【コラム③】川中島合戦……結局勝者はだれ?
……さて、小説である本編は終わりなのですが、少々続きます。
川中島の合戦の勝者は誰か?
という疑問がよくあります。
これは戦略的見地に立てば、武田軍であったであろうと考えらえます。
戦場に最後までとどまったのも武田軍ですし、後日に川中島一帯を支配したのも武田側なのです。
その後も、上杉方の支配地であった西上野も、武田側は征服に成功しています。
甲越戦争では一貫した戦略勝者は、武田側であったと言えるでしょう。
……しかし、第四次川中島の戦死者は、武田側4千5百名。上杉方三千名です。
しかも、兵力は武田が2万に対し、上杉方は1万6千しかいないのにです。
局地的な戦術戦果で見れば、上杉方は圧勝とも言えます。
負傷率で言えば、武田側も上杉側も70%近い数字です。
もちろん、当時は抗生物質も外科手術もありません。
双方未曾有の大損害です。
ちなみに関ヶ原の西軍の負傷率は、10%未満と言われています。
中世の戦争では死傷率が20%を超えると、軍隊が機能不全を起こし始めるのです。
農民兵を大量に動員した武田も上杉も、領地の農業は大丈夫だったのでしょうか?
結果的に言えば、双方とも翌年には軍事行動を再開させています。
凄まじい統率力だと言えます。
武田軍は戦国最強と言われますが、現実的に最強だったのは、謙信率いる上杉軍であっただろうと思うのが作者の見解です。
織田信長の桶狭間、北条氏康の川越合戦、武田信玄の塩尻峠。
古来英雄たちは、少数でも大軍に勝っています。
……が、基本的にやむを得ない場合です。
しかしながら、上杉謙信はこの川中島に限らず、相手より少数の兵力でも圧倒的な局地戦勝率を誇ります。
完全に負けた戦いは攻城戦だけと言えます。
当時の最強の殺傷兵器は弓でした。
医療技術が低いので、矢傷は致命傷だったのです。
よって、各勢力とも飛び道具を強化。
鉄砲隊や弓隊を多く編成します。
……が、上杉謙信は違いました。
なんと、近接部隊である槍兵を7割以上に高めています。
これは、如何に近接戦闘での勝利の自信があったかを物語っています。
この上杉の精兵と互角に戦った武田軍の旗本は、勝頼の代に移ってからも猛威を振るいます。
この部隊相手には、北条軍も徳川軍も一切野戦に応じません。
堤防が壊されようが、村落や寺社が焼き討ちに合おうが、城から出ませんでした。
自領の民衆の支持が下がっても、やむをえないほどの強さがあったであろうと推測されます。
それより強かったであろう謙信の部隊は、もはや軍神の名にふさわしいでしょうね。
レビューを誠にありがとうございました。
凄く少数の読者様のご期待に応え、もう少し続きます (ノ∀`)
……ぇ? はよ終われって? (;'∀')




