【14】
【14】
卒業までに許された僅かな時間を、私たちは三人で過ごした。同じ屋根の下、お母さんの作った料理を皆で囲んで、食べ終わったら私が食器を洗う。夜になったら皆で談笑して、疲れたら川の字になって眠った。
私たちは残された時を、何故だか自然と、かつての様に過ごしていた。何も特別な事はしないで、かつての平和な日常を送った。けれどそんな日々が、涙が出る程に楽しかった、嬉しかった。
けれど一日、また一日と眠る度に、残された時は消失していき、悲しみが募って来る。そんな夜には、私はお母さんの胸に抱かれて眠った。
最後の夜に、お母さんは私といっちゃんに言った。
「記憶は無くても、お前たちは同じ場所で同じ年に転生して貰うんだ、何にも悲しい事なんて無いじゃないか」
私といっちゃんは言った、お母さんがいないから悲しいんだ、と。お母さんを忘れてしまうのが悲しいんだ、と。
お母さんは一度頬に手を当ててから、私といっちゃんを抱き締めてくれた。
そして。
「また逢えるさ」と言った。涙を流れていなかった。
こんなに愛おしい人たちとの人生に、今こんなに離れたくないと思える人と共にいた生前に、私は自ら幕を下ろしたんだ。その行為の愚かしさを私は改めて心に刻んだ。
無くした物の大切さには、失ってから気付く。
たとえ絶望し、打ち拉がれても、どれだけ虚無感に襲われ様とも、どんなに自分を惨めに思っても、次は最後まで生命を駆ける事を誓った。
生きているとわからなくなるけれど、一番大切な物は案外一番近くにある物だと、一度死んだ私にはわかったから。
「ねぇ、お母さん。絶対に、消えちゃ駄目だよ? またいつか、私とお母さんが親子だったって事、一緒に思い出そうね」
「私は負けないよ、お前たちと、私自身の為にな」
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「えー、皆、先日は悪かったの、じゃが今日は、この二人はしっかりと卒業する。皆、見送ってやってくれ」
舞台の上から、村長が再び集まった村民に詫びる。
しかし村民たちの疑問はそんな事では無く、リィスの隣にイフがいる事である。皆がざわざわとざわめき出す中、先に事情を知っていたイリスだけは落ち着いていた。
「みんなー」
大きな声を出したイリスに皆が注目する。
「イフとリィスは、これから二人で幸せになるんだってさ、だからさ、しっかり見送ってやろうよ」
イリスの言葉に、誰も疑問を抱く者はおらず、そうなんだ、と言って静かになった。
イリスの後ろにいたユウは、少し笑ってイリスの頭に手を置いた。
「なんだよユウ、僕は子どもじゃないんだぞ!」
「そうだな、お前は立派な大人だよ」と言って笑った。
辺りが静寂に包まれると、辺りに蛍火が満ち始めた。イフとリィスは村長に合図されると、二人で手を繋いで舞台へと続く階段を上っていった。
純白の着物に身を包む二人は、村長に手渡された杯の水を静かに飲み干した。
村長が空に向かって人差し指を立てた。すると蛍はぞくぞくと数を増やし始め、舞台の周りを取り囲み始めた。
とても綺麗だ。ユウはそう思った。舞台の周りを温かい光の風が取り囲んでいく。まるで二人を祝福するかの様に舞台の光度が増していく。その光景はどう見ても非現実的で、幻想的な光景。この村でしか見られない光景だった。
村長が舞台の上で一度だけ掌を打った。すると先程までの大量の光がパタリと消え、白く、強く発光する小さな輝きだけが一つ残った。
「これで終わりじゃ。さて二人共、その蛍について行け」
どうやらその白く発光する物も蛍だった様で、村長はその蛍を指差した。イフとリィスが返事をする間も無く、白く光る蛍は舞台を下りていった。
白い光りを追い掛けるイフとリィスを先頭に、ユウたちも移動を開始した。ユウは一秒でも長く、二人の姿を眺めていられる様に、村民たちの先頭を歩いた。
真っ暗闇の中、白く輝くその蛍火だけを頼りにして、しばらく歩いていると、やがてその光りは、地面に落ちて消えた。
イフとリィスが顔を上げると、そこには先生の乗った黒い車が駐車されていた。どうやらここは、この村に唯一走っていたコンクリートの道の様であった。
「さぁ、二人とも今日を持ってこの村、焔を卒業じゃ」
イフとリィスは村長に向かって、切なそうに頷く。
「じゃあなー! またどっかで遊ぼうなー!」
ユウの隣りで大きな声を上げたイリスに気付いて、二人は優しく微笑んだ。
「じゃあね、イリスくん、長い間遊んでくれて、僕も楽しかったよ。ありがとう」
「楽しかったよ、また一緒に遊ぼうね」
ふとユウがイリスを見ると、涙でびちゃびちゃになっていた。イリスはユウに顔を覗かれている事に気が付くと、ハッとした様にそっぽを向いた。
「次はユウだろ」と言って、イリスはユウの背中を押した。
イフとリィスは、ユウの顔を見た途端に、子どもの様に泣き出しそうになった。イフはなんとか堪えた様だが、リィスの目尻には涙が伝っていた。
ユウは、そんな二人にゆっくりと近付いて、膝を着き、そして力強く抱き締めた。
「ひっ……ぐ……百合、一位…………うっ」
ここまで気丈に振舞って来たユウの心に、哀しみが押し寄せる。そのどうしようもない感情が、笑って見送ってやろうと決めていたユウの思いを無視して溢れ出そうとする。
「お母さん……お母さんっ…………大好きだよ」
「お母さんっ…………ありがとう」
遂にはイフの瞳からも涙が伝って、三人は子どもの様に大声で泣いた。
「お母、ざん……絶対に負けないでね!」
鼻水を垂らした百合の頭を、櫟は愛おしそうに撫でた。
「負けないよ、だって私も、お前たちに会いたいもんな……!」
「お母……さん! ほんどに! あ……ありがとうございました!」
瞳をパンパンに張らせた一位の頬に、櫟は自分の頬を当てた。
「一位、百合の事、任せたからな」
「はい……っ!!」
櫟は口元で微笑み、二人の元から離れた。
「おがあさん……ひっ、また……会えるよね!」
「逢えるさ、今度は百合が私のお母さんかもしれないし、妹か、姉かも知れない。一位が私のお父さんかもしれないし、弟かもしれないし、友人かもしれない――――」
遂に溢れた温かい涙で顔を真っ赤にしながら、息が苦しいのに耐えて櫟は続けた。
「約束だ」
櫟は頬に手を当てて、大事な息子と娘の為に、とびっきりの笑顔を魅せた。
少し離れた所から一位は頬に手を当てて。櫟と同じ様に、身体に染み付いた癖を見せながら、微笑んだ。
「ありがとう、お母さん! 僕は……あの時、生きていて良かった!」
同じ様に、精一杯に微笑みながら百合は、最後に誓った。
「お母さん、私の為に、私たちの為に、闘ってくれてありがとう……お母さんは、いつまで経っても、例え産まれ代わって、私が今ここにいる華木百合じゃ無くなっても
――――私の、私たちのお母さんだよ」
百合と一位は、櫟に心から感謝しながら、手を繋いだ。銀色に輝く指輪が、蛍の光で煌めいた。
瞳を腫らせ、頬を紅潮させ、涙でぐちゃぐちゃになった笑顔で、櫟は最後の言葉を、心の底から魂の全身から贈った。
――私はお前たちが大好きだ。
さよなら。また、約束の焔に。




