3
3
「いっちゃん、次の金曜日は何の日でしょう!?」
日曜日。百合は一位と駅前のカフェに来ていた。木目がありありと浮かぶ机を挟んで向かい合い、きしきしと少し軋む椅子に腰掛け、オレンジ色の光に照らされている。モダンな雰囲気のこのカフェを、二人は好んで利用していた。
「うーん……」
一位はいつものように頬を掻きながら「わかんない」と言った。
その言葉を聞き取ると、百合の顔色はみるみると色が変わっていった。
「そっ、そんな! 本気で言ってるの?」
泣きそうな声で、慌てて狼狽する百合を見て、一位は爽やかに微笑んだ。
「嘘だよ。幼稚園の頃から毎年やってて忘れるかよ」
百合は立ち上がりかけた腰を椅子に戻し、ホッと一息ついた。
「もー、なんで意地悪するかな?」
プーっと百合の顔が風船のように膨らんだ。
「ごめん、ごめん。誕生日には今までと比べ物になんないようなプレゼント用意しとくからな」
「えっ? ほ、ほんと!?」
百合の声が店内に響き、店内の客が百合を見た。
「あっ、す、すいません」
頬を紅潮させて小さくお辞儀をしながら、百合は声のボリュームを下げた。
「はは。百合はドジだ」
一位は楽しそうにまた笑い、ホットコーヒーを一口飲んだ。
「ドジじゃないよ! 今のは嬉しかったから……」
「いやいや、俺は百合のそういう所も好きなんだ。俺が付いていなきゃなーって思うしさ」
「ん、なにそれ。子ども扱いしないでよ。私は子どもじゃないんだからね」
百合は言いながら、可愛いクマのラテアートがほどこされたホットカプチーノを一口含んだ。
「そりゃそうだよな、むしろ子どもの面倒を見る仕事してるんだもんな」
「そうだよー、毎日楽しいよ」と百合はニコリと笑って続ける。
「子どもたちがね。ゆりせんせー、ゆりせんせーって私の所に駆け寄って来るの。それが可愛くてさ」
「……仕事、大変じゃないのか?」
「え? んーん、楽しいよ。そりゃ大変は大変だけど、精神的にはそんなに疲れたりはしてないかな」
私、向いてるのかも。と百合が言った所で、一位は足を組んで話し始めた。
「そうか、よかったな百合。……俺は少し大変かな。毎日毎日やる事がいっぱいでさ、疲れちゃってしょうがない」
そう言って一位は首をバキバキと鳴らした。
「うわっ、バキバキやめてよ! ……んー、いっちゃんは証券会社向いてないのかな?」
「いやいや。仕事なんてどこも初めはこんな感じで、てんやわんやするらしいし。百合のケースが珍しいんだよ」
「そうかなー?」
「そうだよ、よかったな百合、いきなり天職に当たってさ」
「うん! いっちゃんも身体は壊さないでよね?」
一位はコーヒーを一気に飲み干してから百合に向かって頷いて見せた。
その後、二人は店を出て、人混みの中をはぐれないように手を繋ぎながら歩いた。時刻は既に八時を回っていて、辺りはすっかり暗くなってしまっていた。
「百合、今日も早めに帰るか?」
「うーん、そうだね。お母さん、一人にしちゃうし」
「そうだな。そういえば、百合のお母さんにしばらく会ってないなぁ」
「いっちゃんが一人暮らしするまでは週に一回位は必ず顔合わせてたもんね」
「二ヶ月会ってないだけで、しばらく会ってないような気がするな」
「あっ、そうだ! いっちゃん、今日うちでご飯食べてきなよ!」
「ええっ? いいよ、急だし」
「なによー、そんなに気使う関係でもないでしょ今更、水臭いな。お母さんもいっちゃんの事すごい心配してるんだよー。『一位の奴はちゃんと飯食ってんのかな?』とか『あいつんちが近かったら色々持ってってやるのにな』とか言ってるよ」
「はは、そうか。確かに近いうちに顔出さなきゃな」
「ね、だから今日は寄ってってよ! お母さんいつも遅いし、ご飯まだだと思うしさ」
百合は一位の袖をグイグイと引っ張り始める。
「いやいや、行きたいけどさ。明日も仕事あるし、休みたいんだよ」
一位はすまなそうな顔で百合の誘いを断る。
「えー、いいじゃんご飯位! そんなに疲れてるのー?」
「ごめんごめん、今度の土曜に顔出すから勘弁してくれよ」
「……んー。しょうがないな」
苦笑いする一位を、百合は解放した。
「じゃっ、あれやって、いつもの」
ん、と言って百合は一歩一位に近寄る。
「えっ、ちょっ……今?」
あたふたと慌てながら頬を掻いている。そんな一位に百合はもう一歩近寄る。
「早く! 週に一回しか会えないんだからいいでしょ!」
一位の目と鼻の先に立ち、一位を見上げながら百合は子どものように駄々をこねた。
「わ、わかったよ」
一位は、駅前で人がごった返す中で百合をその胸に抱き締めた。
とくんとくんと、一位の鼓動が百合の耳に直接届く。きっと、一位も百合の鼓動を感じているのだろう。
一位は前に言っていた。百合の鼓動のリズムは落ち着く、と。それは百合も同じだった。百合も一位の胸に抱かれ、鼓動のリズムを聞いていると、まるで幼い頃、母に抱かれた時のように童心に返り、落ち着いた。
「んー」
百合は一目も気にせずに、より一層一位の胸に顔を押し付ける。すると、一位の大きな掌が百合の頭にポンと乗ったのがわかった。
「はい! ありがと!」
百合は一位から離れる前に、一度キスをしてから離れた。一位は、人前でこんな行為をする事が恥ずかしいのか、頬を赤らめてキョロキョロと周りを気にしていた。
二人は顔を見合わせてから微笑んで、駅まで一緒に歩いてから別れた。