9.こうして勇者は旅立った
村に帰り着いた私たちは、すぐに森から村人たちを呼び戻した。
といっても病み上がりでそろそろ限界だった私は、先に自宅に戻ってお留守番をしていたのだけれど。
くったりとテーブルに伏せていたら、「アリサちゃぁぁぁぁん!!」とお母さんとお父さんが家に飛び込んできた。
「うっうっ、よかったわぁ……っ。空からバケモノの手が生えてきたときは、どうなることかと思ったけどっ」
「ああ、森からも見えたの?」
瞬きする私に、お父さんが眉をひそめて頷いた。
「うん、遠目だったからよくはわからなかったが……。ところでアリサ、エーリク君が何か妙なことをしてなかったか?」
……見えなかったなら深く追求しないほうがいいと思うよ。
苦笑いでごまかして、私たちは無事を喜び合った。今ごろになってやっと、じわじわ実感が湧いてくる。
(私たち、生き延びたんだ……!)
長年の憂いがようやく晴れて、胸がいっぱいになってくる。
けれど……本当は、自分でもわかっていた。心の奥底には喜びや嬉しさ以上に、見たくない仄暗い感情が隠れていることを。
(エーリクが、明日には村から旅立ってしまう……)
初めからわかっていたはずなのに。どうしてこんな気持ちになってしまうんだろう。
私は単なるモブの幼馴染で、エーリクはこの世界を救う勇者様なのに。
(明日はちゃんと、笑って送り出さなくちゃ……)
「アリサちゃん?」
心配そうにおでこに手を当てるお母さんに、唇を噛んで首を横に振る。
きっと不細工になっているであろう顔を、無理やりつねって笑顔を作った。
◇
翌日。
夜半に到着した領主様の騎士と、旅装を整えたエーリクとシンちゃんが村の入口に並び立つ。
村長を始めとした村人たちは、口々にエーリクとシンちゃんとの別れを惜しんだ。
エーリクのお母さんだけはいつもの通りの無表情で、「しっかりおやりなさい」と静かに、けれども力強く息子を激励した。
エーリクは淡々と頷くと、おばさんに近づいて何事かすばやくささやきかけた。おばさんがふっと笑う。
「もちろん、ちゃんと書き出しておいたわ。これよ」
「助かる」
何の話かと首をひねる私たちの前で、エーリクはおばさんから受け取った紙きれをすばやくポケットに入れた。
それからこちらに向き直り、まっすぐ私に向かって歩いてくる。
「……アリサ」
つきん、と胸が痛んだ。
けれど私は何も気づかなかった振りをして、精いっぱいの笑顔で彼を見上げる。
「エーリク、シンちゃんと一緒にがんばってね。シンちゃん、エーリクをよろしくね?」
「おうよっ!」
元気よく返事をしてくれたシンちゃんをひと撫でして、私はエーリクに手作りのノートを差し出した。
「これ……、例の、記録だよ。私の覚えてるありったけを書いておいたから、どうか、冒険の、役に立ててね……っ」
喉が詰まって言葉が震える。
こらえきれずに泣き出した私を、エーリクが無言で引き寄せた。きつく抱き締め、優しく背中を叩いてくれる。
「どうか元気で待っていてくれ、アリサ。速攻で魔王を倒して、速攻でお前の元に帰ってくるから」
私はちょっと笑ってしまった。
そんなのいいんだよ、エーリク。あなたがどんな道を選んだとしても、私は絶対にあなたを応援し続けるから……。
涙をぬぐい、エーリクの胸にノートを押しつけた。
「無事で帰ってくるためにも、ちゃんと読んでね。……あっ、特に栞を挟んでるとこは大切だから、要確認だよ!」
「そうなのか?」
パラパラとページをめくり出したエーリクに、私は背伸びして耳打ちする。
(マリア姫との恋愛イベントを、時系列にしたがって全部書き出しておいたから、ねっ)
「…………」
エーリクは一瞬固まると、いきなりノートを逆さまにした。せっかく挟んだ栞がはらはらと地面に落ちる。
「ああ~っ!?」
「さて行くか」
栞を拾い上げ、エーリクは無造作に適当なページに突っ込んだ。ちょっとちょっとぉっ、幼馴染にしてエーリク・マリアカップル推奨派の私の好意をなんだと思ってるの!?
「もおエーリクッ」
「アリサ」
不意に振り向いたエーリクが、ぐしゃぐしゃと荒っぽく私の髪をかき回す。驚く私を見下ろして、ふわりと穏やかに微笑んだ。
「……っ」
その温かな眼差しに、私の心臓が激しく跳ねる。どうしてだか一気に顔が熱くなり、私は慌ててうつむいた。
「毎日しっかり食べて寝るんだぞ。風邪引くなよ。少しでも体調が悪いと思ったら、無理をせずにすぐ休め」
「……エーリクこそ、怪我しないでね」
小さな声で告げて、顔を上げる。
その瞳はやっぱり優しくて、やっぱり私はちょっとだけ……ドキドキする。
「ああ。行ってくる」
そうして、エーリクは村を出ていった。
世界を救うための、冒険へと旅立った。
小さくなっていくエーリクとシンちゃん(ついでに騎士さんも)の後ろ姿に向かって、私はいつまでも手を振り続ける。
やがて村人たちが全員帰宅して、困り果てたお父さんとお母さんからうながされても、私は決してその場から離れなかった。
(エーリク、シンちゃん。どうか無事でいて――)
こうして、私の役目は終わった。
物語の主役にはなれないモブの村娘Aにできるのは、あとは遠くから勇者様一行の旅の無事を祈ることだけだ。
物寂しく、けれどどこかすっきりした気持ちで目をつぶる。
私の濡れた頰を、そよ風がなぐさめるように優しく撫でていった――……
【the end】
………
………
………
なんて、このときは思っていたわけですが。
旅先のエーリクから私に驚きの便りが届いたのは、それから一月後のことだった。