少女と聖騎士
結局、誰がシンシアの命を狙っているのか。その口から語られなかった。
シンシアが何かを言おうとした瞬間、礼拝堂の扉を見て、私を抱きしめてきた。何をするのかと声を上げようとすると、扉が勢いよく開き、何人かの男の人が突入してきた。
彼らは悪魔(私を襲った人造の異形のことだ)を倒すため、ここから近い都市より派遣された聖騎士なのだそう。シンシアは彼らの姿を見た瞬間、さっきまでの飄々とした態度からは想像もできないほどしおらしくなり、聖騎士に飛びつき、大粒の涙を流した。この村を襲ったのは悪魔だ。悪魔は住民みんなを吸収し、私たちはなんとか教会で隠れてやり過ごしていたのだと大嘘をついたのにはびっくりした。
シンシアは自らをカマルと名乗り、私のことは妹のクラヴィスだと紹介した。私が口を開くと、何かボロを出してしまうかと思ったのか、聖騎士への対応は全てシンシアが行った。妹は悪魔に追われ、心が疲弊しているのだとシンシアは聖騎士に訴えた。
しばらくすると、聖騎士達から大隊長と呼ばれている男性がやってきた。他の聖騎士とは制服の意匠が明らかに異なる。高位の役職についているんだなというのが一目でわかった。闇のように黒い、少し長めの前髪からぎらりと覗く鋭い目に身体が思わず強張る。
「彼女らは神殿預かりとする」
とだけ言い、その場を立ち去っていった。親切な聖騎士が後から説明してくれた内容によると、悪魔に襲われた村などの生存者は神殿で身柄を預かることが多いらしい。子供なら孤児院、大人なら神殿で仕事を斡旋し、場合によっては聖騎士へ勧誘することもあるそうだ。
こうして私たちは聖騎士たちの本拠地である都市───シオンへ到着した。
***
「お前は一体何をやっているんだ!!!」
室内に響く怒声。声の主である大隊長さんは顔を真っ赤にし、怒りで身体が震えている。怒りの対象であるシンシアは我関せず状態でせっせと私の髪を櫛(どこから出したのか)で梳かし始めた。
シオンに到着後、私たちはすぐ神殿に迎え入れられた。神殿の方々(主にシスター?巫女?とにかく女性)はとても優しく、生存者である私たちのために風呂を沸かし、きれいな着替えと食事まで用意してくれていた。シンシアが言っていることは主に嘘なのだが、当の本人は綽々とそれを受け入れており、こっちが罪悪感で押しつぶされてしまいそうだった。
食事も済み一息ついた頃、大隊長さんからお呼びがかかった。村を襲った悪魔について詳細を聞きたいらしく、聖騎士による案内のもと、大隊長さんの書斎へ赴いた。もちろんシンシアも一緒である。
部屋に入り、ソファに促されて腰を落ち着ける。案内の聖騎士は部屋の外に待機するらしく、シンシアも続いて入室した後、扉は閉まった。瞬間、怒声である。
何か気に触ることをしただろうか。というか、この人シンシアのことを知っているのだろうか。それなら今回の嘘も既にバレているのでは。
「イザヤ、そんな大きい声出さなくても大丈夫だよ。長く生きている僕だが、まだ耳は遠くなっていない」
ほら、僕のサオリが怖がっているじゃないか。
いつから私はシンシアのものになったのだろうか。というか、大隊長さんの顔が怖いのだが。
「あ、あのー、とりあえずおふたりのご関係と、現状の説明をお願いしてもいい、デス、カ……」
居た堪れなさで言葉が尻すぼみになってしまう。そんな私を憐れんでくれたのか、大隊長さんは深いため息をつき、私たちの対面にどかりと座った。
「自己紹介が遅れてしまったね。私はアイザイア・アモス。この都市の聖騎士で大隊長を承っている。今、君の世話を焼いているソレとは腐れ縁でね。君のことは聞いている。気軽にイザヤと呼んでくれ」
アイザイア———イザヤさんは軽く自己紹介をし、にっこりと微笑んだ。教会での姿や怒声を轟かせていた先ほどの姿からは想像できないくらい気安い。差し出された手を握り、ちゃんと本名を名乗る。でも、私のこと知っているって……
「さっきも言った通り、ソイツとは腐れ縁でね。利害が一致している時には互いに協力するからある程度は聞いているんだ。悪魔———人造の異形に襲われたんだってね」
怖かっただろうに。この神殿にいるうちは、君の安全は私が保証する。———不本意だが、そこの怪物もそばにいることだしね。安心してもらっていいよ。
安全を保証する。その言葉を聞いた瞬間、視界が歪んだ。さっきまでなんともなかった身体が一気に震えだして、嗚咽が漏れる。見知らぬ場所で、形容しがたい化物に追いかけられ、殺される寸前だった。シンシアに助けられてからは彼女から受ける説明で頭をいっぱいにさせていたから実感はなかったけれど。そっか、助かったんだ。
