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逃げた先

 セミの鳴き声がうるさい。リュックを背負った背中が暑い。肩まで伸びてそのままにしている髪に覆われた首が汗をかいて不快だ。だから夏は嫌いだ。

 でも夏が1番マシかもしれない。

 セミはうるさいけど余計なことが聞こえないし、暑い以外に考える必要もない。何たって夏休みがあるし、お祭りは楽しい。泳げないけど海も好きだ。もう随分見ていないけど花火も綺麗で夢中になってしまうから、やっぱり夏が1番いい。


 近所では1番大きい神社の鳥居を入ってすぐ、細いながらも必死に立っている木の下が私達の待ち合わせ場所だった。同じ神社内にあるパワースポットとしてちょっと有名なクスノキのせいで見向きもされない、可哀想な木だ。それでも私達はずっとここで落ち合うようにしている。

 いつも帰りがバラバラになる日は一番乗りでユイがここにいる。でも今日はその姿が見えない。代わりに神社の人だろうか、夏祭りと書かれた旗を立てたり屋台に使うテントを組み立てている。

 今年ももうそんな時期か、と思いながらハンカチで汗を拭った。

「いないか」

「いないね」

「まじでどこ行ったんだよアイツ……」

 その場にしゃがみ込んだソウの首筋を汗が伝っている。使ったやつだけどてハンカチを渡してやると「サンキュ」と疲れきった声が返ってきた。

 さすがにここにいないとなると残すはユイの家だけだけど……そんな素直に家に帰っているとは思えない。今の時間ならユイのお母さんはパートの時間だろうか。おばあちゃんならいるかもしれない。

  「家行ってみる?」

 と聞こうとした瞬間、ソウの左手の携帯が震え出す。2人して覗き込んだ画面には「唯人ゆいと」の文字。汗で使いずらそうにしながらソウは受話器マークをスライドした。

「もしもしユイ!?」

「なになに。めちゃくちゃ着信入っててびっくりしたんだけど」

 私にも聞こえるようにとスピーカーにしてくれたソウが目の前に携帯を構える。なぜ向こうが驚いた声をしているのか理解できず、怪訝そうな顔をしたソウと顔を見合わせる。

「お前どこにいるんだよ。勝手に帰りやがって」

「勝手にって、ちゃんと置き手紙したでしょ」

「あれは置き手紙って言わないの」

「あれ? ヒトミいるじゃん。なんで電話出なかったの?」

 心配したんだからと言ってくるユイに電話?と返してリュックのサイドポケットに入れていた携帯をつける。ユイからの着信が3件とメッセージが5件入っていて、これじゃどっちがいなくなったのか分からない。ソウが不満そうにしているのを見て見ぬふりをして、もう一度ユイに「どこにいるの?」と尋ねた。

「まず先に言っておくけど、失踪じゃないよ」

 みんな大袈裟だからさ〜とこっちの心配を他所に呑気なユイ。暑さのせいもあるのかイライラしているソウが「勿体ぶらずに早く言え」と怒った。

「新しい家だよ」

「家?」

 聞き返した言葉がソウの低い声と被る。

「ユイ、引っ越したの?」

「うん。僕だけね」

「は? どういう意味?」

「えっとねー」

 電話の向こうから聞こえるセミの声は大きく強い。ガタガタ……と鳴っているのは何の音だろう。

 はっきり言わないユイに、私もソウもじっと耳を澄ます。

「海の近くの」

 そこまで言ってパタリと音が消えた。

 え? と思って画面を見ると「通話終了」と書かれていた。ソウが「は?」と戸惑いながらメッセージを送る。全く既読がつかないのであぁ、これはと思った。

「……充電切れたな」

「だね」

 ユイはそういうところがある。バッテリー弱くなるじゃんと残り1パーセントになるまで充電しないのだ。海の近くの何だよ……と頭をかいたソウに家行こっかと声をかける。結局そうなるのか。

