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カモメじゃなくてウミネコ

 コンビニのビニール袋に机に投げ出されたカップ麺のゴミを入れて口を縛る。電波悪すぎだろと笑っているソウに、ずっと外を見つめているユイ。相変わらずセミも扇風機もうるさい。それでもゆっくり流れる時間は久しぶりに感じた。

「僕ちょっと外出てくるけど、2人はどうする?」

「俺いいわ。暑いし。ヒトミ行ってきたら?」

「え、うん。私行く」

 狭い玄関にスニーカー3足はギリギリ収まりきらなかったようで重なり合ってる1足を履いて何とか外へ逃げ出す。けんけんの格好でふらつく私にユイが肩を貸してくれた。少し触れるのを躊躇ってから遠慮なく手をかける。知らない内にがっしりしていた。

「これ何?」

「家庭菜園」

 家庭菜園、と口の中で繰り返す。ユイの部屋の裏に置かれたグレーのプランター。彼は細長いその前にしゃがんでまだ何の芽も出ていない表面を観察している。

 虫が嫌いで、土も触れないユイが家庭菜園。どういう風の吹き回しだ。似合わないなと思いながらその隣にしゃがんだ。

「何育ててるの?」

「小松菜だよ」

「コアだね」

「そうかな?」

「料理の仕方分かるの?」

「全然!」

 じゃあなんで育ててるのと笑うと「うーん」と顎に手を当てて考え込む素振りを見せる。昔と同じように可愛い顔のユイも、横顔はかなり大人っぽい。マスクに隠してしまうのが惜しいと思うくらい、私はソウよりもユイの顔が好きだ。

「責任を持とうと思って」

「責任?」

「僕学校やめたら何もなくなるから。何か一つだけでも、ちゃんとしようと思った」

 変かなっておばさんにそっくりな顔で笑うから、そんなことないよと微笑んでみせる。ユイはちゃんと考えている。これから何をするべきか考えて分からなくなって、何もかも嫌になって結局見るのをやめる。そんな私とは違うユイを見ていると焦りに押し潰されそうだった。

「ユイは偉いね」

「僕は何も偉くないよ。好きに生きてるだけ」

 だって何もしてないもんと笑ったユイが「あっ!」と声を上げる。

「小松菜育ったらさ、ヒトミが料理作りに来てよ」

「え、私が?」

「そしたらソウも呼んで3人で食べよう!」

 昨日のおばあちゃんの「嫁は料理上手がいい」という言葉が頭に過ぎった。

 戸惑う私に素知らぬ顔で名案だねと1人で満足したユイは、勢いよく立ち上がって手を差し出してくる。

「来て、海行こ」

 ユイの後ろの太陽が眩しくて目を細める。シルエットだけ見ると彼も大人の男の人になってしまった。しみじみ見つめていると早くと手を取られて、そのまま海の方へ歩き出す。

 繋いだままの手に胸が高鳴るけどユイにそんな気がないのは分かっている。それでもほんのちょっとだけ調子に乗ってしまうのは許してほしい。

 アパートの裏の雑草だらけのおそらく花壇だったものの上を越えて、砂が溜まった溝を飛び越える。少し丘を下って道路を渡るともう海は目の前だった。

「海近いんだね」

「うん、すぐそこだよ。いいでしょ」

 ユイはガードレールを跨いで車道を横切る。私も一応左右を確認してから引っ張られるままに横断する。悪いことをしてる気になるけど、それ以上にワクワクしていた。

 砂を被ったコンクリートの階段を下りて砂浜に出た。足元を取られながら必死にユイに着いて行く。夏なのに誰もいない、2人きりの浜辺だった。


  「ちょっと歩きにくいかも」

 ゴツゴツした岩場を慎重に歩きながら遮る物のない海を見渡した。広い広い自由なこの海の魚になりたいと言うのだ。私が昨日、教室から見たカラスを羨ましく思ったのと同じ気持ちなんだろうか。

