愛の募金戦士、土浦副会長が無くしたものは
今回は副会長の土浦のエピソードである。
スペック
名前:土浦 埋
年齢:17歳
性別:♀
クラス:経理課2年
職級:段政経研 副会長
得意:募金、集金
スキル:天使のほほえみ、悲劇のヒロイン的イリュージョン
彼女の生涯集めた募金額は17歳の若さにして1億円を越える。
集めたお金は海外での地雷撤去のNGO団体の活動費に当てられる。
彼女の募金で撤去された地雷は数万個。
いまでは限りなく広がっていた地雷原がどんどん田畑に生まれ変わっているところもあるという。
そんな彼女を人は「愛の地雷戦士」と呼ぶ。
カネ集め特化のスキルを持っている。
募金額は研究会の中で常にトップ、集金回収率100%を誇る。
投資、資産運用には興味を待たず、手出しなし(一円も使わず)でカネは直接現金を受け取るのみに全力をつくすので失敗はまずない。
見かけは薄幸の美少女風であるが、カネ集めに関する図太さは歴代の段政経研会長を凌ぐほど。
彼女の笑顔にやられた男どもは多額の募金をするという。
しかも、自らすすんで土浦のためだけに彼女の手にするブラックボックスに現金を投入する。
気がつけば、一文無しになった男もいた。
土浦は募金ができない男には興味がない。
募金がもう出来ない、という男にはいらないとばかりに捨てる。
というか、円の切れ目は縁の切れ目とばかりに離れていく。
キャバ嬢の素質もあるようだ。
ホステスになればトップを目指せるかもしれない。
つまるところ地雷戦士と呼ばれるだけに地雷女でもある。
段政経研は融資以外の活動もある。
でないと、経済研究会なんて名乗れない。
どっかの金融機関みたいに単純に融資部と呼ぶことになってしまう。
社会におけるお金の流れを研究するのが目的である。
いわゆる、社会参加型の実践体験クラブといったところか。ぶっちゃけ、貸金業ごっこみたいな。
ヤミ金業まがいみたいな。
募金活動、廃品回収、様々な事業の資金募集から配当金分配、FXや段政経研OGの関わる会社の株式投資、ファンド事業まで多岐にわたる。
お金をテーマにした事業はひと通り行っている。
しかし、現行法に基づいた必要免許が無いのがほとんどで利用者は限られてしまう。
やばくもあるが、後ろ盾には事欠かない。
それは、歴代の段政経研OGの存在だ。
国会議員、地方議員やその夫人、地方銀行頭取の夫人、市長夫人、飲食店グループの女社長、警察署署長夫人、家裁裁判官、地方裁の奥方、税務署員、弁護士夫人など有力者や有力者の影に元OGが存在する。
地方任侠道の姐さんになった者も入る。
段政経研、それは硬派な乙女たちの試練の場。
研究会を巣立ったOGたちは、お金の力を武器に培った信用と絆を重んじ、強い意志を持って社会に出て戦う。
だからこそ、自力でのし上がっていく者や伴侶という名の操り人形を出世させていく者が多い。
昭和的表現でいうと、あげまん、かかあ天下か。
段子坂政商学園経済研究会。
略して段政経研、現メンバーは七名。
段政経研の部屋。
硬派な乙女たちの園。
男の子が迷い入るといい匂いで目眩がおこる、天使の間。
今日は定例活動報告会が催されている。
席の配置というと日ノ本鬼子会長(経理科三年生/彼氏いない歴17年)は奥側中央のオンボロ事務机の席に座っている。
歴代の会長の席。
他の調度品は新しいもの、贅沢なものがあつらえてはいるが、このオンボロ事務机、事務イスだけは、研究会設立時からずっと引き継がれている。
初代研究会会長曰く、
一.物を大切には出来ないものは金に使われる者なり
ということで、その象徴の一つであるボロ机とイスだけはずっと引き継がなくてはならないという伝統になっている。
ちなみに会長職を後輩へ交代する際は、オンボロ事務机とイスを破壊する。
新研究会の会長はお金を使わずに修理しなくてはならない。
ある代の会長は、金槌で叩き伸ばし、どこからか持ちだしたビスや針金で直した。
ある代の会長は、彼氏をけしかけて修理させた。
ある代の会長は、机と椅子のメーカーに電凸(電話突撃)して無理難題をふっかけ、中古部材で修理させた。
ちなみに、現会長の日ノ本鬼子は、鋼鉄のソロバンでガンガン叩き伸ばし、鉄の指で微調整しながら直したという。
