なかよし
七日くらい経ったのだろうか。
残りの時間を数えるような日々ではなくなった。きっと、目を瞑る暇もないくらいに忙しなく、そしてその忙しさというのも「たのしみ」から来ていた。
「ねえ抄夏、今日、学習館寄っていかない?」
「なんで?」
「前、サボったところ、やっぱ私の力じゃ理解できなかった」
「…だから言ったのに」
「抄夏が教えてくれるから大丈夫!」
「…めんど~」
「とか言って教えてくれるんでしょ?」
「…断れないのをいいことに…・・・」
「へへー」
抄夏が悔しそうな顔で、しかしどこか優しい顔で言う。
「じゃあ、放課後。遅れたら先帰るから」
「ありがと、抄夏」
そう言い残して席を離れる。
自分の席に戻ると、樋上がででーんと座っていた。
「あ、陽子。」
「どうしたの樋上?」
「いやぁ、なんか最近相手してくれないからさ。…抄夏って娘、そんなに気に入ったの?」
「…うん。なんか、東大目指すとか言ってたし。」
「ええ、何それ、こんな高校から東大とか馬鹿じゃないの。絶対こないで予備校とか通った方がいいじゃん」
「へへ。やっぱそう思うよねえ」
田舎町にあるこの高校。先生の気性は荒いし、おまけに授業もわかりにくい。…真面な勉強をしたいという口実だけでは、やはり不十分な気がするのだ。
「夢だけ嵩んでいくタイプなんじゃない? そういう娘、危険だよ」
「…でも、なんか応援したくて」
「…陽子もバカみたいね」
「そうだね」
抄夏には無関心そうな樋上は、彼女を小馬鹿にする様子を見せつつも、しかし話はしっかり聞いてくれるようだった。何を思ってそうするのか、私にはまるでわからない。
来る放課後、わりと急いで学習館に向かったというのに、抄夏はすでにそこにいた。
「遅い。帰ろうとしてた」
「あれ〜早くない? もしかして、楽しみにしてた?」
「だまれ!」
「かわいいね〜」
「帰るよ」
「待ってよー」
帰る素振りを見せた彼女の腕を咄嗟に掴む。
…、
「腕…細いね」
「よくがりんちょって呼ばれるから」
「そう呼ぶ奴がいたら私が殴ってやる」
私が殴る練習みたいなことをすると、抄夏は何かを確かめるように私の腕を掴み返した。
「あんたもガリガリじゃん」
「は…、私はスタイルがいいだけだから」
「ふーん…よくわかんない」
そう言うと、ふてくされた感じでペンを握る。
「勉強…しに来たんでしょ?」
「うん」
「早くやるよ」
「はーい」
抄夏の横で、ノートを広げる。そして、ペンを持ち、件の授業のページを開くと、抄夏は椅子を寄せてきて、ペンで教科書を指しながらいろいろと教えてくれた。
うん。勉強する姿もかわいい。…と、私は満足した。それだけで満足していたから、実のところ学習の内容なんて全く頭に入ってこなかった。
「うー、疲れたー」
「珍しく集中してたね」
「でしょ? 抄夏がいたら頑張れるみたい」
「…そんなバカなことを、」
「なんか楽しかったよ」
「はいはい」
教えてくれる時は優しかったから、もしかすると…なんて思っていたが、終わってしまうといつも通りの抄夏に戻っていた。
「じゃあ、帰ろ」
「うん。帰りに夕食とか食べていかない?」
「うーん…親に帰り遅くて心配かけるのはなぁ、」
「じゃあ、一回家に寄って、その後行こうよ」
帰りの支度を済ませつつ、話を続ける。
「めんどくさくない?」
「奢るからさぁ、」
「じゃあ行く」
容姿や雰囲気に反してすごく現金なやつなのか、奢るというワードで直ぐに釣れた。
「どこ行く?」
「回らない寿司」
「…抄夏も言うようになったねー。流石に学生にはちょっと…・・・」
「じゃあ、ラーメン?」
意外と男っぽい回答だなぁと思う。けれど、そのギャップというのも欲情をそそる…おっといけない、涎が。
「ゆっくり話せないよ」
「んー、どこでもいいや」
「じゃあ、ファミレスだね」
「わかった」
