幼馴染の聖女と距離が近すぎるせいで毎日査問会です
「──以上が、本日付で提出された『聖女ファランシア様に対する過剰な身体的接触および、精神的毒培養容疑』の全容だ。被告人、王宮騎士パト。何か弁明はあるか?」
大理石の床に膝をつく僕、パト・ストレンジに向かって、冷徹な声が降ってくる。声を響かせているのは、王国騎士団長にして伯爵家当主、ギャザリア・グレイロード卿。
その切れ長の瞳は、僕を完全に『無罪放免にしてはならない害虫』としてロックオンしていた。
ちなみに、僕の背後からはさらに二つの、殺気にも似た強烈な視線が突き刺さっている。
第一王子・ルードヴィヒ殿下(文武両道、次期国王最有力)。
第二王子・エドワルド殿下(稀代の魔導の天才、超絶美形)。
王国の最高権力者三人が一堂に会するこの贅沢な空間の名前は、通称「パト・ストレンジ弾劾裁判所」。……嘘。ただの王宮第一会議室だ。
そして、この胃に穴が空きそうな査問会は、なんと今週に入って四回目である。
「……弁明、と言われましても。僕はただ、ファランシアに頼まれて彼女の髪に絡まった木の実を取っていただけでして……」
「黙れパト!」
エドワルド殿下が机を叩いて立ち上がった。美貌の顔が嫉妬で歪んでいる。
「ファランシアの絹のごとき金髪に触れるなど万死に値する! しかもその際、君は彼女の耳元で何か囁き、彼女を赤面させただろう! 何を吹き込んだ!」
「『今日の昼飯、食堂のサバ味噌煮定食だってさ』と伝えただけです! 彼女が赤くなったのは、単にヨダレが出そうになったのを誤魔化すためかと」
「言い訳は見苦しいぞ、パト」
今度は第一王子ルードヴィヒ殿下が、冷え切った紅茶のカップをソーサーに置いた。カチャリ、という音が不吉に響く。
「ファランシアは純真無垢な聖女だ。君のような、ただの幼馴染という特権に胡坐をかいた男の、不埒な下心が理解できていないのだ。これ以上彼女を惑わすというなら、私にも考えがある。……例えば、来月から最北の凍土へ長期派遣、とかな」
(職権乱用だ──!!!)
心の中で血の涙を流しながら、僕は平伏した。
僕だって好きで聖女の近くにいるわけじゃない。いや、幼馴染として彼女のことは大切だし、可愛いとも思う。
だが、周囲の男たちのスペックが狂っているのだ。
王子二人と、若き天才騎士団長。全女子の憧れを凝縮したような男たちが、こぞってファランシアを狙っている。
それなのに、当の本人が……。
「パトーー! 迎えにきちゃった!」
バン、と豪快に会議室の扉が開いた。
現れたのは、光を紡いだようなプラチナブロンドの髪に、吸い込まれそうなアメジストの瞳。歩くだけで周囲に癒やしの粒子が舞い散るかのような美少女──この国の象徴にして、僕の幼馴染、聖女ファランシアだった。
「あ、ファランシア様……!」
さっきまで魔王のような顔をしていた三人の男たちが、一瞬で聖歌隊を聴く信徒みたいな顔に変わる。
「みんな、今日もパトとお話ししてたの? 仲良しで嬉しいな!」
「あ、いや、仲良しというか……」
ギャザリア騎士団長が珍しく狼狽える。ファランシアはそんな男たちの威圧感など一切気にせず、トコトコと室内に歩を進めると、
「ほらパト、立って? 今日はね、街のパン屋さんで新作のイチゴタルトが出の! 早速買ってきたから、あっちで一緒に食べよ!」
そう言って、僕の腕をぎゅっと抱きしめた。
──ピキィン。
室内の温度が絶対零度まで下がった。三人の男たちの目が、完全にハイライトを失っている。
特にファランシアの豊かな胸が僕の二の腕に当たっている現状について、騎士団長の手が剣の柄にかかっているのが見えた。