日ノ本会長のすぐ前の一人がけの本革の豪華な白いソファー2脚のうち、向かって右側に土浦埋副会長(つちうら まい経理科二年生/彼氏いない歴16年、ただし土浦を彼女だったと主張する男は多数/趣味:募金活動)、左側には司会進行役の水野砂金(みずの さきん情報OA科二年生/趣味:日ノ本鬼子のすべて)が座る。
土浦、水野の前にガラステーブルがあり、会議資料が並ぶ。
そして対面に3人がけの白いソファーに三年生の木幡と一年生の火那森、金城が座る。
月並きわみ(一年生)だけは研究会の受付席のイスを持ってきて一年生の座るソファーに並ぶように置き、そこに座ったいる。
司会進行役は水野砂金が行う。
土浦副会長と同じく若干二年生であるが、段政経研では1、2を争うほどの実力者。
見た目はショートヘアでタイプ。
性格的に男勝りで一か八かの山師、ギャンブラーである。
常にポーカーフェイスを装い、感情がまったく表に出ない。
同級生や後輩からは鉄仮面をかぶっていると揶揄される。
成功時には心のなかで超絶ガッツポーズしたい衝動がおこるが、1ミリたりとも顔にはださない。
失敗時には激しく泣きたい感情がほとばしり、裸足で走って逃げたい衝動がおこるが、それでも顔には少しも出さない。
唯一、大好きな日ノ本会長と二人しかいない所ではデレる、いわゆる百合属性の側面もある。
水野が中学生の頃、家業の土木現場の飯場で借金まみれの男に無理やり押さえ込まれていたところ、突然現れた小柄の眼鏡の少女がデコピンだけで追い払ってくれたことがあった。
あまりの恐怖でお礼を言いそびれ、容姿特徴を手がかりに日ノ本鬼子という段子坂政商学園の生徒であることを知り、同学園を入学したという経緯がある。
水野は段政経研に入会し、改めて礼を言うと日ノ本はこういった。
「あ、あれね。ウチ、月イチのあの日で気分が悪かったのよ。たまたま払いの悪い債務者が支払いを渋っていたのでドツキ回しただけなの。気にしないで。てへっ」
以後、水野は日ノ本に認められたい一心で無駄な努力を重ね、今では日ノ本、土浦とならぶトップスリーの実力者となった。
水野のエピソードは作者の気分が乗った時に語るとする。
現状、土浦をライバル視しているがあと少し実績が及ばない。
水野の心に秘めた思い。
それは土浦を超えたら、憧れの日ノ本鬼子さまと一緒になるんだと。……なんて無茶な無理gでなく願いである。
水野議長が会議を進行する。
「今月の融資額、回収実績、段政経研資金の資産運用状況報告は以上です。その他、連絡事項はありませんか」
土浦副会長が手を挙げる。
「土浦さん、どうぞ」
土浦はにっこり微笑んで立ち上がる。
彼女はいつも美しい笑顔でいる。
怒ることがない。
泣く時も笑いながら泣く。
騙されても痛い思いしても笑っていられる。
ある意味、ものすごく強情な女とも言える。
「はい。来月は段政経研主催、愛の虹色の羽根募金月間です。みなさん、毎度のことですが校内募金は目標額に達しています。ですが街頭募金は目標額近くまで集まりますが毎回足りておりません。」
ホワイトボードに貼った、前回の募金報告資料のグラフに赤ペンで強調しながら続ける。
「さらに、段政経研OGの皆様からの回収募金分においては目標額の半分も達しておらず、前回の反省会の愛のお仕置きを受ける方が段政経研のメンバー半数近くおりました。誰とはいいませんが日ノ本会長の愛のお説教(地獄のリンチ)を喜んで受けるフトトキ者もいたようです。今度こそ、目標額を超えるよう全力を尽くしてください」
土浦は満面の笑顔で水野をちらりと見ていう。
水野はすっと窓の外を見上げる。
「また、会長をはじめ、副会長であるわたしも三年生もみなさんも例外はありません。段政経研の役職者、実力者はそれなりのノルマが課せられますのでそのつもりでお願いします」
日ノ本会長が立ち上がる。
「とくに水野、おまい、手を抜いちゃダメよ。おまいの募金の目標ノルマ(回収額)、毎回10円分、きっちり不足してるじゃない」
「申し訳ございません」
「水野、おまいは愛の説教は無しにして屈辱の放置プレイの刑に変更するわよ」
「えっ」
水野は日ノ本会長の前ではどうしても表情にでる。
月初め。
乙女たちの過酷な募金活動が始まる。
活動内容は概ね次のとおりだ。
平日は、朝早く登校し募金箱もって玄関前で募金の声掛けをする。
あとは、学園内での声掛け募金活動。
段政経研のメンバーは可愛い子ばかりなのでターゲットはもっぱら男性教師、男子生徒になる。日ノ本会長と水野は女子生徒にも人気があり、そのあたりは有利であるが、学園内であつまる金額はたかが知れてる。
