アパートへの道
朝8時頃、ソウはブランドロゴが入ったスポーツバッグを肩から下げて家に来た。大きく重たそうなそれに、昔野球の遠征に行っていた姿を思い出す。ユイと2人で応援に行った試合でキャプテンをしていたソウは、その頃から私達2人を引っ張ってくれる頼りになる存在だった。
「準備して。ユイのとこ行こう」
「今から?」
「早く行かないとアイツ逃げそうじゃん」
たしかに、と急いで荷物をまとめる。あの多さからして泊まる予定なんだろう。私も小学校の臨海学校以来仕舞いっきりだったスポーツバッグを見つけ出して、思いつく限りの荷物を入れる。忘れたらその時考えればいい。
携帯の充電器をもう無い隙間に捩じ込んで、ソウの待つリビングへ向かう。スポーツバッグとは別でポシェットもちゃんと持った。
妹と話し込んでいたソウは私が空いた手で持っていた紙袋を持ってくれた。ユイの課題や学校からの手紙が入っているものだ。
「これ、さっきおばさんに教えてもらった」
「住所?」
「ここに住んでるらしい」
「隣町だね」
「思ったより近くて笑ったわ」
呆れたような声に反して安心した顔のソウに頷いて笑う。
「っしゃ行くか」
少年野球チームキャプテンの「桧山聡太」が意気揚々と外へ飛び出した。私も置いてかれないようにしっかり着いて行った。
ソウがもらってきたおばさんのメモによると、ユイの現住所は最寄り駅から3駅向こうにあるらしい。近所も近所だ。何だか拍子抜けした。
ICカードを持っていないので切符を買って、普通電車しか止まらないので準急列車を見送った。待合室は涼しくて一息つく。等間隔に座っていた先客が詰めてくれたのでソウと隣り合わせで座る。駅に住み着いてる丸々太ったハトが3羽、食べ物を求め歩いているのを眺めた。
ちょっと距離の近い気がするソウに身体が強ばって少しだけ離れてみた。「なんだよ」と不満そうな声には聞こえないふりをする。これは私が聞いちゃダメな声だ。
昨日からソウのことが分からなかった。
「ここ空いてるよ。座りな」
1つだけ空いていた席をソウが譲ってくれた。私は立っていてもよかったけど、断るのもなと思って有難く座る。小学生が小声ながらも騒いでいるのを静かに見つめた。
私達もあんな感じだったのかな。無邪気に笑っている彼らを見て思った。
「ユイ驚くかな」
目の前でつり革に掴まっているソウに話しかけると、眠そうだった目がかっと開く。きっと早起きしてユイの家まで行ってきたんだろう。今日はちょっと締りがない顔をしてる。
「何?」
と、片耳だけイヤホンを外して顔を近づけられたのでドキドキする心臓を抑えながらもう一度同じことを言う。少し外した目線の先で、ぼーっとしていたおじいさんと目が合って気まずかった。
「どうだろう。「あ、来たんだー」くらいのノリで迎えられそうだけど」
「たしかに。分かってたけどって顔してそう」
「驚いた顔を見てみたいけどな」
ユイが驚いて大きい目を見開く様子も、いつも通りに右手を上げる様子も想像出来る。小学生の頃に3人で夏祭りからこっそり抜け出して、ユイが持ってきた線香花火を神社の裏でこっそりやった時みたいにワクワクと少しドキドキしている。
楽しみだ、とっても。
車両も線路も古い、走るだけでうるさい私鉄のこの列車が大きく揺れて停車する。私達の降車駅である駅名を聞き取りにくい車掌の低い声が告げて、そして私達はいなくなったユイを追って電車を降りた。
「昨日、ユイもここ通ったのかな」
聞こうとした言葉はソウに先を越された。
「そうかもね」
昨日だけじゃないかもしれない。
付き合いの悪くなった期末テスト前からのここ1ヶ月。たまに欠席していた日や放課後や休日も来ていたはずだ。珍しく遅刻してきた日やいつもより登校がおそかった日は、もしかしたらこの場所から通っていたのかもしれない。
「次は、バスだね」
携帯でマップを開いて先導してくれていたソウが指さしたのは、これまた古いバスだ。乗り込むと待っていたかのようにドアが閉まって動き出した。
降りたバス停はあまりにも何も無かった。本当に合っているのかと疑いたくなるほどだけど、携帯に示されている駅名と同じなのでここでいいんだろう。
「まじか」
家の近くよりうるさいセミの鳴き声に掻き消されそうなほど小さい声でソウが呟いた。
「お前さ、ユイのこと好きだろ」
「え?」
「隠すなって分かってるから」
バス停から人通りの無い道を2人きりの空間で、ソウが茶化す風でもなく言った。どうしてソウにバレているのか、分からなかった。
「なんで?」
「なんでって……勘? お前のことはだいたい分かる。ずっと見てたし」
「じゃあなんで、」
「ん?」
なんで、今それを聞くのか分からない。どうして、今このタイミング? あまりにも酷いじゃないか。
「告白しないの?」
告白、したよ。先週したんだよ。保留にされたけどね。
なんて思ってもやっぱり言えず、曖昧に誤魔化して口を閉じた。これ以上私が何も言う気がないのを、先程の勘とやらで察したのかソウは何も言ってこない。
「暑いな」
私に言ったのか独り言なのか分からないその言葉を拾ってそうだねと返す。汗で落ちてきた伊達メガネを持ち上げて、タオルの1枚でも持ってくるんだったなと後悔した。
「海だ」
道が開けると見えてきたのは真っ青は海で、それに気がつけば潮の香りがする。海の魚になりたい、というユイのメモを思い出した。
駅前とは打って変わって静かなこの町で、ユイは何をするつもりなんだろう。
車が通っていなかったから横断歩道のない道を小走りで渡った。そしたらソウは反対側に回って車道側を歩いてくれる。
彼女にもやっていたのかな。
私が気にしなくていいようなことが頭に浮かんで、ソウはいつも優しいし前からこうだったよと言い聞かせた。私はずっと何を気にしているんだろう。