6 白狐の祠
Ⅰ
坂巻畳店は明治初年に創業した老舗の畳屋である。坂巻朗はその五代目の店主だが、最近では息子の六代目にほとんど仕事を任せ、半分リタイアと言った格好だ。生まれ育った地域を愛している彼は、地元の役に立ちたいという思いから消防団に所属してきたが、昨年その分団長に就任した。今年定年なので永年の労に報いるという意味もあったのだろう。感謝の思いも込めて、彼は暇な時間に町内を歩いて「火の用心」を呼びかけている。防犯パトロールの意味もある。その彼が最近気になっていることがあった。二週間ほど前から、吉岡邸のあたりにたむろする人数が明らかに増えたように感じられるのだ。
吉岡邸というのは、美術商の吉岡弥太郎が建てた屋敷で、広大な敷地の中にある広壮な洋風建築である。かつては屋敷のそばに立つ、ひときわ大きなくすの木にちなんで、「楠御殿」と呼ばれていたことがあったが、今はそのくすも埋もれてしまうほどに、高木が林立しており、塀の外からは中の様子がほとんど窺い知れない。
吉岡邸は外観こそ純洋風だが、内部に意外なほど広い日本間があるため、坂巻畳店にとっては上得意だった。当主の弥太郎が亡くなったのは、十年と少しくらい前だったろうか。今、屋敷は息子の次郎という青年が相続している。この次郎のことも、坂巻は子供のころからよく知っていた。素直で利発な、かわいらしい子だった。弥太郎が亡くなった時には、家業は既に傾いており、結局次郎にはどうにもできなかったようだ。当然屋敷は売りに出されると思っていたのだが、そうはならず、今も次郎がその家で暮らし続けている。屋敷を維持するだけでも相当な経費が掛かるだろうに、どうやって捻出しているのだろう。
その次郎ももう三十代になっているはずだ。時々、コンビニエンスストアなどで見かけるが、見たところは元気そうである。本当にどこにでもいる青年で、彼があんな大邸宅の主人だとは誰も気付くまいと思う。坂巻は職業柄、どうしても畳のことが気になるので、
「畳表だけでも、そろそろ替えた方がいい時期だと思うんですが……」と遠慮がちに言ってみたことがあった。
「すいません、今まだなかなかそこまで手が回らなくて……。今度頼むときは、必ず小父さんの所にお願いしますから」と、次郎の方がむしろ恐縮するようだったので、坂巻もそれ以上立ち入った事情は訊けなかった。
昨年の夏ごろだったか、夜間の見回りをしている際、吉岡邸の周囲だけ灯火が一つも灯っていないことに気付いた。節約のためなのか、電気を止められているのか。以来ずっと灯りは灯されていないようだ。だが、そうなると余計に治安の心配が増してくる。
空き家や廃墟は犯罪の温床になりやすいのだ。吉岡邸は空き家ではないが、あの広大な敷地は次郎一人では到底目が届かないだろう。電気も止まっているくらいなら、警備会社との契約も打ち切られているに違いない。遊び半分で侵入した輩が、タバコの火の不始末で火事を出すようなこともあるかもしれない。むしろこの十年間、そういうことが一度もなかったことの方が奇跡的だとさえ思えるのだった。その存在が外からは窺い知れないとはいえ、何かこの家自身に、人を寄せ付けないような不思議な力が備わっているようにすら、彼には思えた。
ところが、二週間ほど前から、明らかにこの辺りにやって来る人が増えたのだ。小型のドローンが飛んでいるのもよく見かけるようになった。彼は一度、実際にリモコンを操作している青年を見つけて注意したことがあった。法規制にかからない小型のものだから問題ない筈だと主張するその青年に対して、私有地の個人宅の上空を飛ぶのは問題があるのではないかと指摘したところ、
「えっ、ここって人が住んでいるんですか。てっきり公園か何かだと思ってました」と返された。空惚けているのか、本当にそう思っていたのかはわからなかった。