しかしながら、厳しいノルマを課せられているため、わずかでも集める必要がある。
手が抜けないのだ。
放課後は、それそれぞれの判断での募金活動をすることになる。
現研究会メンバーで協力しあって街頭募金や段政経研OGの元に向かうのだ。
特に、段政経研OGからの募金金額はすこぶる高い。
そのかわり、試練という名のいじめに近いあんなことこんなことが待ち受けている。
OGたちはけっしてケチではない。
段政経研の伝統的につづく募金の趣旨には大変賛成しているし、成功者ばかりであるからカネには一切困っていない。
OGたちは、年々軟弱になっている段政経研を憂いているのだ。
たぶん。おそらく。
OGの元にやってくる現研究会メンバーをあの手この手で追い返す。
だいたいがエグい内容。
どう考えてもいじめを超えて犯罪ラインをも超え、虐待しているフシがある。
つか、ドSじゃね? というレベルだ。
それでも数々の試練を乗り越え、最後まで食い下がり根性が認められた場合は高額の募金がゲット出来るのだ。
日曜日。
今日一日は、段子坂の街のあちこちで乙女たちの募金サバイバルが行われる。
模範とされている段政経研の募金回収エース、土浦副会長の活動を見てみよう。
土浦副委員長の朝は早い。
「まあ、好きで始めた仕事ですから」
最近は簡単に募金が集まらないと口をこぼした。
まず、段政経研OGリストの入念なチェックから始まる。
「やっぱり一番うれしいのは手強いOGから募金を勝ち取ったときですね、この仕事やっててよかったなと」
すまぬ、ネットの職人コピペをパクってしまった。
さて、本当に土浦副委員長の朝は早い。
いつもの学園指定のブレザー、スカートを着る。
ポケットにはお気に入りの話題の非公認ゆるキャラ《ぱちもん》グッズの折りたたみ手鏡。
開いて自分の笑顔を確認。
「よし、今日も頑張るぞっ」
配る為の《虹色の羽根》の数量をチェックし、特注製の黒い募金箱(通称、愛のブラックボックス)に虹色の羽根募金のロゴステッカーをはり、満面の笑みで出発。
向かう先は、段子坂一番の豆腐メーカーの「豆腐のすまき娘株式会社」。
ここの社長夫人である専務がOGなわけだが、早朝から社長夫人自ら工場長として働いている。
すまき娘とは、社長と段政経験OG(専務/奥さん)との劇的な出会いの逸話からネーミングされている。
いまでは、可愛らしい女の子が布団にくるまれロープで縛られているデザインがトレードマークになっており、商品パッケージはもちろん、会社や工場の看板、配送用保冷車、従業員の作業服や営業マンのカバンやネクタイピンまですまき娘のマークが使われている。
その昔、しがない豆腐屋だった2代目ぼんぼんの社長は、温度センサーが壊れた保冷車に納品用の豆腐を積んでいったところ、納品先のスーパーに引き渡す際に豆腐が全て凍っているのに気が付き、めちゃくちゃ叱られた挙句につまみ出されてしまった。
河原で石投げて途方にくれていた時。
目付きの悪い男どもに抱えられている、スマキにされている段政経研の娘を発見、あまりのカワいさに一目惚れしてしまった。
勇気を絞り凍った豆腐をありったけ投げつけたところ、全弾命中、まさに頭に豆腐の角をぶつけ、流血して逃げていった。
助けられた娘(段政経験OG)は礼を言う。
「このたびはありがとうございました。集金の最中、債務者が暴れだし、このとうり簀巻きにされ危うく夕方のニュースのネタになるところでした。命の恩人に対しきちんとお礼をするべきですが、今は急いでは学園に戻らなくてはなりません。この御恩は卒業後、私の出来る範囲ですが、全力全身全霊をもってお返し致します」
娘は経済研究会の会長になり、やがて卒業する。
すぐに豆腐屋を訪ね、住み込みで一生懸命働いた。
若社長は若くて美しい娘が一緒に働いてくれることにますます喜んだ。
数年後、娘は豆腐屋は乗っ取ら……いや、めでたく若社長と結婚した。
そして、奥様になったOGは小さかった豆腐屋を自ら大改革をし、みるみる巨大豆腐メーカー《豆腐のすまき娘株式会社》にしたという。
腕利きで美人な奥さんをゲットした現社長はしみじみいう。
「ああ、あの時、あの豆腐、豆腐さえ凍らせてなければ……もっと自由な人生があったかもしれない。貧乏のほうがずっとずっと幸せに違いない」
そう言うと社長は溜めた涙をそっと指で拭った。
