37 バナナ in デザート
「もう限界です…」
私は紙の束が積まれた机にぐてっと突っ伏した。
ここはエレクの個人所有の浮島にあるお屋敷の一室。
魔石牧場でエビンスさんとの交渉が終わったあと。
マーロィが地球から持ち帰ったお土産をすぐにでも研究したいというので、エレクに部屋を貸してもらったのだ。
~~~
数日前。
私はマーロィの研究の手伝いで、マーロィが地球の専門書を読めるようにするため、日本語からエムニア語の翻訳辞典を作ることになった。
辞典を作るといっても、特別難しいことをしていたわけじゃないよ。
中学生が使うくらいの国語辞典に載っている単語を書き出して、横にエムニア語で意味の当てはまりそうな言葉を書いていくだけ。
対応する言葉が思いつかなくてちょっと迷うこともあるけど、作業自体は単純だ。
ただ、圧倒的に量が多い。
国語辞典の最後に書いてあった収録語数は、なんと5万。
うん、ムリ。
流石に次に地球へ行くまでの数日では終わらないと思って、途中でマーロィに相談したんだけど…
「………」
無反応。
マーロィは研究に夢中になると、ドラゴンが来ようが、ブレスで屋根が吹き飛ぼうが、横で私たちがドラゴンを袋叩きにしていようが、一切反応しなくなる。
ある意味、いつものことだね。
はぁと息を吐いて、私は作業をすることにした。
一人で終わらないなら、数人がかりでやれば何とかなるでしょ。
ということで、久しぶりに魔法で”分身体”を生み出した。
魔力でできた黄金色の小さな天使と一緒に、せっせと紙に日本語とエムニア語を書き込んでいく。
この魔法のすごいところは、分身体はコピー元の能力の十分の一くらいだけど独立して動くことができるので、一人で数倍の働きができること。
そしてこの魔法のダメなところは、分身が働いた分の負担が全部使用者に返ってくること。
分身を3体作って作業したら、自分を含めて4倍疲れるんだよね。
つまり今日で5徹目の私は、20徹目ってこと。
ほんと、もう、限界。
ちらりと部屋の中に視線を巡らせると、黄金色の小さな私も同じように机に突っ伏していたり、ヨタヨタと書き終わった紙束を運んだりしていた。
あ、転んだ。
涙目になった分身の一人を抱き起してから、私は歩いて部屋を抜け出した。
疲れすぎて飛ぶのも億劫だ。
そのままよろよろ歩いてマーロィが作業している部屋の扉をそっと開ける。
中の様子を伺うと、マーロィはうつらうつらと頭を揺らしながらもすごい早さでペンを走らせていた。
うん、マーロィも眠そう。これは強制終了コースだね。
私は扉の隙間から魔法でマーロィを眠らせてから、エレクに許可を貰ってマーロィをベッドに寝かせた。
「ティアラはもう地球へ行くのかい?」
ペンダントから転移の補助魔法具を取り出した私を見て、エレクが言った。
「はい、マーロィが眠っているうちに出発します。起きたら文句を言われてしまいそうですし」
「確かに、マーロィなら『良いところだったのに』とか言いそうだね」
苦笑したエレクに「いってらっしゃい」と見送られて、私は転移の魔法を使う。
眠気が限界だった私は、”呼び声”で転移先の確認もおざなりに転移した。
地球に着いたらすぐに寝よう、そうしよう。
~~~
転移を終えると、ふわりとした浮遊感のあと、ぽすりと砂の上に落ちた。
ちょっと高い位置に転移したみたい。
風の魔法で服や翼についた砂を落として、周囲を見渡す。
どうやら地球は、というかこの地域は夜だったみたい。
星明りの下で白く浮かび上がって見えるのは、見渡す限りの砂の丘。
サラサラと砂が風に運ばれる音がかすかに聞こえる。
うーん、どこかの砂浜…ではなく砂漠かな?
そんなこと考えていると、ぶるりと身体が震えた。
砂漠って暑いイメージだったけど、夜はすごく冷えるね。
このまま寝たら流石に風邪をひきそう。
まぁ転生して天使の身体になってから、風邪をひいたことなんてないんだけど。
私は指をサッと振って、気温を調整する。
過ごしやすい春くらいの気温でいいかな。
あとは、テントの代わりになるものを作らないと。
流石に野ざらしで寝るのは抵抗があるからね。
両腕を左右に大きくひらいて、手のひらですくうように動かす。
魔法に操られた砂は流れるように一塊に集まって、あっという間にドームを作る。
魔力で補強してからカマクラみたいに中をくりぬいて…星が綺麗だしよく見えるように天窓もつけちゃおう。
うん、出来た。
翼を畳んで中に入り、旅で使っていたマントを砂の上に敷く。
あとは横になって自分の翼にくるまって丸くなれば、即席の羽毛布団の完成。
手入れをしっかりしているので、私の翼はふわふわで暖かくて気持ちいいのだ。
それじゃ、おやすみなさーい。
~~~
翌朝、顔に当たる鋭い日差しで目が覚めた。
うぅ、眩しい…。
のそのそと砂のカマクラから顔を出すと、お日様はもう天辺に昇っていた。
ずいぶんゆっくり寝ちゃった。
…何日も徹夜で頑張ったしこれくらいいいよね?
