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「待ってよー!」
制服の上に、ピンク色のカーディガンを羽織った少女は、その艶めく髪を風になびかせながら、慌てて何かを追い掛けて行く。
「なんだよ! もう一緒に学校には行かないって言っただろ!?」
ブレザー姿の真面目そうな青年は、怒った様に振り向いたが、本気で怒っている様には見えなかった。
どうやらこの男女は、近くの私立高校に通う高校生らしい。
「また学校の奴らにからかわれるだろ」
いじけた様な青年は、いつもの癖で頬に手を当てながら答えた。
「いいじゃん幼馴染なんだしー!」
おちょくる様な言い方をする少女に、青年はため息を着いた。
「付き合ってるのがバレるだろ!」
「いいじゃん、そもそもなんで隠す必要があるのよ」
「それはあのー、人間――特に思春期の奴ってのは嫉妬深い生き物であってだな……」
青年は黒縁の眼鏡を一度押し上げて、早口で説明し出した。
「うるさいな! そんなのどうだって良いじゃない! 関係無いの!」
ぷんすかと怒った様子の少女は、ガバッと青年の胸に顔を埋めた。
「なっ……! やめろって! 」
少女は何処か落ち着いた様な表情で、青年の胸に顔を埋めている。近所のおばさんたちはそんな二人を、微笑みながら見ていた。
「いいの、こうしてたいの……」
そんな少女を、無理やり引っぺがして、青年はそそくさと先を歩いて行ってしまった。
「待ってよー!」
少女が小走りで追い掛ける。
「待たない!」
青年は歩く速度を増していく。
「待てー!」
少女は走ってその背中を追い掛ける。
「待たない! ……て、あれ?」
「どうかした……て、あれ?」
住宅街を抜けて、ちょっとした小川のほとりにある小さな公園を、いつも通り横断しようと差し掛かった所で、二人は何かを発見した様に立ち止まって、顔を見合わせた。
「ねぇ、あの子」
「あ……あぁ」
幼い少女が一人、小川をしきりに覗き込む様にしていて、どう見ても危なっかしい。二人は、少女を驚かせない様に静かに近寄っていった。
「ねぇねぇ、何してるの」
スカートを膝裏の所で折って、少女が隣りにしゃがみ込んでそう問いかけると、幼い少女は驚く様子も無く、小川を指差して答えた。
「ほたるがね、さっき飛んでったの」
「蛍?」
少女は驚いた、こんな日の照りつける朝に、蛍が飛んでいるはず無い、しかも季節は12月だ。蛍なんているはずが無いのだから。
「そう、まっしろのほたるがね、さっきそこにいたの!」
幼い少女は、自分が何か大発見をしたかの様に、自慢気な様子だ。
「蛍、蛍ね……この辺の蛍は白くは光らないんだけど……」
「でもほんとにいたんだもん!」
表情豊かな幼い少女は、今度は怒った様に頬を膨らませた。翡翠色の綺麗な瞳がこちらを睨んでいる。
「あはは、わかってるよ、ほんとに蛍がいたんだよね!」
「うん!」
するとそこで、背後から青年が話し掛けた。
「君はいくつなの?」
幼い少女は、警戒心も無く指を立てて答えた。
「3さい!」
お家はどこ? お母さんは? と青年が問いかけようとするよりも先に、幼い少女が口を開いた。
「おにいちゃんとおねえちゃんはいくつ?」
少女は青年と顔を合わせ「17歳だよ」と答え、青年は「16だよ」と言った。
「いち、にい、さん、し…………」
幼い少女は指を折って数を数え始め、ようやく答えが出たのか「おねえちゃんは、14さい早くうまれたんだね!」と言った。
何処か、何故だか二人は、この幼い少女に親近感を覚える。
「ふたりは付き合ってるの?」
「え……あはは、まぁね」
青年は頬を赤くしてそっぽを向いた。この話題は少女に全て押し付けるつもりらしい。
「けっこんは?」
妙にませた子どもだなぁと笑いながら少女は「それまだわかんないかな」と答えた。
「ふーん、たぶんね、おにいちゃんとおねえちゃんはけっこんするんだよ」
「え?」
「なんかね、そんな気がするの」
「そっか……ありがとね」
幼い少女はそこでその話題は終えたのか、足元の石ころをいじり始めた。二人は、どうしたものかと顔を見合わせて、困った顔をした。
「ねぇねぇ、おねえちゃん」
幼い少女は、名残惜しそうに話し掛けて来た。
「さっきね、ほんとにほたるがいたんだよ」
そう言って少女は頬に手を当てた。青年と全く同じ様な仕草で。
*
「お久しぶりですね。お人好しの死に急ぎじじい」
御神木の前で、夕暮れに染まる村を見下ろしたいた先生が、振り向く事もせずにその大木の前に現れた村長に嫌味を飛ばした。
「うっさいわい、べとべとオールバッカー」
そんな返しを鼻で笑いながら、先生は振り返った。
そこには、以前とは比べ物になら無い程痩せ細り、弱々しくなった村長が立っていた。
「ユウくんの消えていく概念を、多大な力を利用して他の場所に留めておくなど、自殺行為ですよ。それに加え、イフくんとリィスくんに並んで、同じ場所に転生させるとは……おかげで半永久であったあなたの命は有限の物となってしまった」
「ほっほ、わしが死んだら、清々するんでは無いのか?」
「ええ、まあそうなんですが。あなた、この村を維持していく使命があるでしょう。それなのに何故そんな軽率な行動を……」
「なんでじゃろうなー」
何処か楽しそうに首を傾げた村長は、先生の隣りにまで歩み寄り、一緒にオレンジ色に夕映えした村を見下ろした。
「でもわしは今、清々しい気持ちじゃ。この村を創ってから五百年、今始めて村民の願いを叶えてやれた気がする」
「……」
影の出来た村長の瞳は遠くを見据える。その先には、現世と続く空が映し出されている。
「家族の絆……か、わしが死んだら、そん時は頼んだぞ、先生」
「こんな時だけ父親ぶらないでくださいよ」
「生物は、絆を大切に生きていかないかんのだ」
キザに格好つけた感じの村長に、先生はそのまま言葉を続けた。
「感慨にふけって自分に酔っているつもりらしいですが、あなたの寿命はまだ何百年も先だ。すかした捨て台詞を吐いた手前、非常に格好悪いものがあります」
「ふぁっく!」
「ヨボヨボの中指を突き立てないでください」
一陣の風が、二人を突き抜けていった。その風は何処まで先へ吹いていくのだろうか?
多分、何処までも永遠に吹き続け、飛び続けるんだろう。
「村長、たまには旅行にでも行きましょうか」
厳格な表情を浮かべたままだった先生の横顔に、朗らかな微笑みが見えた。先生のその表情は、村長の笑みにそっくりだった。
「ええのう。フランスがええ。フランスに行って、ポトフを見ながらエッフェル塔が食いたいのう」
「……もうボケてきたのかクソじじい」
「おぉんっ!? なんじゃとこらぁっ!?」