考えあぐねた坂巻は「先生」に相談してみようと思いついた。「先生」とは、時任晋吾という建築家のことである。坂巻より歳はだいぶ若いが、敬意をこめて「先生」と呼んでいるのだ。まだ弥太郎が存命の頃、屋敷の和室部分の改修をした際に一緒に仕事をして以来、歴史好きという共通の趣味があることもあって馬が合い、ずっと親しくしている。実は吉岡邸の設計をした時任威一郎は、彼の祖父なのである。そのせいもあって、彼は吉岡邸の現状に常に関心を寄せているはずだった。
電話をすると、驚いたことに時任も既に事態を把握していた。坂巻に連絡してみようと思っていたところだという。
「実は僕のところにたびたび匿名のメールが来てましてね。吉岡邸周辺の近況を伝えてきているんですよ。例えば屋敷の前の道の通行量が、四月の第一週は一時間当たり20.3人だったのが、第二週は116.5人になっているとか。最近ドローンが吉岡邸上空に飛来するようになり、その回数も増えているとか。そのドローンで空撮したと思われる吉岡邸の動画が、投稿サイトで少なくとも七本確認されているとかね。実際僕も動画を見てみたよ。他にも、不動産業者を名乗る男が頻繁に出入りしているという情報もあった。」
「匿名のメールてえのは、迷惑メールってえ奴じゃねえんですかい?」
坂巻はパソコンをやらず、携帯電話もいまだにガラケーである。店のホームページはあるが、管理運用はすべて息子と、その妻の節子に任せている。
「念の入ったことに、前もって大学時代の恩師の名で封書が来てましてね。そういうメールが来るはずだから注意して読むようにと書いてあったんです。恩師はとっくに鬼籍に入っているんだが」
「キセキ……?」
「もう亡くなってる」
「それじゃあ、まるきりイカサマじゃねえですか」
「そうなんだが、そこまでやられると気になってね。それで近いうちに実際に見に行こうかと思っていたところなんです。それじゃあさっそく明日、親方んとこに伺うよ」
そこでその翌日の昼過ぎ、坂巻は店にやって来た時任と一緒に見回りに出た。時任は黒っぽいタートルネックの上に茶系のツイードのジャケットと、下はコーデュロイのパンツという、お決まりの服装である。たまに雑誌などに載るプロフィール写真も常にこのコーディネートだ。坂巻はといえば腹掛けの上に、「坂巻畳店」と染め抜かれた法被という、これも見回りの際の定番のいでたちだった。もちろんこれは店の宣伝も兼ねているのである。そんな二人が吉岡邸の近くまでやって来ると、川沿いの道に若い男女が二十人ほどもたむろしていた。
「いやあ、これは聞きしに勝る盛況だなあ」と時任が言う。そこにいる全員が代わる代わるに飛び上がっては、塀の中を覗こうとしているようだ。「やった、見えた」という声が聞こえた。
「何が見えるんですか」と時任は尋ねてみた。
「風見鶏。今話題になってるんです。あれが見えるとその日は一日良いことがあるって」と一人の男性が言い、
「下の矢まで見えたら、もっといいのよね。矢が向いてる方角が吉方だって」と隣の女性が付け加えた。どうやらそういう話が広まっているらしいが、時任には滑稽としか思えなかった。坂巻も呆れたように、
「しかし、今日はいやにアベックが多いな」と呟く。
「アベックって」と時任が苦笑した。そういえば今日は、空にドローンの姿が見えない。
門の前では、和服の男女が自撮り棒で記念撮影をしていた。男性は羽織袴、女性は白無垢姿で、まるで結婚式の前撮りのようだ。時任が、
「すいません、ここで写真を撮るのって、流行ってるんですか?」と訊くと、
「今、みんなここで撮ってインスタに上げてます。恋人同士で撮ると幸せになれるって噂なのよね」と白い打掛を着た女性が嬉しそうに言う。紋付を着た傍らの男性の方も、
「こんな時代劇に出て来そうな門なのに、中は可愛い風見鶏がある家っていうミスマッチがたまらないんだよなあ。僕ら結婚式してないもんで。記念にここで結婚写真を撮ろうぜって話して、群馬県からわざわざやって来たんです」と言った。
と、その時突然門扉が開くと、中からサラリーマン風の男が出て来た。グレーのジャケットに紺のスラックス、臙脂のネクタイというどことなくアンバランスな服装をしている。時任はその前に立ちふさがると、
