16、レン
レンを救出したのはいいが、疲労がピークに達していたので僕たちはあの素晴らしい光景をみた空間へと引き返していた。狭い通路で休むよりも広い場所で気分的にもゆっくり落ち着きたかったのだ。
安心したせいだろうか、今まで張り詰めた緊張の糸が切れ、どっと疲れが僕の全身を駆け巡った。
薫と早希も気を張っていたせいだろう、二人共とても疲労した表情をしていて今にも倒れそうだ。
そういえば……すごい喉が渇いてる。
今まで必死になっていたので気が付かなかったのだけど、一度気がついてしまったらそれは無視できないほどの渇きで、急にピリピリと喉が水を訴えてきた。
……このリュックの中身は何が入っているのだろう?
僕はようやくリュックの中身の事に気が回るようになった。
ロープを持ってくるならロープだけ持ってくれば良かったのだ。でもピエールさんはリュックを渡してくれた。もしかしたら何かあるのかもしれない。
重い体に鞭を打ち、リュックの中身を確かめることにした。
リュックの中身には、2リットルの水に板チョコが4枚それにこれは――っ!
カロリーメイトのベジタブル味!!?
さすがピエールさん……チョイスが渋いです。
みんなで水を回し飲みながらチョコレートを食べ終わったあと、僕たちは思い思いに休むことにした。
「真琴ちょっといいか?」
レンはそう言うと、僕の腕を持ち腕を引っ張り上げた。
「えっあ、ちょ、ちょっと!?」
戸惑っている僕のことはお構いなしに、通路の方へと連れて行かされる。さり際に見た妹と早希の怪訝そうな表情がとても印象に残った。
二人から見えない位置まで行くと、ようやく僕の腕を放して、そこに座り込んでしまった。
僕も隣にちょこんと座り、レンが口を開くのを待つことにした。
隣にいるレンの息を飲む声が何度か聞こえたあと、こっそりと僕に聞こえるくらいの声で喋り出した。
「さむい……真琴……温めてくれないか?」
「えっ!」
意味が理解できずに一瞬固まってしまった。
え……温めるって……えーっ!
動揺して思考が止まっているところにレンの手が伸びてくる。
そして肩を抱かれ、されるままに僕は抱きしめられていた。
「ちょ、ちょっとレン、い、いきなりどうしたの……」
僕は抗議の声を上げたが、その思考はすぐに引っ込んでしまう。
――――なに……レンの体、すごく冷たい。
本当にレンの体は冷えきっていて、震えが僕に伝わってきた。その震えを感じ僕は何も言えなくなってしまった。
そしてそれは寒さだけの震えではないことを真琴は感じていた。
よくよく考えれば真っ暗な海水の中で何時間もいたのだ。怖かっただろうし、不安でもあっただろう。
レンの心中を思ったら、僕は自然とレンの頭を撫でていた。
――――今は安心させてあげたい。
頭を撫でていたらレンの僕を抱きしめる力が緩くなっていき、寝息が聞こえてくる。どうやら寝てしまったみたい。
僕も抱きしめられたまま、眠りにつくのだった。
「むぅ……仕方ないな今日くらいは譲ってやるか」
「……あはは」
物陰からそんな二人を薫と早希は見守っていた。
いつもだったら鋭い眼光で睨んでいた薫だったが、この時ばかりは「これくらいのご褒美は許して上げよう。だけど今日だけだから!」と、そんな気持ちが伝わるような優しい眼差しで二人を見守っていたのだった。
――▲●■――
「――――んでだ、真琴くん」
「なにかなレンくん」
「帰り道が水で塞がっているんだがどういうことなのかな?」
「うん、潮が満ちてしまったんだね」
僕とレンのいつものような会話のやり取りをする。
数時間ほど仮眠し、いざ帰ろうときた道を戻っていたのだが……
眼下には通ってきた道が海水で塞がれている光景が広がっていた。
潜っていこうかとも思ったが、持ってきた懐中電灯が防水仕様かどうかもわからず、かといって試してみて故障してしまったら、暗闇の中を進むことは危険なのでどうすることもできず、僕たちは立ち尽くしていた。
懐中電灯はレンのは落ちた時になくしてしまったので現在3つだった。
1個くらいなら試して見ることもできそうだけど……どうしよう。
「あ、あの」
遠慮がちに声を発したのは早希だった。
「うん、なに? 早希ちゃん」
「私……水の中を進むのは怖いです……潮が引くのを待ちませんか?」
もっともな提案だった。確かに夜の海なんて怖くて入れない。それにここは更に狭くて暗い場所だ。閉所恐怖症の人がいたらまず気が狂ってしまうのではないだろうか。
それでも僕は早く帰りたいと思っていた。
帰りを待っているピエールさんがいる。それに僕たちがいないとそれに気がついたみんなが心配するだろう。
大事になってしまうかもしれない。僕はそっちのほうがずっと怖いことだと思っていた。
「俺は……真琴の判断に任せるぜ」
レンは遠慮がちにそう言った。
