重大なミス
瓶の蓋が閉められ、瓶の中から漂っていた悪臭は消え去り、それを確認したらカレンは鼻から手を離し、一安心の溜息を吐いて胸を撫で下ろした。
「ロロ、平気なの?」
顔色がまた紫に変色し、大粒の涙を今でも流し、鼻水も少し垂れているロロにカレンは心配して身体的や精神的の両方面について安否を尋ねる。
「モヒロン(もちろん)、ダイジョビィ(大丈夫)だ!」
「「……」」
今度は鼻をやられたようで、完全な鼻声になっており、声が鈍りながら大丈夫だとこれもまた説得力が皆無なロロにカレンは唖然とし、アイシャは顔を下に俯かせて無言で呆れる。
「声が変だよ、ロロ」
「シイパシスルマ(心配するな)! スムナホル(直ぐ治る)!」
瓶の蓋を閉めても匂いはまだ消えておらず、カレンは微かに匂う悪臭に耐えながらロロの声が鼻声になっている事をロロ自身に伝えるが、ロロは声が鈍ってよく分からないが心配するなと自信あり気に答える。
「………」
「? アイシャ?」
「ドジダンダヨ(どうしたんだよ)?」
言い出しっぺのアイシャがロロのマンホールの中で行っていた追跡対策とそれに使ったスライムの説明を詳しく聞き終わった後、急に考え込むように黙りだしたのでカレンとロロが声を掛ける。
「うん、君があの時マンホールの中でしていた事は大体分かった。……でもそうと分かれば、急がなきゃイケないかも」
「ドウユウボトダモ(どうゆう事だよ)?」
説明を終えた後、ロロの事情を理解したアイシャが何故、急がなければいけないと発言した事にロロは意図が読めず、その訳を尋ねる。
「君がやった追跡対策は恐らく追手をこの地下水道に追って来させない或いは追手の追跡距離を大幅に空けさせたと思う…けど」
「けど?」
ロロが行った追跡対策がどのような効果が得られるか、アイシャは憶測でその効果を述べるが、最後に〝けど〟と呟き、カレンは同じ言葉で聞き返す。
「追って来させないように蓋に細工したという事は、私達が地下水道に逃げたという事を示している事にもなる」
「!」
蓋に細工して地下水道に入って来させないようにした事は、逆に言えば自分達が地下水道に入った事をわざわざ教えているとアイシャは述べ、ロロはそこまで頭が回らなかったのか、その推測にギクリと身体が反応した。
「それって、僕達がこの地下水道って言うのに逃げ込んだ事が、バレちゃうって事?」
状況が良く読めないカレンであったが、話の流れからにして核心を突いた答えを自分なりに考えて出した。
「そう、追手の軍人達が私達の逃走ルートを勘付いている可能性が高い!」
「じゃあ、追手の人達が来ない内に早く逃げた方がいいかな?」
「ううん、その心配なら要らないよ」
心配ないとアイシャは首を横に振って答える。
「どうして?」
「だって、今私達が此処に入って随分経つけど、現地点で外に繋がっている出口に近付いているのに追手が来ている気配は感じられない。これは多分あちらが今私達を追い掛けても追い付けないと判断したからだと思うんだ」
追手がこの地下水道まで追って来ていないという事は、トロイカ軍が追跡を諦めたとアイシャは推測ではあるが、可能性が高い為カレンにそう教える。
「だったら、急ぐ事は無いんじゃ…」
「でもロロが細工したマンホールの蓋が発見されていれば、私達が地下水道に逃げた事は恐らくあちらは気付いていると考えて良い。そうなると私の予測が当たっていれば追手はともかく、他の問題が出来てしまう」
嫌な予感がするのかアイシャは自分の予測が当たっているかもと思い、目付きが鋭くなる。
「えっ、追手の人達が来ないのに、まだ問題が有るの?」
カレンはアイシャの言う他の問題が出来てしまうという発言の意図が分からないでいた。
「もし、あちらが追手……つまり人の手で追う事を止めて、それとは違う別な手で私達を捕える事にするのかもしれない!」
「別な手で?」
人の手では無く、何か別な手で自分達を捕まえに来るかもしれないとアイシャは推測し、
カレンはその別な手とは何なのか、見当は付かないが何となくまずい気がした。
「この軍用都市『レイチィム』に居る『トロイカ』軍がここ最近、大型のバトル・マシーンを配備したっていう情報を耳にした事が有るんだ」