「すいません、吉岡次郎さんに会いに来た方ですよね。ここに日参なさってるようですね。次郎さん、今日はいらっしゃいました?」と訊いた。男はちょっと面食らったようだったが、
「いえ、私は不動産屋なんですけど、残念ながら今日は会えませんでした。多分家の中にはいらっしゃると思うんですけど。まあ、三回に一回会えればまだいい方なんで……」と答えた。
「出来たらお名刺を一枚いただけませんかね。僕は建築家で時任晋吾という者です。一応建築学会賞を獲ってます。それとこちらは地元の畳店のご主人です。お近づきになっておいても損はないと思いますが」
「ああ、すいません。ちょうど今名刺を切らしてまして…… 私、タカハシと申します」
「怪しいなあ、あんた。この業界で時任先生を知らなかったらモグリだろうよ。もしかしてあんたあれじゃねえのかい。なんてったっけ、地面師?」
坂巻の言葉に反応して、辺りにいた人々がこちらを見た。地面師というのは、土地売買に関わって詐欺を行う者のことである。数年前、都心に近い一等地の旅館跡地をめぐる巨額詐欺事件があったのは、記憶に新しいところだった。
「そういえば、例の事件では被害にあった企業は確か50億以上も騙し取られたんでしたね。お宅の会社はこちらの土地の買い取り額として、いくら提示したんですか。やっぱり同じくらいかな。後学のために教えて下さいよ」と時任が畳みかける。男は溜息を吐いた。
「参ったなあ、まあ、後は報告書を書くだけだからもういいか。確かに僕が不動産屋だというのは嘘です。でも僕は詐欺師なんかじゃありませんよ。実は興信所の者でして。ここへは調査のために来ていたんです。もちろん調査対象も依頼主も教えられませんけどね。守秘義務がありますから。もういいですか。それじゃあ」と言って小走りに去って行った。残された坂巻と時任は、思わず顔を見合せた。
Ⅱ
「一体、あの家の周りで何が起こってるってんでしょうねえ」と坂巻が言った。二人は坂巻の自宅兼店舗の茶の間にいた。テーブルには緑茶とお茶請けの羊羹が出ている。
「よくわからないですねえ。とにかくこれに関わっているのは一人じゃない。少なくとも二人以上の人間の意志が働いている気がするなあ。それでそれがきちんとコントロールできているのかどうかもわからない」
「あたしは、誰かが騒ぎを大きくして、そのどさくさに何かしようとしているような気がしてなんねえんですが」
「陽動作戦ね。確かにその可能性もあるが……」と言ったきり、時任は黙り込んだ。坂巻は気になっていたことを訊いてみることにした。
「ところでなんですが、先生はあたしよりあの家については詳しいですよね。あの家には何かいわくがあるってえ人がいるんですが。『秘密』があるんだって言う人もいやした。あたしの親父なんかもなんだか昔そんなことを言ってたけども。一体全体何があるってんですかね?」
時任は羊羹を一口齧ると目を閉じた。それから、
「秘密というほどのものはないと思うんですが。まず、あの家自体はそんなに古くないです。最初からレトロな、古色を帯びたデザインになっているんですね。一九七八年頃から建築が始まって、八十年に竣工したんだから。まだたったの四十年と少し。僕は小さい頃におじいさんに連れられて、屋敷が立つ前から何度もあそこには行ってるんです」と語り始めた。
屋敷が建つ前後のことは坂巻も知っている。出来上がった屋敷に畳を納品したのは先代である父だ。坂巻はその頃多摩の方にある親類の畳屋で修業をしていたので、その工事には参加しなかった。
時任は語り続ける。「あの辺り一面、草がぼうぼうだった頃でね。敷地の隅に小さな祠が二つあった。一つは吉岡家の氏神で、もう一つは『白狐様』の祠だとおじいさんは言っていたな」
「しろぎつね?」
「吉岡家の土蔵から出た古い書付けに、由緒が書いてあったらしい。アルビノなのかな、実際に白い狐が現れたんだそうですよ。寛政年間というから、二百三十年くらい前の話になるね。当時は狐の穴も敷地の中にあって、注連縄が張ってあったそうです。狐と言えばお稲荷様の使いだからね、しかもそれが白いというんで結構評判になったらしいんだな。疫病退散に霊験があるというんで、江戸中から人が押し寄せたそうですよ。もともと吉岡家には代々、神霊と交信出来る人物がいたらしい。神託を人々に伝える、一種のシャーマンですね。それで周りから崇敬を集めていた。そういう家だったようです」