「ちょ、ファランシア! 近い、近いから! 離れて!」
「えー? なんで? 昔は毎日一緒にベッドで寝てたのに、最近パト、冷たいよ?」
「ベッドだと!?」
「不敬罪で即刻死刑だ!!」
「うわあああ! 誤解です! 五歳の実家の時の話です!!」
僕はファランシアの手を引いて、命からがら会議室から逃げ出した。背後から放たれたエドワルド殿下の追尾型火球を、間一髪で避けた自分を褒めてあげたい。
◇ ◇ ◇
王宮の裏庭。大きな楠の木陰にあるベンチは、僕たちの秘密の特等席だ。ここまで逃げてくれば、さすがに王子たちも公務があるため追っては来られない。
「ふぅ……美味ちい!」
ファランシアは口の端に生クリームをつけながら、幸せそうにイチゴタルトを頬張っていた。さっきの修羅場など、彼女の脳内からは一秒で消去されたらしい。
「はぁ……ファランシア。お願いだから、人前で僕にベタベタくっつくのはやめてくれ。僕の命がいくつあっても足りない」
「えー。でも、私はパトの隣が一番落ち着くんだもん。あの人たち、いっつも難しい顔して『ファランシア様、今宵の月は美しいですね』とか『君の瞳に乾杯』とか言うんだよ? 意味わかんない」
「それは求婚一歩手前のアプローチだよ……」
本当に、この聖女様は自分の価値というものを分かっていない。彼女の「奇跡の力」は本物だ。
どんな重病も一瞬で癒やし、干上がった大地に恵みの雨を降らせる。
その高潔な姿から国母の再来とまで称えられているのに、中身は昔と何も変わらない、ちょっと食いしん坊で呑気な田舎娘なのだ。
「私はね、パトとこうして普通にお喋りしてる時間が一番好きなの」
ファランシアはタルトをパクリと食べ終えると、ふにゃりと柔らかく微笑んだ。その笑顔があまりにも無防備で、不覚にもドクンと心臓が跳ねる。
「……ずるいだろ、そういうこと言うの」
「ん? なに?」
「なんでもない。ほら、口元にクリームついてるぞ」
僕はポケットから清潔なハンカチを取り出し、彼女の頬に触れた。昔からの癖で、つい自然にやってしまった。
「あ……」
ファランシアの動きが止まる。アメジストの瞳がじっと僕を見つめ、その白い頬が、夕焼けのようにぽっと赤くなった。
「……パトの手、あったかいね」
「え? あ、ああ。騎士団の訓練で、年中動かしてるからな」
「ううん、そうじゃなくて。パトの手は、昔から私を安心させてくれる特別な手なの」
彼女は僕の手の上から、自分の小さな手を重ねてきた。細くて、柔らかくて、僕の手とは大違いの綺麗な手──。
「……ファランシア」
「あのね、パト。私ね、聖女になんてなりたくなかった。急に偉い人たちに囲まれて、綺麗なドレスを着せられて、みんな私を『聖女様』って崇める。……でもね、パトだけは、最初から今まで、ずっと私を『ファランシア』って呼んでくれるでしょ?」
上目遣いで僕を見る彼女の瞳は、少しだけ潤んでいた。王宮という伏魔殿で、彼女なりに孤独やプレッシャーと戦っているのだろう。
それを知っているから、僕は彼女を突き放せない。
「当たり前だろ。お前がどれだけ偉くなっても、僕にとっては、近所のガキ大将に絡まれて泣いてたファランシアのままだよ」
「もう! 泣いてないもん! ……でも、ありがとう。大好き、パト」
そう言って、彼女は僕の肩に頭を乗せてきた。ふわリと、神聖な、だけどどこか甘い花の香りが鼻腔をくすぐる。
(……あ、これ、キュンときてる。僕、完全にキュンときてるな)
自覚した瞬間、顔が熱くなる。だが、そんな甘い雰囲気は、草むらが、ガサリ! と揺れたことで一瞬にして霧散した。
