少女、犬の悪趣味を窘める
堅い石畳の上に置かれた木箱や木樽の間で目を覚ます。
目覚めは良好、とは言え無いわね、いまだにあの忌々しい音が続いてる。
ソレを振り払うように頭を振ってから、睡眠中暖めてくれていた愛しい義理の父親の喉もとの毛皮を撫でてあげる。
「おはようデーミック。良い朝よ」
答えは返ってこない。
仕方の無いお父様だこと、と思いながら更に両手を使って毛皮を探る。
するとその内すんすんと伸びた鼻から息が漏れる。
「起きてるんでしょデーミック。返事くらいしたら?」
「これは失礼を。おはようございますお嬢様」
今目覚めましたという感じを装うデーミックの腕の中から起き上がる。
すこし執事服を盛り上げているように見えて、わずかに毛皮で沈む胸元を押して立ち上がる。
森の地面とは違い、堅い石畳の地面は少し身体に強張りを持たせたようだったので、適当に伸びをして解していく。
「デーミック。お腹が空いたわ」
「それではお嬢様。迷宮から適当な成果を持ち帰ってお金を作りませんと」
「デーミック、今思ったのだけれど」
「なんでしょうお嬢様」
「私、強いわよね。この腕力でご飯を獲るっていうのはダメなのかしら」
私の言葉にギラリと牙を覗かせたデーミックは言った。
本当に嬉しそうにね。
「私としましてはお嬢様がそうなさるのはやぶさかではございませんが。それをすると人々は挙ってお嬢様を街から排除しようとするでしょうね」
「排除?」
「まぁ、追い出そうとするでしょう。恐らく無駄ですがね」
「それは面倒ね。私は面倒は嫌よ」
「ならばやはり狩りが許された迷宮で獲物を獲て食すなり、金になさるのがよろしいかと」
「その方が面倒がないならそうするわ。いくわよデーミック」
「承知致しました。影送りを使いますか?」
「ん。そうね。昨日潜った所まで送れる?私あの串焼きを沢山食べられる金色のお金が気に入ったわ。またアレが欲しいの」
「申し訳ございませんお嬢様。どうやら迷宮の内部には影送りで入れないようです」
「そうなの?じゃあ皆歩いて行き来してるのかしら。そうなら底知れずな理由も解るわね」
「左様でございますね」
「いいわ。とりあえず迷宮の近くまで行って頂戴」
「畏まりました。では私の腕の中へ」
デーミックの腕に抱かれて、迷宮の傍へ。
それにしても不思議ね、入り口は小屋みたいな建物なのに、中はあんなに広いなんて。
今も何人も迷宮に潜ろうとして列を作ってる。
「デーミック。これは待たないといけないのかしら?」
「お嬢様のご随意に」
「並んでいる連中をどかしたとして……街の人間は私を追い出そうとするかしら?」
「そこまでは至らないでしょう。串焼き屋が物を売らなくなるかと言えば、答えは否です」
「そう。じゃあ手早く済ませましょう」
私は列に割り込む。
周囲の人間が何か言っているけど、丁寧に一人一人持ち上げて私の後ろに置いて入り口の階段を下りていった。
そして声はつやつやに磨かれた金属の鎧の男をどかした所で止まったわ。
デーミックは私について進んだだけ。
まったく、一応主人は私なのに私にばかり仕事をさせるんだから。
そこに人がごちゃごちゃしている中で、特に人が集まっている大きな水晶があった。
そのクリスタルに触れると人が消えていく。
見ていても何なのか解らないので、そこらへんにいる探索者に声を掛けてみる。
「ねぇ。あのクリスタルなに?」
「ん?何、お嬢ちゃん初心者講習受けてないの?」
「受けてないわ」
「ははっ、そいつは命知らずだ。一度戻って組合で講習を受けたほうが良いよ」
「それは面倒だからいいわ。それよりアレよ、あのクリスタルはなんなの?」
「んー……正直講習を素直に受けて欲しいんだがなぁ。お嬢ちゃんのレベルはいくつだ?」
軽薄そうな金髪の男が私のレベルを聞いてくる。
でもそんなの私は覚えていないからデーミックに声を掛けた。
「デーミック。私の今のレベルっていくつなの」
「一京千四百五十三兆九千八百二十一億七千五百二十一万五千百十三レベルでございます」
私達と軽薄な男の間に沈黙が下りた。
それでも少し経つと軽薄男が口を開いた。
「あー……犬族の兄さん。一京とかって、何?」
「十の十倍を十六回した数です」
「ええと、つまりどういうことだ?」
「素晴らしくレベルが高いという事です」
