閑話 式典後の勇者
閑話です。
ティアラが地球に行っている間の、勇者エレクのお話。
勇者エレクの朝は早い。
日が昇る前に起き、身支度を整えてから屋敷の庭で剣の素振りをする。日が昇る頃にはティアラ直伝の浄化の魔法で身を清め、畑の見回りをする。畑には植物の成長を促進する効果が込められた案山子が立てられており、週に一度は収穫が出来るほどだ。見回りをして食べごろの野菜を収穫し、採れたての野菜と食料庫に備蓄してある干し肉で朝食を作る。
「いただきます」
手を合わせ食前の挨拶をして、食器を手に取る。
旅の間、ティアラが行っていた変わった風習は気が付けば仲間たちの習慣になっていた。
採れたての野菜と干し肉の出汁が効いたスープは朝にふさわしい優しい味で、少し硬いパンと食べるには合っていた。仲間たちと共に旅をしている時もこうしてよくスープにパンを浸して食べたものだ。まだあれから一年も経っていないのに懐かしく思えた。
食事を終えたエレクは片付けを終えると、屋敷の掃除を始める。広い屋敷にも関わらず使用人は雇っていないため一つ一つの部屋を一人で順番に掃除していく。と言っても、毎日掃除をしているのでほこりなどもほとんどない。慣れれば日が昇りきる前には終わる程度だった。
そうして掃除を終えたエレクは、一人テラスで安楽椅子に座って本を開く。
「………」
爽やかな風が駆け抜け、パラパラとページをめくった。
本の捲れる音と手すりにとまった小鳥たちの囀りに耳をすませる。
ゆったりとした時間が空に漂う浮島を流れる。
「どうしてこうなった……」
目を閉じ、小さく呟いたエレクの声は哀愁に満ちていた。
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それは魔神討伐の褒賞として、勇者一行がそれぞれの願いを星神様に告げる場でのことだった。
勇者エレクは異世界人である。
いや、科学文明による発展を遂げた星から来た彼に合わせていうならば、異星人であった。
エムニアの魔神を討伐するため、その素質のある者が勇者として召喚された。
それが彼、勇者エレクであった。
魔神討伐という大役を成し遂げた彼が願ったのは、残りの人生をエムニア星で穏やかに暮らすことだった。そもそも元の世界、生まれ育った星に帰るという選択肢を持ち合わせていなかった彼は、旅の最中も仲間たちによくこう言っていた。
「もし魔神を討伐出来たら、そのあと僕はこのエムニアで(みんなと)穏やかに暮らしたいんだ」
照れくさそうにそう言った彼に、仲間たちは口々に同意し頷いた。
だから彼は、魔神を討伐した褒美として「何でも一つ願いを叶えてもらえる」と言われても、本当は願うものなどなかった。ただ皆と穏やかに暮らせればそれで良かったからだ。
少し欲を出すなら、想いを寄せる少女に振り向いて貰いたかったが、多くは望むまい。
しかし、もし彼女や仲間たちと共に暮らすことになったらどこがいいだろうか。
仮にも魔神を討伐した者たちだ、その強大な力を取り込みたい利用したいという輩は出てくるだろう。生まれ育った星で、そういったドロドロとした権力争いをうんざりするほど見てきたエレクは考える。
どこかの都市に住むのは軋轢を生むだろう。
かといってこのまま大神殿に厄介になるのも気が引ける。
そうして、どこの勢力にも所属せず仲間たちと穏やかに過ごせる場所として、彼が願ったのは魔法の力で空に浮かぶ”浮島”だった。
仲間が口にする願いを聞きながら彼ららしいと、苦笑していると想い人が願いを告げる番になった。
ほんのわずかな期待を胸に聞いた言葉は、予想だにしないものだった。
「私の願いは”世界を渡る魔法”、その知識を授けて頂くことです」
エレクは一瞬、「まさか異星人である僕のために?」との考えがよぎるがそんなはずはない。
彼女は、エレクが故郷に帰りたがっていないことを知っている。
ではなぜ?と疑問に埋め尽くされていると気が付けば式典は終わっていた。
数日後、星神から魔法の知識を授けられると同時に倒れこんでしまったティアラのお見舞いに大神殿の休憩室を尋ねると、そこに彼女の姿はなかった。
「勇者エレク殿か、ティアラ様の見舞いかね?」
「えぇ、そのつもりだったのですが…。彼女はどこへ?」
通りかかった大司祭に声を掛けられたエレクは、ティアラの所在を問う。
訝しげな顔を浮かべた大司祭だったが、すぐ得心がいったような顔をした
「ご実家の天使族の里にお帰りになられた。賢者マーロィ殿と共にな。…そうかお主は聞かされておらなかったのだな」
「……」
思わず惚けてしまった。
彼女はあんな楚々して儚げな見た目をしているのに、どこか自由奔放なところがある。彼女のそんな奔放さが発揮されるときは大抵周りが見えておらず、何かしらやらかす。それをフォローするのはいつも他の仲間たちだった。
「ずいぶんといい笑顔をされていた。『私のやりたいことことがようやく出来るんです』と瞳を輝かせて言っておったよ」
「あー…」
これは何かやらかすに違いない。
勇者エレクはそう確信した。
ティアラとマーロィは話も出来ずにどこかへ行ってしまったため、勇者エレクは大神殿の城下町に滞在していたガドーに会いに行ったが、
「俺も里に帰る。妻と娘が待っているのでな」
とすげなく断られてしまった。
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そうしてエレクは今、仲間たちとスローライフを送る予定だった浮き島と広い屋敷に一人で住んでいる。
