19.そして誰もいなくなった
「ヒッ、く、来るなぁっ!!」
ヴァールがひび割れた声を張り上げる。
私を盾にして、じりじりと壁際に後退した。
「……今すぐ、アリサを放せ」
食いしばった歯の隙間から、エーリクが爆発寸前といった声で命令する。ヴァールは真っ白な顔で、ただ首を横に振った。
(おい、バカ娘……! 早く、早く僕の正体をあの化け物に説明するんだっ)
必死の形相でささやきかけられ、私ははたと我に返る。いけない、すっかり忘れてた……!
久しぶりに会えたエーリクに胸がいっぱいになって、思考が完全に停止していた。早くヴァールの正体を明かしてやらないと、このままじゃコリーが殺されてしまう。
「違うの、聞いてエーリク。あのね……っ」
エーリクとバチッと視線が絡み合う。
瞬間、頭に一気に血が上った。
『――どう見ても勇者が愛しているのはマリアではなく、あなたに決まっているでしょう!』
(わああっ、なんで今思い出しちゃうの~!?)
今しがたのヴァールの妄言が脳内で再生されて、私はたまらず両手で顔を覆った。あああどうしようエーリクの顔を直視できない!
エーリクが息を呑む気配がした。「貴様……っ」と血を吐くように叫ぶ。
「アリサに一体何をしたっ!?」
「いや別に何もしてませんけど!?」
ヴァールが目を剥き、抱っこした私を激しく揺さぶってくる。
「ほらほらほら勇者が誤解してますよっ、早くその口で説明しなさいっ僕のために弁解するのですっ!!」
「……ぁ……」
エーリクが、私を見ている。
数カ月ぶりに会う彼は、最後に会ったときより随分と大人びていた。
暗赤色の髪は相変わらずさらさらと指通りが良さそうで、幸いなことに長旅で傷んでしまった様子はない。生真面目で曇りのない眼もそのままで、ああでも、以前よりずっと精悍な顔つきになった気がする――……
ふしゅう。
全身が沸騰したみたいになって、くたっと力が抜けていく。「ぅおおおいッ!?」とヴァールが絶叫した。
「ごるぁぁぁぁ肝心な場面で咳き込んだり気絶したり大概にしておけよこのバカ娘ぇぇぇぇっ!!!」
「はあ!? 貴様、今アリサをバカ呼ばわりしたか!?」
「いいえッしておりません!!」
ヴァールがバレバレの嘘をつく。
無駄に姿勢が良くなったせいで、私はようやく彼の腕からずり落ちた。トンと地面に着地し、爆発しそうな胸を押さえてエーリクに向かい合う。
「……エーリク、コリーを殺しては駄目」
「アリサ!?」
驚愕するエーリクを直視して、またも気が遠くなりかけながらも、負けるもんかと足を踏ん張った。
「コリーは体を乗っ取られているだけなの。今彼の中にいるのは、魔族の宰相ヴァール。ヴァールは、魔王に取って代わるつもりなの……!」
よし言えた!