土浦副会長の目の前に豆腐工場の正面門。
おかしい、門が締まっている。
門の先にある工場の窓の内側は電灯が明々とついており、操業中なのは間違いない。
正面門には守衛室がある。
窓を覗くと警備員のおじさんが段子新聞(地方紙)を読みふけっている。
テレビはガンガン大音量にしてつけっぱなし。
ドアを開けようとしたが、なぜか鍵がかかっている。
窓も同様。
「おはようございます」
「すみませーん」
「ちょっといいですかぁー」
ドアを叩いてみた。
窓も叩いた。
叫んでもみた。
が、守衛のおじさんの反応なし。
普通の人間ならば諦めるが、段政経研の土浦、しかも副会長となると諦めは敗北を意味する。
募金箱を肩にさげ、門をまたぎ飛び越える。
で、少しコケる。
てへっと微笑みながら工場に向かって歩き出す。
守衛室では。
守衛は土浦が進入するのを知っていた。
わざと、聞こえないふりをしていたのだ。
携帯電話を持ち、連絡する。
「奥様、予定通り仔猫が一匹ゲートより侵入しました。これより、オペレーション・ヘルハウンドを実行します」
「よし、許可する」
携帯を持った白い割烹着をおばさんがニヤリと笑う。
土浦は笑みをたやさず、更に最新の注意を払って歩を進めている。
工場の入り口まであと70メートル。
後ろでは守衛がガチャリと鉄の格子戸を開けている。格子戸のなかから低い声を唸りながらドーベルマンが三匹飛び出した。
土浦は猛犬の咆哮に気がつき振り向く。
(このワンワントラップ、任侠道のところのOGがよく使う手ですね、ですがここは豆腐工場、一筋縄には行きませんわ)
下手に反撃してドーベルマンを触ったり、よだれがついたり、血などがつくと衛生的に工場に入場できず、OGに合う前につまみ出されてしまう。
つまり敗北である。
一手先を読んだ巧妙なトラップなのだ。
土浦めがけドーベルマンが襲いかかる。
尋常でない眼付きで狂ったように雄叫びをあげ、よだれをだらだら流して土浦のお尻をロックオンする。
まるで変態野獣系体育教師の鈴木先生(43歳/独身)のように。
土浦の形の良い引き締まったお尻をよだれをまき散らしながら牙を剥いて狙っている。
(このままでは、お尻をかじられてしまう。未来のまだ知らない旦那様のために守りきらなきゃ。ようし、ここで使っちゃえ)
土浦はポケットからあるモノを取り出す。
目を閉じ、左腕の制服の袖で鼻を覆う。
そして思いっきり足元のアスファルトに向けてあるモノを叩きつける。
ぱぁぁん!
土浦は破裂音と同時に工場に向って駆け抜けていく。
そして辺りは白い煙幕が広がっていた。
煙幕にまかれたドーベルマンたちはたまらず逃げていく。
叩きつけたあるモノとは、コショウのビンである。
嗅覚の鋭い犬には粉体の物には弱い。
特にコショウなどの刺激物はなおさらだ。
土浦はこの後、向かう任侠道のおじさまに嫁いだOGの仕掛ける番犬トラップ対策に常備していたのだ。
「わたしの美味しい桃を食べてもいいのは、未来の旦那様だけですわ。わんこちゃんとは結婚できないのよ」
土浦は降りかかったコショウを丁寧に振り払いう。
全て落としたのを確認するとニコッと笑う。
守衛は逃げ帰ってきたドーベルマンが咳き込んでいるのをみて携帯で連絡する。
「奥様、申し訳ございません。オペレーション・ヘルハウンド失敗です」
「いいわ。こうでなくっちゃ段政経研とはいえないわね。いらっしゃい、ここからが本番よ。操業中の工場は危険がいっぱいわ。お嬢さん、はたしてあたしの前までたどりつけるかしら」
土浦は細心の注意を払って、工場の従業員用通用口にたどり着いた。
こっそり通用口のガラス越しから様子をうかがう。
通用口のすぐ中に工場内併設の受付窓口が見える。
若い事務員が一人いる。
今回のターゲット(OG)ではないようだ。
土浦はすうっと深呼吸してから侵入を試みた。
「おはようございます! わたし、段子坂政商学園、二年生の土浦と申します。学園OGの奥様はいらっしゃいますでしょうか」
大声で挨拶してみた。
「おはようございます。奥様から聞いております。いま、工場内におりますから白衣に着替えてお会いになるといいですわよ。この事務室の隣が更衣室なのでそこにある白衣に着替えるといいですわ。あと、奥様からの伝言ですが、今日は特別に工場内が非常に危険な状態なので心して入るようにですって」
土浦は一礼をして隣の更衣室に入っていった。