そんなような話は、坂巻も昔聞いたことがあった。坂巻が若い頃はまだ今の吉岡邸はなかったが、この辺りの名家として吉岡家は有名だった。白狐の話もどこか頭の隅にある。どんな話だったか思い出せないが。
「それと、今も庭にある大きな池。あれも江戸時代からずっとあった」と、時任が言った。
「ああ、あの庭にはわざわざ外の川から、水路で水を引き入れてますからねえ」
「ところが実は、昔は逆だったんです。つまりあの池が水源で、あそこから滾々と水が湧き出て川になっていたそうです。この辺りの人々は長年みんなその恩恵を受けてきていた。もうずいぶん前に涸れてしまったようですけどね。そんなわけで、吉岡邸のある辺りは昔から特別な場所だった訳です。ところで、親方はあの家の畳替えをやった時、あの家について何かに気付きませんでしたか?」
突然謎を掛けられて、坂巻は考え込んだ。
「あの和室部分はとてつもなく古い家だということですかねえ、それこそ寛政と言われてもおかしくはない。それをばらして運んできて、洋館の中に入れ込んだんですな。相当苦労したでしょうねえ」
「ところが実はそうじゃないんですよ」
「そうじゃないって?」
「ええ、親方は奥州の平泉には行ったことがありますね?」
坂巻は頷いた。古戦場めぐりが趣味なので、衣川の戦いの跡地がある平泉には何度か行っている。
「その時、中尊寺の金色堂も見ましたよね。あれと同じことなんです」と時任は言って、じらすように笑った。
坂巻は考えた。もちろん金色堂は見ている。確か国宝に指定されていた筈だ。有名な芭蕉の句があった。「五月雨の降り残してや光堂」。そうか、そういうことか。
「お気付きになりましたね。金色堂は、平安末期の建築だけど、芭蕉が『おくの細道』の旅で訪れた頃にはもう既にかなり老朽化していて、堂の周りを風雨を防ぐための覆堂で囲われて、守られていたと書いてある。覆堂は、今では鉄筋コンクリートになってますね。吉岡邸もそれと同じなんです。あの家の中の日本建築部分は移築してきたものじゃなく、それこそ二百年以上前からあそこにあのままの形で建っていたんです。七八年当時は、今にも崩壊しそうな状態でね。で、吉岡弥太郎氏の僕の祖父への依頼は、まず古い吉岡家住宅をきれいに修復して、その後それをすっぽりと覆う形で洋館を作ってくれというものだったんです。だからあれは一種の覆堂だというわけ。おじいさんは、最初に古民家部分を修復したんだけど、何しろ古民家は専門外だから大苦戦したって言ってたな。あの家は水路の上に建っているんで、土台の木なんか全部腐ってボロボロだったそうです。それでも下の水路は生かしてくれという、これも弥太郎氏のこだわりで、まず水路をしっかり作り直し、それを跨ぐようにして鉄筋コンクリートの基礎を造りました。その上に腐食に強い木を使って、新しい土台を据えたわけ。上物はできる限り以前からのものを残すようにして、なんとか風格ある名主の家を蘇らせることができた。だからあの和風建築部分こそが、本来の吉岡家住宅だったわけです」
言われてみれば、あの和室部分はそのままで一軒の家のヴォリュームがある。まさか屋根まで載っていたとは気付かなかったが。洋館の一階の天井がかなり高いのも、そのせいだったというわけか。ふと坂巻はあることを思い出した。
「だとすると、中の日本建築部分に対して、外の洋館部分は少し角度が付けてありますよね。あれはどうしてですかね?」
「そうなんですよ。洋室部分と和室部分の各辺は平行になってないんです。角度にして10度くらいずれています。10度のずれと言えば、五間9メートル先ではおよそ2メートル分になりますからね。それだけ隙間の空間が大きくなる。そこのところは僕も気になっているんですけど、どうしてそうしたのかわからない。謎のままです。おじいさんは何も教えてくれなかった」と時任は言って、また羊羹をぱくりと食べた。
