死に戻り姫のはかりごと
コミックアース・スター漫画賞の課題小説として書き下ろしたSSです
https://comic-earthstar.com/article/esc_award/
「いったいどういうつもりか聞かせて貰おうか、プリンセス・アイビー」
闇夜のような黒髪。切れ長の目。無駄な肉の一切ない顔立ち。生きているのが不思議なくらいに美しい青年、ジェレミーがアイビーの下に寝そべっていた。
否、正確には寝ているジェレミーにアイビーが馬乗りになっている。
薄暗い寝室のベッドの上。カーテンの引かれていない窓から差し込む月光だけが二人を照らしていた。
ガウンの合わせ目から覗く均整の取れたジェレミーの肉体にごくりと喉をならしながら、アイビーは蠱惑的に見るような笑顔を作って見せる。
「どういうつもりも何も、こういうつもりですわ」
わざとらしく肩をすくめ、アイビーはガウンの紐に手を伸ばす。
今のアイビーは下着の上に薄いシルクのガウンを羽織っただけの無防備な姿だ。いつもは結い上げている銀髪は降ろしている。
自分を鼓舞するために身に付けている宝石も化粧も何もないことが急に怖くなったが、今更やめるわけにはいかない。
緊張のせいで指が震え、ガウンの紐がうまくほどけない。
ジェレミーの大きな手が、アイビーの腕を掴んだ。大きな男性らしい手の感触に身体が震える。
「君らしくない」
「らしくない? あなたが私の何を知っているの?」
思わず声が震える。
ジェレミーが、ふっと目を細めたのがわかった。
「知っているさ……俺はずっと君を見ていたからな」
「え……?」
何を、と問いかける前にジェレミーが身体を起こしアイビーを押し倒す。
「何があったアイビー。高潔な君が俺にこんなことをするなんて」
怖いほどに優しい声音に、アイビーはこれまで我慢していたものが壊れる音を聞いた。
東の小国、パステール。
アイビーはその国の第一王女として生まれ。いずれは女王になるものとして育てられた。
婚約者には伯爵家の次男であるフレデリックが選ばれた。
甘い顔立ちに優しい立ち振る舞い。アイビーを陰日向で支えてくれた。きっと素晴らしい未来が待っている、そう思ったのに。
「君は王女という立場を利用し、我が国を売ろうとした。これは明らかな反逆行為だ」
フレデリックはアイビーをそう断罪した。
隣国に軍事秘密を流し、利益を貪っていたと言うのだ。
無実だと訴えても無駄だった。
フレデリックは綿密な計画を立てていたらしく、アイビーの逃げ道は完全に閉ざされ、気が付けば断頭台に送られていた。
丁寧にも喉が潰され、処刑を見物に来た国民に無罪を訴えることもできなかった。
「安心してお姉様。私がフレデリックと共にこの国を守るから」
フレデリックの横では、腹違いの妹であるヘデラがアイビーを痛ましげに見つめていた。
すぐにわかった。二人が共謀していたことが。
湧き上がったのは怒りだった。この国のためにずっと努力してきたのに。女王になるという重責に堪えてきたのに。
――許さない。絶対に……!
それが、アイビーの最後の願いになった、はずだった。
目が覚めたとき、アイビーの時間は処刑される日の一年前に巻き戻っていたのだ。
「アイビー、今日も君は美しいね」
「お姉様は本当に素晴らしい方だわ」
フレデリックとヘデラはいつだってアイビーに優しかった。
だがアイビーは知っている。二人の本当の姿を。
秘密裏に調査をさせたところ、隣国に軍事機密を売っていたのはフレデリックだったし、ヘデラはその利益を甘受し贅沢をしていた。
二人は悪意で塗り固めた笑顔でアイビーを騙し、己の罪をなすりつけるつもりなのだ。
――今度は思い通りなんかさせない。
そう決意したアイビーはフレデリックたちを逆に追い込むために何をすればいいかを必死で考えた。
誰を味方にすればいいのか。
どうすれば死なずに済むのか。
「……ジェレミーを味方につけるしかないわ」
ジェレミーは王家の血を汲む公爵家の跡取りで、王位継承権も持っている。
幼い頃は何かと比べられることが多く、アイビーはジェレミーのことが苦手だった。
顔を合わせる度に嫌味を言われたし、フレデリックとの婚約にも、家柄を理由に最後まで反対していたくらいだ。
優秀で才能溢れるジェレミーに貴族だけではなく国民からの支持も厚い。
敵としては最悪だが、味方につければ強力な存在だ。
アイビーは理由をつけてジェレミーを王城に呼び寄せ、酒に睡眠薬を混ぜて眠気を催させ、客間に泊まらせることに成功した、はずだった。
――眠っているジェレミーの横に潜り込んで「襲われた」と騒いで脅すつもりだったのに!
ベッドに潜り込んだ瞬間、ジェレミーは目を開けた。
そして、話は冒頭へと巻き戻る。
「おかしくなったと笑ってくれて構わないわ」
冤罪による断罪と処刑、そして巻戻りの事実をすっかり話してしまったアイビーはスッキリした気持ちだった。
対するジェレミーはずいぶんと渋い顔をしている。
「……へんな薬を飲ませてまで俺のベッドに潜り込んだ目的がそんな色気のないものだったとはな」
「薬に気づいていたの!?」
「当たり前だ。あんなもの俺には効かない」
さらりと答えるジェレミーにアイビーは唇を噛む。
恥ずかしさと情けなさで涙がにじんだ。
「どうせ嘘だと思っているんでしょう! いっそ、このことを理由に私を好きにしたらいいわ」
やけっぱちでそう叫べば、ジェレミーが目を大きく瞬かせた。
「いいのか」
「え?」
気が付いたときには世界が反転していた。
最初とは逆に、ジェレミーがアイビーを見下ろしている。
「君を、俺のものにしていいのか」
「何を……」
「ずっと君が好きだった。俺は、君の横に立つために必死で努力してきたんだぞ。なのにあんなろくでなしを選ぶなんて……」
「は……?」
目を丸くしたアイビーを、ジェレミーが切なげに見つめる。
「好きだ、アイビー。君の気高さに俺はずっと恋い焦がれていたんだ」
その瞳の真剣さに、ジェレミーが本気であることが伝わってくる。
処刑されたときに一度は死んだ心がとくんと音をたてた気がした。
「信じてくれるの? こんな卑怯な真似をした私を許してくれるの?」
「当たり前だ。俺はずっと君だけを見ていたんだぞ」
優しい声に涙が溢れる。
「アイビー。どうか、俺に君を守らせてくれ」
ゆっくりと近づいてくるジェレミーに応えるように、アイビーは目を閉じたのだった。
ジェレミーという強力な味方を得たアイビーは、フレデリックとヘデラの罪を暴き、断罪した。
その数年後、女王として即位したアイビーの横にはジェレミーがいた。
幸せそうに微笑み合う二人の姿に、パステールの人々は長く続く繁栄を感じたのだった。