「オオバタノ、バトル・マツーン(大型の、バトル・マシーン)?」
ちょっと鼻声が治ってきたようで、今までより発音が良くなったロロはアイシャが耳にした情報が気になったのか、会話に再び参加するように入って来た。
「それがどうかしたの?」
「そのバトル・マシーンを使って、私達を捕まえようとするかもしれないって事!」
「な、何だって!?」
アイシャの推測にロロはビックリして鼻声が治ったみたいで、発音が元に戻った。
「待てよ! いくら何でもそんな物使ってまで、俺達を捕まえようとするのもどうかと思うぞ! さすがに!!」
「そうだね。いつも此処の指揮を担当されている司令官である将官達ならそこまでやらないと思うけど、でも今日、彼らは不在なんだ」
「不在?」
さすがにやり過ぎだとアイシャの推測にロロは反論するが、その推測の根拠はこの『レイチィム』に居る『トロイカ』軍を指揮している将官達が今日は、不在で有るとアイシャは冷静に話す。
「不在って、不在だからどうしたって言うんだよ!?」
「今週に当たって、此処の『トロイカ』軍は合同演習で兵士の大半は出張に出ていて、その合同演習を指揮する為に今さっき言った将官達が一緒に出張しているんだ……で、今此処の留守番、つまり指揮を代わりに任されている人物が居る!」
淡々とアイシャは将官達の不在の理由を説明し、そしてこの『レイチィム』の『トロイカ』軍基地の指揮を代わりに任されている人物について話し出す。
「その指揮を任された人物は、通称『魔弾の巨兵』という異名で呼ばれている人物なんだ」
「?」
「! 魔弾の…巨兵!」
もちろんカレンはそのような事は知っておらず、頭の上に〝?〟のマークが浮ぶが、どうやらロロは知っているようで、その異名がアイシャの口から出て来たら、眉がピクっと反応した。
「話を聞けば、その人は豪傑で屈強の軍人であり、さきの大戦や幾多の紛争で多大な功績を上げ、他の国々から『魔弾の巨兵』と名付けられ、恐れられている程の人物でもあるんだ」
「その人と今出口に急いで向かわなければならない事と一体何の関係が有るの?」
アイシャが説明するその人物の話の流れから意図が読めないカレンは、それが一体何故自分達が出口に急がなければならない事に繋がっているのか、相変わらず分からないという顔をして、首を傾げる。
「それは噂によるとその人は、規律に対してはトコトン厳しい人物だと言う事だよ」
「えっ?」
今更であるが規律とは何なのか、意味を根本的に理解していない記憶喪失のカレンにとってはアイシャの言っている言葉の意味を理解する事など出来ず、首を傾げ続けた。
「聞いた噂が正しければ、多分その人は規律を乱した私達や盗賊達をどんな手を使ってでも捕まえようとする! 私の推測が当たっていればの話だけど」
「いや、お前の読みは多分当たっているよ」
とロロはアイシャの推測を勧める。
「合同演習の話が本当なら盗賊達が『バトル・マシーン』を盗めたのも納得がいく!」
アイシャがさっき話した合同演習で兵士の大半が出張しているならば、此処の警備が薄くなって、盗賊達が容易にバトル・マシーンを盗み出したと物事の経緯を自分なり推測したようだ。
「『魔弾の巨兵』が今、此処の司令官ならアイシャの言った通り、どんな手を使ってでも俺達を捕まえる筈だ。絶対に!」
力強くそう言い放ったロロは、顔が険しくなり、態度も何処かいつもの飄々とした感じでは無く、奮然としたような雰囲気だった。
「そう分かればこんな所でチマチマ歩いている場合じゃない、急ごうぜ! とっととこの地下水道から出るんだ!」
「う、うん!」
「……」
二人の意見を聞かずに強引に出口に向かおうと促したロロは歩く速度を上げ、通路の奥をガンガンと進み始め、急に態度が変わって歩くスピードを速くしたロロにカレンは不審に思いながら返事をし、同じく速度を上げ、アイシャは無言で頷き、ロロのスピードに合わせるように隣を維持しながら歩き続けた。
「………」
カレンはロロの隣を歩きながらロロの顔を見詰め、何故ロロが急に雰囲気や態度が変えて、出口に急ごうと強引に促した事の理由を考えた。