「どうしてこうなった…」
もはや日課になってしまった台詞をぼやきつつ安楽椅子に背を預ける。
空を眺めていると何かが光った。
「…うん? ワイバーンか?」
魔神が居なくなったからといって、急に魔物も全て居なくなるわけではない。
多くの魔物は倒せば塵となってそれで終わりだが、一部の魔物は長い年月の間に肉体を得て種族として定着したものもいる。ワイバーンなどはその部類だ。
魔物を警戒したエレクは剣を片手に屋敷を飛び出すが、結果的にそれは不要であった。
「や、遊びにきた」
「マーロィ、君か……」
ほっと息を肩の力を抜くと、マーロィは別の意味に受け取ったのか少しムッとした声を出した。
「それはティアラじゃなくて残念って意味?」
「い、いや。そういう意味ではない、こともないけど…」
ふーん、とどうでも良さそうに周囲をぐるりと見渡してマーロィはエレクに視線を戻す。
「スローライフ、って言うんだっけ。あんまり楽しくない?」
「流石に一人だとね。何年もみんなと旅をしていたから、余計そう感じるのかも」
「そっか」
少し機嫌を直したのか、マーロィは軽い足取りで屋敷に入っていく。エレクもそれに続いた。
屋敷の中、初めて使う客間にマーロィを案内する。
畑で育てているハーブで淹れたお茶を、対面に座った小さな仲間に差し出す。マーロィはカップを両手で持つと、喉を鳴らす勢いでお茶を飲んだ。相変わらず飲みっぷりに、記憶の中のティアラが「はしたないですよ!」と注意している場面が思い浮かぶ。苦笑しつつ、エレクは尋ねた。
「それで、マーロィは突然どうしたの?」
「ティアラが出掛けて暇になったから来た」
淡々と返事をした後、こくこくとお茶を飲む。
思ったよりも気に入って貰えたようだと少し安堵しつつ、マーロィを見る。
「ティアラはどこかに出掛けたのかい?」
「うん、異世界。 …いや、別の星?」
「何だって!?」
異世界に出掛けた、つまりティアラがどこか別の世界に召喚されたのかと慌てたエレクは思わず席を立つ。しかし、マーロィの落ち着きぶりにどうやら緊急事態でもないようだと思い直し、気恥ずかしくなって座りなおす。
「相変わらずティアラのことになると、早とちりする」
「っう。 べ、別にティアラだけ特別なわけではなくて仲間なら誰でも…」
「そういうのはいい。……いい加減、エレクは自分の気持ちに正直になった方がいいと思う。 そういうところは、ティアラの方がよっぽど正直で素直」
「いや、彼女のあれは正直というか自由人というか…」
気まずくなったエレクは自分のカップに口をつける。
スッと鼻に通る香りは、少し心を落ち着かせてくれた。
「それでティアラはどうして異世界、というか別の星に?」
「娯楽がたくさんある星だから、行きたかったみたい」
「…なるほど」
確かにいつも彼女は娯楽に飢えていた、とエレクは思い返す。
エムニアはここ1000年の戦いで、娯楽文化はすっかり衰退してしまっていた。
そんな中、ティアラは旅の間も「遊び」と称して、魔法で人形をつくったり、光で絵を書いたり、特に意味のない効果音やエフェクトを魔法につけたり、追尾魔法をわざわざ光の剣や槍にして飛ばしたりしていた。高度な魔法や余分に魔力が必要なモノばかりだったが、本人は「普通に使うと面白くないから」と言っていたっけ。
懐かしむように目を細めていたエレクだったが、そこでふと疑問に感じた。
「マーロィ、ティアラは何でそんな娯楽がたくさんある星を知っていたんだい? 行ったこともない星なんだろう?」
「……秘密。少なくとも私からは言わない」
ふいと顔を逸らしたマーロィからは、絶対に言わないという意思を感じた。
追及は意味がないと早々に悟ったエレクは、話題を変えることにした。
「それでティアラはいつ頃帰ってくるんだい?」
「あと10日くらいだと思う。あの魔法、ティアラでも気軽に使えないくらい必要な魔力が多いから」
「それは片道で?」
「そう」
「それはまた、とんでもない魔法だね」
ティアラの魔力量は多い。
旅の間も度々ティアラは自分で自慢していたが、実際に彼女以上に魔力が多い人間をエレクは数人しか知らない。
そんな彼女でも使用するには10日分の魔力を貯める必要がある。
”世界を渡る魔法”、やはりとてつもない魔法だ。
改めて件の魔法について、考えを巡らせているとマーロィがカップを置いた。
エレクはポットを持って席を立つ。
「今おかわりを淹れるよ」
「いい、私も用事があるからそろそろ帰る。 ……ハーブティー美味しかった」
エレクはポットを持ったまま目を瞬かせた。
マーロィがお礼を言うなんて珍しい、本人もらしくないと自覚があるのか少し目をそらしている。
恐らくティアラの影響だろう。あの子は自由人に見えて意外としっかりしたところもあるのだ。
思わず笑みを浮かべながら返事を返す。
「それは良かった」
「ん」
玄関までマーロィを見送りに出ると、彼女はふりかえって「そういえば」と口にした。
「そのうち、ティアラがエレクを頼ってここに来るかも」
それだけ言うと魔法具の本を広げて魔法を使うと、トンッと軽い調子で地面を蹴って飛んで行った。
「……そうか」
エレクは自分の口角が自然と上がるのに気が付いた。
我ながら単純なことだと自嘲しながら、翌日から剣の素振りに一層熱を入れるエレクだった。
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