時任が去った後、茶道具を片付けに来た節子に聞いてみた。
「吉岡さんの家のあたりが、最近なんとかの『聖地』とか言って若いのが集まってるみてえなんだけど、せっちゃんは何か知ってるかい」
「『幸運を呼ぶ風見鶏の家』って話題になってるみたいですね」
「俺にはさっぱり意味がわからねえんだけど」
節子は笑って、
「お義父さんは、見た目と違って現実的な合理主義者ですから」と言う。坂巻も苦笑して、
「俺らの世代は、しきたりだの迷信だのを否定するところから始まってるからなあ。俺の場合は何せ家業が家業だから、古いものも残さなきゃってんで、今日まで頑張ってきたわけだけども。だけど近頃の若いのを見てると、軽佻浮薄過ぎるというか……。昨日今日出来たようなもんに、手もなくころりと騙されちまうんじゃねえかって、どうにも危なっかしく感じるんだがなあ」と言った。
「みんなそんなに信じているわけじゃないと思いますよ。ただ楽しむことに貪欲なだけじゃないんですか」
「そうなのかなあ……。まあいいや。ああそれで、先生が言うにはあの家を空から撮った動画がインターネットで公開されているってんだけど、ちょいと見てみたいんだ。すまねえけど、探してみてくれるかい」
「お安い御用です。ちょっと待っててくださいね」と言ってお盆を持って去った節子が、ほどなくタブレット端末を手に戻ってきた。
「『風見鶏の家』で検索すると、結構沢山出てきますね。もちろん中には別の家もまじってると思うけど。これが割と最近のもので、閲覧数も多い動画ですね」と言って端末を差し出す。
画像を再生すると、まず川沿いの上空から吉岡邸に近づいて行き、上空でしばらく静止する。風見鶏が見え、次いで建物の全貌が見えてくる。そこからカメラは屋根に開いた天窓に寄ってゆき、内部の様子が写る。男と女がいる。男は次郎のようだが、はっきり識別はできない。カメラはさらに女性の方に寄ってゆく。この女性は自分の顔がネットで曝されていることに気付いているのだろうか。
黒髪で色白のまだ若い女だった。臈長けたという古い言葉が思い浮かぶ。美人といっていいだろうが、今風な感じではない、そして心なしか寂しげに見える顔。坂巻は思わず息をのんだ。「俺は、確かにこの顔を知っている」と思った。
Ⅲ
夕餉の膳には坂巻の好物が並んでいたが、何を食べても味がわからなかった。動画で見た女のことを考え続けていたからだ。正確にはあの女の「顔」を。風呂の間も考え続け、いつもは烏の行水の義父が、なかなか出てこないのを心配した節子が様子を見に来たほどだった。ついに思い出すことを諦めた彼が、寝床に入って枕に頭を付け、眼を閉じた瞬間にまたあの動画の顔が浮かんだ。「アキラくん」と耳元で呼ぶ声が聞こえてきた。そして思い出したのだった。思えば今日の昼間、時任が語った「白狐の祠」も「池」も、すべてはここにつながるヒントだったのだ。
それはずっと忘れていた幼い頃の記憶だった。当時、今の吉岡邸の敷地には、大勢の人が住んでいた。今から思えば、彼等は戦後の混乱期に不法に土地を占拠した人たちだったのだろう。辺りには小屋と呼んだ方がいいような粗末な住居がいくつも点在していた。空き地には池があって、「底なし沼」だの「人喰い沼」だのと呼ばれていた。一度嵌ると二度と浮かび上がれないとも言われていたが、おそらく年長者が幼い下級生を脅かすために作った話が元だろうと思う。そのそばには確かに狐か何か野生動物のものらしい穴もあった。入り口には注連縄がかかっており、誰が換えるのか時折新しくなっていた。
あれは確か、秋にオリンピックがあった年の夏休みのことだ。だとすれば坂巻はまだ六歳で、幼稚園児だったことになる。空き地に立つ楠の大木の木陰に、幼い子供たちを集めてお話をしてくれるお姉さんがいた。紙芝居のように絵があるわけでも、菓子を貰えるわけでもないのに、子供たちはこぞってお姉さんのもとに集まってお話を聞いた。彼もその中に加わった。とてもきれいなお姉さんだった。うちにある日本人形に似ていると彼は思った。お姉さんは一人ひとりの子供の名前を覚え、頭を撫でながら呼んでくれた。このお姉さんの顔が、今日見た動画の女性の顔と瓜二つだったのだ。
