インドパシフィック合同軍編 第1章 嘉手納基地親睦祭 1
みなさん、おはようございます、こんにちは、こんばんは、お疲れ様です。
インドパシフィック合同軍合同空軍在日アメリカ空軍嘉手納基地。
基地内は、賑わっていた。
インドパシフィック合同軍在日アメリカ軍は、大日本帝国の軍民との親睦を深めるために嘉手納空軍基地で、親睦祭を開催した。
「ふむ・・・」
大日本帝国海軍聯合艦隊司令長官である山本五十六大将は、嘉手納空軍基地の正面ゲートを潜った。
「日本だというのに、外国軍の施設があるというのは、何やら違和感を覚える」
「まったく、その通りです」
聯合艦隊先任参謀の黒島亀人大佐が、頷く。
「山本長官!あそこに、米軍機が展示されていますよ」
菊水総隊司令官付特務作戦チームの石垣達也2等海尉が、展示されている米軍機に指を指す。
「ほぅほぅ」
最初に訪問客を出迎えるのは、第2次世界大戦で活躍したアメリカ陸軍航空軍の主力爆撃機であるB-25[ミッチェル]である。
「石垣君。これが君の言っていた皇国本土を初空襲した爆撃機か・・・?」
「はい、そうです」
石垣は、長々と説明を開始した。
1942年4月18日、アメリカ海軍太平洋艦隊に所属する航空母艦[ホーネット]に艦載されたB-25[ミッチェル]は、空母[エンタープライズ]の護衛下で、大日本帝国本土を目指していた。
パールハーバー以来、アメリカ合衆国は大日本帝国の攻勢にてんてこ舞いという状態で、何をするにも後手に回っていた。
形勢逆転とパールハーバーの復讐という事で、B-25による大日本帝国本土への空襲が容認された。
空母[ホーネット]から発艦したB-25は、東京府東京市、神奈川県川崎市、横須賀市、愛知県名古屋市、兵庫県神戸市等へ爆撃を行った。
「陛下のおわす、宮城近辺を空襲されるとは・・・海軍として創設以来の不覚である」
聯合艦隊参謀長の宇垣纒少将が、苦虫を嚙み潰したようにつぶやく。
「ご安心下さい。そのような事態にならないように、私が提案した本土防衛行動計画は、万全です。さらに、その穴を埋めるように破軍集団自衛隊が、首都圏及び政経都市の防衛・警備を任されています。歴史上の失態を犯すような真似はしません!」
石垣が、胸を張る。
「だと・・・いいな・・・」
黒島が、つぶやく。
「ですが、参謀長、先任参謀、彼の持ち込んだ記録を軍令部、聯合艦隊司令部で検証し、帝国海軍による東京防衛及び東京警備の態勢は、大きく改善されています」
発言したのは、聯合艦隊司令部の幕僚である髙野正雄少佐である。
石垣とは、よく意見が合うため、かなり仲がいい。
彼の言ったように海軍航空隊の規模を拡大させて、東京の防衛態勢が強化された。
横須賀航空隊、厚木航空隊、霞ヶ浦航空隊等の飛行場に戦闘機部隊を増強した。
「さらに、今回は史実の作戦を大きく変更しますので、歴史通りにはなりません」
「まあ、そうなのだが・・・」
山本が、口を開いた。
「敵は人間である。思いもよらない行動をするのが人間だ・・・」
「それでは長官、あちらに展示されている爆撃機を見ましょう」
山本の小さな独り言は、石垣の耳には届いていないようだ。
B-25の隣に展示されている戦略爆撃機は、大日本帝国本土空襲の主役であるB-29[スーパーフォートレス]である。
「これが、我が国を焼け野原にするのか?」
山本が、B-29を見上げながらつぶやく。
「陸軍が、将来の戦略爆撃機として、B-29を研究用として購入しましたが・・・我が海軍も、購入するべきだったのでは・・・?」
髙野が、つぶやく。
案内図を見ながら石垣の案内の下、山本たちは嘉手納空軍基地の広場に設置された席に着いた。
「只今より、1940年12月8日、インドパシフィック合同軍在日米軍主催の親睦祭を開催したいと思います。本日の司会及び副司会は、日米親睦を深めるために設立された私立嘉手納学園の2年生であります。星辻詞と」
「同じく、2年生の舘浦潤です!」
「2人で、司会と副司会を勤めさせていただきます」
嘉手納学園の女子生徒である星辻は、馴れた様子で挨拶をしているが、副司会の男子生徒は緊張した様子で対応している。
「私たち2人は、沖縄県出身という訳ではありませんが、米国人と交流を深めるために、首都圏から嘉手納学園に入学しました」
「はい、入学しました!」
「舘浦さん。随分と緊張していますね?」
「それは、もちろん!ここには、歴史の教科書にしか登場しない偉人がたが、出席しているのです。星辻さんは、緊張していないのですか?」
