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四頃に買い物をして、私の家に戻る。買ってきた食材で、一緒に早めの夕飯を作った。
「はいっと、茹でたよー」
「こっちも刻めたわ」
今日の晩ご飯は、シンプルにそうめんだけだ。薬味はミョウガと大葉。麺つゆは五倍濃縮だけど、私は四倍くらいに薄めるのが好き。
「あら、アオイ。それじゃ濃くない?」
「いいの。私、このくらいが好き」
「はいはい」
サキは呆れたように笑って、ざるに盛ったそうめんをテーブルに運んだ。私は、薬味の乗った皿と二膳の箸を両手に持って追いかける。
皿を並べて席に着き、目と手を合わせて唱和する。
「いただきます」
「いただきます」
サキはミョウガをたっぷり取ってつゆに浸け、そうめんと一緒に食べた。
「うわ、ミョウガ多くない?」
「好きなのよ。あればあるだけいいわ」
「ふーん」
私はあらかじめそうめんを浸けておいて、その上に薬味を散らして食べるのが好きだ。
「……塩辛くないの、それ」
「全然?」
サキは胡散臭そうに目をすっと細めた。
「全く。子供みたい」
「うるさいなー。サキが渋すぎるんだよ」
何となく悔しかったので、皿に残ったミョウガを全部投入する。
「う、にが……いや、これはこれで」
「バカ。やっぱり子供じゃない」
サキはくすくす笑いながら、自分のお椀のミョウガをわざとおいしそうに食べて見せた。普段クールなサキがそんな事で得意げなのがおかしくて、つい笑ってしまう。ツボに入ってしまって笑い続ける私に、今度はサキが拗ねた。
「何笑ってるのよ」
「別に。サキがかわいすぎて」
「意味が分からないわ」
そう言ってサキはそっぽを向いた。逸らした顔が少し赤いのを、私は知っている。
それから私たちは、黙ってそうめんをどんどん食べた。二人でごちそうさまをする頃には、私は少しミョウガが好きになっていたし、サキはさっきより多く麺つゆを付けるようになっていた。素直さを言葉にするのはなかなかに難しいけれど、それは照れ隠しだってお互いに分かっている。だからこそちゃんと伝わるように、何気無い一つ一つをこうして共有していきたい。
食後は並んでテレビを見た。昔懐かしい大喜利番組だ。どっと笑いが起きるたびに釣られて笑う私に、サキは度々眉をひそめた。
「サキはこういうの、嫌い?」
「あまり好きじゃないわ。この笑い声、効果音でしょ」
「まあ確かに、ちょっとうるさいかもね」
リモコンを手に取って、ボリュームを絞る。
「じゃあもしかして、家でテレビとかあまり見ないの?」
「ニュースとかは見るわ。あと、ドキュメンタリーとか」
「あー、なんか分かる」
ものすごくそれっぽい。
やがて番組が終わると、私はさっとソファを立つ。買ったばかりのマグを、さっそく使う事にした。手早くケトルでお湯を沸かし、ドリッパーにフィルターをセットする。冷凍庫から取り出したコーヒー豆を丁寧にミルで挽き、粉を計ってドリッパーに落とす。ちょうど沸いたお湯をまずは少しだけ垂らし、十五秒蒸らしてから再び輪を描くように注ぐ。ふわりと粉が膨らんで、立ち上るアロマに部屋全体が包まれた。
「わあ、いい香りね」
「でしょ?」
私は、コーヒーには少しうるさい。十七歳の誕生日プレゼントには、親に頼み込んでミルとドリッパーを買ってもらった。
そんな私が一番好きなのが、お湯を注いだ豆が香り立つこの瞬間だ。一日の中でどんなに辛い事や嫌な事があっても、この一瞬のなかでは全て溶けていくように感じられる。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