 何気なくつけた携帯の「12:37」の表示にお腹空いたなぁと胃のあたりを摩っていると、腹減ったわとソウが呟いた。

 ユイはこんなに振り回してどういうつもりなんだろう。いや、ユイは心配してもらおうとしているわけじゃない。私達が勝手に心配しているだけか。



 ユイの家にはパートに出ていると思っていたお母さんと相変わらず元気なおばあちゃんがいた。

 私達の顔を見ると驚いて、早く入りなさいと招き入れてくれた。あらかた事情を話して出てきた麦茶を1口飲む。私もソウもかなり喉がかわいていたようでほぼ空になってしまったグラスにおばさんがおかわりを注いでくれた。

「唯人ね、一人暮らししたいって言って、ちょうど今日出て行ったのよ。あの子2人にも言ってなかったの?」

「全然、全く、1ミリも言ってませんでした」

 恨みを滲ませた声でソウが言ったのに「ごめんね〜」と眉を八の字にして、先生からも電話かかってきたのと私に言う。完全に机に伏せてしまったソウが「まじでアイツどういうつもりだよ」と小さい声で抗議した。

「何で急に一人暮らしなんですか?」

「さぁ……私にも教えてくれないの。でもまぁ、やりたいって言うなら応援するしかないでしょ〜」

 どういうつもりかしらねとおばさんが言ったのとほぼ同時に、おばあちゃんが襖を開けて入ってきた。手にはお盆を持っている。

「ほらほら、ご飯ですよ」

 その言葉にソウが勢いよく起き上がってラッキーと笑った。

 お昼は冷やし中華だった。おばあちゃんの冷やし中華は絶品で、ワカメがちょっと多めに乗っている。ユイがワカメが好きだからだ。昔からよくご馳走になっていて、私もソウももちろんユイも大好きだった。

「唯人が迷惑かけてるみたいでごめんねぇ。これでちょっとは腹の足しになるかね」

「全回復っす」

「めちゃくちゃ美味しいです。おばあちゃんの冷やし中華大好き!」

 私達の言葉に満足したのかそうかいと嬉しそうに笑う。こんなに優しいおばあちゃんとお母さんがいて、どうしてユイは一人暮らしなんて始めたんだろう。ねぇ、と話しかけようとして見た隣で大盛りの冷やし中華にがっくつソウは、いつものクールでイケメンな「聡太くん」の面影が消えてしまっている。小学生の頃、ヤンチャで誰よりも優しかった野球少年のソウのままだ。おばさんとおばあちゃんの目が優しく細められている。普段は正反対に見える2人だけど、こういうところは似ているなと思った。

「瞳ちゃん、今度作り方教えてあげようか?」

「え?」

「いつか嫁に来たら作らなきゃでしょ」

「え、嫁?」

 麦茶を飲んで話聞いていたソウがむせる。私も何を言われているのかと戸惑った。

「こら、おばあちゃん。余計なこと言わなくていいの」

「アンタは嫁に来たのに料理はからっきしだからね。次に嫁に来る子は料理できる子じゃないと」

 おばあちゃんの中で、私は将来の嫁なのだろうか。そのつもりなら残念だけど、ユイと私は恋人同士ではない。ユイのことは好きだ。友達として、ソウと同じ好きじゃなくて、そういう、恋愛対象として好きだ。でも、それはちょっと気が早いと言うか、なんと言うか……。

「おばあちゃん、ユイとヒトミは付き合ってないっすよ」

 私が言うより先にソウが口を挟む。

 そうなのかいと途端に興味を失ったおばあちゃんはスイカ切ってくるねとまた出て行った。残されたおばさんは「ほんとにごめんね」とまた眉尻を下げる。

 いえ、と返しながら「嫁」という言葉を頭の中で繰り返す。もしもいつか、ユイに私の片思いが通じて、それでおばあちゃんが言ったように本当に結婚する日がくるなら……とそこまで想像して思考が止まる。どうしても、その映像が頭に浮かばなかった。