お姉さんがしてくれた話の中に例の白狐の話があった。それはこんな話だ。二匹の白狐が神様から村に遣わされた。それは、村人に疫病の危険が迫っていることを教えるためだった。二匹は他の狐たちの先頭に立って疫病の神様と闘い、ついに撃退することに成功した。感謝した村人たちは狐の穴に数々のお供え物をした。だが中に一人、白狐の毛皮を欲しがった強欲な村人がいて、お供え物に毒を混ぜた。かわいそうにそれを食べた二匹の白狐は死んでしまった。その後、白狐を殺した村人は神罰で人喰い沼に飲まれたのだったか。最後はよく覚えていない。普段のお姉さんの話は、子供たちの笑いが絶えないような楽しいものが多かったので、この悲しい話が変に印象に残ったのかもしれない。お姉さんがしてくれる話は、絵本で読んだことがあるものもあったが、いつも微妙に結末が違うのだった。しかもそれが、不思議に彼が望んでいる終わり方だった。だから彼はこのお姉さんのお話が大好きだった。いや、当時も今も彼の持っている語彙では、あの時彼がお姉さんに抱いていた気持ちはうまく表現できない。だからその彼女が突然いなくなってしまい、もうあのお話が聞けないのだと知った時は絶望して、急にあたりが真っ暗になったように感じたものだった。
お姉さんがいたのはこの年の夏だけだった。確か近所の大きな家に世話になっていると言っていたが、今にして思えば、それは吉岡家のことではなかっただろうか。つまりあのお姉さんは吉岡家の縁者だったのかもしれないのである。そういえば、最初に坂巻をお姉さんのところに連れて行ってくれたのは幼馴染みの藍造さんだった。坂巻より三歳ほど年長だった彼は、先月不幸な事故に遭っていた。今も入院が続いていて、予断を許さない状況だと聞いている。その藍造の父親は、確か吉岡家の下男だか書生だかをしていたのだ。幼かった坂巻は、当時はまだ吉岡弥太郎のことなど何も知らなかった。前のオリンピックの年だとすると、弥太郎は二十代半ばだったはずだ。
思えば現当主の次郎が生まれた時、弥太郎はもう五十歳を過ぎていたのだ。若くして亡くなった長男が生まれた時でさえ、四十代半ばだ。坂巻は弥太郎の若い頃のことを、何も知らないことに気付いた。お姉さんは若い頃の弥太郎と知り合いだったのだろうか。あの当時二十歳前後だとして、存命なら八十歳ぐらいになっているだろう。そのお姉さんとあの動画の女性がよく似ていた。いや、全く同じ顔をしているのだ。
坂巻の記憶の中のお姉さんと同じ顔をした女性が吉岡邸にいて、弥太郎の子の次郎に近づいているのだとしたら……。これは一体何を意味するのだろうか。
四月最後の土曜日の夜。時任晋吾は自宅で落ち着かない時間を過ごしていた。昨日届いた例の匿名メールには、今までのような吉岡邸の前の人数とか、飛来したドローンの数の推移などの記載が一切なく、ただ一言だけ「明晩。」と書かれていたからである。これを普通に考えれば、明日の晩に何かが起こるから警戒しろということなのだろう。もちろんそのことはすぐに坂巻に連絡した。これまでのメールの趣旨に従うなら、地元の消防団の分団長でもある坂巻に伝えるのが一番だろうと思ったからだ。それ以外に、差し当たって時任に出来ることは何もなかった。
彼自身もあの狂騒ぶりを見た日以来、吉岡邸に迫っている「何か」のことが気になり始めてはいた。「風見鶏を見ると良いことがある」というのと、「吉岡家の門の前で写真を撮ったカップルは幸せになれる」というのはそれぞれ微妙に違う話であるが、このあたりの情報の伝播と変容のスピードは、いかにも今日的だと言えよう。いずれにしてもそれらの「都市伝説」が、あの家を撮った動画をもとにして作られたものであることは間違いないだろう。そして、今では何十本もの類似した動画が公開されているが、その最初の一本と思しきものを時任は見つけていた。つまり、すべてがその動画から始まっている可能性が高いと思われるのだ。