「……見つけたぞ」
冷徹な、しかし確実に怒りで震える声。木陰から現れたのは、書類の束を持ったギャザリア騎士団長だった。
その背後には、笑顔なのに目が全く笑っていないルードヴィヒ殿下と、魔導書を開いたエドワルド殿下がスタンバイしている。
「パト・ストレンジ。聖女ファランシア様に対し、今度は『肩枕の強要』および『精神的籠絡』を謀ったな」
「違っ、これは彼女が勝手に──!」
「問答無用! 即刻、第二査問会を執り行う! 連れて行け!」
「ひええええええ! 助けてファランシアーー!!」
騎士団の屈強な男たち──なぜか全員涙目での嫉妬混じり──に両脇を抱えられ、僕は引きずられていく。
「あ、パト! タルトのゴミ、片付けといてねー!」
手を振るファランシアの呑気な声が、遠ざかる意識の中で響いていた。
◇ ◇ ◇
そんなドタバタな毎日が続く中、王宮に激震が走る事件が起きた。隣国との国境付近に、大型の魔獣が出現したのだ。
騎士団長をはじめ、二人の殿下も前線へ指揮に向かうことになり、王宮の警備は手薄になった。
さらに、その夜は激しい嵐。不穏な雷鳴が轟く中、僕は聖女の居住区画の警備についていた。
(……さすがに今日は査問会はなさそうだな。胃が休まる……)
ほっと息をついたその時、聖女の部屋の扉が細く開いた。
「パト……?」
白いネグリジェ姿のファランシアが、不安そうに顔を覗かせていた。いつもは結んでいる髪が肩に流れていて、なんだか急に大人っぽく見える。
「ファランシア? どうしたんだ、こんな夜更けに。起きてたら体に触るよ」
「雷が、すごくて。……あのね、ちょっとだけ、お部屋に入って?」
彼女の肩が微かに震えているのを見て、僕は断る言葉を失った。
聖女の寝室に侵入なんて、平時なら即座に打ち首案件だが、今は非常時だ。僕は周囲を警戒しながら、静かに彼女の部屋へ足を踏み入れた。
部屋の中は、キャンドルの柔らかな光に包まれていた。外の嵐の音が、厚いカーテン越しに低く響いている。
「怖かったのか?」
「うん。……聖女になってからね、いろんな人に『守ってやる』って言われるの。でもね、みんなが守りたいのは『聖女としての私』でしょ? もし私が奇跡を使えなくなったら、誰もいなくなっちゃうのかなって、嵐の夜はいつも考えちゃうの」
ベッドの上に膝を抱えて座るファランシアは、ひどく小さく見えた。
昼間の天真爛漫な姿からは想像もつかない、彼女の心の奥にある、本当の弱さ──。
僕はベッドの脇に跪き、彼女の目線に合わせた。
「そんなことないよ」
「え……?」
「もしお前が奇跡を使えなくなって、聖女じゃなくなっても、僕はここにいる。お前がただのファランシアになっても、僕は毎日、食堂のサバ味噌煮定食のメニューを教えに行くし、イチゴタルトの新作が出たら並んで買ってやる」
ファランシアは目を見開いた。
「……本当に?」
「ああ。僕は王宮騎士だけど、お前を守る時だけは、騎士の義務じゃなくて、僕自身の意志で動いてるんだ。だから、一人で怖がるな。僕がずっと、お前の幼馴染でいてやるから」
僕がそう言うと、ファランシアの瞳から、ぽろぽろと大きな涙が溢れ出した。
「パトのばか……! 遅いよ、そういうこと言うの!」
彼女はベッドから飛び出すようにして、僕の首に抱きついてきた。衝撃で後ろに倒れそうになるのを、必死で堪える。
今度は、僕の手もしっかりと彼女の背中に回っていた。嵐の音も、雷の光も、彼女の温もりと、トクトクと刻まれる心音のせいで、すべて遠くに消えていく。
「私、パトが大好き。他の誰が何を言っても、パトだけが私の特別なの」
