31 Side:エムニア 六翼議会と聖女
エムニアの星神、セレス視点のお話です。
エムニアの首都、大神殿の一室。
先ほどまで、お茶とお茶菓子をお供にティアラから地球訪問の報告を聞いていたセレスは、綺麗にカラになった白いカップと丸皿に視線を落として、わずかに頬をほころばせた。
ティアラは好き嫌いがあまりなく、出されたものは何でも美味しそうにパクパクと食べる。
そんな彼女を眺めながらお茶をする時間は、セレスにとっては数少ない癒しだった。
ティアラは今、前世の故郷である地球とエムニアを忙しそうに行き来している。
しかし、その忙しさを楽しんでいるようでもあった。
魔神討伐の時のティアラは、どこか生き急いでいるように、何かに駆られるように戦いの日々に身を投じていた。
そんな、今とは違う忙しさの中でも笑顔を絶やさない彼女だったが、ふとした瞬間に空を見上げて寂しそうな横顔を覗かせていたのを覚えている。
そんなあの子が今は、自分のやりたいことに全力を注いで心から笑っている。
そのことがセレスは嬉しいのだ。
セレスは空になったカップに視線を落とし、そんなティアラが話題に挙がっていた先ほどの会議を思い出していた。
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白水晶の間。
大神殿にはそう呼ばれる白を基調とした六角形の広間がある。
そこは六翼による会議を開くための場所だ。
エムニアの統治者、星神であるセレスの意思を聞き、その意向をエムニア全土に届ける。
セレスの統治を支援し、実務を担う組織、六翼議会。
しかし、魔物や魔神との戦いが激化したここ数百年は、セレスは上がってきた意見を追認するばかりで、自分から政に参加することはほとんどなかった。
そのため、六翼議会は実質的なエムニアの政府組織となっていた。
星神としての役割、星に住まう民を魔物の脅威から守るため、エムニア全土の都市結界の維持に集中していたためだ。
そのため、セレスは普段は大神殿の一室に籠り、結界の維持に意識を割き、たまに式典へ顔を出す程度であった。
そんなセレスが今回、久しぶりに六翼議会へ出席したのは、地球との交流とティアラのことについて、正式に公表するためだ。
6人の各分野の局長が持ち寄った議題が終わったタイミングを見計らい、セレスは口を開く。
「皆に話があります」
滅多に意見を口にしないセレスに、六翼議会の面々はわずかに動揺を示した。
それを目端で捉えながら、しかし気にすることなくセレスは静かに話し始める。
勇者召喚の時にも使用した”呼び声”の魔法で探索をしていたところ、豊かな文明を持つ星を発見したこと。
セレスのほかに唯一、”世界を渡る魔法”が行使できるティアラをその星、地球に派遣したこと。
ティアラを地球との交流の特使に任じたこと。
セレスは、天使族の里長に相談しながら決めた内容を淡々と告げた。
「困りますなぁ、セレス様」
片眼鏡に指を添え渋い顔をしたのは、樹霊の老人。
施策と司法を担う、実質的な六翼議会のトップである政務局長のローグだった。
「彼女はまだ百にも満たない幼子ですぞ。 先日魔神討伐の任をようやく終えたばかりだというのに、またそのような大役を任せるとは…、あの娘にはもっと自由を謳歌させてあげるべきではないですかな?」
「そもそも——」と孫をかばう祖父のようなことを言い始めたローグにセレスは苦笑する。
「いえ、これはあの子が望んだことなのです」
「ほう? しかし、それでも見知らぬ土地にあの娘一人を送り出すというのも如何なものかと——」
「いいじゃねえか、爺さん。そもそもあの嬢ちゃんがジッとしてられるような玉かよ。戦場じゃあ真っ先に敵のど真ん中に突っ込んでいくような奴だぜ?」
そう言って、鼻を鳴らして丸太のような太い腕を組む赤錆色の髪の獅子の獣人。
騎士局長ブロードだ。
「それにティアラの嬢ちゃんは、俺らが心配するほど軟じゃねえだろ。一対一なら俺より強えしな」
「また模擬戦の相手してくれねえかな」と猛獣のような顔で笑う。