そして帰り道、いつもどおりのT字路で一旦彼女と分かれた。その後私はその分岐路でながらく彼女を待っていた。そして十五分ほど待っていると、景観に変化が訪れた。
暗闇にまぎれた影が一つ、学校の方にのびる道の先から近付いてきた。
私は、怖くなってすこし身構えた。
「あれ、陽子じゃん」
…その影はどうやら私に手を振っているらしいことに気が付く。不器用な笑顔とともに。
「…慎太郎?」
「そうだよ。…こんなとこで何してんの? 不審者とか出たらあぶねえじゃん」
「今まさにそれを疑ったとこ」
「あー、ごめんごめん。まさか陽子じゃないよなって思って、なかなか声かけらんなかった」
汗をかいているというのにさっぱりした感じで、彼は私に鈍く笑って見せた。
「慎太郎は部活帰り?」
「そうそう。そっちは?」
「学習館で自習」
「へえ、陽子、そういうの好きだったっけ?」
「ううん、別に。前、サボったところわかんなくなっちゃって、抄夏に教えてもらってた」
「げ、あいつに?」
嫌な思い出がよみがえったようで、彼は顔をしかめつつ、あの不器用な感じの笑いは何故か絶やさなかった。
「で、その流れなのになんでここで突っ立ってんの? 俺のこと待ってくれてた?」
「ちがうよ。その抄夏と夕飯食べに行くの」
「げっ…じゃあ、もうすぐ来るってこと?」
そう気付いた彼は、すぐさまそこを離れようとした。
「陽子、待たせてごめーん」
学校では聞かせてくれない優しく間延びした声が聞こえた。
「…あーあ、やべえよ」
「…修羅場ってやつ?」
私たちは二人でこそこそとやりながら、近付いてくる抄夏を見つめていた。
「あ・・・・・・・…」
ものすんごい気まずそうにする二人に挟まれ、腹の底からこみあがってくる笑いを必死に堰き止める。
「…なんであんたがいんの」
修羅場ってやつだった。
「別にいいだろ。すぐ帰るし」
「じゃあ早く帰れ」
「はいはい…帰りますよぉってんだ。だれがお前なんかに会うために」
「帰れ!」
「はあい」
互いに煙たそうにしあうのがなんだかとっても面白かった。
「ぷふふっ…」
ついに笑いを漏らしてしまう。すると急に二人の声が止む。
「…なんで笑うんだよ。」
不服そうな面構えで質問してくる。
「…だって、…なんだかおかしくて」
「はあ?」
話の伝わらない二人に囲まれ、とうとう疲れてしまったのか、慎太郎はとぼとぼと帰っていった。
「…あーあ、行っちゃった」
「…陽子は、あいつのこと好き?」
「はっ、何であんな下品なヤツ」
「…なんかそんな風に見えた」
抄夏は躊躇いがちに悲しそうにして言う。
「…ま、いいよ。抄夏にはそういうの関係ない」
「ちょっと、誤解は解いてよ。私の尊厳に関わるんだから」
「はいはい」
抄夏はにやにやとその顔をしつらえる。憎めないその顔。
「あれ、いつの間に私服に着替えてる」
「親にそうしろって言われた」
「まあ、似合ってるからいいや。かわいいはいつも女の子のミカタだよ!」
「ふーん」
よくわからない。とでも言うように首を傾げて、その柔らかそうな頬をちょっぴり持ち上げた。
グサァ。私の心臓は今度こそ撃ち抜かれてしまった。…天使か! そうか抄夏は天使に値するのか! そんなことに気付いて、この期を逃すわけにはいかない。と思い、とりあえずほっぺをつねってやろうと考える。
「おい、」
ふにゃーんと伸びる。そして、抄夏はすごく変な顔をする。…させるという方が正しいのだが…・・。
「ははは、めっちゃいい顔〜」
「死ね」
「写真撮るね」
「や、やめろ!」
抵抗する彼女の手の届かないところから、パシャリとその変な顔を撮る。…これは家宝だ。彼女の苛立つ様子が怖いので、まず頬から手を離し、その写真をとりあえず待ち受けに設定する。
「死ね死ね」
「うん。かわいい」
「…パフェめっちゃ食ってやるから」
「それもよし!」
「やったあ」
レストランでは、抄夏はいつも見せない笑顔で、パフェを頬張っては「うーん!」なんて悶えていた。