 ぼーっとした頭のまま、細切りになったハムを摘む。いつかユイと付き合えたら……どうしても想像出来なかった。



 「ユイの家行こうと思う」

 帰り道、私達の家からは少し離れたユイの家を出て、歩道がないので車道の隅を歩きながらソウに話しかける。ずっと考えていた。ユイは何か理由があって一人暮らしを始めたに違いない。それを聞くまで納得できないし、預かってきた宿題やら成績表を渡さないといけない。

 ソウが一緒に来てくれるなら、少しは気持ちが楽だ。

「当たり前だろ。俺も行く」

 一緒に行こ? と微笑むソウが急に大人っぽく見えてドキッとした。高校に入ってから関わることが少なくなって――意図的にそうしたのだけど、たまにソウが見せる表情が知らない人みたいで心の中がモヤッとする。焦り、みたいな、置いて行かれるんじゃないかという不安のような、複雑な気持ちだ。

 私達の中じゃ、今やソウが1番大人っぽい。友達も1番多いし、きっと恋愛経験だって豊富だ。

  昔はそんなこと無かったのに。

「行って文句言ってやろうぜ。俺らに黙って出て行くなって」

「うん、そうだね」

 前言撤回。やっぱりソウはソウだ。悪戯っぽく笑う顔にどこか安心する。

 それからずっと、他愛ない話をして、時々前から走ってくる車を避けたソウと距離が近くなってドキドキして、暑いねって文句言って。私達3人ともずっとこんな風にいられたらいいのにと叶わないことを言ってみる。

 ソウはそれに少し悩んで頷いて、それから「そうだね」って笑う。

 私達はみんなそのことを分かってる。分かってるけど見えてないふりして、聞こえてないふりして、言わないでいる。関係が少しずつ変わってるのも本当は知ってるはずなんだ。

「そうだ、ヒトミさ」

「なに?」

「夏祭り行きたくない? 昔行ったじゃん」

「あぁ、行ったね。懐かしい……」

 今日、明日の2日間で開催される神社の夏祭り。小学生の頃は毎年ユイのおばあちゃんが連れて行ってくれた。中学に上がってからはソウが彼女のいなかった1年生以来、1度も一緒に行けていない。私も中学3年の時に妹を連れてきてからもうしばらく行っていない。ユイもソウも私も、そんなの無かったみたいに神社を素通りしていた。

 久しぶりに行ってみたいと思った。

「行きたい、かも」

「じゃあ今日行こうよ」

「今日? ユイは?」

「俺は2人がいい。ダメ?」

「ダメ、じゃ、ないけど……」

 ソウと2人きりなんて、久しぶり過ぎてどうすればいいか分からないかもしれない。もしかしてさ、とある可能性を考え出したら途端に意識してしまってダメだ。今こうして隣にいるのも分からなくなってくる。

「じゃあ決まり! 6時くらいに迎えに来るわ!」

 また後でと手を振って、ソウは2軒隣の家に入っていった。私も振り返した右手を上げたままその場から動けなくなって、帰ってきた妹に不審な目を向けられる。

  「ごめん、充電切れてた!」

 と、今更送ってきたユイのトーク画面を見つめて私は何が正解か分からなくなっていた。




 ソウの宣言通り、6時くらいに家のインターホンが鳴った。テレビで流れてたニュース番組を確認すると、左上に「18:00」と表示されていたのでたぶん狙ってぴったり鳴らしたんだと思う。

 ドキドキしながら扉を開ける、前に1度玄関の姿見で前身を確認する。黒地にピンクの花が咲き誇る綺麗な浴衣。数年前におばあちゃんが買ってくれて、着ないままクローゼットに仕舞われていたのをお母さんが引っ張り出してきたのだ。