魔法で水を出して、パシャパシャと顔を洗う。
うん、スッキリした!
さてごはん、ごはんー。
私はペンダントに手を当てて、中を確認する。
あれ? 食べられそうなもの、ない?
そういえば、地球でもらったお土産は星神セレスさまに渡しちゃったし、残りも両親へのお土産や、孤児院の子供たちに配ったんだった。
それに急いできたから、エムニアで食料を買い込むのも忘れちゃった。
ぐぅと鳴くお腹をさすりながら、見つけたのはバナナが一本。
まだ緑色で固かったから、食べ頃になるまでとっておいたものだ。
うーん、でもこれ一本じゃ足りない…
仕方ない、ちょっとズルだけど魔法で増やしちゃおう!
私はこそこそととっておきのバナナを砂に埋めて「大きく育て~」と魔法をかける。
魔力をたんまり注ぐと、バナナを埋めた周りの砂に小さな草花がぴょこぴょこ生えてきた。
だけどちょっぴり元気がなさそう。
やっぱり水もあげた方がいいかな?
私は草花が生えたとなりに穴を掘って、魔法で小さな泉をつくる。
よし、これで魔法が切れるまで水は問題なし!
それから、私は砂のカマクラに入った。
さすがにすぐバナナが育つわけじゃないし、今のうちに現在地の確認でもしておこう。
ペンダントに手をかざして、スマホを取り出す。
「あれ?」
一瞬画面がついたけど、消えちゃった。
念のため、電源ボタンを長押しするけどやっぱり起動しない。
そういえば、エムニアの自宅でアニメ見たあと充電したっけ?
…うん、してないかも。
だ、大丈夫、大丈夫!
こんな時のためにモバイルバッテリーも貰ってるから!
ペンダントに手をかざして念じるけど、モバイルバッテリーの反応がない。
あ、あれ?
たしかにエムニアの自宅にいたときはあったはず…
「あっ」
たぶん、自宅のベッドの脇だ。ゴロゴロしながらアニメ見るときに使った気がする。
ま、まぁ今回はティアぬいに連絡してないし?
私が地球に来たことはまだばれてないから、問題ないはず。
…うん、誰にでもミスはあるし!
仕方ない、仕方ない。
それに見方を変えれば、初めて誰にも目撃されずに地球へ来れたんだ。
そう考えると、あと数日くらいゆっくりしてもいい気がしてきた。
せっかくだしちょっと砂漠の探検をするくらい、いいよね?
~~~
砂のカマクラと即席バナナ農場と、おまけの魔法の泉を作りながら移動して3日目。
私は人に見つからないように低く飛びながら、砂漠を進んでいた。
見つかると騒ぎになるし、そうなれば伊達さんとか国連の人にも迷惑がかかるかもしれないからね。
3回目の地球訪問ともなれば、さすがの私も学習するんですっ。
まぁ、コソコソとバレないように移動するのが冒険っぽくて楽しいからってこともあるけど。
そうそう!
ここでま移動する途中で、砂の上をドタバタとコミカルな走り方で駆け抜けるトカゲとか、大きな耳の狐みたいな動物を見かけたよ!
フェネックって言うんだっけ?
砂丘の向こうから、低く飛んで移動する私をじーっと見てて可愛かったなぁ。
でも、人の住む場所は一向に見つからないんだよね…
バレないのは助かるけど、人の住んでいる場所に辿り着けないのも困る。
一応太陽を見ながら東だと思うほうに進んでいるんだけど、ゆっくり飛びすぎなのかなぁ。
流石にちょっと心配になってきた。
と、そんなことを考えていた日の夕方。
ついに街を発見したよ!
尖塔がたくさんある遺跡みたいな区画に、その奥にはひしめき合うように小さなビルが立ち並ぶ区画。
砂色と灰色の街並み。
砂漠の街って言えばオアシスみたいなイメージをしてたけど、全然違ってちょっとびっくり。
バレないように砂丘の上から遠見の魔法で確認すると、日除けのカラフルな布とよく日に焼けた人々が行きかう様子が見えた。
私のイメージとは違ったけど、いかにも異国な雰囲気になんだかワクワクするね!
私は砂丘の裏側に降りて、街に入る準備をする。
白いシュシュで襟首で髪を一まとめにして、羽根のアクセサリーつきリュックを背負って翼を隠す。
手鏡代わりにバッテリー切れのスマホで画面を見れば、そこには黒髪黒目の少女。
服装は護衛メイドの円華さんに貰ったものの中から、観光客っぽいラフな感じのものを選んだ。
よし、これで変装は完ぺき!