耳元で囁かれた言葉に、僕の心臓は爆発しそうだった。これはもう、幼馴染の距離感じゃない。
完全に一線の向こう側だ。
「……ああ。僕も、お前が特別だ、ファランシア」
僕たちは、嵐の闇の中で、静かに、だけど確かに、お互いの気持ちを確かめ合った──不埒なことは断じてしていない──のだった。
◇ ◇ ◇
翌朝。魔獣の討伐は無事に終わり、騎士団長や王子たちは早朝に帰還した。昨夜の嵐が嘘のように、青空が広がっている。
そして──。
「──よって、被告人パト・ストレンジを『聖女居室への不法侵入および、過剰な精神的・身体的密着罪』により、極刑に処すべきであると提案する!」
いつもの第一会議室。いつも以上の怒髪天を突く勢いで、ギャザリア騎士団長が書類を机に叩きつけた。
隣では、ルードヴィヒ殿下が氷のような笑みを浮かべ、エドワルド殿下は「今度こそ灰にしてやる」と言わんばかりに両手に魔力を込めている。
──なぜバレた? 誰も見ていなかったはずなのに。
──あ、そうか!
聖女の部屋の前に設置されている防犯用の魔導録画の存在を忘れていた。
「パト。何か言い残すことはあるか? 昨夜、我が国宝たるファランシアの寝室に、深夜二時まで滞在した言い訳を、是非とも聞こう」
ルードヴィヒ殿下の声が、地獄の底から響く。
「……あれは、その、聖女様が雷を怖がっておいででしたので、騎士として精神的ケアを……」
「黙れ! 私が添い寝してやればよかったのだ!」とエドワルド。
「お前が添い寝したら別の犯罪だろうが!」とギャザリア。
会議室が嫉妬の嵐で混沌とする中、またしても救世主(?)が扉を蹴り開けた。
「もーう! 朝からうるさいなぁ!」
ぷんぷんと怒りながら入ってきたファランシアは、まっすぐに僕の元へと歩み寄る。そして、跪く僕の隣に、なんと自分もちょこんと膝をついて座り込んだ。
「ファ、ファランシア様!? 何をされておいでですか、ドレスが汚れます!」
慌てる騎士団長。しかしファランシアは僕の腕をぐっと引き寄せると、自分の両手でしっかりとホールドした。
「みんながパトをいじめるなら、私もパトと一緒にここにいる! 私ね、パトと離れるの絶対に嫌だから!」
「なっ……!?」
「それにね! 私、将来はパトのお嫁さんになるって、昨日決めたんだもん!」
「「「はあああああああああああ!?!?!?」」」
会議室に、男たちの絶叫がこだました。第一王子の顔は青ざめ、第二王子の魔力は暴走して天井を焦がし、騎士団長はショックのあまり白目を剥いて倒れかけている。
「ちょ、ファランシア! 唐突すぎるし、みんなのライフはもうゼロだよ!?」
「えー? だって本当のことだもん。ね、パト?」
ファランシアは、いたずらが成功した子供のように、いたずらっぽく、そして最高に愛らしくウインクしてみせた。
周囲からの殺気は、これまでの人生で最大風速を記録している。僕の明日の生存確率は、限りなくゼロに近いかもしれない。
だけど──。
腕に伝わる彼女の確かな体温と、嬉しそうな笑顔を見ていると、「まあ、これだけ可愛い幼馴染のためなら、毎日査問会にかけられるのも悪くないか」なんて、麻痺した思考で思ってしまうのだった。
「よしパト、査問会が終わったら、今日は中庭でピクニックね!」
「……はいはい。その前に、僕が五体満足でここを出られたら、ね」
聖女様と距離が近すぎる僕の受難の日々は、これからも──胃薬と共に──続いていく。
おしまい
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