(ふうん、まだ試すつもりね。無茶とおいたが過ぎるのは乙女の特権よ。お年を召したおばさまにはぶぶ茶と老いぼれがお似合いですわ)
うふっと笑う。
事務員は更衣室以外の各部署に館内放送を流す。
「業務連絡。仔猫が一匹、工場に侵入しました。総員オペレーション・ヘルファクトリーを実行してください。繰り返します……」
土浦は白衣に着替える。
白い抗菌長靴、薄手の軟質プラスチックの手袋、白い帽子。
胸のポケット部分と帽子側面に大きく「来客用」と書かれている。
ひと目で従業員かどうか見分けが付くようになっている。
すべて着替えるとロッカーの鏡を見てにっこり笑う。
(うん、戦闘開始ね、頑張らなくっちゃ)
地獄の扉がいま開かれた。
最初の部屋は原料入庫室。
大豆とかかれた紙袋が大量に積まれている。
すぐに男性従業員近づいてきた。
「おはようございます。奥様から聞いていますよ。奥に見えます扉から隣の部屋へ進んでください。」
両脇に高くびっしり積んである紙袋はさながら細い通路の壁のようになっていた。
目の前に大豆の検品をしている従業員がおもむろに一つの紙袋を持ち上げる。
「あ、ああー、しまったぁ」
持ち上げた紙袋が裂けて中身の大豆がばらばらっとこぼれ広がる。
「いけねえ、あ、お嬢さん、大豆踏むと転ぶので危ないよ。今片付けるから少し待ってくれないか」
そう言うとほうきとチリトリを持ってきて片付け始める。
が、はいてもはいても大豆が次々と袋からこぼれてしまう。
ある程度袋が空になるとなぜか他の袋が裂け大豆がこぼれ続けていく。
どうやら、時間稼ぎのトラップのようだ。
土浦は10分ほど時間を無駄にしてようやく気がつく。
「危ないです、もう少しお待ちください」
「わたし、急ぎますので」
「いけません、怪我をされると奥様に叱られます」
制止する従業員をさけて通ろうすると、扉の前で高く積まれた袋が崩れ落ちてくる。
通路を塞いでしまった。
「ほら、お嬢さん、危なかったね、生き埋めになるところでしたよ。通路がふさがっちゃいました。助けを呼びに行きますのでもう少し待ってください」
男性従業員は立ち去る。
土浦は崩れた袋の山の先にわずかに見える扉を観察する。
どうやら押しドアのようだ。
ドアノブさえ回すことが出来ればここを脱出できるはず。
(うん、袋は10キログラム。うえから順番に反対側に落とせば、私でもなんとかなるわ)
にこりと笑う。
足元に注意しながら袋の山に飛び乗る。
上から順番に投げ落とす。
10袋ほど取り除くと従業員が3人戻ってきた。
「あ、お嬢さん、危ないので私達にお任せください」
近づいてくる。
あと3袋取り除けばドアノブに手が届く。
「わたし、どうしても急ぎますので、取り除いた袋を運んでいってください」
一袋、取り除く。
「いえ、そこは危ないです、降りてきてください」
どんどん近づく。
「わたし、これでも運動と体力、容姿と笑顔には自身があるのです」
さらに一袋、取り除く。
「お嬢さんの足元、崩れそうですよ!」
土浦の足元の袋がずり落ちそうになる。体重を別の袋に移し、落ちそうだった袋を蹴り落とす。
「ほら、言ったじゃないですか、すぐに降りてください」
従業員は、土浦の足元まで迫り、足首を掴みそうになった時。
「お疲れ様。これで行けますわよ。私からの贈り物をどうぞ」
従業員めがけ一袋投げおとす。
その袋をキャッチした従業員は勢いで後ろへひっくり返る袋の山の上の土浦は素早くしゃがみ込み、ドアノブを回すと扉が押し開いた。
素早く、ドアをくぐり抜ける。
「わたし、優しくて頼もしい男性は好きです。ぜひあとで募金をお願いしたいです」
振り向きざまににっこり笑って手を振った。
「ただいま、仔猫がソイトラップを突破しました」
「開始から12分の足止めか。上出来だわ」
土浦は次の部屋にはいる。
うってかわって温度と湿度の高い部屋になっている。
部屋中央の大きな釜に何本もの鉄管が接続されている。
湿式サウナのように蒸し暑く息苦しい。
そして霧のような白い湯気で数メートルよく見えない。
体中から汗が吹き出る。
どうやらスチーム設備が原因のようだ。
(うん、なんて美容にいい部屋かしら)
心にもないことをつぶやき、ニコッと笑う。
シュー、大きな吹き出し音があちこちから聞こえる。
だが、音の発生源がみえない。
しかもどんどん息苦しくなっていく。