「……」
何処か落ち着きが無いと感じる強張った表情をして無言で歩くロロの姿は、何かに囚われているように見える。
「(もしかして……!)」
するとカレンの頭の中である事が過ぎった。
「ねぇ、ロロ」
「? 何だよ?」
出口に急ごうと奮然な態度で、隣を歩いているロロにカレンは声を掛ける。
「もしかして、焦っているの?」
「!」
この一言にロロは動じたように目が見開いた。
「な、何なんだよ、いきなり!」
「だって、ロロいつもと何か感じが違うから、もしかしたら焦っているんじゃないかって思って……」
「あ、焦っているって、お前、な、何にだよ!」
妙に鋭く自身の心情をカレンに突かれて、ロロはカレンの言った通り、焦った口調になっていた。
「ロロ、自分の所為で僕達がこの地下水道に居るって事が追手の人達にバレちゃったかもしれない事に責任を感じて焦っているんじゃないの?」
「っ!」
またもや核心を突かれたのか、再び目を見開くロロ。
「もし、そうだとしたら、僕は気にしてなんかいないよ」
「えっ?」
不覚にもカレンに意表を二度も突かれたロロであったが、この一言に今度は言葉を失う。
「だって、ロロは僕達の為に追手の人達を来させないようにあんな事をしたんでしょう?」
「い、いや、俺は……」
「だったら、自分を責めなくても良いよ、ロロがやった事が僕達の為なら、僕は嬉しいし、それが例え逆効果になったとしても、僕はロロの所為だとは思ってなんかいないよ」
「………」
自身が行ったマンホールの蓋の細工の所為で自分達の居場所が追手の『トロイカ』軍が勘付いているかもしれない事にロロは責任を感じているのではないかと思ったカレンはロロに自分は気にしてはいないから、自身を責めないでと伝える。
「失敗は誰にだってあるさ……問題はその失敗をどう未来に繋いでいくかが大切な事だと思うよ」
カレンに続いたつもりなのか、アイシャは自分も気にしてはいないと遠回しに伝え、そしてさりげなく、アドバイスも告げる。
「君が今、何かに囚われているかどうか分からないけど、今そんな状態じゃ、いざと言う時に冷静な判断は出来ないよ」
「だからさ、自分を責めて、焦るのは止めよう。今は落ち着いて出口に向かおう。ね?」
「……」
カレンは純粋にロロの事を思い、アイシャは今後の事態の為、要するに二人は自分達は本当に気にしてはいないから、焦らずに落ち着いて行動しようとロロに促すつもりで言ったようだ。
「悪い……本当はお前達の言っている事とはまったく別な事を考えていたんだけどよ……」
気を遣わせてしまったと悟ったロロは歩く速度を緩め、カレンとアイシャの両方に目を配り、二人もロロの歩く速度に合わせるように同じく速度を緩める。
「でも、焦っていた事は確かだな……けど、お前達の御かげで気分が晴れたよ」
険しいなった表情は消え、今度は清々しい顔になったロロは、二人を見詰めて、ニヤッと笑顔を見せる。
「ありがとな、カレン! …それとアイシャも!」
「うん!」
「感謝される程の事は言ったつもりはないけど……でも気持ちは有り難く受け取って置くよ」
素直に礼を言うロロにカレンも素直に受け取るが、アイシャはそこまで求めて言った訳では無いらしく、これも遠回しで受け取る。
「「「!」」」
すると、話しながら歩いている三人に通路の一本の曲がり道が現れ、その通路の奥を覗いて見るとある物が目に入った。
「あれは……!」
カレンは目を見開いた、そこには曲がりに道の通路の奥に更にまた曲がり道に光が差し込んでいた、その光は浄化石の光では無く、太陽の光だった。
「出口だ!」
曲がり道の更に奥の曲がり道に外からの日差しが差し込んでおり、それを見たロロは外に繋がる出口だと確信して、反射的に身体が前に出て、二人より一歩先に駆け出した。
「あっ! ロロ、待ってよ!」
一人で駆け出したロロに追い掛けるようなカレンは名前を呼び掛けて、同じく小走りで駆け出し、アイシャも続くように駆け出す。
「間違いねぇ! あれは地上の光だ!」
ロロはやっと地上に戻るのが嬉しいらしく、今日、『水底の洞窟』を抜けた時と同じぐらいの嬉しさが込み上げ来たみたいだった……しかし
