ある国民の独白
神子様は、良くも悪くも普通の方だった。
親しみやすいといえばそうなのだが、神子という特別な立場に立つにはいかんせん頼りない感じが拭いきれず。
だって、そういう上に立つ者には特別なカリスマや存在感を求めるのが人の常だろう?
だから酒場や主婦の集まりでは、神子様への不満、というものが度々話のタネになっていた。
俺は、あの子はいい子だと思っていたからそんなことはしなかったけど、でもやっぱり「神子」なんだから、もう少しちゃんとした方がいいんじゃないかと心の中では考えていた。
………忘れていたんだ。今の生活が当たり前になりすぎて、十年前を。
吹きすさぶ風。国中を覆う雪。
神子様が居なくなって一週間。
天変地異は、一日で済んだ。けれど雪だけは今も降り続いている。
「………十年前は、これが日常だったなぁ」
毎日毎日凍えて、空腹に耐えて、必死に暖を取って。
先代の神子様が祈ってくれている間だけ、少しだけ雪が和らいだ。その束の間に、ささやかな食料を狩り、貧しい畑を育てる日々。
「なんで、忘れちまってたんだろう」
そんな時、当時はまだ王子だった陛下が連れてきた黒髪の子ども。
彼女が空に声をかけた途端、雪雲は去り陽が差し込んだ。
「有難かった。感謝した。なのにっっっ!!!」
俺は、俺達は歓喜し、子どもに留まってくれるよう懇願した。俺達が、彼女を「神子」にしたのだ。
神子様が神子様になってからは、雪で困ることなど無くなった。俺達が頼めば、神子様はいつでも空を晴れにし、また望む時に雨を降らせてくれたからだ。
理想の天候を手にし、国は一気に豊かになった。
『奇跡のような国ですね』
そう旅人が褒め称えるほど。
いつからだろう。それを当然だと錯覚し始めたのは。
「寒いよ、お父さん」
思考に沈んでいると、か細い声と共にグイッと服を引っ張られた。腕の中で、娘が俺の服を引いたのだ。唇は真っ青で、顔色も悪い。
この子は八歳。あの白の牢獄を知らずに育った子だ。
「精霊様に言ってよ。意地悪しないでって。晴れにしてって」
「………それは、できないんだよ」
冷え切った手で、俺はそっと娘の髪を撫ぜる。
愚かな子だ。精霊が人の思い通りになると思っているのだ。
「神子様はできたわ」
「………神子様は、特別だったんだよ」
そして、愚かなのは俺も同じだ。何も知らぬ子がそう思い込むほど、奇跡を当然と甘受していた。
「………そ、か」
娘はそう呟くと、再びぐたりと俺に体を預ける。服越しでも伝わる、火のように熱い体温。
陽だまりの下で育ったこの子には、この環境は厳しすぎるのだろう。この子だけでなく、十歳に満たない子どもたちは皆臥せっていた。
『全部全部あんたらのせいよ!!自業自得よ!!!』
耳奥で反響する、女の言葉。
ああ、俺達は何故あんな女に代わりが務まるなど、精霊が従うなど、そんな馬鹿なことを考えたのか。
神子様だから従っていたんじゃないか。そんな事も忘れ果てて………。
(はは、確かに自業自得なのかもしれないな)
だからといって、原因を作った存在を許す道理はない。
今は地下牢に繋がれているあの女。
あいつはこの国から逃がさない。本来のこの国の姿に、憑り殺されてしまえばいいのだ。
暗い愉悦に浸っていると、胸に娘の息が掛かった。
細く熱いそれにハッと我に返る。
「………神子、様」
譫言のような、頼りない娘の声。
あまりに儚いそれに、知らず涙が滲んできた。
泣いているのは俺だけじゃない。そこかしこから響くすすり泣きと懺悔。
『許して』
『助けて』
『ごめんなさい』
どんなに言葉を重ねても、謝罪は届かない。
『どこの生まれとも知れぬ子どもが』
『もう少し何とかならないのか?』
『あの程度で神子などと』
放った言葉は戻らない。
『神子が交代?ああ、あの美人か』
『素性のしっかりした御方だし、安心できるわ。神子様は、ねえ?』
『なんともめでたい事だ』
声に出したことは取り消せない。
たった十年で、恩恵を当然と思い上がった恩知らずの群れ。
「神子様、神子様」
今更伸し掛かる罪悪感。
それに潰されぬよう娘を抱きしめ、往生際悪く俺は言葉を紡いだ。無駄とわかっていながらも、一縷の望みにしがみ付きたかったのだ。
どうかお願いです、神子様。恩知らずの俺達はいいです。俺達も、あの女と共に雪に沈みます。けれどこの子は、何も知らなかったこの子だけは。
「どうか、許して、ください」