その動画の主役は、他の動画と違って建物ではない。一人の若い女性を追いかけ、最後はその顔のアップで終わっているのだ。薄物一枚しか身に纏っていないせいもあるだろうが、とても蠱惑的な感じのする女性である。そしてその女性を追い詰めるようなカメラワークに、見ている時任の気持ちも激しく高揚した。そこには撮影した側の強い意志が感じられるような気がするのだ。誰がこんな映像を撮って、このように編集したのだろうか。アカウントを見ても投稿者につながる情報は何もなく、同一アカウントから投稿された動画はこれ一本だけのようだ。言い換えればこの動画の為だけに作られたアカウントなのである。
こうした騒ぎの一方で、吉岡邸をめぐる状況について、時任に注意して寄越した人物もいる。そしてこれは、動画の主とはおそらく別人だろう。彼(彼等かも知れない)は時任のことを知っていた。そして今回のような事態が起きるずっと前から、常に吉岡邸を監視していたらしいのだ。だが何のために? 坂巻がほのめかしていた「秘密」のようなものが、あの建物に隠されているとでもいうのだろうか。
「騒ぎを大きくして、そのどさくさに何かしようとしている」という坂巻の指摘は正鵠を射ているのかもしれない。その場合、陽動作戦を仕掛けている者と、それに注意を喚起している者がいることになるのだろうか。自称タカハシという男のことも気にはなる。彼が本当に興信所員なら、誰が何の目的であの家を調査しているのだろうか。そしてそれはこの双方とはまた別人なのか。
それにしてもこの先、あの家で一体何が起きるというのだろうか。そこまで考えて、時任は自分が選ばれた理由が分かったと思った。この程度の確度の低い情報で、警察などが動くとは思えないが、坂巻なら動く。彼につなげるのが自分に振られた役割だったのだろう。
祖父の作品である吉岡邸には、彼も愛着を持っていた。だが、是が非でも保存すべきとまでは考えていない。もし取り壊す際には是非立ち会いたいものだと思ってはいたが……。あの建物は凡庸とまではいわないが、少なくとも洋館部分には、文化財級の価値があるとまでは思えない。スクラップ・アンド・ビルドは世の常だし、そうやって人間社会は発展を遂げてきたのだ。使われなくなった建物にもう価値はない。そう時任は思って来た。だが、あの建物が損なわれないように監視し、守っている人たちがどこかにいるようなのである。現に今そこに住んでいる次郎は、それには気付いていないのではないかと思われた。
「秘密」があるとすれば、やはり坂巻も言っていた旧吉岡邸と洋館との10度ほどのずれだろうか。確かに旧吉岡邸と洋館の間に、外からはわからない縦に細長い空間が、いくつかできることになる。だがそんな僅かな空間に、大きな意味があり得るだろうか。そこに隠せるものなど、高が知れている。
時計を見ると既に日付が変わっていた。結局何も起こらなかったのだ。溜息を一つ吐くと、時任は寝床に入った。季節外れの蝉の声、あれは蜩か。枕元に置いたスマートフォンが鳴動していた。坂巻からだ。時刻を見る。一時を過ぎていた。
「先生ですか。屋敷の隣の家から火が出ました。先生に言われて警戒してたおかげで発見が早く、もう消し止めましたが」
「屋敷は無事だったの?」
「庭木が何本か焼けこげましたが、建物への類焼は避けられました。ただねえ、一人病院に運ばれたのがいるんです。それが消防士でもうちの団員でもなくってね、吉岡鉄郎君だったんでさあ」
「鉄郎君って、次郎君のお兄さんかい?」
「いつの間に帰って来てたんですかねえ。どうやら吉岡邸の消火栓を使って類焼を避けようと奮闘したようなんだが、まともに煙を吸っちまったらしい。まあ、軽症のようだってことですが」
「それで、火元の家の人たちは無事なの?」
「いや、それがね。焼けた家は空き家だったんで……。現場検証は明日だけど、あたしの見立てではこれは多分放火ですね」
陽動作戦という言葉が頭をよぎった。時任は言った。
「親方、まだこれで終わりではないのかもしれない。夜は長い」