「「「!?」」」
突然三人の耳に、不可思議な音が入って来た。
「お、おい、この音は?」
シャーーーーーーっと、まるで車輪が高速回転で壁を磨り削っているかのような音が突如、前触れも無く地下水道内に響き渡る。
「アイシャ、一体これは……」
「しっ! 静かに!」
地上の光が差し込む曲がり道まであと数十メートルのところ、急に何処からか響いて来た謎の音によって、三人は足を止めてしまい。カレンはこの音の正体をアイシャに尋ねようとしたが、その前にアイシャから静かにするように口止めされる。
「……」
神経を研ぎ澄ますように両目を瞑り、声や息も出さず、地下水道内に響く、謎の音が何処から聞こえて来るかをアイシャは探り当てようとしていた。
「この通路の奥から……!」
ゆっくりと目を開けたアイシャは光が差し込む曲がり道を通り過ぎた奥の通路に目を向けて、二人に聞こえるように言う。
「この奥に……!?」
アイシャの視線に釣られて、カレンとロロは三人揃って、謎の音の発振先と思われる数十メートル先の出口である曲がり道を通り過ぎた更に奥の通路に目を向ける
「……!?」
三人は眼を凝らして、通路の奥を見詰め続けると、ロロだけがある物を捉えた。
「何だ、あの光?」
「「え?」」
カレンとアイシャには見えていないようだが、ロロには微かではあるが、二人の目では見ない距離にそのある物を肉眼で捉えていた。
「何が見えるの!?」
自分の目では見ない物を見えているロロにアイシャは、それが一体何なのかを問い掛けた。
「浄化石とは違う……違う光が幾つも見える」
ロロの目には、この地下水道内を照らしている浄化石の光の中に違う光が幾つも混じっていると映っているようだ。
「赤い……光?」
その幾つもの光は赤い色だとロロは小さく呟く。
「(……気を付けろ! ……大きい何かが来る!)」
「!!」
身体に電撃が走ったかのようにまたあの謎の声がカレンの頭の中に響いた。
「く、来るって、また何か来るの!?」
『水底の洞窟』の時と同じように謎の声が何かが来ると一方的に警告を知らせに来て、また不意を突かれたカレンは思わず、声を上げてしまう。
「! ……カレン?」
誰かと話しているみたいに急に喋り出したカレンにアイシャは目を見開いて、どうしたのかと名前を呼んで、気は確かかと確かめようとした。
「! 光が……近付いて来る!?」
二人を余所にロロは、その赤い幾つもの光が自分達の方へ近付いていると気付く。
「近付いて来る?」
異変に気付いたロロにアイシャは、さっきのカレンの言動は一先ず置いといて、再び奥の通路に目を向ける。
「あれ? 音が大きくなって来る?」
釣られてカレンも奥の通路に目を向けると、今でも地下水道内で響いている不可思議な音の音量が大きくなっていると気付く。
「そ……そういえば、そうだな! あと、何か揺れも起きてないか?」
音が前によりも五月蠅いとカレンの御かげで気付いたロロは次に地下水道内が揺れていないかと辺りを見渡して言う
「確かに……揺れている!」
しゃがんで地面に真っ直ぐ伸ばした人指し指を当てて、揺れを感知したアイシャ。
「あっ! 光だ!」
するとロロにしか捉えきれなかった赤い光が、カレンに捉えきれる程に近付いていた。
「(もしかしてさっきの声が言っていた、大きい何かって……あれの事か?)」
警告のように謎の声が知らせに来た内容を思い出したカレンは、やっと自分にも捉える事が出来た光が、内容の本命である〝大きな何か〟ではないかと思い付く。
「ま、まさか……あれって……!?」
「?」
二人が赤い光を肉眼で見える距離なった途端、二人よりずっと奥の方でも目が利くロロには何かが見えたのか、顔色が曇り、カレンは何を見てそんな反応をするのか、今ロロの眼が捉えている物は一体何なのか、予想が付かなかった。
「アイシャはあれって……」
「多分、今ロロが想像している物と一緒の物だと思うよ」
遠い通路の奥に光る赤い光の正体が分かったのかロロはアイシャの意見を聞こうと声を掛けると、言われる前に悟ったのかアイシャは気が利くように今、自分と想像している物と同じだと答える。