(つらいわ。いつの物語でも神様は可憐な乙女に試練をお与えくださるのものね)
ここでは大豆を蒸し上げる場所だ。
ゆっくり歩を進める。
ベルトコンベア、スチーム関係の機械、大小の大きなタンク、足元にはホースや黒ゴムの耐水電気コードが縦横無尽に走っている。
頭上にもパイプやコード類があり、機械のジャングルといったほうがわかりやすい。
(豆腐作るのになんで大げさな設備になっているのかしら)
それは作者……ごほん、段政経験OGの奥様のエゴがそういう設定にしているのである。
突然、土浦の周りに白い蒸気がとりまき、ふともも辺りに強烈な熱を感じる。
「あっ、あつぅ!」
慌てて後ろに下がる。
よく見るとものすごい勢いで透明な高温の水蒸気が吹き出していた。
鉄管を不意に掴んでしまう。
つっ! 火傷する。
(昔から段政経研は鬼や悪魔しかいないとよく聞くけど、わたしをとって喰おうとしてるところを見るとホントのようですわ)
土浦、おまえもその一人だということを忘れてる。
高温の吹き出し口にコックがあるのに気づく。
コックを閉め、吹き出しが止まったのを確認して進んでいく。
汗が止まらない。
蒸気で腕や足などにやけどし、ひりひり痛む。
べたつく汗で白衣を脱ぎたくなる。
が、そうはいかないと、作者の自制(R指定はダメ)の声が。
(息苦しい、こんな無茶な蒸気をだしてこの工場大丈夫かしら)
更に数カ所の蒸気吹き出し口のコックを締めながら進むと、ようやく次の部屋への扉のまえに辿り着いた。
扉の札には《加工室》。
覚悟を決めて扉を開ける。
すずしい。
サウナ室あとはエアコンがガンガンに効いている加工室だった。
あれだけ汗が出てたのがすうっと引いていくのが分かる。
というか、冷えすぎて寒い。
ここでは、出来上がった豆腐をカットしパック詰めされる。
コンベアに運ばれ、ケースに収まるって感じで機能している。
女性従業員が土浦さんに近づいてくる。
「まあ、お嬢さんいらっしゃい。奥様に伺っておりますわ。奥様はあちらの扉の向こうにおります。お気をつけて」
「ありがとうございます。お仕事頑張ってくださいね」
ここでもにっこり、心にないこと言う。
扉の外は、5メートル先一面にシャッターが広がっていた。
左右に伸びる狭い通路のような部屋。
一箇所シャッターが開いており、中を覗くと奥行き10メートルほどの細長く照明のない部屋になっている。
商品の豆腐や油揚げのダンボールやコンテナケースがところ狭く積まれており、扉は見当たらない。
「すみませーん、奥様はいらっしゃいませんか―」
元気よく声をかけてみると遠くからなにか返事が聞こえた気がした。
続けて声をかける。
「すみませーん」
「はーい」
工場全体から発する様々な機械などの喧騒で聞きづらいのだが、確かに聞こえた。
声は……暗い商品の積んである部屋の奥から聞こえた気がする。
土浦は、狭い部屋に入っていく。
「奥さーん、聞こえますかー」
突き当りまで入ってみたがどこにも奥様の姿がない。
突然、ぐらりと床が揺れ動く。
いや、部屋全体が揺れ動き、今いる狭い部屋の入口が工場から切り離されたように離れていく。
突然の動きに、土浦は転ぶ。
「痛ぁい、し、しまった、罠だっ」
切り離された入り口はすぐにふさがり、暗闇になる。
部屋全体が揺れ移動しているのが分かる。
ここは、大型トラックの荷台の中らしい。
どうしようもないから、その場で座り込んだ。
(どこまで行くのかしら)
今度は暗闇につき、誰も見ていないので微笑まない。
3分、いや5分ぐらか。
どうやら目的についたようだ。
エンジン音は止まり、がちゃりと部屋を塞いでた扉が開く。
外から作業服を着ているショボくれた中年男が声をかける。
「お嬢さん、大変だったね。ここは、豆腐のすまき娘株式会社の本社です。工場からお嬢さんの制服を持ってきているので着替えて、専務室まできてください」
そう言うと、会議室に案内され、そこで着替えることにした。
着替え場面はそれそれ勝手に想像してほしい。
用意されたタオルで汗ばんだ身体を拭き着替えを済まし、虹色の羽根募金箱をさげ会議室を出るとさっきいた作業服のショボい中年男が待っていた。
「お嬢さん、まだ、安心していけないよ。奥さんはまだまだ、お嬢さんを試すからね、負けないで。おぢさんは陰ながら応援しているから」
歩きながら男は小さな声で伝える。
専務室前。