 隣同士で座って、それでも尚離されなかった左手はいい加減汗ばんでくる。髪に隠れた首を伝っていく感覚が気持ち悪い。ユイも暑いね……と空いた左手の袖で額の汗を拭った。

「人いないね」

「僕引っ越すの決めてから何回もここ通ってるけど、1回も人に会ったことないよ」

「そんなに過疎なの」

「隣の町なのに知らなかったよね」

 いつもよりハキハキした声のユイは新鮮だ。出会った時の弱くてボソボソした話し方の「ゆいとくん」はいない。

  昨日いじめっ子に「うるせぇ」と反抗した時から、もう彼は変わっていたんだ。いや、今日じゃなくてもっと前。きっとここへ引っ越すことを決めてから殻を破っている。

 私達が知らなかっただけだ。

「こんな広いのに誰もいない。2人っきりじゃん」

 久々だねと笑いかけてくるユイに胸の奥が掴まれた感覚がする。私はやっぱりユイのことが好きなのだ。

「あれカモメかな?」

 白い鳥が悠々と飛んでいる。私は海より空の方がいい。泳ぐのは得意じゃない。

「んー? あれはウミネコだよ。似てるよね」

 私の指先を追おうとしたのか顔が近づいてきて思わず離れる。ユイと言いソウと言い、2人とも距離が近すぎる気がする。私が意識しすぎなのだろうか。

「ウミネコ?」

「うん。カモメは冬だよ」

「そうなんだ……」

 知らなかった〜? と得意げなユイは、昔カレイとヒラメの違いを私達に教えてくれた時と同じ顔をしている。それなのにどうしてユイは1人で先に行ってしまうんだろう。これからも3人で精一杯生きていければいいじゃないかと思ってしまうのは、私が間違ってるんだろうか。

「ユイさ、」

「うん?」

 ユイは話す時、ちゃんと目を見て聞いてくれる。いつもキラキラした大きい目にしっかり私が映っていて、それに酷く安心した。

「なんで一人暮らし始めようと思ったの?」

 もしも私の頭にある1つの可能性が正解だとしたら。

 昨日から何度も考えて後悔して、そうだったらどうしようと不安になった。どうかその答えだけは返ってきませんように。

「僕にもはっきりは分からないけど、だけど……」

 俯いて続きを待つ。セミの鳴き声が霞むくらい心臓がうるさい。

「ヒトミの告白のせいじゃないよ」

「……ほんと?」

「うん、ほんと。ソウ風に言うとまじ」

 それに告白は普通に嬉しかったし、とユイが笑ってくれる。安心して見上げた空はさっきより晴れている気がした。

「やっぱり気にしてるんだろうなと思った」

 大きい目は何でもお見通しらしい。

 ずっと気になっていた。変なプレッシャーになっていたらどうしよう。悩ませていたらどうしよう。ユイのことだから、きっと慎重に慎重に考え抜いて返事をくれるに違いない。余計な負荷をかけている気がしていたのだ。

 よかった。

 なんで泣きそうなのと頭を撫でる手にされるがままになりながら、誰にも聞こえないくらいの小さい声で呟いた。



 ピピピと携帯のタイマーが2分経ったことを告げる。絶対に一人暮らし用じゃない金属鍋で茹でた4束のそうめんを水で洗ってどうにか水気を切る。こんなに大きい鍋はあるのにザルはないなんて変な話だ。

「できたよー」

 人にご飯を作らせておいて、自分達は寝転がってゲームをしていた2人に声をかける。お母さんってこんな気分なのかなと思った。

 狭い机にそうめんの白い器と3人分のお皿を置けばもういっぱいいっぱいで不安定だ。それでも誰も文句も言わず、修学旅行みたいな落ち着かない雰囲気のまま食卓についた。

 いただきます! と3人揃って手を合わせる。やっぱり1番に手を出したのはソウだった。

「やっぱ夏はそうめんだよな」

「そうめんだけはいっぱいあるよ」

「しばらくそうめん祭りじゃん。最高」

 ここへ着いてからテンションの高いソウは久々に見るご機嫌な様子だ。笑って揺れる度にピアスがチャラチャラ音を出している耳は、イヤホンは着けられていない。実は私も海から帰ってから、ソウに釣られるように伊達メガネを外していた。

 レンズ越しじゃ勿体ないくらい、ここはずっとキラキラして綺麗だった。

「ユイは、普段ここで何して生活してるの?」

 そうめんをつゆに浸しながらソウが聞く。たしかに私も気になっていたことだ。テレビも何もないこの部屋で何してるんだろう。

「うーん……」

 しばらく考え込んだ後ユイは平然として言った。

「何もしてない、かも」

「何もってまじで何もしてないのかよ?」

「絵を描いたり写真撮ったり、歌作ってみたり……?」

「ユイ歌作るの?」

 思わず身を乗り出してしまうと、ユイは笑いながら隅に追いやられていたギターを指さした。お父さんから譲ってもらったのを持ってきて、今練習中らしい。

 ユイは好きなことして生きてるんだね、と羨ましくなった。私だってできるならそうしたい。でも出来ないのは人と一緒じゃなきゃ怖いからだ。

 好きなことだけやって、じゃあそれが何になるのって言われたら分からない。できるだけ傷つきたくない。だからユイからの「今度ヒトミも一緒にお絵かきしようよ」の誘いには曖昧な返事をした。

