↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

聖女にも休暇はあります。神殿との契約書に書いてありましたので三十日いただきます

掲載日:2026/10/26

 聖女の朝は早い。


 日の出前に起き、聖堂で祈りを捧げ、朝の結界を張り替える。昼は病人の祝福、夕方は収穫祭の準備、夜は再び祈り。


 それを六年間、休みなく続けてきた。


「ミリア様、お疲れではありませんか」


 護衛騎士のユストが、聖堂の扉の前で声をかけてくれた。生真面目な青年で、六年間、毎朝私より先に扉の前に立っている。


「ありがとう、ユスト。大丈夫よ」


 大丈夫、と答えるのが癖になっていた。


 けれどその日、聖堂の鐘が鳴り終わる頃、私の足はふらついた。


「ミリア様!」


 ユストが支えてくれて、床に座り込む寸前で踏みとどまった。


「すみません、少し、立ちくらみが」


「少しではありません。顔色が真っ白です。神殿の医師を呼びます」


「呼ばなくていいわ。ただの寝不足」


 そこへ、威厳のある足音が近づいてきた。


「何を騒いでいる」


 王太子殿下だった。私の婚約者であり、聖女の後見人でもある方だ。


「殿下。ミリア様がお加減を悪くされて」


「また、か。聖女の務めは祈ることだ。祈る体力くらい、自分で管理するのが聖女だろう」


 殿下は私を見下ろし、あきれたように肩をすくめた。


「いいか、ミリア。聖女は国の守り手だ。休んでいる暇などない。他の令嬢たちは、遊びたい盛りでも我慢しているんだ。君だけが特別ではない」


 特別ではない。


 その言葉を、私はもう何度も聞いてきた。


 けれど、その日の私は、不思議と頭が冴えていた。ふらつく体の底で、一つの記憶が浮かび上がったのだ。


 神殿に入ったばかりの頃、読まされた契約書。


 分厚い羊皮紙の束。最初の一ページを読んだところで、神官に「時間がないから、署名だけでいい」と言われた。


 私は、あの契約書を、最後まで読んでいない。


「……殿下。ひとつ、お願いがございます」


「何だ」


「神殿との聖女契約書を、読み直させていただきたいのです」


「そんなもの、何のために」


「確認したいことがありまして」


 殿下は面倒そうに手を振った。


「好きにしろ」


 ◇


 その夜、私は神殿の書庫から契約書の写しを借り出し、燭台の灯りのもとで、一枚ずつめくった。


 長い。細かい。難しい言い回しばかり。


 けれど、六年分の疲れは、思ったより頭を冴えさせていた。


 そして、第九条で、手が止まった。


 『聖女は、初代聖女ハリエットの定めに従い、年に三十日の休暇を取得する権利を有する。休暇中の結界維持は、神殿が責任をもって代理聖女を手配して行うこと』


 三十日。


 年に三十日の休暇。


 六年間、一日も取っていない。


 第十条には、さらに続きがあった。


『代理聖女の名簿は、神殿長が毎年更新し、聖女に開示すること』


 そんな名簿、見たことがない。


「ユスト」


 隣でうたた寝していた騎士を起こす。


「神殿に、代理聖女の名簿はあるかしら」


「代理聖女? 聞いたことがありませんが」


「ない、ということね」


 私は、にっこり笑った。


 これは、使える。


 ◇


 翌朝、神殿長の執務室に、契約書を持って乗り込んだ。


「聖女ミリアです。休暇の申請に参りました」


「休暇? 何を馬鹿な」


「第九条です。年に三十日の休暇の権利があります。六年間未取得ですので、請求できる分は多々ありますが、今回は今年分の三十日のみ、いただきます」


 神殿長は、顔色を変えた。


「そ、そんな条項は存在しない」


「こちらに」


 私は第九条を指で示した。神殿長が震える手で羊皮紙を受け取り、読む。


 顔が、みるみる白くなっていく。


「それから、代理聖女の名簿の開示を求めます。第十条です」


「それは、その」


「ないのですか」


「準備中で」