どんどん涙があふれてくる私に、イザヤさんが真っ白できれいなハンカチを差し出してくれる。いかにも高級そうで受け取るのをためらってしまうと、シンシアが代わりに受け取り、私の頬に宛がう。もう片方の手で私の頭を撫でながらシンシアは私の涙を拭ってくれた。時折、ごめんねと謝罪をこぼしながら。
***
ひとしきり泣いた後、シンシアの命を狙っている者の正体、そしてその狙いなどの詳細をイザヤさんが説明してくれた。
シンシアの命を狙っているのは、この世界で広く信仰されている教団の上層部らしい。教団の上層部はシンシアが持つ神の奇跡を用いて私欲を肥しているのだそう。で、その富や名声を手放したくないから力を取り戻そうとするシンシアを排そうと謀っているのだとか。そして、いま私たちがいるこの神殿はその教団の支部らしい。
驚愕と恐怖でパニックになった私に、イザヤさんは落ち着き払って説明を続けた。この教団で信奉されている月の女神さまは神秘と魔力を司っており、信心があろうとなかろうと正義感に厚く、魔法適正があれば聖騎士として所属可能なんだそう。イザヤさんは上層部の腐敗に気付いて嫌気がさしていたところ、木を隠すなら~と軽い気持ちでシンシアに声をかけられて手を組んだのだと教えてくれた。
それにしても、シンシア。命知らずではないのだろうか。自分の命を狙っている教団の信徒に声をかけるなんて。シンシアが死んでしまった場合、私も死んでしまうのだから気を付けてほしいのだが。じとりとすぐ横に腰を下ろしている彼女を見やると、ひゅうひゅうとうまくない口笛をわざとらしく吹いていた。
こほん、とイザヤさんが咳ばらいを小さくすると、シンシアはしらーっと私の髪を梳かす作業へ戻る。そんな複体の姿に呆れつつ、イザヤさんは説明を続けた。
シンシアから声をかけられる数年ほど前から、この世界では悪魔と呼ばれる新たな魔物が人々を襲うようになった。古来より存在する一般的な魔物とは違い、魔法ではない特殊な能力を持つ悪魔について、イザヤさんはシンシアから正体を知る。悪魔———人造の異形は魔物より圧倒的に強く、一般の聖騎士は手も足も出ず少なくない犠牲が出ていた。故に、イザヤさんはシンシアと手を組む。イザヤさんは悪魔の情報を得たらシンシアに情報を流す。シンシアはその情報を元に能力を分析し、倒して能力を回収。イザヤさんは討伐報告のみ上層部へ提出する。といった具合らしい。
一通り説明を終えたイザヤさんは、遠い目をしながら手元のカップに口をつけた。シンシアと手を組んでからの数年間が余程大変だったらしい。黒々とした液体(恐らくコーヒー)を苦々し気に流し込み、深いため息を吐く。
「で、これからだが。ひとまずホサカ殿にはこの神殿に滞在していただくとして、シンシア、お前はどうするんだ」
「んー、とりあえず聖騎士になろうかなと。あ、もちろんサオリも一緒にね」
飽きもせずに、私の髪を梳かしながらあっけらかんと言い放つシンシア。驚愕の声が対面から発せられた。私とまったく同じ心境らしい。イザヤさんは口をあんぐりと開けて、信じられないと言うような表情でシンシアを見ている。
「かの世界はいたって平穏で、彼女は一般市民なんだろう!聖騎士の職務は主が治安維持だが、場合によっては悪魔祓いの遠征がある。そんなところに戦闘経験のない淑女を連れていけるかバカ!」
そうだ、そうだ、と私は頷くことしかできない。聖騎士。私の想像する中ではなんか、ゾンビとかドラゴンとかを相手に剣を振るったり、魔法を使ったりして退治するやつだ。さらに、悪魔祓いときた。人造の異形に対して逃げるしかなかった———なんなら殺される寸前だった私にいったい何を期待してくれちゃっているのか。
そんな私とイザヤさんの心境をまったく鑑みない悪魔のような女は、からからと笑う。なにわろてんねん。お前のせいでこちとら命の危機なんやぞ。
「サオリには私の能力を一部付与する。”召喚”と、”守護”があれば十分かな。これで後方部隊として入団可能だろう。私の能力だ。魔物なんて余裕だし、人造の異形にも大抵は勝てるよ」
はく、はく、と閉口するしかない私と頭を抱えて低く唸るイザヤさん。ちょっと、イザヤさん。私の代わりに何か言い返してくれません?
「———確かに、お前の能力であれば問題ないか。手配しておこう」
ちょっと、イザヤさーん!!??
こうして、わたくし保坂 さおりは齢17歳にして、異世界の聖騎士団へ入団することとなったのです。
「適正としては”業火”、もしくは”陽光”が良いと思うが───彼女、自分の正体のことは?」
「相変わらずさ。忘れたまんま」
「明かさなくていいのか。矛盾にすら気付いていないようだが」
「いいんだ、言う必要はない。思い出さないことが一番であったが───この世界に身をおいていれば自ずと思い出すさ」