17.まるで、乾いた大地に沁み込むように
「……恋人じゃない?」
男が低い声でうなった。
しばし考え込み、ややあって訝るように眉をひそめる。
「いえ、ですが毎日欠かさず言葉を交わし、至極くだらなく面白くもない内容で笑い合っていちゃついていますよね? それにいつも、互いの身を気遣い合っている」
「恋人じゃなくたってそうしますよ。私たちは大事な家族なんだから!」
「……ふぅん。ま、僕は別に餌として機能さえすれば、恋人だろうが家族だろうが構いませんよ。興味も無い」
肩をすくめ、すっと手を壁に向かってかざした。水晶が男の手から離れ、ふわふわと飛んでいく。
「今からこれを使い、勇者たちと接触します。あなたはただ惨めに泣いて助けを求めればいい、簡単でしょう?」
嘲るような笑みを浮かべると、男は口の中で呪文を唱えた。水晶がぐにゃりと歪み、大きく渦を巻く。
ややあって、白い壁一面にエーリクたちの姿を映し出した。
『……っ。アリ、サ……?』
『コ、コリー!? 無事だったのですね!? お父様はご一緒なのですか!?』
驚愕に息を呑むエーリクを押しのけるように、ピンク髪の少女――きっとこれがマリア姫だ――が泣き出しそうに顔を歪める。
後ろにいるのは、魔術師ブランカと拳闘士のレグロだろう。二人ともぽかんとして立ち尽くしている。
「――ふふ。ようやく魔王城に辿り着きましたね」
マリアを完全に無視して、ヴァールがエーリクに悠然と微笑みかけた。
「ですが、勇者様はちっとも遊びに来てくださらない。待ちくたびれてしまったので、暇つぶしに客人をお呼びすることにしたのですよ。――来い」
「痛……っ!」
『アリサ!! 貴様っ、アリサに触れるな!!』
『アリアリ~~~っ!!』
エーリクが怒号を上げ、シンちゃんが小さい翼をぱたぱたさせて懸命に叫んだ。私の体が情けなく震え出す。
(餌になんか、なりたくないのに)
足手まといなんて絶対にごめんなのに。ヴァールの狙い通りに動くだなんてまっぴらなのに。
止めようのない涙が後から後からあふれ出す。
「エーリク……、ごめ、なさいっ」
「ふふふ。魔王城の最奥にてお待ちしていますよ、勇者様。早く来なければ、か弱き娘は魔王様の餌食――ぎゃああッ!?」
ゴオオッ!!
突如、視界が真っ白な光に埋め尽くされた。
どうやらエーリクが攻撃を仕掛けたようで、シンちゃんの姿が大剣へと変わっている。
一瞬のけぞったヴァールが、何事もなかったかのように姿勢を正す。
「は、ははは無駄ですよ愚かな勇者め。これはあくまで映像であり攻撃は無意――ひいいぃッ!?」
ゴオオッ!!
「待っ、ねえ聞いて!? お願い本当に無駄だから!?」
ガンガンガンッ!!
「いやまだ話があるんですッ!! 僕の正体とかあるでしょねぇ聞くべきことが!?」
キィィィィィンッ!!
光の奔流が次々と襲いかかってくる。
痛くも痒くもないものの、激しい音と光の明滅に、ヴァールは完全に怯えてしまっている。私は怖いというより、エーリクのあまりの迫力に息を呑んで見入ってしまった。
ヴァールが私の襟首を引っつかみ、ダッシュで部屋の隅に避難する。
(あ、あ、あ、あの馬鹿勇者~~~ッ! おい人間の娘、お前から話せ! 僕の正体がコリーではなく、魔族の宰相だということをッ!)
ささやき声で命令するヴァールに、私は顔をしかめてみせる。
(ええ~っ、自分で言えばいいじゃない)
(だって聞く耳持ってないだろあの阿呆!!)
ぜえはあと肩を怒らせ、ヴァールが目を血走らせた。
仕方ない。彼にとってこれは切実なのだ。
精神を乗っ取っている以上、今のヴァールはコリーと一心同体。コリーの肉体が死ねば、当然ながらヴァールも一緒に死ぬことになる。
それが嫌なら、ヴァールはとっととコリーの精神から撤退すべきなのだけれど。
(一度離れちゃったら、また乗っ取るまで長い時間がかかることになるんだよね)
ヴァールとしては、コリーの肉体そのものも人質として(特にマリアに対しては)価値がある。ギリギリまでキープしておきたいのが本音だろう。
「……わかりました。私としても、エーリクに人殺しなんてしてほしくないし。コリーさんも可哀想な被害者だし」
ため息をつき、私はヴァールの頼みを了承した。ヴァールの顔がぱっと明るくなる。
「よ、よしッ。では阿呆にでも理解できるよう、しかと伝えるように!」
偉そうに告げるなり、ヴァールは私を引き連れゆうゆうと元の位置に戻った。しかし、すぐにまた顔を引きつらせる。
「ひ……っ?」
『――おい。貴様。宮廷魔術師コリー』
エーリクが殺人鬼のような顔で、まっすぐにヴァールを睨んでいた。
『今の攻撃が無意味なのはわかっている。ブランカが、これは単なる映像だと教えてくれたからな。大体アリサに危険が及ぶような真似を、この俺がするはずがないだろう?』
地を這うような低い声。
ヴァールは生まれたての子鹿のようにぷるぷると足を震わせる。
『――だから、今のは俺とシンちゃんからの警告だ』
大剣から元の姿に戻ったシンちゃんが、ボーッと口から火を噴いた。
『そうだぞぉ~! アリアリに傷一つでもつけてみろ、オレと相棒の怒りでてめーは跡形もなく吹き飛ぶんだかんなっ! わかったかこの優男野郎っ!!』
ヴァールが死んだ魚の目で私を振り返る。ああはいはい……。
仕方なく私は前に出た。『アリサ……!』と手を伸ばすエーリクに、硬い顔で頷きかける。
「……聞いて、エーリク。実はこの男の、コリーの正体は、なんと――……ゲホッ、ごほごほごほッガフごふぅッ!? あっごめ何か引っかごほほッ、ごほほほ!!」
「ええええええ今ぁっ!!?」
『アリサァァァァッ! しっかりしろっ、苦しいんだな!? 待ってろ今すぐ助けに行く!!』
『うおおお~っ、者ども囚われのアリアリを救い出すんだぁぁぁっ!!』
『おっしゃあ任せろ腕が鳴るぜぇっ!!』
『燃えカスすらも残してやらないわ。マリア、アンタも行けそう?』
『ええ、もちろんです。わたくしやお父様を騙したこと――血涙を流して後悔させてやりますッ!』
テッテレー。
私の咳込みでみんなのやる気がアップした。いやじゃなくって。
「ぐ、みず……みず……!」
這うようにテーブルへ移動し、すっかり冷めたお茶を一気飲みする。ふう、生き返った。
「あ~、死ぬかと思ったぁ」
「あああああッ待ってまだ行かないでーーー! 衝撃の事実がまだ残って、あっもう城の中に入ってきたああああ!! いやああああ!!」
映像の中にエーリクたちの姿はもうなく、無人の城下町に寂しい木枯らしが吹いた(気がした)。