ヴァールも「よくぞ成し遂げた!」と言わんばかりに目を潤ませる。あ、恐縮です。
「クククク、勇者どもよそういうわけだ! この僕を攻撃するということは、すなわちコリーという人間を傷つける行為に他ならない。果たして同じ人間同士、争うことはできるかな――?」
調子を取り戻したヴァールが悪役然と高笑いする。
ちなみに私の手はヴァールにきつく拘束されていて、逃げられそうにない。
「そんなッ、では本物のコリーはどうなっているのです!」
悲鳴を上げるマリアに、ヴァールが侮蔑の眼差しを向けた。
「僕の中で深い眠りについていますよ。――ああ、ですがご安心を。この男の体も、そしてこのバ……ではなく勇者の大切な幼馴染も、今すぐあなた方にお返しいたしますとも」
口元ににやりと嫌らしい笑みを浮かべる。
「――そちらにある魔王の『核』と引き換えに、ね」
「…………」
目の前に浮かんだ核に、エーリクが無言で目をやった。仲間たちは固唾を呑み、エーリクとヴァールとを見比べている。
エーリクは静かにヴァールを見返すと、見せつけるかのように大剣を振り上げた。
「……っ!?」
「コリー。いや、ヴァール」
核に触れるか触れないかのギリギリの位置で、ぴたりと切っ先を止める。
緊張に体を強ばらせるヴァールに向かって、有無を言わさぬ口調で語り掛けた。
「勘違いするな。今この場で、主導権を握っているのはお前じゃない。――『核』を破壊されたくなければ、まずお前がアリサとコリーを無傷で解放するんだ」
「で、できるかっ! この娘を離した途端に僕を攻撃するつもりだろう!? お前が先だ、お前がまず核を僕に渡すんだっ!!」
「ふん。話にならんな」
エーリクは鼻で笑うと、核の表面に輝く刀身を押し当てる。周りをパチパチと爆ぜる稲妻が、まるで抗議するように大きく歪んで弾けた。
ヴァールがたまらず悲鳴を上げる。
「や、やめろぉぉぉぉっ!!」
「言ったろう、二人さえ無事なら核などお前にくれてやる。欲しいのならば、アリサを置いて今すぐ取りに行け。――さあ!!」
鋭く叫ぶと同時に、エーリクが大剣の柄で核を殴りつけた。核は全員から遠く離れた壁に叩きつけられ、ヴァールは弾かれたように床を蹴る。
エーリクは核には目もくれず、一直線に私だけを目指して走った。私も彼に向かって駆け出して、その胸の中に飛び込んだ。
「エーリク……っ」
「アリサ!!」
苦しいほどきつく抱き締められる。
私も必死でエーリクにしがみついた。ああ、私はこんなにエーリクに会いたかったんだな、と涙があふれる。痛いぐらいに実感する。
「ククク、アハハハハ――!!!」
哄笑するヴァールに、私たちははっと振り向いた。
その手にはしっかりと核が握られていて、マリアたちエーリクの仲間が緊張した様子で武器を構える。
ヴァールは余裕たっぷりに全員を見回すと、高々と核を掲げた。
「喜びなさい、今日あなた方は歴史の証人となる。――その目に焼きつけるが良い、新たなる魔王の誕生を! そして、塵も残さずに消え去るが良い!!」
瞬間、ヴァールの……いや、コリーの体が糸の切れた人形のように床に崩れ落ちる。彼の額から赤黒いもやが噴出し、核を完全に包み込んだ。
ドクンドクンと脈打って、もやはうねり、広がり、少しずつ形を変えていく――
『はああ……、力だ。途方もない力があふれ出してくる……!』
「……アリサ」
エーリクが私を抱く手に力を込める。
人差し指を唇に押し当てて合図を送ってきたので、私は目を丸くしながら頷いた。
「はッ笑わせんな! 魔王を倒したオレらが、てめぇごときに負けるわけねぇだろ!」
「そうね。大口を叩いたこと、すぐに後悔させてあげるわ」
レグロが威勢よく拳を構え、ブランカも長い髪を払って余裕の笑みを浮かべる。
「コリーにした仕打ち、わたくしは絶対に許せません。今この場で、あなたを討ち滅ぼしてみせます!」
マリアが胸を張り、王女らしく気高く宣言する。
……そんな一部始終を、私は謁見の間の入口から見物していた。無言のエーリクから引っ張られ、ここまで連れてこられたのだ。ちなみに私の首にはシンちゃんが嬉しそうに巻きついている。
エーリクの手招きに従って、まずはマリアが、それからブランカが抜き足差し足で私たちに合流する。
最後にレグロが倒れたコリーを軽々担いでやって来て、これで全員がそろった。
エーリクと仲間たちは力強く頷き合うと、迷わず謁見の間を飛び出した。全速力で走る私たちの背後から、ゴゴゴゴゴ、という恐ろしい地響きとヴァールの高笑いが届いてくる。
『ふははははッ! 愚かなる勇者どもよ、恐怖にひれ伏すのだ! 見よ、これこそが我が最終形態――……!!』
しかし誰も見ていない!