「それって俺の九十三レベルと比べるとどうなんだ?」
「貴方が千人いても足元にも及ばないでしょうね」
「……信じられねーわ。鑑定鏡で見るから待ってな」
軽薄男は腰のポーチから親指と人差し指を輪にした位の大きさの水晶が嵌った金属の輪を取り出して私を見る。
すると軽薄男は声を上げる。
「はぁ!?なんだぁこの数字の数!」
あごが外れそうなほど大きく開けた男。
周囲の人間もその声に釣られて私を見始める。
デーミックはそれを気にせず話を続けた。
「さ、こちらはレベルを教えたのですから。彼のクリスタルの意味を教えていただきたいのですが」
「あ、あぁ……妙なレベルでよくわかんないけど教えるよ。アレは転移結晶っていってな。迷宮の中を探せば同じようなのがあるんだ。すると入り口のこれと、中で触った結晶が繋がって行き来できるようになるんだ」
「へぇ、そんな便利な物があるなら昨日探しておけば良かったわ」
「仕方ありませんよお嬢様。我々はその様な物知らなかったのですから」
「そうね。それじゃあ説明ありがとう。もういいわ。行きましょうデーミック」
「はいお嬢様。それでは、お話ありがとうございました人間。ちなみに、私犬族ではありません」
デーミックが男の頭を掴むと、すっと引き寄せようとして。
「待って欲しい。あんたを犬族と呼んだのが不快なら謝る。だからロベールに手を出さないで欲しい」
「……貴方は?」
「イアン。ロベールには恩がある」
「ふむ。では高位の悪魔を犬族ごときと間違えた男の愚かさの代償に、貴方が私の靴を舐めなさい。そうすれば許します」
始まった。
デーミックの趣味の悪い所は、高位の悪魔だという事に別に誇りを持っているわけでもないのに、その振りをして人を甚振る時がある事だ。
まぁそれも悪魔らしいといえばそこまでかもしれないけど。
でも迷わず跪いてデーミックの靴を舐めようとした、厳つい男の真っまっすぐさに感心してデーミックを止めようとしたら、頭を掴まれていたロベールって男が声を上げた。
「や、やめてくれ……自分のケツは自分で拭く。靴を舐めろと言うなら俺が舐める。だからイアンは勘弁してやってくれ……」
ぎりぎりと、いくらデーミックがどちらかといえば直接戦闘を行わないタイプの能力でも、圧倒的なレベル差でねじ伏せてしまう腕力に対抗して頭を離そうとする姿。
それを見てデーミックは楽しそうに口の端を吊り上げる。
「ロベール!俺に任せてくれ!」
イアンという男のあげた声が決定打になったようで、デーミックはロベールを放した。
放そうとしていた力が不意に自由になったことでバランスを崩したロベールを見てデーミックは言った。
「なるほど。どうやらロベール、と言いましたか、貴方が上位者のようですね。舐めなさい」
「ロベール!やめてくれ!」
「良い。黙ってろイアン。間違ってもこの悪魔さんに突っかかるなよ。絶対だ。俺はお前が死ぬ所なんか見たくねぇんだからな」
「ロベール……」
「それじゃあ、ちょいと失礼して」
這いつくばってデーミックの靴に舌を伸ばそうとするロベールを見て、私は止めに入ることにした。
どうやらこの男は軽薄そうだが、良い人のようだから。
「デーミック。やめなさい。ロベールさんも止めなさい。貴方の株は十分落ちた。これ以上落とす必要も無いでしょう」
「おや、ダメですかお嬢様」
「ダメよ。控えなさいデーミック」
「……見逃していただけるので?」
「ええ、貴方が良い人そうだから。これ以上苛めるのは止めて置くわ。うちの使い魔がごめんなさい」
「そりゃ、ありがたいこって……立っても?」
「どうぞ。それでは私達は行くわよデーミック。ロベールさん達も良い探索を」
「ああ、じゃあな」
「ロベール!くそっ、俺がもっと強けりゃ悪魔なんて……」
「おいおい、気にするなよイアン。お前はつえーよ。ただあの二人がおかしいだけだ。だから抱きつくな締めるなキツイ。お前に抱かれるより稼ぎに入って、金もって娼館のねーちゃんに抱かれる方が良い」
「うぅ……すまない」
随分人目を集めてしまった中で喜劇みたいなやりとりを始める二人と放って置いて私とデーミックは迷宮の奥へ進む。
ああ、そういえばここには朝ごはん分のお金を稼ぎに来たんだったわ。
すっかり時間を取られちゃった。
まったくデーミックったら、これは一回魔力抜きね。
それにしても……お腹が空いたわ。