いよいよ段政経験OGとのご対面となる。中年男はつぶやく。
「負けないでね、がんばー」
「うん」
土浦は小さくうなずき、おじさんに微笑みかける。
中年男は専務室をノックせずに勢い良く扉をあける。
「おい、お嬢さんを連れてきたぞ」
「あんた、ノックするの忘れたの? それと会社では専務とお呼び。」
専務と名乗る女、汚れたものを見る目で中年男、いや、社長を蔑視している。
はっと気がついた土浦は、社長を見る。
社長はショボくれて退場する。
「いらっしゃい、段政経研のお嬢さん。お待ちしてましたわ」
大企業の豆腐のすまき娘に君臨する女王様。高級な輸入木材で作られた事務机があり、白い割烹着姿でそこの席に座っている。
段政経研の会長のオンボロ机とはまるで違う。あたりまえか。
「あなたの様子、ずっとモニターで見てたわよ。さすがね、どんな時も笑顔を絶やさないなんて。段政経研の鏡ですわね、OGとして誇らしく思いましたわよ」
奥様はインターホンの受話器を持つ。
「準備してちょうだい」
「あなたが朝早くから大変な思いで来てくださったので、ささやかな朝食をご用意しましたわ」
きれいな女性が3人、料理を持って入室してきた。
用意されていた会議用テーブルに料理が並ぶ。
料理の配膳中に専務は3人の女性を簡単に紹介する。
「お嬢さん、この3人の女性は私の秘書ですの。実はね段政経験OGですわ。私の後輩。そして、あなたの先輩よ。かつてあなたのように私のところまで辿り着き、見事募金を勝ち取った強者ですの。あなたはどうかしらね。4人目の秘書になってくれるかしら」
3人の秘書は土浦を見てニコッと笑う。土浦も負けずにニコり返す。
「専務、私が4人目の秘書っていうことは、募金を勝ち取ったと、認識してもよろしいのでしょうか」
「うふふ」
何かおかしい、何かひっかかる。中年社長の言っていた最後の試練は、この食事ではないか。土浦は疑いつつ、料理を見る。
ごはん、豆腐の味噌汁、油揚げの巾着の煮物、揚げだし豆腐、麻婆豆腐。
(きらいなメニューはないわね)
「大した料理はないけど当社自慢の豆腐や油揚げをつかったものばかりよ。食べられるだけ食べてちょうだい。」
(残してもいいのね。いったいどう試されているのかしら)
専務はご満悦の様子で続ける。
「豆腐はね、私の人生をかけて作り上げたものよ。心して食べてもらうと嬉しいわ。さあ、召し上がれ」
「いただきまぁす」
手を合わせニコッと笑う。
恐る恐る味噌汁を吸う。
うん、ふつうに美味しい。
「ああ、美味しいです。お豆腐がとろけるように喉元をくすぐりました」
塩加減、出汁のバランスがよく、絹ごし豆腐のふるふるっとした喉越しがたまらない。
「私が嫁ぐ前は、木綿も絹ごしも舌触りの悪い豆腐でしたの。嫁いでから、材料から製法まで見なおし、3年かけて作ったのよ」
次は巾着の煮物に手を出す。
見た目はモチ巾着か野菜巾着にみえる。
この中身に何か仕掛けがあるのではないか。
仮にモチだったとしても煮えたぎったマグマのようなものを口にしたらタダじゃすまないだろう。
箸で巾着をつまんで思い巡らしていると。
「その油揚げも自信作よ。味染みの良い素材と適度な弾力、くちどけの良さには定評があるの。思い切って頬張ってみるとその良さが分かるわ」
きた。
これは引くに引けなくなった。
ここで頬張らないと負けになるだろう。
土浦は、にっこり笑うと覚悟を決めて一口で巾着を頬張った。
ふむ、おどろいた。
すごく美味しい。
「ん? うん、美味しい! 中身はひき肉と卯の花を合わせた団子と出汁の効いたとろとろのあんがタップリ入っている」
「美味しいものが分かってくれるなんて嬉しいわ。食材としての豆腐は地味でなかなか美味しいって言ってくれないものなのよ」
(もしかして味覚を試されてるのかしら。的確な感想を言うだけなら楽勝ね)
次は、揚げ出し豆腐に手を伸ばす。
「それは、開発中の豆腐を使った揚げ出し豆腐よ。広くアジア各地で好まれているモノを取り入れてみたの」
一口大のサイズの豆腐を揚げ、出汁に使っている。
土浦は専務の方に向いてにっこり笑うと一口ほおばる。
少し熱かったが、じわっと揚げ出し豆腐の風味が口いっぱい広がる。
コクのある揚げ油と出汁、そして香ばしさを超える地獄の悪臭が。
「……! おぷっ、ばはっ」
土浦は思わず口を押さえ飲み込む。
眉間にしわを寄せ悶絶する。
臭い。
激烈な腐臭、なんだこれは?