 小学校の卒業文集に書いた将来の夢が頭にチラついて、どうしてか泣きたくなった。


 狭い浴室でシャワーを浴びた。いいように言えばユニットバスのそこはあまりにも動きにくかったけど、夏の時期に汗を流すには十分だ。冬はかなり寒そうだから少し心配だけど。

 お客さんが先でしょと気を使ってくれたユイが1番最後にシャワーに向かって、私はタオルドライした髪をくしで梳かして半乾きのまま1つに縛った。

「俺自販機行ってくるけど、ヒトミどうする?」

「行く! 私も喉かわいた」

 ポシェットから財布を出して、浴室に向かって声をかけたソウの後ろに着いていく。水の音が止まって「僕メロンソーダ!」という注文を聞いて外へ出た。

 夜だというのに暑さは変わらない。身体が温い空気に包まれる感覚は少し気持ち悪かった。

「真っ暗だね」

 アパートの外廊下と入口に1本だけ立った街頭じゃ、夜8時の暗さは照らせない。あんな所に1本の灯りなんて逆に怖いのでやめてほしい。ジャリジャリと音を立てて敷地の外へ向かった。

 ちょっと暗いなと呟いてソウが携帯のライトで足元を照らす。虫が寄ってきそうだと思った。

 暗いのは苦手だ。普通に怖いし、信じてないけどオバケが出たらどうしようと不安にはなる。背中がゾクゾクして何となく腕でカバーした。

 今に限って大股で歩くソウを必死で追いかけて、一段と明るい自販機の前で並ぶ。私がシャワーに行った後からソウはちょっと不機嫌な気がするけど、もしかして自分の家に帰りたくなってしまったんだろうか。

「ヒトミ何飲む?」

「オレンジジュース」

 反射で答えてしまって気づいた時にはオレンジジュースは私の手の中。ソウは自分のコーラとユイの分のメロンソーダを片手で持って、また1人で歩き出してしまった。

「ちょっと待って、早い」

「もしかして怖いの?」

「怖いよ、普通に……」

「ヒトミ昔から怖がりだもんな〜」

 はははっと笑いながらソウは私に向かって手を出した。

「繋いであげよっか?」

「え、いいよ、そんなの。もうそんな歳じゃないし……」

 今日ユイと繋いだ時よりもハードルが高く感じる。ソウとの距離感は最近イマイチ掴めない。

 ユイとは繋いで帰ってきたくせにと拗ねているソウに違う違うと否定する。ソウなことが嫌なんじゃない。ちょっと分からないだけなんだ。

「ソウと手繋ぐのは、なんか緊張する」

「え?」

 イヤホンをしていないのに聞き返してくる。セミも鳴いていない扇風機も回っていないこんな静かな中で聞こえないはずがない。

 何もない。さっきより大きい声で言い切る。

 行き道のソウみたいに大股で彼の前を歩いていると後ろからワッ! と驚かされて肩が跳ねる。大きい声が出るかと思ったのに驚きすぎたのか私から出たのはヒッと息を飲む情けない声だった。左手は肩に置いたまま右手で私の足元を照らしてくれるソウはずっと後ろを歩いている。おかげで背中のゾクゾクは和らいだ。

「これあれ思い出すね」

 思ったより近い声にドキッとする。なに、と短く出た声はちょっと震えていた。

「臨海の時にやった肝試し」

「あー……私が泣いたやつだ」

「ユイも泣いてたよな。めちゃくちゃ面白かった」

 面白くないわ、と心の中で突っ込む。

 今は携帯で地面を照らしているように、懐中電灯を使って山から下りてくるコースの肝試しにいい思い出はない。私はソウでもユイでもない別の男子とペアになって、とても心細かったのを覚えている。我慢して我慢してたどり着いたゴール。先に出発していたソウを見た途端涙が止まらなくなった。昨日お祭りの時にやってくれたように背中を摩ってくれたんだったか。

 泣いていたユイも私に気づいて慰めてくれたけど、付き合いの長さの違いか、ソウがそばにいてくれた方が落ち着いたのも思い出した。今も後ろの気配に安心して、ふざけて体を揺らしてくる方の肩の左手に右手を重ねた。

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