いつもならば、泳いでいこうぜとか、ここで一泊していこうぜー、なんて軽口を叩きそうなものなんだけれども、多分自分のしでかしてしまったことに罪悪感があるのだろう。控えめである。
…………今はみんなの安全を考えるべきだろう。幸いな事にみんなかすり傷程度で大きな怪我とかはないのだ。ここは潮が引くのを待って、確実に帰ろう。
もうあんな恐ろしい目には遭いたくない。
「潮が引くまで待とう。幸いにも水と食べ物はあるしね」
先程のカロリーメイトベジタブル味をちらりと見せ、にっこり笑う。
しかしそれを見たレンの表情がとたんに引きつった。
「げっ、それは……まさかピエールが用意したものか?」
口元をヒクヒクさせながら一歩二歩と後ずさるレン。
「そうだけど……あれ? レンって野菜嫌いなんだっけ?」
僕の記憶が確かなら、好き嫌いはなかった方に思えたんだけど……
「いや、嫌いなのはその『ベジタブル味』なんだよ!」
――――小さい頃、レンは野菜が嫌いだった。
そんなレンを見かねた両親がこれなら食べられるだろうということで、カロリーメイトのベジタブル味を食べさせたところ、それを頬張りながら美味しそうに食べたのだった。
それからというもの、カロリーメイトベジタブル味を箱単位で注文し、毎日のように食べさせたのだった。
さすがに大好きとはいえ毎日のように食べさせられれば飽きるというもの。レンはついに食べたくないと駄々をこねたのであった。
しかし両親は「これを食べたくないなら野菜を食べなさい、野菜を食べないならこのベジタブル味を食べなさい」と二択を迫るのであった。
結局レンは毎日のようにベジタブル味を食べさせられるのなら、本物の野菜を我慢してでも食べたほうがマシ、という結論になった。
それからというもの、レンがなにか悪さをしたり、野菜を残したりすると、ベジタブル味を見せつけ威嚇したのだ。そうしてそれはレンのトラウマとなったのである。
「そっか、すごい話だけど、いい話なのかな……?」
引き返しながらレンの話を聞いていた僕はそんな感想をもらした。
「でもそのおかげで野菜食べられたんだから結果オーライでいいじゃん」
同じように聞いていた薫が、だからどうしたと言わんばかりの感想を言った。
「そうです! レンさんは両親に感謝すべきです!」
早希はそれは当然のことだというように、しっかりとした口調で意見をのべた。
「…………やっぱり俺の味方は真琴だけだな!」
「……ごめん、僕もレンが野菜食べられるようになってよかったと思うから……両親に感謝だと思う」
「ノオオオォォォォォ!」
洞窟にレンの叫び声が響き渡った。
――――僕たちはカロリーメイトを美味しくいただき、(一人をのぞいて)潮が引くまで思い思いに休むことになった。
先程休んだとはいえ、こんな暗く狭い場所で動き回っていたのだから、疲労はただただ蓄積されて、回復することはないのである。
男二人、女二人、そして早希にいたっては男が苦手ということもあり、必然に僕とレン、薫と早希というふうに分かれるのであった。
多少距離が開いていることもあって薫たちの事は見えない。懐中電灯も電池が切れたら困るので移動するとき以外は切ってある。
そんな中、僕はレンと隣り合わせで座っていた。
特に会話もなく、お互いに肩だけを遠慮がちにつけて、ぼーっとしていた時だった。レンがぼそりとつぶやく。
「なあ、吊り橋理論って知ってるか?」
突然だったし小さい声だったので僕は聞き逃してしまった。
「え? なに?」
「吊り橋理論だよ、知ってるか?」
先程より大きな声で、それでもしっかりと真っ直ぐな声で僕に問いかける。
吊り橋理論……テレビか何かで見たことあるかも。
確か不安定な吊り橋の上で男女が一緒になると恋が芽生えやすいってやつだったっけ?
うろ覚えだけど、そんな感じだった気がする。
「うん、多分知ってると思うけど……それがどうしたの?」
僕がそう答えると、レンは一言「そうか」と口にし、それ以上は何も言わず黙ってしまった。
――――おかしい。
そもそも危機を脱出してからの様子がおかしい気がする。
レンは物事ははっきり言うタイプで、こんな抽象的な事は言わないはず。
僕が怪訝な視線で見つめていたのが分かったのか、レンは僕のほうを向き、
「ったく……そんな視線で見ないでくれよ、ゾクゾクしちまうじゃねえか」
そう、いつもみたいな軽口を叩いた。
しかし僕はわかっている。幾度となく軽口を聞いてきた僕には、それが苦し紛れの軽口だということに。
その雰囲気を察したのか、レンは「ふぅ」とため息をつくと観念したように両手を肩まで上げて降参のポーズをとった。
「やっぱ真琴にはかなわねーな、そうだよちょっと考え事をしてたんだ、心の整理ってやつだな」
「なにか悩み事?」
「悩み事というか……そうだな、聞いてもらえるか?」
「もちろん」
レンは深い深呼吸をして僕に向き直る。
そして真剣な顔になり語り出した。