「やめなさいブロード、そんなだから聖女様に避けられるんですよ。 …しかし、お一人で見知らぬ土地へ行っているというのは私も心配ですわ。道に迷ったり、その辺で拾ったものを口にしたりしてなければいいのですが…」
頬に手を当ててふぅと息を吐く、灰色の翼を背中から生やした妙齢の女性。
医療局長のサヨナ、彼女はティアラとは別の里出身の天使族だ。
彼女のいう「その辺で拾ったものを口にする」というのは、「聖女様、竜まるかじり事件」のことだ。
魔力から生まれた魔物だが、その一部は元から存在していた生き物と番になり子をなして、だんだんと生物として定着する。
そしてその過程で魔力の身体を失い、代わりに肉体を得た。
それが魔獣。
そうして一部のドラゴンも、魔獣としてエムニアの生態系に加わり、今もエムニアの空に存在している。
まぁ人を襲う魔物のドラゴンと異なり、魔獣のドラゴンは畑を派手に荒らしていくので概ね害獣扱いなのだが。
そんな魔獣のドラゴンを勇者一行が退治した際、ティアラはその尻尾の肉を輪切りにして魔法でこんがり焼いてかぶりついた。
魔獣の肉には毒がある。
元々が人類を滅ぼすために生まれたような魔物なのだ。ある意味当然と言えた。
そんなものを口にしたティアラを見て周囲は大慌てだったが、本人はケロッとしており不思議そうに首を傾げていたそうだ。
セレスも後で本人から話を聞いたが、「ドラゴンの肉は美味しいって聞いたので!」と元気よく言っていた。あの子は一体どこでそんなことを聞いたのかしら…とセレスは額に手を当てた。
民衆には神聖視され、あまり知られていないティアラのやらかしエピソードも、エムニアの統治組織である六翼議会の面々はよく知っている。
そのため、ティアラは彼らから「聖女に相応しい実力はあるが、手のかかる孫」として扱われていた。
「皆さんの心配も分かりますが、私はティアラ様の持ち込む品に興味がありますねぇ」
「お、分かるかモーケス! 流石は元星一番の商人じゃのう」
心配だ、心配し過ぎだ合戦をしている三人を放置して、大きく膨らんだお腹を揺らしながら笑う巨人族の男と、三角帽子の小柄な老人が意気投合していた。
財務局長のモーケスと、魔法局長のウーロィだ。
二人はティアラが持ち込んだ地球の電子機器、音楽プレイヤーについて語る。
「ウーロィ翁はあの音が流れる道具をご覧になりましたか?」
「うむうむ、ありゃぁ凄い! 魔力も術式もなしにあの大きさで何種類も音が出せる。あれを魔法具に組み込めれば、音で術式を組んで一つの魔法具で複数の魔法を扱うことも出来るじゃろうなぁ」
「売れますかな?」
「そりゃぁもちろんじゃ! しかも作った魔法具を地球に持ち込めば、さらに珍しいもんになって帰ってくるんじゃろ?」
「でしょうなぁ。セレス様のお話や耳に入る情報から察するに、エムニアとはまったく異なる技術で成り立っている文明のようですので。 交易がお互いの益になることは間違いないでしょうな」
「いいのぅ、いいのぅ、早く研究したいのう」
「その際は私も出資しますので、お声がけくださいな」
ふっふっふ、と悪い顔で笑う二人の大人がいた。
そんな彼らに視線を巡らせて、セレスは思案する。
思った通り、地球との交流に対しては皆前向きだ。
問題があるとすれば、ティアラ一人を行かせてしまっていることだが…
セレスは先ほどから黙ったままの最後の一人に声を掛けた。
「シャドナ、貴方はどう思いますか? 地球との交流、それにティアラの特使任命について」
「……」
暗色のローブをすっぽり被って顔を隠した諜報局長シャドナは僅かに顔をあげ、視線をセレスに向けた。
「……ティアラ様に会えなくなるの、寂しい。でもティアラ様、楽しそう。だからいいこと」
「そうですね、あの子は今とても楽しいそうです」
「うん、だから我慢する」
シャドナは戦場でティアラに命を救われて以来、彼女の大ファンなのだ。
なので、彼女はいつもひっそりと影からティアラを見守っていた。
流石に転移先まではついていくことが出来ず、最近元気がなかったようだがティアラの地球との交流については賛成のようだ。
ティアラが”世界を渡る魔法”を使いこなせるようになるか、彼女の魔力量がさらに増えれば、いつかはもう一人くらい一緒に連れていける日が来るだろう。
