうに久遠を見た。


「あなたそれ、本気で言ってるの?」


「当たり前、でしょ。何度も言わせないで頂戴。あなた達を倒すのに、他人の助けは全くもって無用なのよ。私一人の力で、事足りるの」


「強がりね。どうしてそこまで彼女のことを不必要だと言い張るのかしら」


 どこまでも頑なな様子の久遠を不思議そうに見て、華蓮はおかしそうに嗤った。


「ひょっとして彼女を危険に晒したくないだとか、そういう理由?」


「…………っ!」


 敵に心を見透かされることほど心地が悪く、腹立たしいことはなかった。


 無言で睨みつける久遠に、華蓮は愉しげに笑みを返す。


「図星なんですね。そう、そうなんですか。木崎さんったら、大事な人を失って酷く落ち込んじゃっているんですか。それで戦いに恐怖を感じてしまうようになった。戦うことを躊躇するようになってしまった。そうでしょう? だからあなたは木崎さんを連れて来なかった。一人では私を相手にすることが難しいと分かっていながらも、彼女につらい思いをさせないために、苦しい思いをさせないために、あなたは一人でここへ来たんだわ」


 華蓮の唇が厭らしく歪められた。


「なんて美しい友情劇なのかしら。欠伸をし過ぎて涙が出そうです」


「黙りな、さい……っ!!」


 震える足腰に力を入れ、久遠は立ち上がる。


 ここで倒れるわけにはいかないと、久遠は自らを奮い立たせる。


 そうさせるのは、彼女の中に残る、永遠の涙。


 ――私は……もう、戦いたくないよ。


 そしてそれが久遠を突き動かすのは、かつて永遠が言ってくれたから。


 ――結局私はただ叶世さんと友達になりたいんだって、それが一番の理由なんだって私はそう思う。


 初めてだったのだ。あそこまで真っ直ぐに自分のことを見つめてくれて、自分と『友達』になりたいと、そう言ってくれた人間は。


 ソリテュードになってからずっと独りだった久遠にとって、孤独を受け入れていた久遠にとって、それ以上の言葉はなかった。


「あの子は、私と友達になりたいと言ってくれた……! 冷酷で無愛想で、運命に屈し、孤独を受け入れ、人としての温か味を忘れてしまっていた私と、それでも友達になりたいって、そう言ってくれたのよ……!」


 理由なんて、それ以外に要りはしなかった。


「それで私にとっては充分。だから私は一人で戦う。あの子が戦いを望まないというのなら、戦う相手を全て、私がこの手で消してみせる……! これが私の意志。それをあなたなんかに馬鹿にされる筋合いは、少しだってない!」


 力強く、とても力強く言い抜いて、久遠は巨斧を華蓮に突きつけた。


 華蓮の顔から笑みが消えた。


 それは恨むような、羨むような顔だった。


「面白くないわ」


 華蓮を取り巻く鎖が鞭のように撓り、傍らのイマーゴが咆哮を上げる。


 もう一切向こうに遊ぶ気はないと、そういう意思の表示。


「面白くないからさっさと殺してあげる」


 それで構わなかった。


「面白がってもらう必要なんてない」


 呼吸を落ち着け、神経を研ぎ澄ませて、久遠は斧を構える。


 こちらにだってもとより遊ぶ気などない。


 一秒でも早く、一手でも早く、この戦いにけりをつける。


 雑念を失くした久遠の眼差しが、華蓮と異形を射た。


「私はただ、全力をもってあの子の敵を――――排除するだけ!!」


 そして再び、三つの影が奔り交わった――。





 ――何と言うべきか、永遠は言葉を模索する。


「叶世さんの側に私がいなきゃなんて……」


 瑛奈の言葉を、永遠はすぐには受け入れられなかった。


「でもそんな。だって私はもう叶世さんに嫌われちゃったんだよ……」


 そう。自分は久遠に嫌われた。


 もう協力関係もない。自分が弱かったせいで、自分が握っていた手を離してしまったせいで。


 自分はもう、久遠に嫌われてしまったのだ。そんな自分が久遠の隣にいるべき理由など、いてもいい理由などあるはずがなかった。


 けれど、瑛奈は言った。


「嫌われてるわけないよ」


 一度抱いていた永遠を離し、瑛奈は語る。


「だってあの子、永遠が学校を休み始めてから毎日学校来るの早くてさ。それで誰かが教室に入ってくる度に顔向けて、落ち込んで、結局HRが始まっても永遠のいない机見て悲しそうな顔してんの。そういうとこ意外と分かり易いんだよ、あの子」


