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【10】

   【10】


 晴天の霹靂。

 ――ガシャンと、何かが割れる音と、カチッ、カタカタカタカタと、綺麗にパズルが合致して歯車が回り出す音がした。

『いっちゃん』リィスがしきりに言っていた名、その名の正体は僕だとリィスは納得し、補完した。

 だが村長は、リィスの言う『いっちゃん』とは、僕では無くイフの方だと言う。

「……そ、そんな、そんな事、無いよ……いっちゃんは、いっちゃんだよ……? ほら、ね? いっちゃん」

 ひどく取り乱したようにリィスは身体を小刻みに震わせながらユウの顔を見上げた。しかしユウは、リィスの言葉に対し、首を縦には振る事はしなかった。

「村長、あなた……」

 翡翠色の瞳が敵意を持って村長を睨みつける。

「幸せを偽るという事は、この上無く残酷な事じゃ」

「知らなくても良い事だってある……」

 激情の表情を浮かべたイフの口元からは、ギリッと歯ぎしりの音がした。

「イフ、この村は生前のおぬしらの住んどった世界とは違う。この村は本来、整理する為の世界じゃ。そこに偽りなどの思惑はいらん」

 村長が言い切ると同時に、イフの小さな身体は物凄い速さで村長に向かって突進した。しかし村長の身体はふわりと幻影だったかのように消え、次に瞬きをした時にはイフのすぐ背後に立っていた。

「ぐっ…………」

「イフくんっ! 辞めなさい!」

 尚も攻撃を続け様と次の動作に移ろうとしたイフに対し、村長は何も無い空間に手を一度打った。するとイフの身体は何かに押された様に吹っ飛び、先生の目の前で失速し、ストンと落ちた。先生はイフを即座に羽交い締めにした。

 先生の腕の中でこれでもかと暴れ狂うイフを他所に、村長はユウとリィスに向き直った。

「ユウ、おぬしも、そちらの方がしっくり来るんじゃないか?」

「……そちらの方?」

「そうじゃ、おぬしが『いっちゃん』では無く、別の人間だと言う事の方じゃ……」

「ちょ、ちょっと待ってよっ!」

 そう言ったのはリィスだった。リィスは今にも泣きそうな当惑した顔で訴えかける。

「私たち、図書館で自分たちの名前の法則を見つけた! だからそんな訳は……っ!」

「ほう、教えてくれるかの? リィス」

「『yew tree(ユウ ツリー)』は英語で『一位の木』という意味。そして『百合』は英語で『lily(リリィ)』そして私の名前は『リィス』それに気付いた時、思い出した……百合としての過去の記憶を」

 確かに、あの時僕は自然とその単語に目を奪われ、そして思い出した……百合の記憶と、一位という名の記憶を僅かに。けれどそれは、一位としての主観の記憶では無かった。何処か百合と一位の二人を、少し離れた所で見ていた様な、そんな感覚。それがユウが時折覚えた違和感の正体だったのだ。

 村長は、腕を甚平の袖の中に入れたままリィスをみつめた。

「いや、英語じゃなくフランス語じゃよ。言ったじゃろ? わしはフランスが好きじゃと」

「……フランス語?」

 リィスの眉間にしわが寄り、聞きたく無いと言った風に、怪訝な表情を村長に向ける。

「そうじゃ、『百合』はフランス語でも『lilyリリィ』それを言いやすいようにしたのが『リィス』そして『ユウ』は――――」

 そして村長はこう言った。

「『ユウ』は……おぬしらの言う通り、英語で『一位』じゃ」

「…………え?」

 ――英語で? さっきフランス語だと言ったじゃないか。

「一位? 一位っていっちゃんの事じゃ……それに、どうしてユウだけ英語なの……?」

 素朴な瞳で見つめるリィスに、村長は優しくも切ない瞳を返す。先生の腕で暴れていたイフはもはや観念したのかグッタリと地面を見つめているだけになった。

「生前、『一位』と言う名だった人間が、この村には二人おった。そして『if(イフ)』は、フランス語で『一位』の意じゃ」

 場が凍り付く。リィスもユウも自然と声を漏らして困惑する。イフは死んだように俯いて、動く事をしない。

 ――二人? 

「じゃ、じゃあリィスの言っている『いっちゃん』は、僕では無いもう一人の『いっちゃん』つまり、生前『いっちゃん』と百合から呼ばれていたのは……イフだと?」

 ――じゃあ僕は、関係の無い赤の他人? いや、では何故、百合や一位の記憶がある?

「わしはいつもフランス語に変換して安易に名を付ける。そもそも名というのはこの世に魂を縛り付ける為に付けるんじゃが……まぁ同じ法則で名を付けるとなると、村に同じ名前の人間が二人になってしまう。それはなんとなく避けたかった、ややこしいしの……というわけで、特例として英語辞書から名を拝借した……ユウ、おぬしもわかっておったんじゃろ?」

「わかって? いえ、僕はそんな事……」

 咄嗟に否定したが、よく考えてみれば確かに村長の言う通りであるとユウは理解した。

「それはまだ、おぬしがリィスの言う『いっちゃん』だという事に、なんとなくピンと来とらんかったからじゃないのか?」

「……それは」

 ――確かに、私はまだ『いっちゃん』であるという事実にしっくり来ていなかった。これまでに覚えた数多の違和感が、私が『いっちゃん』と『百合』を離れた所から見守っていた第三者として振り返ってみれば、違和感全てに合点がいった様に思った。

「待って……! なんでイフがいっちゃんだって決め付けるの? ……だって私はいっちゃんの胸に抱かれた時に色んな事を思い出した、いっちゃんの仕草を見て色んな事を思い出したんだよっ……? いっちゃんだってそうでしょっ?」

 いっちゃん、と言ってリィスは潤んだ瞳でユウを見つめる。しかしその瞳は、その眼差しは、私に向けられるべき物では無いともうわかってしまった。

「たしかに、たしかに僕もリィスと接していて、何か懐かしい感覚になったりもしました」

「そうだよ、だって私は憶えてるんだもん……いっちゃんのその頬を掻く癖、胸に抱かれた時の鼓動……絶対、絶対に憶えてるんだもん……っ」

 ユウがこれまで感じて来たリィスに対する感覚については、ただの勘違いだなんて思えなかった。たしかにあの感覚は前世と関わりがあるのだと断言出来る。でも僕は『いっちゃん』では無い、ならば僕は……?