「ソウとお祭り行ってくる」

 そう告げると驚いたお母さんと面白がる妹があっという間にこの姿に仕立てたのだ。着付けはお母さんが、髪型は妹が器用に編み込んでハーフアップにしてくれた。軽いメイクまで施されて伊達メガネは没収された。

 見慣れない自分に戸惑ってうだうだしていると、痺れを切らした妹が先にドアを開ける。目が合ったソウははっと息を呑んで「似合うじゃん」と一言言って笑った。

 やっぱりソウは大人になった。

 私やユイが見たことない顔がたくさんあって、それをソウの今の友達や彼女達は見ていたんだろう。何だか少しだけ妬けてしまう。

「……行こっか」

 ソウの顔が見られないまま歩き出す。数える程度しか履いたことの無い下駄は歩きずらかった。



 あれも食べたいこれも食べたいと見るもの見るもの買っては食べを繰り返していたソウは、今高校の同級生に捕まっている。私と2人の時は外されていたイヤホンがしっかり両耳つけられて、ちょっぴり無愛想でクールな「聡太くん」は私を背に隠していた。ちなみに彼らは私に気が付かないのか覚えていないのか、あの同じクラスの「松井さん」だとは誰も気がついていない。

 手持ち無沙汰になったので昔と変わらない夏祭りの神社の様子を1枚撮ってユイに送る。

「ソウと夏祭り来た」

「ソウは今つかまってる」

 すると今回はすぐに返信がきて、嬉しくて少し気分が上がった。さすが聡太くんじゃんの文字にふふっと漏れた声が聞こえてしまったのか、午前中とは変わって金髪になっていたいじめっ子リーダーが「あれ?」と私の顔を覗き込む。

「お前、松井?」

「え……」

 初めて直に見る彼の顔に嫌な気がして目を逸らす。彼の言葉に驚いて私に集まる視線の中に、裏切り者の顔。怖くなって咄嗟にソウの服の裾を掴んだ。

 そうだ、だから来たくなかった。

 ちょっと大人になった知らないソウを見られて嬉しかったから、だから調子に乗った。本当は私が来ていい場所じゃない。ずっと居心地が悪かったのに楽しんでいられたのはきっと、ソウが隣で褒め続けてくれたから。優しくしてくれたから。

 ソウのこと、好きでもないのに彼女みたいな扱いに喜んだからバチが当たったんだろうか。


 レンズを通さない現実に涙が出そうになって、気がついたら私はソウといつもの木の下にいて、左足の親指と人差し指の間がじんじん痛んだ。

「ヒトミ」

 ソウは私の背中に手を回してゆっくりさすってくれた。だんだん落ち着いたのを見計らって渡された水のペットボトルは汗をかいて温くなっている。裸足の足に水滴が落ちて気持ち悪かった。

「やっぱり誘うんじゃなかったわ。ごめん」

「ううん、楽しかったから、いい」

 嘘じゃない。本当に楽しかった。

 分け合った焼きそばも買ってもらったイチゴ飴も、ソウが大きい一口で食べた唐揚げも美味しかった。かき氷で舌がエイリアンみたいになったと真っ青な舌を見せて笑ったソウの写真もこっそり保存した。

 子ども最後の夏休みにいい思い出だと思った。誘ってもらえて、一緒に来てよかったと心の底から思っていたのに、今私の中に蔓延するのはずっと消えない劣等感。

 そうだった。だからソウと一緒にいるのが嫌だった。変わっていく周りの環境に、お前と俺は同じ世界にいないんだよと言われてるみたいで嫌だった。それとは反対にユイは、1人で自分の世界を作ってそこに私を招いてくれた。ユイの優しい世界が心地よくて、気がついたらユイに惹かれていた。

 でもどうしてか、彼を「好き」だと自覚を持った日から胸の奥が痛かった。罪悪感みたいな、どうしようもない気持ちが消えなかった。

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