 そう言って、瑛奈は優しく微笑んだ。


「永遠のことずっと待ってるんだよ、叶世は」


 まさか。まさか久遠が自分のことを待っていたなんて。


「そんなはずないよ。だってあのとき叶世さんは、確かに私のことを……」


 殺そうとした。そして不必要だと言ったのだ。


 あの冷たい目。冷たい声。思い出す久遠の態度を考えれば、自分のことを嫌った以外に、拒絶した以外に導かれる結論はなかった。


「叶世ってさ、口下手じゃん」


 瑛奈が言った。


 顔を上げた永遠を見て、瑛奈は続ける。


「口数は少ないし、無表情でさ。だから本当の気持ちを素直に伝えるのが苦手なんじゃないかってあたしは思うの。永遠、あんたなら分かるんじゃない」

「気持ちを伝えるのが、苦手……」


「だから。叶世が永遠に何を言ったのかは知らないけど、きっとそれは言葉通りの意味じゃなくて、どこかに本当の気持ちが隠れていたはずだよ」


「叶世さんの……本当の、気持ち」


 永遠は考える。


 本当に瑛奈の言う通りなのだろうか。


 本当にあの冷めきった言葉達の中に、久遠の本当の気持ちが隠れていたというのか。


 記憶の中を巡る久遠の言葉を、拾っては捨て、拾っては捨て。


 そんなものないと諦めかけて、しかし永遠は辿り着いた。


 ――目的のイマーゴは、私が一人で片付ける。


「まさか……!」


 そのためだったというのか。そのために私との関係を解消したというのか。どうしようもなく卑怯で最低な弱音を吐いた、私のために。こんな私のために彼女は独りを選んだと、そう言うのか。


「気づけたんだね」


 瑛奈が言う。


「だったらもう、やるべきことは決まったんじゃない?」


 久遠のために、自分がやるべきこと。


 久遠のために、自分ができること。


 そんなこと、明白だった。


 考えるまでもなく、永遠には理解できていた。


 けれど。


「でも――」


 永遠には決断できなかった。


「でも! そしたら私は、また誰かを傷つけてしまうかもしれないよ……! 今度は瑛奈ちゃんを失ってしまうかもしれないんだよ!」


 戦えば当然、永遠には死の危険がつきまとう。


 そして命を落としたが最後、永遠は自身の不死と引き換えに大切な誰かを、もしかすると今こうして話している瑛奈のことを犠牲にしてしまうかもしれないのだ。


 そう思うと怖くて、とても怖くて、永遠は心を決めきれなかった。


「ばかちん」


 そんな永遠の額を、瑛奈の人差し指が弾いた。


 ひりひりと痛むおでこをさすりながら視線を上げた永遠の視界に映った瑛奈は、穏やかに笑っていた。


「言ったでしょ、そんなの関係ないって。……確かに私は永遠の置かれている状況を知らない。けど今は、聞こうとは思わないよ。だって自分のせいでどうだとか、そんなのどうでもいいんだもん。今大切なことはね、永遠。あんたに大切な人がいて、その人のためにあんたが何をしたいのか、それだけなんだよ。それだけでいいんだ。だからさ、永遠――」


 そして瑛奈は、これ以上ない微笑みを永遠に向けて言った。



「――友達を独りぼっちにしちゃダメだよ」



 かけがえのない親友が言ってくれたその言葉は。


 かつて、もう一人のかけがえのない親友が言ってくれた言葉と同じで。


 これほどまでに永遠の背中を押してくれる言葉は、きっとこの世界に存在しなかった。


 永遠の中にもう、迷いはなかった。


 頬を濡らしていたものと一緒に、一切の弱さを拭い去って。


 永遠はしっかりと瑛奈の目を見つめた。


「――瑛奈ちゃん。私、行かなきゃ」


「――うん」


 ベッドから立ち上がり、スペードの首飾りを身につけて。


 永遠は勢い良く部屋を飛び出す。


 玄関に向かって駆ける永遠を見て、祖母が驚いたように声を上げた。


「と、永遠ちゃん? 一体どうしたんだい!?」


 靴を履き終え、腰を上げてから永遠は祖母へ振り返った。


「ごめん、おばあちゃん。私、今から行かなきゃいけない場所があるの」


 そう言った永遠の目には、今までとは違う、確かな意志が宿っていて。


 祖母の目にも、それがはっきりと分かった。


 愛する孫を信用する理由など、祖母にとってはそれで足りないはずがなかった。


 祖母は頷き、優しく目を細めた。


「そうかい。それなら行っておいで。でも、ちゃんとお家へ帰ってくるんだよ」


「――うん。ありがとう、おばあちゃん」


 永遠も頬を緩め。


「それじゃ行ってきます」


 そう言い残し、永遠は家を後にした。


 そして永遠は走った。当てはなくとも走った。


 夜闇を駆けながら、永遠は思い出していた。


 そうだ。一体自分がどうしたかったのか。


 私は、彼女を独りにしたくなかった。自分とそっくりだと思った彼女のことを独りにしたくなかったんだ。


 そしてなにより、私は彼女と友達になりたかったんだ。


「叶世さん――――っ!」


 自分のやるべきことをやるために。


 自分のやりたいことをやるために。


 永遠は息を切らし、走った――。


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