旨味は十分あるが、鼻に抜ける嫌な腐敗臭が強烈である。
揚げ出汁の衣の下にまさかのトラップがあるとは。
「あら、ごめんなさいね。開発中の臭豆腐よ。日本人向けにもう少し匂いをマイルドにするべきでしたわ。まあ素敵、厳しい豆腐でもこぼさずに食べてくれて」
専務も鼻をハンカチでおさえている。
「麻婆豆腐の豆腐は当社一番の売れ筋の豆腐を使っているわ。ご飯にたっぷりかけて召し上がれ」
土浦は悪臭を放ちつつ、かろうじて笑顔を絶やさなかった。
疑いつつもご飯にかけて一口。
土浦の時間が止まる。
どっくん、どっくん、心拍数が増える。
どっかーん、血圧が急上昇する。
土浦の目が見開かれ、血走る。
段政経研ナンバー2の副会長である土浦が、どんな過酷な目に合っても笑顔を絶やさない土浦が、白目を剥いて気絶した。
口に含んだ麻婆豆腐は本能的に喉が拒絶している。
いたいけな笑顔の天使のくちびるがどんどん腫れ、タラコからナマコのように成長していく。
しかし、気絶しながらも口からはよだれ1滴こぼれていない。
専務は確認すると土浦を秘書三人に医務室へ寝かすよう指示をした。
土浦が目を覚ましたのは日が暮れはじめた頃。
専務がつきっきりで看病していたようだ。
「ここは……」
「ごめんね、ちょっと調子に乗って麻婆の香辛料にハバネロとジョロキアを入れすぎたみたいなの。私や秘書3人とも激辛は平気だったものだから、つい、ね」
専務はセリフこそ申し訳無さそうに言ってはいるが、表情はドヤ顔だ。
「あなたの今日の予定は台無しにしちゃったわね。これは、あなたの勝ち取った募金よ。お詫びの分まで上乗せしてあるわ」
専務はハンカチで鼻を抑えながら大金の入った封筒を渡す。
「あ、ありがとうございます」
土浦は、血走った目で専務を見上げ、ナマコのように腫れた唇を震わせてお礼をいう。
土浦は汗にまみれ臭豆腐の悪臭を放ちつつ、天使のようなかわいい唇を犠牲に募金を勝ち取ったのだ。
虹の羽根募金の箱にその封筒ごと入れようとするが入らない。
募金箱の蓋を開け入れてあった虹色の羽根を専務に渡す。
「ご協力ありがとうございました」
去り際の土浦に専務は声をかけた。
「あなたのことますます気に入ったわ。きっと来年はあなたが段政経研の会長になるでしょう。卒業したらぜひ、豆腐のすまき娘に来てほしい」
土浦は何も言わず、血走った目、ナマコクチビルをぶるぶるふるわせてこっと笑い、豆腐のすまき娘株式会社を後にした。
(あのババア、今度会ったらすまきにして海に沈めてやるわ)
翌日、段政経研の部屋に現れた土浦副会長、マスクとサングラスをしている。
襟から見える首元、袖元の手首には包帯がまかれ、すべての指には絆創膏が巻かれていた。
たっぷり振りかけた香水もキツイ。
名誉の負傷であるが、あまりに醜くなった姿。
ナマコのような唇、血走った目、数々の火傷と怪我、そして猛烈に発する腐敗臭を隠している。
募金箱からドサッと日ノ本会長の机に3百万円の札束積む。
マスクとサングラスもそjavascript:hi_close();うだが、なんだかいつもと様子が違う。
日ノ本会長は少し顔をそむけ気味に言う。
「土浦さん、ご苦労さまでした。ウチですら昨日の募金回収額12万円でした。正直、トップ頂いたと思ってましたわ。ウチの知る限りおまいの募金回収額、ぶっちぎりのナンバーワンですわね。もう、募金に関してはおまいを超えるのは無理です。しかし、なんか臭うわね、クサっ」
日ノ本会長は鼻をふさぎ、すこし涙をこぼす。
「ふっ」
土浦は窓際に立ち、外を見ながら寂しく自嘲する。
段政経研の部屋。
硬派な乙女たちの園。
男の子が迷い入るといい匂いで目眩がおこる、天使の間。
今は甘く切ない腐臭で目がくらむ。
あの天使の笑みはどこにいってしまったのだろうか。