【12】
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「そうか……じゃ、任せるぞ櫟」
そう言って村長は、一歩下がった。それを見て先生も、渋々ながらも同じく下がり、その場にはイフとユウとリィスの三人になった。
「お母さん、悪いのは百合って……」
不安気な声で、イフはユウに先程の言葉の真意を問い掛けた。しかしユウが言葉を掛けたのはまず、リィスの方からだった。
「百合、知ってるか? イフは……一位はな、あれから一年の間、生き延びたんだ」
「えっ」
リィスは表情を崩し、肩を震わせ始めた。ユウはその震える肩を、そっとなだめる様に抱いた。
「いっちゃんは、あの時にはもう……え?」
「お前も憶えてるだろう? 弱くっても、ちゃんと動き続けてた心電図。一位は、あれから奇跡的に意識を取り戻したんだ。そして、一年の間、生き続けた」
「じゃあ……私、私が死ななければ…………」
衝撃的な事実、自分があそこでホームに戻っていたら、あれ程に待ち望んだ一位との時を過ごせたという真実を知り、リィスは愕然とショックを受けるしかなかった。
「お母さん、もう辞めてください! 百合に過酷な運命を強いるのは、もう……っ!」
「駄目だ一位」
いたたまれなくなって言葉を挟んだイフを、ユウは一蹴する。
「一位は何でも自分のせいにしてしまう優しい奴だ。百合……一位はな、昔一人で死のうとしていたんだ、お前や、私の記憶から消え去る為に」
顔を上げたリィスの瞳は、既に涙で赤くなっていた。
「だけどこいつは、結局最後まで闘った。血反吐を吐きながら生にしがみついて……そして、私たちの前に、昔みたいに戻って来ようと奮起してた。
一位、お前はその決断をして――生きる事を決断して、後悔はしたか?」
イフは奥歯を噛み締めながら、微かに首を横に振った。
「生きる事が、あんまりにも苦痛で、過酷で……いっそ死んだ方が楽になれるんじゃ無いかって、何度も思いました……。
――――だけど僕は、僕はあなたに言われた通り、生きていて良かった!
辛かったけれど、生きていたからこそ、最後には友人に別れを告げられた! 苦しかったけれど、生きていたからこそ両親に感謝の気持ちを伝えられた!
生きていたからこそ……共に闘ってくれたあなたに会えた……っ!
けれど、僕が死んだと思ったからこそ、百合は…………っ」
すれすれにまで込み上がって来た涙を、強引にせき止めながらイフは櫟に言葉を返した。
「違う、百合が幸せになれなかったのは、百合が生きる事を辞めたからだ。百合が、残される者の気持ちもわかんねぇ様な馬鹿だったからだよっ!!」
遂にイフの頬を涙が伝った。それは、必死に訴えながら、顔を上げたユウの瞳から、大粒の結晶が止めどなく溢れ出しているのに気が付いたからだった。
ユウは膝を地面に着いて、リィスの震えた背中を背後から抱き締めた。優しく、熱く、力強く。
「ば……ばか、やろう……なんで子ども助けて、自分はホームに戻らなかったんだよ……お前が……お前がそれで良くても、残される人は、私は! どうなるんだよぉ、ばか…………ばか」
ユウの顔から伝った涙が、そのままリィスの顔を伝っていく。いつしかその雨の量は、リィスと合わせて、土砂降りになった。
「お母さん」
「お前が助けた子の母親がな……毎日、毎日うちに菓子折りを持って詫びに来たよ。ごめんなさいごめんなさいって毎日毎日何度も謝ってた」
「……ぅ」
「でもな、百合……あの人は間違っちゃいないんだ。そりゃ私からしたらもの凄く憎い行為に見える。だけどあの人は、あそこで、死ぬかもしれない危険を犯す訳にはいかなかったんだよ……。だってあの人は子どもを、一番大切な者を、守って生きていかなきゃならなかったんだから」
リィスはハッとした様にあの日の情景を思い出した。
――線路に転落した私に、誰も手を伸ばそうとしない。
私はその光景に絶望し、死を選んだ。
「そ……そうか……私が、私がっ」
誰かが助けてくれるはずだという希望的観測、甘えた思考。
世の中の人間一人一人に、守るべき大切な人があるんだから。それが今の世の中の人の一人一人に、余りにも多くのしかかっているのだから、他人に構う事が出来ないんだ。
それを他人のせいにして、呪いながら私は死んだ……余りにも自分勝手だ。
皆が大変な世の中なのだ、皆が誰かに助けて欲しい世の中なのだ。けれど人は、自分でそれを乗り越えていかなくちゃならない、乗り越えていく。何故ならそれは、今の世の中で大人になるという事だからだ。
「けれど百合、お前が子どもを助けようとした事は絶対に間違いじゃあない。だけどあの時お前に手を差し伸べてくれなかった人たちを、怨んじゃいけない」
「……ごめんなさいお母さん! ごめんなさいっ」
リィスはユウに抱かれたまま振り返り、ユウの胸に顔を埋めて謝った。ユウは愛おしそうにその頭を撫でて、涙の雫を落とした。
「だからな、百合……お前は次からの人生、お前自身で、がむしゃらに生にしがみついて生きろって事だよ……どんなに辛くっても、どんなに想像を絶する不幸が続いても……必死に生きるんだ。生きてりゃ、必ずいつか、何かが見つかるんだから……」
リィスは、その言葉に何度も何度も頷いて、瞳をパンパンに張らせて嗚咽を漏らした。そんなリィスの背を、ユウは万感交至る思いでさすってやった。