私たちはペアのカップでコーヒーを飲みながら、ただひたすらにそっと寄り添っていた。ボリュームをさらに絞ったテレビの画面を、二人してぼんやりと見つめる。今夜も雨が降るのだろうか、空気はまたあの懐かしい匂いを少しずつ帯び始めていた。微かに聞こ出した雨音はしとしとと、私たち二人を優しく閉じ込めていく。このまま世界に二人きり、穏やかに緩やかに取り残されていきたい。
結局その日も、サキはうちに泊まる事になった。
「帰んなくて大丈夫?」
「大丈夫よ。明日は二講からだから、一度家に戻って着替えるわ」
「そっか。着替え、いくつかうちに置いとく?」
「いいの? じゃあアオイも、うちに着替えを置くといいわ」
こうやって少しずつ、お互いの中にお互いが浸透していく。
「あ、お風呂沸いたよ。一緒に入ろ!」
「はいはい」
昨日までの迷いが嘘のように、私はごく自然にサキを浴室に引っ張っていった。
「サキ、髪の毛洗って!」
「はいはい」
サキは私の頭をぽんと撫でる。
「分かったから。ほら、早く脱ぎなさい」
「脱がせてー」
「全く……」
サキは呆れながらも、私の服に手を掛ける。
「はい、腕上げて。ああもう、じっとしてなさい」
何だかんだで面倒見の良い彼女に、こうやって甘えるのは好きだった。サキの呆れた顔や、困った顔が大好きだ。好きな女の子にいたずらする小学生って、こんな気分なのかな。
どうにか服を脱ぎ終え、浴室に入る。さっそく湯船に浸かろうとした私に、サキが言った。
「こらアオイ、まず身体を洗いなさい。この時期、汗だってかいてるんだから」
「えー。サキ、洗って」
「……はあ」
サキは私を後ろから抱きすくめるようにして、ボディーソープを身体に塗った。
「……全く。私はいつから、あなたのお母さんになったのかしら」
肩から手の先まで洗って、背中に移る。
「えへへ、ママー」
背中をごしごしと洗って、脇の下へ。
「ふ、くすぐったい」
「ほら、じっとして」
脇腹、腰をなぞってさらに下へ。
「……ん、ママぁ」
「その呼び方はやめて」
「なんで?」
「ママはこんな事しないわ」
脚を一つずつ手に取って、丹念に洗い出す。太腿、膝、ふくらはぎと来て、最後は指先だ。
「ん、くっ……」
手はまた上に戻ってくる。
「んっ……!」
摩擦の無いぬるぬるした感触が、あらゆる所を熱くする。
「ママ、ぁ」
「……ふうん。あくまで、その呼び方をするのね」
そう言ってサキの声は、確かにまた低く笑っていた。
「お望み通りにしてあげるわ、アオイちゃん」
奇妙に甘い声で、彼女は言った。直後、声が出ないほどの刺激が前触れ無く身体を貫いた。
息を切らしながら部屋を突っ切り、並んでベッドにどさりと倒れ込む。
「……全く。健全にいちゃいちゃしたくても、なんで結局こうなるのかね」
「……そんなの、こっちが聞きたいわ」
二人とも、とにかくぐったりしていた。私はサキの胸元に顔を埋め、そろそろと背中に手を回す。サキは片腕で私を抱きかかえ、もう片方の手で私の髪を梳き始めた。
そうそう、こういうの。
「こうなった後は、少しそれっぽいかしら」
「私も同じ事考えてた。めっちゃ健全だよね」
「健全な割に、二人とも全裸だけれど」
「それを言うな」
私は苦笑しながら、サキの背中をばしっとはたく。濡れた髪が一房こぼれ、ふわりと香る。
「……あ、お日様」
「え?」
「サキの髪、お日様の匂いがするよ」
「そう? 自分じゃ分からないわ」
私にも、私の匂いというものがよく分からない。だけどサキの髪からは、確かにお日様の匂いがする。
「アオイの匂いが、移ったのかしら」
「ほんと? なんか嬉しい」
……うん、これはこれで悪くない。お互いの境目が分からないくらいに抱き締められるのも、それで相手の匂いが移るのも。これはこれで、すごく恋人「らしい」じゃないか。