第八話……典厩信繁
「退くな!」
増援が来た甲軍右翼は持ち直したが、そのしわ寄せが来た甲軍中央は、更なる越軍の猛攻に晒されていた。
甲軍の中央を守るは、信玄の弟である武田信繁と原虎胤の隊だった。
「典厩殿! お退きなされ!」
「否! 退かぬ!」
「ここを通さば、兄上の本陣に行かれてしまう。何としても踏みとどまるのじゃ!」
劣勢を悟る原虎胤に退くよう言われても、退かぬは信玄の弟、武田信繁。
のちの江戸時代には『まことの副将』と称えられた名将である。
彼は父である信虎に愛され、信玄を差し置いて家督を継ぐ可能性もあった漢である。
――ダダダーン
「……ぬぅ」
信繁は愛馬と共に、左足を銃弾に撃ち抜かれる。
「典厩殿!」
「構うな! 原殿!」
馬から転げ落ちるも、退くよう言う、原の言を遮る。
信繁を守る雑兵は逃げ散り、郎党も次々に打ちとられる中。
信繁隊は突破されるかに見えた。
後ろにあるは、信玄の本陣。
……が、
「我こそは信玄が弟、武田典厩信繁なり! 我と思わんものは掛かって参られい!」
信繁が大音声を上げると、通り過ぎようとしていた越軍諸将が足を止める。
「信繁じゃと!? 手柄首じゃ! 討ち取って手柄とせん!」
「掛かれい! 掛かれい!」
信繁に多数の越後武者が群がる。
手負いの信繁には抗すべくもない……。
「ぐふっ」
信繁の胴鎧に次々に槍が突き立てられる。
越後武士が倒れた信繁に馬乗りになり、兜首を狙う。
しかし、それを見た他の越後武士が、割って入り手柄を取りあう。
……その時、
――ダダダーン
信繁が忌野際に聞いたのは、越軍の背後に達した、武田別動隊の鉄砲の銃声だった。
越軍に動揺が走る。
「……こ、これで兄上は勝てる……御旗盾無御照覧あれ……ぐふ……」
――武田信繁享年37歳。
その命は兄信玄と武田家に捧げた。
後年、真田昌幸は後に生まれた次男に「信繁」と名づけている。
この信繁こそが、大坂の陣で活躍した真田幸村である。
又、武田信繁の嫡子武田信豊に残した99ヶ条にわたる『武田信繁家訓』は、江戸時代の武士の心得として広く読み継がれることになる。
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【一口信玄メモ】……甲州金
山梨県の黒川金山などが有名な信玄の資金源。
金堀衆との分け前は7:3で信玄の取り分は実は3と少ない。
しかし、金山労働者は30歳まで生きれれば長寿という過酷さであった。
武田氏滅亡後、徳川家康の資金源へと移る。