「村長……もう、私の役目は終えました」
「お母さん!」
「お母さん! 待って!」
ユウは胸に無理やりにしがみついて離れようとしないリィスを引き剥がし、立ち上がって村長たちの消えた闇に向かって待った。
けれど村長は現れず、代わりにユウの少し先の地面に、温かく光り輝く蛍が集結した。
「……これは」
蛍が示していた物、ユウが摘み上げた小さな銀色を、イフとリィスも目で追った。
「お母さん、それは……?」
「……全く、村長はいい所を持っていきやがる」
ユウは頬に手を当てて、その懐かしい癖を見せながら、イフとリィスの方に振り返り、その掌に乗った物を二人に示した。
「お前たちのだろ、これ?」
ユウは、祝福する様な笑顔を二人に向けた。
「これ……え、なんで?」
「これ……」
『ichii』『yuri』別々の刻印が刻まれた銀色の指輪が二つ、ユウの掌に乗っていた。
「一位、認めてやるよ。最後の最後位、二人で幸せになれ」
そう言ってユウは、百合には一位の、一位には百合の指輪を手渡した。
喜びが遅れて来るように、二人はお互いの指輪をしばらく眺めてから、理解した様に微笑んだ。
「お母さんっ!!」
ユウの胸に飛び込んで来て、喜んでいるリィスの背を、ユウは一位の方に押し出した。
「まだ最後の儀式が終わって無いだろ?」
そういうとリィスは照れ臭そうにはにかんだ。その顔、容姿はかつての百合とは違うものの、確かに百合の表情で笑っていた。
「一位、今度はしっかり、お前がエスコートするんだぞ。私の大切な娘を」
「あっ……う、うん」
気丈に振る舞うイフの目尻にも、光る物が輝いて落ちた。
イフはリィスに歩み寄り、照れ隠しの様に自分の掌に乗った指輪を眺めた。
「やっと……会えたな。ごめんな、百合……?」
「私の方こそ、ばかな事して本当にごめんなさい」
何年も前から一緒にいた二人は、今やっと出逢えた。お互いにお互いの顔を見つめ合う。姿形は違うが、二人にはお互いが生前の姿のままに映っていた。
不意に、そんなイフとリィスの背後から声がした。
「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか」
「せっ、先生!」
やたら流暢に取り仕切り始めた声の正体は、頭に細長い宴会様の帽子を被った先生だった。先生のその表情から察するに、村長に無理やり被らされた事は一目瞭然だった。
「ははっ! 先生、なんですかそれ?」
「ふふふっ、先生その帽子変ですよ」
二人は顔を見合わせて笑い、お互いの手を握ってから、改めて向き直った。
「僕、保月一位は、あなたを永遠に愛する事を誓います」
百合は涙を流し、しかし微笑みながら、自らも答えた。
「私も誓います」
百合がそう答えたその瞬間、大きな打ち上げ花火が何発も打ち上がり、真っ暗だった夜空を何色にも染め上げた。
突然のサプライズに、茫然自失とそれを眺めている二人に向かって、櫟が手を打ちながら祝福した。
「おめでとう、百合、一位」
「お母さん……」
「ありがとう、お母さん」
そうして二人は、お互いの指に銀色の契約を通し合い、花火の光りに照らされながらそっと口づけを交わした。
二人は幸せそうな表情で、お互いの手を握り締め、お互いの存在を確かに感じながら、打ち上がる花火を二人で見上げた。
「おーい、村長……村長!」
その背後で、ユウが声を潜めて村長を呼ぶ。
「なんじゃいユウ、わしゃもう花火を創って疲れたぞ」
闇から現れた村長にもはや驚く事もせず、ユウは村長に向かって、顔の前で手を合わせ、何かをお願いする様な仕草をした。
「悪いけど、もう一つ頼まれてくんねぇかな?」
「ん? なんじゃい、まぁこの際、よっぽどの事以外……」
「百合と一位、同じ場所、同じ年に転生させてくれねぇかな?」
「なぁ……っ!?」
驚いて大きな声を出し掛けた村長の口元を、ユウは手で塞いだ。
「待て待て、そもそも、今回の事で余計に無事に転生出来るのかもわからぬというのに、同じ場所同じ時間じゃと!?」
――頼む! といった様に、ユウは悪戯っぽい表情で、再び顔の前で掌を合わせた。
「ぬぅう、簡単に言うが、辿るべき時間を操作するというのは神様でも無い限り……」
「頼むよ」
村長は首を傾げて考え込み、しゃがみ込んだかと思ったら直ぐに立ち上がって、ユウに向かって鼻を鳴らした。
「しゃあないのぅ、まぁええわ、良く思い出したらわしも一応神様じゃし、出来るかはまだわからんが、頑張ってみるわ」
「本当かっ!? ありがとう、あんたには世話になりっぱなしだよ」
村長って神様なんだ、と考えながら、ユウは村長に向かって深く頭を下げた。
「しかしのぅ……」と言って、村長はまた考え込んでしまった。
「何か問題があるのか……?」
ユウがそろそろと慎重に問うと、村長は首を縦に振った。
「やはり今回の件で、あの二人には前世の記憶が深く刻まれてしまった。同じ場所、同じ年にという願いはなんとか叶えられたとしても、そもそも無事に転生が出来るかどうか」
「じゃあさ村長――」
困り顔でぼりぼりと頭を掻く村長に、ユウはそっと耳打ちした。
「――正気かおぬし? 確かにそれならば無事の転生は出来る。しかしそうすれば……」
珍しく動揺を見せる村長に、ユウは何でもなさそうに白い歯を見せて笑った。




