【11】
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村長はチラと、今や先生の腕の中で抵抗する事も無く項垂れたイフを一瞥した。
「……で、じゃイフ。おぬしは何故自らがリィスの言う『いっちゃん』だということを黙っておった? わかっておったんだろう? ――わかっていて尚、リィスの卒業式からの逃亡に助力し、今しがたもユウが『いっちゃん』だという結論に二人を誘導しとった? 何故そんな事をする必要がある」
すると羽交い締めにされたイフが、少しづつ顔を上げて村長を見た。その翡翠色の瞳からは、はっきりとした怒りを感じる。
「じゃあ質問を変えようかの、先程も言ったが、おぬしはいつから前世の記憶があった?」
その質問に、ずっと沈黙していたイフは遂に口を開いた。もう観念したかのように。
「しばらく暮らしていて、様子を見ていた。……僕の目から映るこの世界は、この村に来た時点から全てを憶えていた僕にとっては、異常だった。……しばらくこの村の人たちと時間を共有し、観察していたら、異常なのは僕だと言うことに気が付いた。この記憶がある事自体が間違いなんだと気付き、ずっと隠していた。……けれど、僕の中でその異常は、いつまでも消えてくれなかった」
そこでイフは先生の腕を荒々しく振り払う。先生はもう一度組み直す事もせずに一歩後ろに下がった。
「ふむ、この村の歪みはユウからでは無くおぬしからじゃったか」
村長は納得したように腕を一度組み直した。
「僕はこの世界で、一つ年下のリィスを見つけた。姿容姿が似ても似つかない位に違ったのに、リィスが百合なんじゃないかと思うようになった。そして、百合がたまにじゃれて僕の胸に飛び込んで来た時に、それは確信へと変わった」
リィスは神妙な顔付きでイフの言葉に耳を傾けている。それはユウも村長も先生も、皆同じだった。
「リィスは年が若くなるに連れて、その感情を忘れていったけれど、リィスはこの世界でも僕の事を好きになってくれたんだ……嬉しかった。……僕たちは魂で好き合っているんだって思えた」
「一位じゃあ、どうして」
ユウはイフを生前の頃のように『一位』と呼んだ。それを聞いてイフは緩やかに微笑み、いつかのように頬をぽりぽりと掻いた。
「じゃあどうしてだって……? あなたなら、それはわかるはずだ」
「…………?」
「僕は、百合を不幸にしたんだ。これ以上無い位に」
「一位、それはっ」
「慰めはいりません。僕のせいで、百合は不幸せなまま……。
あなただって思ったはずです。僕がいなければ百合は他の人ともっと幸せに」
「一位それは違うっ!」
「違わないっ! 百合が、僕以外の人と出会っていたなら、百合はもっと幸せになれたはずです」
「つまりイフは、自分の代わりにリィスを幸せに出来る者を捜しとったって所かのう?」
村長のその言葉に、イフは再び俯きがちになり、静かに肯定した。
「そうです。それを……それをわかっていながらあなたは……っ!」
激昂するイフの翡翠色の瞳からは、再び怒りの感情が溢れ出ている。しかし村長は飄々とした感じで、優しいオレンジ色で見つめ返した。
トゲトゲとした翡翠色と、優しいオレンジ色が交差する。しかしイフは村長にではなく、ユウの方に向かって視線を向けた。
「お母さん。一つだけ聞かせて下さい。
あなたは、あの日病室から飛び出して行った百合がどうなったのか、決して僕に教えようとはしなかった。百合は、僕よりも早くこの村に来ていた。生前の世界での時間軸が当てはまるのかはわかりませんが、おそらく僕よりも早くに百合は亡くなっている。ずっとそれが気になっていた……教えてください。百合はいったいどうして……っ?」
言葉に詰まった。
ユウの隣で改めて母の手を握る百合も、気まずそうに下を向いていた。
「…………」
答えられなかった。自分が死んだ事で百合を不幸にしたとずっと思い詰めて来たイフに、百合の結末を語る事など出来るはずも無い。
その時、隣で今まで黙りこくっていた小さな栗髪が、ずっと握って来たユウの手を離し、一歩前に出た。
「違うっ! 私は、いっちゃんと出会った事が不幸だったなんて思わないっ! 」
百合は顔を紅くして声を上げる。
「思いたく無いっ!」
そして百合は自分の結末を語り出した。その小さな身体には似合わない。深い深い、真っ黒な結末を。
「……私は、考え過ぎて、どうしようもなくなって……気付いたら、線路に落ちてた」
リィスがそう言った瞬間に、あきらかにイフの瞳からは動揺が見て取れた。よほどのショックだったのか、言葉が出ないかのように口をパクパクと小さく動かしている。
「百合、やっぱり……僕が…………」
やっと紡ぎ出したイフの言葉は、更に自らを責めるものだった。しかしその思考を断ち切るように、ユウは二人の間に入っていった。
「村長が、お前を間違ってるって言った理由が私にもわかったよ」
「……?」
意外そうな表情で振り向いたイフを見て、ユウにはあの時の一位がデジャヴした。病室で二人で話したあの時の事が。
「一位、お前はなんにも悪くなんか無い。悪いのは――百合、お前だよ」
そう言って、櫟は力強く百合の肩に手を乗せた。
「……お母さん? 何を言ってるんですか?」
当惑した様子の一位と対象的に、百合は瞳を閉じて落ち着いていた。
「村長……私が、なんでこの世界にまで来て全部思い出したのか……理由がわかったよ」
ほぅ、と村長は目を細くし、腕を組んで顎に手をやった。
「言わなきゃいけない事があったんだ……百合に……馬鹿な私の娘に。それだけの為に、私はこの村に前世の記憶を持ち越して来たんだ」
「しかしの、この村での事は転成した後全てを忘れる。それでもおぬしが言わなきゃならんというその言葉に、意味はあるのかの?」
櫟はそんな村長の問いに、迷う事なく返答した。
「はい。例え忘れるんだとしても……いや、忘れるんだからこそ、百合の魂にそれを刻んでやらなきゃならないから」
暗闇に佇んだ村長は、よくは見えないが微かに笑った様に見えた。