「いっちゃんが私の知らないいっちゃんだなんて……っ、絶対にあり得ない!」

 栗色の髪が夜風になびく。そしてそこから流れる甘い香りがユウの鼻腔を流れていく。村の方を見ると、遠くに微かな蛍火が見えた。

「リィス、ユウがおぬしに関わりが無い全くの他人だなどとは言っておらん。全く、何百年もこんな事をやっとるとこんな事もあるんじゃな……これは紛う事無き――奇跡じゃよ」

 奇跡。そういうと村長の右手の人差し指が鈍く光り始めた。

「すまんの、厳密に言うと『一位』は一人じゃ」

「えっ……?」

 すると村長はその光り輝く人差し指を目の前の闇の前に突き出し、何も無い空中に文字を描く。その光はそのまま空中に留まり、ユウたちの前には、村長の描いた筆跡が形を成し始めた。

「『一位』これがイフの生前の名だ。……そうじゃのお? イフ」

 不意に言葉を投げかけられたイフは、チラと村長の方を見ようともせず、頑なに動かないままだった。

「まぁよいわ。『一位』これがリィスの言う『いっちゃん』だの? リィス」

 たしかにそれは、ユウとリィスが図書館で目にした、リィスの言う『いっちゃん』の名だ。リィスもユウも、その字に引き寄せられるように導かれた。

 コクリとリィスは栗色の髪を揺らした。

「ほんでこっちが…………」

 村長は次に『一位』と描かれた闇の横に、新たな文字を一画ずつ書き記し始めた。ユウは村長の指をジッと見つめて完成する字を待った。

「……あれ? え…………?」

 一画、一画。村長はその指先の光で、字を刻む。ユウの心に村長が一画刻む毎に何かが込み上げる。一画、また一画と。まるでスローモーションのように村長はゆっくりと描く。村長が描こうとしている字に近付くにつれて、ユウの中に込み上げる物が大きくなっていくのを感じた。隣を見ると、リィスの視線も村長の指に釘付けになっていて、ひどく衝撃を受けたような表情がどんどんと増していっていた。

 ああ、そうか……。

 僕は、僕は…………私は、私の名は――――

 そしてようやくその字の正体が闇に浮かぶ。

 『櫟』そしてこの字は、『くぬぎ』そしてそれよりも一般的に『いちい』と読む。

 ただ、一字だけの文字がそこに完成された。そして村長は静かな口調で口を開く。

くぬぎ華木櫟(はなきくぬぎ)。わしは今までこれを『いちい』と読むのじゃと思っとった、一文字で二種類の植物の名を表す字――華木百合の母でありそして……ユウ、お前の名じゃ」

 マトリョーシカの様に心に折り重なった時計。止まったはずの一つ前の時計が、カチカチと、塗られた塗装を剥がしながら動き出す。


 ――お母さんといっちゃんってなんか似てる。頬を掻く、頬に手を当てる癖も……

 ――私はお母さんの胸に抱かれ眠った。忘れるはずの無い、母胎にいる時から聞いている母の鼓動が、とても懐かしく思えた……

 ――百合の生前の末路は憶えている。いっちゃんが亡くなってから毎日涙を流し、死んだようにただ仕事をするだけになった……時折思い出したかのように僕の胸に顔を埋めて……家でもあまり笑わなくなってしまった

 そうか、この視点は……

 ――ゆうの掌がそっと唇を遮った。

 確かに愛していた。狂おしい程に百合を愛していた。しかしその愛の視点は恋人に対する物では無く、母が子に抱く形の愛だった。


 完成された字を見つめ、解けかかっていた鍵が遂にその扉を開けた。そこにあった物は予想していた物とはあまりにも違った。だけどその正体が露わになった今は、何故気付かなかったかという位に納得してしまう自分がいる。

「あぁ、そうだ……思い出した」

 ユウはそう言ってから、隣にいるリィスを抱き締めた。自らの正体がわかり、改めてリィスを抱き締める。

「やっぱりそうだ……百合。ずっと、ずっと大切だった、私の一番の宝物」

 リィスはまだ思考が追い付いていないのか、なすがままになって母の胸に抱かれていた。時折、母に髪をくしゃくしゃと愛おしそうに掻き回されて髪が乱れた。

「おかあ……さん……?」

「百合、そうだよ……私はお前のお母さんだ。この鼓動に感じた物はそういう事だったんだな……百合、百合。やっと会えた……もう会えないかと思ってた」

 涙ぐむユウと共に、リィスの瞳からも涙が零れ落ちた。

「お母さん、お母さんお母さんお母さん……」

 二人は再開を喜びあう。無残に引き裂かれたはずの二人が今、こうしてここにいる。

「のう、だから奇跡じゃと言ったじゃろ? 三人ともこの村の加護を受けた者じゃったんじゃ。そして元々、太古の昔から一緒におったんだよ。おぬしたちは……」

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