吾輩はインコである『バッタ君の教え 編』
レイコの御屋敷は、ベランダを背にしているので外が近い。
ベランダの扉は放鳥の時にはしっかりと閉じられているが、それ以外の時はたいてい少しだけ開いている。
すると、そよ風とともに思わぬ来訪者が現れることがあるのだった。
昼間、オカアサンが買い物に出かけると家の中はレイコ1人(1羽)になる。
レイコが寂しくないようにと(それが例え30分の外出であったとしても)必ずテレビをつけて出かけてゆくので、レイコはテレビとの会話に熱中していた。
ニュースキャスターの声に合わせて、コロナコロナと鳴いていたら、鳥かごの下方でピョンピョンと何者かがレイコを呼んでいる。
かごの枠から覗いてみると、緑色の小さな虫が跳ねていた。
あらこんにちはと声をかけると虫はピョンピョンを繰り返してレイコの目の高さのところにへばりついた。
「おう、この家インコ飼うてたんか?」
虫は流暢に関西ふうの虫語を話す。
「レイコはジイチャンの家からここへ転居して参りました。こちら、お近付きのしるしに」
レイコが小松菜を1本くわえて寄越そうとすると
「いやいや、バッタはそんなしなびた小松菜食べへんで。気持ちだけもろとくわ」と遠慮された。
彼はバッタ君と言うらしい。
家主がいないことを悟ったバッタ君は、チョロチョロとレイコの鳥かご周辺を観察して回った。
「ジイチャンゆうのがお前のホンマの親か?」
バッタ君はいきなり核心に迫る質問をする。
「そうです。今は病院にいますが、近いうちに顔を見せにゆくつもりなのです」
レイコは胸を張って答えた。
正直、人間以外とまともに話したのはこれが初めてであったのでかなり緊張した。
バッタ君はフンフン頷きながら続ける。
「どうやって会いに行くんや?この家の人に頼んだんか?」
バッタ君が興味を持ち始めていることが伝わってきたので、レイコは俄然張り切って応答した。
「いえ、頼んではおりません。しかし、見ての通りレイコには立派な風切り羽があります。入院先の場所が分かったら、直ちにこの翼をはためかせて駆けつけるつもりです」
両翼をガバと広げて、バッタ君相手に見栄を切ってやった。
「いやあ、それは無理ちゃうか」
しかし期待に反してそっけない返事がかえってきた。
「なぜですか!」
「レイコ、小鳥の事故で1番多いのって何か知ってるか」
バッタ君はいきなりレイコの目の前へ飛んできた。
触覚があたりそうな距離である。そして、黒い離目をギョロリと光らせた。
「小鳥の事故で1番多いのはな、外に出て死んでしまうことや」
レイコは狼狽するあまり、目をキョロキョロさせて止まり木を右へ左へ駆け回った。
「なぜですか!ピギョッ」
当然の質問に怒りの悲鳴までのっかる。
鳥にはみな翼があるのだから、外を自由に飛びまわるのが最も自然なあるべき姿のはずではないか。
「レイコ、試しにこの鳥かごから出て、お風呂まで飛んでみろ。間違いなく帰ってこられへんぞ。
お前が自由に飛び回れるのは、せいぜいこの部屋の中くらいやろう。
ベランダから外は、それよりもっともっと、果てしなく広い。
加えて、人間がつくる建築物の中はさらに複雑や。
万一ジイチャンの病院に行けたとしても、ジイチャンの病室には一生かかっても辿り着かへんぞ。
レイコには翼があるけど帰巣本能とか空間把握能力がまるで無いんや。
それから、外敵から身を守る術も学ばんとあかん。」
怒りで逆だっていたレイコの羽毛はシュッと寝てしまい、ゲッソリとなった。
そうか、確かにレイコは安全な室内しか飛んだことがない。
たまにオカメの肩に乗って別の部屋へ連れてゆかれることもあったが、鳥かごが視界から消えるとオカメの誘導なしでは帰れなくなる。
風呂場などへ行ってしまったら大混乱するであろう。
「部屋の中が退屈なんは分かるけどな。お前みたいに外の世界に憧れた小鳥が、ほんまに外へ飛んでいって行方不明になったり、猫やらに襲われて死んでしまう事件は後を立たへん」
バッタ君は6本の手足のうち2本の前足を後ろに組んで、先生のごとくのっそりと鳥かごの周りを闊歩しながらレイコを説得した。
「せやから、レイコの親みたいにベランダをきっちり閉める家の方がまともなんや。
もっと過保護な親は、飛ばれへんように風切り羽をハサミでちょんぎってしまうんやぞ」
ひぃいっ。
レイコは風切り羽をバタバタさせて鳥籠の中を飛び回った。
「せやから、どうしてもジイチャンに会いたいんやったら、この家の人に頼み込んで鳥かごごとお見舞いに行かしてもらえよ。わかったか?」
バッタ君の念押しにレイコはブンブンと頷いた。
行方不明も事故死も御免だ。
これはなんとしても、「病院へ連れてゆけ」という言葉を覚えてオカアサンに頼み込む他あるまい。
しかし外の世界を知っているだけあってバッタ君は物知りである。
聞けば、レイコが住む家はバッタ君親族の代々からの縄張りおよび見回り地域であるらしい。
もっと色んな話が聞きたかったが長居は危険だという。
「俺のひいひいジイチャンが、この家でタカシに捕まって飼いバッタにされてもたからな。俺は虫カゴで生涯終えたくないねん」
そう言って、バッタ君はまたなとベランダから帰って行った。
命は惜しいが、ジイチャンには今すぐにでも会いたいなとレイコは思った。
その日、オカアサンが買い物から帰るまでレイコはベランダの向こうを見つめながらジイチャンとの日々を想った。
物知りのバッタ君によって、レイコちゃんは衝撃の事実を目の当たりにしました。
ジイチャンを思い出して、ちょっとセンチメンタルはいっているようです。
次回、レイコちゃんは元気を出して人間観察に励みます。