8 残念令嬢観察する。
その日からリリーは公爵家にいる召使いや、護衛騎士、コックに至るまで。兎に角『男』と名の付く人をつぶさに観察し始めた。
当然父も兄も執事もその範疇なので、起床から就寝まで柱の陰に隠れて観察するのである。
食事時はナイフフォークの扱い、手の動かし方、座り方、歩くときの足捌き、立った時の力の抜き方腕の組み方、書類の捌き方やペンの置き方・・・・
「リリーッ!! 一体どうしたのッ?!」
まるで探偵のように付き纏い、常時手帳と万年筆を持ちメモをする妹にとうとう耐えられずに叫んだのは兄のアレクシス。
「え? 何がですか?」
キョトンとする妹は全く以て周りの訝しげな視線に気がついていないのだということに気がついた兄は本気で頭が痛くなり、頭痛薬を侍従に持ってこさせた。
「最近、リリーは私や父上や、セバスチャンに何か恨みでもあるのかい?」
「え? いいえ、何も恨みなどありませんけど?」
増々首を傾げるリリー。
「じゃあ、どうして僕たちを見張るの?」
そう言われて、ああ、という顔になるリリーに若干ホッとする兄。
「参考にしたいのです」
「?」
「お兄様達の格好良い動きを真似したいのです」
「?? 何でだ?」
コテンと首を更にかしげて
「男性になりたいのですわ」
そう言って、またも手帳に何かを書き込む妹。
「リリーーーーーッ!!」
兄の執務室で悲鳴が響いた。
×××
「まぁ、そうなるような気はしてたよ。ごめん」
優雅に紅茶のカップを傾けていたアルフィーがクスクスと笑う。
「冗談じゃない。可愛い妹が男になるなんて!」
この世の終わりが来たとでも云うように髪の毛をガシガシと掻きむしるアレクシスを見ながら、カップをソーサーに戻すと肩を竦めるアルフィー。
今日の彼は美女仕様ではなく、子爵らしい上品なフロックコートにトラウザーズ姿で公爵家の門を潜った。
「そもそも興味のある事を全力で突き詰めようとするのがリリーの良いところだからね」
事も無げにそう言いながら更に肩を竦める親友をギロリとにらみつける次期公爵。
「何でよりによって男装を勧めるんだよ」
「あー、それは俺が女装で救われたからさ」
「救われた?」
「まぁ、俺のことはいいんだ。それよかリリーだろ?」
「ああ。何からリリーは救われたいんだ? 何に困ってるんだ?」
親友の両肩をガシリと掴むアレクシスの手を迷惑そうに手で払う仕草をするアルフィー。
「リリーは自分から、というか、自分自身から救われたいんだよ。このままじゃ駄目だっって事は分かってるんだけど、どうやったらいいのかが分からないんだろうね。だから1度自分を完全に違う人間に落とし込んでみることを勧めたんだ」
「? 解るように説明しろ」
「アレク、お前脳筋か? まあいいや。リリーは自分から『嫌だ』って言わない子だろ? 昔からだ」
「? そうか?」
「リリーは周りの空気を読んで、ここまでは許されるっていうラインをいつも推し量ってるんだよ。だから好き放題やってるように見えても肝心な所は自分を主張しないんだ。ま、2番目の宿命だろうね。俺も自分がそうだから分かるだけだろうと思ってる」
「・・・」
「お前や両親に、婚約者を決められた時に嫌だってリリーは言ったか?」
「え、いや。それは無かったな」
「あいつあれでも恋愛結婚に凄く憧れてたんだぞ? でも政略結婚を受け入れただろ?」
「・・・」
「どうせ、自分を好きになってくれる人なんか居ないだろうからって諦めたように言ってたな」
「え・・・」
「知らなかったろ? ここだけの話、フィルの奴を子供の時にぶん殴っておけば良かったよ。俺も空気の読めすぎる子供だったからな」
「・・・ひょっとしてアレか?」
「そうだよ。未だに引きずってる。あのバカは自分のたった一言でリリーが自分の性別否定をする事になるなんて思ってもなかったろうけどな」
アルフィーが苦々しい表情で紅茶を一口啜った。