「六年間、準備中だったのですね」


 にこやかに言うと、神殿長は黙り込んだ。


 その横で、殿下が割り込んでくる。


「馬鹿馬鹿しい。ミリア、君が休めば国の結界はどうなる。誰が守るんだ」


「ですから、神殿が代理聖女を手配する義務があります。契約書にそう書いてあります。もし手配できないのでしたら、それは神殿の契約違反です」


「しかし」


「殿下」


 私は、真っ直ぐ殿下を見た。


「聖女は国の守り手だと、昨日おっしゃいました。そのとおりです。ですが、守り手を守る仕組みを作るのは、神殿と、後見人である殿下の務めではありませんか」


 殿下は、返す言葉を失った。


 私は一礼して、部屋を出た。


「それでは、本日から三十日間、休暇に入ります。ごきげんよう」


 ◇


 休暇一日目、私は港町ハーベンへ向かった。


 馬車の窓から見える海が、きらきら光っている。


 六年ぶりの海だった。


 護衛はユストだけ。騎士の制服ではなく、普通の旅装で、荷物を持ってくれている。


「ミリア様、本当に良いのですか」


「ええ。休暇ですもの」


「しかし、神殿は大変なことになっているのでは」


「それは、神殿のお仕事です」


 ユストは、小さく笑った。


「ミリア様がそんなことを仰るのを、初めて聞きました」


「私も、初めて言いました」


 二人で、笑った。


 港町での日々は、穏やかだった。朝は遅くまで眠り、昼は海辺で貝殻を拾い、夜は宿の屋上で星を見上げる。


 聖女ではない、ただのミリアとして過ごす時間。


 それが、こんなにも楽しいものだと、すっかり忘れていた。


 ◇


 一方、王都では。


 らしい、とユストが手紙で教えてくれた。


 私が出発して三日目、神殿は慌てて代理聖女の手配を試みた。ところが、名簿が存在しない。急遽、見習い神官の中から数名を選んで祈らせたが、結界の強度は半分以下になった。


 一週間後、王都の外れで小さな魔獣が出没し、市民の不安が広がった。


 二週間後には、収穫祭の祝福が行われず、農民たちが神殿に押しかけた。


 三週間後。


 殿下自らが、祈りの間に立った。


 聖女の代わりに祈ってみろと、神殿長に言われたのだという。


 殿下は祈りの間に入り、五分で眠りこけた。


 六年間、私が毎日続けてきたことの重みを、彼はようやく理解したのかもしれない。


 ◇


 休暇の最終日、私は宿の屋上にいた。


 夕日が海に沈んでいく。


 隣では、ユストが静かに海を眺めている。


「明日、王都に戻ります」


「ええ」


「戻ったら、神殿に条件を出します。代理聖女の制度の整備と、年三十日の休暇の完全取得。それから、一日の祈りの時間の上限」


「通るでしょうか」


「通します。契約書に書いてありますから」


 ユストは小さく笑った。


 それから、少しだけ息を吸って、続けた。


「ミリア様。一つ、お伝えしたいことがあります」


「はい」


「俺は、六年間、毎朝あなたの扉の前に立っていました。その間、一度も、あなたが休むところを見たことがなかった。今回の三十日間、あなたが笑っているのを見て、俺は心から嬉しかった」


 夕日が、彼の横顔を照らしている。


「聖女としてではなく、あなた自身を、これからも守りたいと思っています」


 私は、言葉に詰まった。


 でも、返事はもう決まっていた。


「次の休暇も、一緒に来てくれますか」


「喜んで。年に三十日、必ず」


「では、決まりです」


 海風が、頬を撫でる。


 六年間、祈り続けてきた私が、初めて自分のために願ったことは、とても小さくて、とても温かいものだった。


 契約書の第九条は、今日から私の宝物になった。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

少しでも楽しんでいただけましたら、下の☆☆☆☆☆から評価をいただけると、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。