どこからどう見て観光客でしょ。
ちなみに黒髪なのは、前回の変装を解くところを見られちゃったから。
髪の色が変わるだけでも結構印象って変わるからね。
よし、ともう一度確認してから私は街に続く舗装された道路を歩いた。
よく日に焼けた人々の間を抜けて、きょろきょろと周囲を見て回る。
あんまり大きな道はなく、建物が密集している。
カラフルな布を並べるお店、干したフルーツを量り売りするお店。
飛び交う言葉は、日本語でも英語でも、もちろんエムニア語でもない。
うーん、街に着けばどこかでスマホを充電できるかなって思ったけど、考えが甘かったかなぁ。
日本なら喫茶店とかファミレスに行けば、たいてい充電スポットがあるんだけど、流石にそういうわけにはいかないかぁ。
どうしようと足を止めて考えていると、何かの制服を着た小太りのおじさんに話しかけられた。
お、落ち着いて私! こういう時のための翻訳アプリが…
あっ、スマホのバッテリー切れてるんだった!
わたわたとボディランゲージでどうにかしようとしたけど、おじさんが困ったように眉を寄せるだけだった。
うぅ、流石にダメかぁ。
もういっそ、ティアぬいで助けを呼んじゃったほうがいいかなぁ?
でも、現在地が分からないし…
宇宙に出る一歩手前ぐらいの高さまで飛んで上から地形を見れば分かるかも、なんて私が考えていると後ろから肩を叩かれた。
「あなた、大丈夫?」
「えっ、日本語?」
振り返ると探検家みたいな帽子をかぶったお姉さんがいた。
お姉さんは一瞬驚いたようだったけど、やっぱりと頷いていた。
「あなた日本語が分かるのね。日本人には見えないけれど…」
「お、お姉さんは日本人の方ですか?」
「えぇ、そうよ」
どうして私が日本語を話せるって分かったんだろうと不思議に思って首を傾げていると、「これ」とお姉さんが私のリュックを指さした。
正確にはリュックにつけたアニメキャラのアクリルキーホルダーだ。
「このキーホルダーつけていたから、もしかしてと思って」
「なるほど…、あっ、あの! この方が何を言っているのか教えていただけませんか? ここの言葉分からなくて…」
「いいわよ。その前にちょっと待ってね」
お姉さんはそういうとおじさんに向かって話し始める。
おじさんはうんうんと微笑んでから私にサムズアップして立ち去っていった。
お姉さんがいうには、どうやらおじさんは地元の警察官で私のことを迷子だと思って声を掛けてくれたそうだ。
「それで、あなた迷子じゃないのね?」
「は、はい」
街には着いたから、迷子ではない…はず。
ここがどこか分からないけど。
…あれ、私もしかして迷子?
「…やっぱり、ご両親のところまで送りましょうか?」
「い、いえ!大丈夫です! その、代わりにスマホの充電ってさせて貰えないでしょうか? バッテリー切れちゃって…」
「あぁ、なるほど。それで困っていたのね。いいわよ」
それから私は親切なお姉さんに近くのお店でお茶をご馳走になりながらスマホを充電させてもらった。
なんだか貰ってばかりで申し訳なかったので遠慮したんだけど「子供が遠慮するものではないわ」と言われてしまったので、ありがたくいただくことにした。
「今は手持ちがなくて大したものでもないのですが…これ、ほんのお礼ですっ」
喫茶店を出た後。
でもやっぱり貰ってばかりでは悪い気がしたので、私は羽根を一本とって魔法で白い羽根飾りに加工してから渡した。
魔法具ではないけど、私の魔力が込められているので無病息災のお守りくらいにはなるはず。
「あ、あなた……エムニア特使の天使ティアラっ?!」
「あっ」
しまった、羽根をとるのにリュックをおろしたから翼が丸見えになってた!
「な、内緒にしてくださいね?」
「え、えぇ」
それから私は驚いて固まっているお姉さんにもう一度お礼を言ってから別れた。
さて、冒険もしたしそろそろ連絡して日本に向かわなくちゃ!
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数日後。
魔法で姿を隠してこっそり飛んで無事に日本へ到着した私は、ホテルの一室でのんびりしていた。
うーん、やっぱりエアコンは快適だねぇ。
砂漠は珍しい生き物が見れて楽しかったけど、暑いし寒いしで魔法なしだと大変だったから余計にそう思う。
そういえばさっきまで伊達さんが居たんだけど、緊急の用件とかで連絡を受けて慌ててどこかに行ってしまった。
相変わらず忙しそうだ。
伊達さん大変そうだなぁ、と冷たいジュースを飲みながらニュースを見ていた私は盛大にむせた。
こ、これって…
直後、息を切らせた伊達さんが飛び込んでくる。
「ティアラさん! このニュースって――」
画面には、カラカラに乾いた砂漠のど真ん中に、青々と茂る大きな木の写真が映し出されていた。
『次のニュースです。 先日、とある国で砂漠に巨大なバナナの木が生えていることが発見されました。バナナの木が生えている周囲は気温が低く、砂漠にいながら冷房の効いた部屋のように快適だった、とのことです。 現地の研究者は”まるで魔法だ”とコメントしています。 さらに近隣の街では”天使のような人影を見た”との証言もあるようで、エムニア特使との関連も――』
どうしよう。
魔法、かけっぱなしだった。
これ、魔法解きに行った方がいいよね…?
砂漠の研究者「魔法を解くなんてとんでもない!」