「私は東京の女子中学校出身でしたから、政界、経済界等の要人がたと顔を合わせた事があります。それが関係しているのかもしれませんね」
「へぇ~・・・そうなのですか・・・」
「では、皆様、各会場の説明をします。ここ広場では、町内会及び本校の学園生たちが開催している飲食店及びバザーがあります。体育館では、沖縄地上戦の資料と実際に沖縄地上戦を経験した戦争体験者たちによる講演が行われます。そして、駐機場には、アメリカ空軍が現在使用中の軍用機が展示されています」
「さらに、午前と午後の2回、行われる在日米空軍による展示飛行が開催されます。ヘリコプター、輸送機、戦闘機といった順に、展示飛行が開始されます」
「舘浦さん。そんなに緊張しないで下さい。もっと楽しくやりましょう!」
司会と副司会の高校生の会話を聞きながら、宇垣が黒島に耳打ちをした。
「未来人というのは、女の方が、肝っ玉が据わっているのだな」
「そうですね・・・男は情けない姿を露わにしても、恥とも思っていません」
「展示飛行に参加するパイロットたちは・・・」
宇垣が、パンフレットをめくる。
「F-15C[イーグル]のパイロットは、第18航空団第44戦闘飛行隊・隊長・・・女か・・・」
「今回の展示飛行の名物だそうですよ」
黒島がつぶやく。
「それでは、智宮治仁殿下より、開会のお言葉を賜ります」
司会の女子高生が、202X年から派遣されて来た皇族を紹介した。
出席者の帝国陸海軍関係者及び帝国臣民が、姿勢を正した。
「皆さん、おはようございます!」
「「「おはようございます!!」」」
帝国陸海軍関係者及び帝国臣民が、頭を下げる。
「今日は、未来の日米と親睦を深めるために開催されました祭りです。開催日が何故12月8日なのか?それを知っている方もいるでしょう。1941年12月8日、大日本帝国海軍がハワイ諸島オアフ島のパールハーバーに対して奇襲攻撃を仕掛けました。しかし、在米日本大使館職員のミスにより、宣戦布告書が奇襲攻撃後に提出され、だまし討ちになってしまいました。その結果、アメリカを怒らせる事になりました。その日にちなんで、この日に開催の運びとなりました」
智宮親王殿下からの開催の挨拶が終わると、親睦祭が開催された。
今回、親睦祭に参加している大日本帝国側の出席者たちは、軍人は帝国陸海軍の高級幹部や上級幹部と一部の下級幹部(下級幹部の場合は審査に合格した者のみ)であり、その家族も対象である。
さらに陸軍大学及び海軍大学に通う学生たちはもちろんの事、校長及び上級幹部以上の士官たちの審査を受け、合格した陸軍士官学校、海軍兵学校等の軍学校に通う学生たちも出席している。
文民からは、各省の高級官僚や上級官僚とその家族、財閥からも家族単位で出席している。
「では、山本長官。どこから回りますか?」
「ふむ・・・」
山本が、顎を撫でる。
「私は、まずは出店を回りたいですな・・・」
山口多聞少将が、パンフレットに記載されている出店の欄を見ている。
「そうだな・・・ここはアメリカ流に従って、何かをつまみながら、回るとするか?」
山本の言葉に、随行員たちが頷く。
「石垣君。折角なので、アメリカ系の軽食を食べたい。案内してくれ」
「わかりました!」
石垣が、挙手の敬礼をする。
「では、アメリカでしたら、ホットドックやアメリカンドックは、いかがですか?」
「それは美味そうだ」
石垣に案内され、山本以下随行員たちが出店区に移動した。
「ホットドックとアメリカンドックを、お願いします!」
「は~い」
店頭に立っている女子高校生が、明るい返事をした。
「はい、どうぞ」
石垣と山本以下随行員たちに、ホットドックとアメリカンドックが1つずつ提供された。
もちろん、料金はそれぞれ支払った。
(さっすが、名門学園!旧札や新札を理解している)
山本以下随行員たちは、戦前で使用された旧札で支払った。
女子高校生は、正確に計算し、旧札のお釣りを出した。
出店区では、参加者たちによって大変賑わっていた。
「それでは山本長官、どこを回りましょうか?」
「ああ、ならば体育館に行きたい」
「体育館ですか?沖縄地上戦の資料を、ご覧になられるのですか?」
「そうだ。それと沖縄地上戦を経験した元兵士たちや、元従軍看護婦たちの生の声が聞きたい」
「そうですか・・・」
沖縄地上戦に関しては、石垣がまとめた資料や沖縄地上戦の資料を山本たちに提供しており、山本は徹夜で、沖縄地上戦の資料を頭に入れている。