それまでは、心配ではあるがティアラ一人にお願いするしかない。
「それでセレス様、我々にそのお話をなされたということは正式に公表なさるのですな?」
話し合いに決着がついたのか、コホンと咳払いしてから政務局長ローグがセレスに向き直る。
「えぇ、そのつもりです。ですので手続きなどを皆にお願いしたく」
「それについては問題ありませんぞ。ですが……」
そこで言葉を区切ると、ローグは思案気に片眼鏡を押さえた。
「私個人としては、心配ではありますがあの娘の望みであれば応援したいと思っております。心配ではありますが。 …ですが政務局長としては、聖女ティアラが一時的とはいえエムニアを離れることに些か不安が残ります」
「…万能薬のことですわね」
「左様」
言葉を引き継いだ医療局長サヨナに、ローグは重々しく頷く。
「現在のエムニアにおける治療薬といえば、聖女様の万能薬を希釈したポーションが一般的です。掛けて良し飲んでよし、怪我も病もたちどころに癒す万能の薬。 ですがこの万能薬は、現状聖女様の魔法でしか作ることが出来ませぬ。 魔神を討伐した今、大量に必要になる機会は少ないでしょうが…それでも流行り病などが起これば、その薬に頼らざるを得ないでしょうな」
「医療局の治療師が全力で解析と複製にあたってはおりますが、未だに複製はおろか、解析すら出来ておりません。 …情けないお話ですが、ローグ殿がおっしゃる通り、聖女様のお力に頼り切りになっております」
ゆるゆると首を振るサヨナに、シャドナがぼそりと付け加えた。
「万能薬だけじゃない、ティアラ様がエムニアにいない。それだけで不安に思う民がいるのも事実」
そうなのだ。
セレスが懸念していることもまさにそこだった。
ティアラは強い。
聖女という称号を冠するに値する実力を、いやそれ以上の力を持っている。
だからこそ、”癒し”と”守り”の象徴として機能しすぎてしまった。
彼女がいれば癒してくれる、守ってくれる。
彼女がいれば安心だという感情が。
彼女がいない、というだけで不安を覚えるほどに。
戦いが終われば剣を置くことが出来る勇者と異なり、聖女の癒し力は戦いの後にこそ必要とされる。
それが分かっていたからこそ予算をやりくりして派手な戦勝パレードを執り行い、大々的に”勇者一行は身を引く”ことを喧伝したわけだが、諜報局のシャドナがそう言うのであれば、思ったよりも効果がなかったのだろう。
ぶすっとした顔で騎士局長ブロードが口を開く。
「だがそれはあの嬢ちゃんに背負わせるもんじゃねーぞ。 嬢ちゃんは十分戦っただろうが、あとは俺ら大人が引き受けるもんだ」
「それは、その通りなのですがね」
グッと片眼鏡を押し込んで息を漏らすローグ。
重い沈黙が流れるなか、モーケスがことさら明るい声を挙げた。
「だからこそ、ティアラ様の持ち込む娯楽の品々は効果がある、と私は考えますがねぇ」
それに続くのは三角帽子を傾けて、髭の奥でにやりと笑うウーロィ。
「たしかにそうじゃの。不安に思うから聖女としてのティアラちゃんが必要になるんじゃ。なら不安に思う暇がないくらい楽しくしてやればえぇ」
「……そうですね、その通りです」
セレスは俯きかけた顔をあげて、口元を緩めた。
そうだ、あの子は言っていたじゃないか。
「みんなで楽しく遊びたい」と。
セレスは心の中で呟いた。
あの子と、この星に明るい未来があらんことを。
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会議の後。
「あぁ、それはそれとしてセレス様。 さすがに今から予算をつけるのは無理ですぞ。 早くとも年明け…いや来春には確保できると思いますが」
「やはり、そうですよね。 …仕方ありません、ティアラにはそれまで何とか頑張ってもらいましょう」
ここにあと半年、予算なしで交流を続けることが決まった。
ひーひー言いながらも楽しそうに飛び回るティアラが目に浮かんで、セレスは思わず苦笑してしまった。
「竜まるかじり事件」以外にも、「コカトリス・フライド事件」とかあったり…