「石垣君。確かに君がまとめた資料や、沖縄地上戦の資料は大変勉強になった。しかし、資料という物は特定の人物の思想に左右される。君がまとめた資料は、君の思惑が入っている。情報としては、幾つかあるうちの1つの情報でしかない。体育館に展示されている沖縄地上戦の資料は、君たちの時代から来た中等学校生(高校生)たちが、魂を込めた資料だ。海軍大将として、その資料は是非拝見したい」
「わ、わかりました」
石垣は、イマイチ意味がわかっていないような表情を浮かべた。
「おや?」
山本の足が止まった。
「牛島君!」
大日本帝国陸軍予科士官学校長兼陸軍戸山学校長の、牛島満中将だ。
「山本長官・・・?」
「君も、体育館に行くのかね?」
「はい、沖縄地上戦に関しては、資料に目を通して承知していますが、それを経験された者と、それを学んだ世代の話に興味がありまして、これから行くところです」
「ならば丁度いい。私たちも行くところだ」
「では、ご一緒に参りましょうか?」
「ああ、そうしよう」
沖縄地上戦。
1945年3月下旬から始まった、沖縄本島を主戦場とした激戦である。
沖縄本島での組織的戦闘は、4月上旬から6月下旬まで行われた。
連合国が、沖縄攻略を計画した目的として、大日本帝国本土空襲のための航空基地の確保と、九州及び関東への上陸作戦を行うための補給基地として利用するためである。
大日本帝国側では陸海軍共に、それぞれの目的は異なっていた。
陸軍としては、大日本帝国本土決戦に備えた準備の為に、沖縄を主戦場として時間稼ぎするためだった。
海軍は、神風特別攻撃隊を主体とした特攻作戦で、連合国に打撃を与えて、有利な条件下で講和を結ぶためと考えていた。
陸海軍で、歩調が合わない。
そんな状態で、沖縄地上戦が開始されたのである。
沖縄守備隊である第32軍は、サイパンの戦い等で失敗した水際防御を避け、ペリリュー島及び硫黄島の戦いで行われた、内陸部に誘い込み持久戦に持ち込み、連合軍を疲弊させ、陸軍参謀本部の基本計画である本土決戦のための時間稼ぎを行う事を、作戦の基本方針とした。
首里北方が激戦地となり、海上では海軍軍令部の基本方針であった講和条約締結のために、特攻隊を中心とした海軍航空隊と戦艦[大和]を基幹とした海上特攻隊が、沖縄特攻を実施した。
1945年5月末頃に、第32軍司令部が置かれていた首里地下司令部が陥落し、大日本帝国陸海軍は、南部に撤退した。
この時、主力となる師団や旅団をことごとく失っており、6月下旬には組織的抵抗が出来なくなっていた。
6月下旬頃に、第32軍司令官である牛島満中将以下幕僚たちが自決し、大日本帝国陸海軍の残存部隊は非正規戦の遊撃戦を実施し、連合軍を消耗させていた。
7月上旬に、連合軍が沖縄戦終了を宣言したが、その後も大日本帝国陸海軍残存部隊とその指揮下に入った沖縄県民で編成された民兵部隊及び少年兵部隊による非正規戦の遊撃戦が実施された。
最終的に沖縄地上戦の非正規戦が終了したのは、ポツダム宣言受諾後から3週間程度経過した9月上旬であった。
陸海軍において、大兵力が投入された沖縄地上戦だったが、連合軍アメリカ軍の統合司令官であった、サイモン・ボリバー・バックナー・ジュニア中将(戦死後に大将に昇進)が、大日本帝国陸軍の攻撃で戦死するという惨事が発生し、フィリピンの戦い及び硫黄島の戦いと並ぶ太平洋戦域の最大の激戦だった。
砲爆撃も激しいものだったため、202X年の時代でも不発弾が発見され、陸上自衛隊西部方面隊第15旅団施設科部隊傘下の不発弾処理隊が処理を行っているうえ、海中からも機雷や魚雷等が発見され、海上自衛隊の掃海艇が掃海処理を行っている。
犠牲者として、沖縄県民だけでも10万人が犠牲なった。
当時の沖縄の人口が40万人程度であったため、全体の4分1が犠牲になったのである。
アメリカ陸軍及び海兵隊は、大日本帝国陸軍、海軍陸戦隊によるゲリラ戦を警戒していたため、火炎放射器による火炎放射で地下壕に潜む沖縄守備隊の将兵を焼き殺した。
この中には、避難した沖縄県民や陸軍に徴兵された民兵及び少年兵、従軍看護婦も含まれており、彼ら、彼女たちの多くが犠牲になった。
嘉手納空軍基地の体育館で展示されている沖縄地上戦の資料は、学園に所属する日米の高校生たちが、それぞれの立場で、資料を作成していた。
インドパシフィック合同軍編 第1章をお読みいただきありがとうございます。
誤字脱字があったと思いますが、ご了承ください。