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【09】

   【09】


 二人は夜の闇を駆けた。闇の中、点々と光る蛍の篝火から逃げるように遠くへと。

 何処までも遠くへ逃げたかった。そしてリィスと二人で生きていきたかった。ユウとリィスは村唯一の一本の車道を駆け下りる。途中、走れなくなったリィスをおぶって、再びユウは坂を下り続けた。

 しかしすぐに気付いた。

 ――ループしている。同じ道をぐるぐる、ぐるぐると。山を下ったかと思うとまた同じ道に出て下り、また同じ道に出て下る。

「……いっちゃん、どうなってるの。この村なんなの……?」

 ユウの背中にピッタリとくっついたリィスが、流石に不安気な声を漏らした。

 何ループ目だろうか? 同じ道を性懲りも無く走り続けたが、逃げる事は叶わないのだと悟った。ならば隠れるしか無い、逃げる事が出来ないのなら隠れる。しかしそれではいずれ見つかるだろう。

「……はぁ、はぁ。リィス、山を登るよ」

「えっ……? あそこに行くの?」

 ユウは荒く険しい山道を、リィスをおぶりながら今度は駆け上がった。息を荒げ、全身の筋肉から血が噴き出しそうな感覚になるのを堪えて走り続けた。

 走った。走った走った走った。二人で生きていける場所、誰にも邪魔されない場所へと。

 ユウが度々リィスに感じるこの気持ちは、やはり確かな『愛』だった。つまりユウは、本当にリィスの言う『いっちゃん』なのだろう。ユウは未だにその事には実感が無いばかりだったが。

 確かに愛している。確かに百合という存在を誰よりも知っている気がする。

 まだ冷たい夜の風を切り、草木の香りの空気を吸い込み、闇の中、様々な虫の声を聞きながらひた走ると、やがて目的の場所へと辿り着いた。ユウはリィスを背中に乗せたまま、力尽きたように前屈みに倒れ込んだ。その際にリィスの顔がユウの背中に当たった。

 辿り着いたその闇の中、巨大な影がそびえ、ユウとリィスを見下ろしていた。

「…………御神木」

 リィスの呟いた通り、ユウが目指し辿り着いた場所は、皆が産まれたこの場所だった。

「いっちゃん。ここで休んで」

 リィスはユウを仰向けにして、頭の下に膝を置き、膝枕をした。ユウの頭部は、とても熱くなっていた。

 ユウは息を荒げながらも視線をそのまま上空に向けた。そこには溢れんばかりの砂浜の様な星空が広がっていた。闇が埋める面積よりも、星の埋める面積のが多いんじゃないかと思う程に、数多の星が煌めいていた。

 この空は、かつてユウの生きた世界と繋がっているのだろうか? 

 ユウが見上げる視界の隅には、ユウを心配そうに見つめる顔が覗いている。

 まるで天使のようだ。栗色の髪が月の微かな光に照らされている。

 しばらくこの状態に身を任せた。息が整うまでの間は。

 ユウはリィスの小さな膝から頭を上げて、上半身を起こした。ユウの汗でリィスのワンピースの膝の部分が濡れていた。

 眼前に広がる小さな村、所々に灯りが見えるが、ユウたちのいるここは闇に沈んでいる。

「いっちゃん、この村……ううん、この世界、どうなってるの?」

「……知らないよ」

「嘘つかないで」

 ――ここまで思い出したリィスに、それを教えてももう同じ事だろうか? しかし少しでもリスクがあるならば…………

 ――いや、ならば何故ここに連れ出した? 何故あの時、名を呼んだのだ? 矛盾している。いや、二つの気持ちが葛藤しているのだ。

 リィスと共にいたい気持ちと、リィスの送る次の人生を見守りたい気持ち。

 どうすればいい? 何故選ばなければいけない? 不条理だ。この世界でも不条理はどうしようも無く存在する。だけど選ばなければならない。さもなくば両方を失う事になる事は知っていた。両方を求める強欲の迎える結果は破綻だと。

「いっちゃん…………」

 リィスが背後から、ユウの眼前に逆さになった顔を出して来る。

「嬉しかったよ……あの時呼んでくれて」

 そう言って、リィスは瞳を閉じてゆっくりとユウに近づいて来た。もはや見かけ通りの子どもでは無く、年頃の女性の雰囲気を醸し出している。そして徐々にその距離は近くなり、リィスとユウの顔と顔が触れ合うその瞬間……

 ユウの掌が、リィスの柔らかい唇をそっと遮った。

「えっ?」

 掌の感触を感じ取ったリィスは、意外そうに瞳を開けて、そのままの至近距離でユウを見つめた。

「やっと追い付いたよユウくん」

 突然現れた冷淡な声に振り返ると、ユウのすぐ背後に黒いスーツ姿の男が立っていた。

「……っ!」

 ユウの声にならないような反応を見てとって、先生はおもむろに詰問を始めた。

「ユウくん、君はリィスくんの卒業を望んでいたはずだ。ならば何故こんな事をする?」

 先生の瞳が闇の中で光る。全身黒ずくめのせいか、そこにはオレンジ色の瞳だけが存在しているかの様に見えた。

「リィスじゃないもん! 私は百合!」

 リィスが牙を剥くが、先生はそんなリィスには一瞥もくれずにユウを睨みつけた。

「リィスくんはやはり前世の記憶を……。ユウくん、君はいったい何がしたいんだ?」

 ユウを問い詰めるその瞳が、更に険しさを増す。

「リィスくんが思い出したのは君のせいだろう? 君は前にリィスくんの卒業を望んだね。しかして今はその卒業式からリィスくんを連れて逃げ回る。その真意はなんだ?」

 確かにそうだ。僕は…………なんだ?

「今一度聞こう。君の望みはなんだ?」

「…………」

 沈黙するユウを擁護するように、リィスが声を荒げる。

「私といっちゃんは一緒にいる! 前の世界で一緒にいられなかった分も一緒にいるの!」

「リィス」

 瞳を潤ませたリィスを見ていると、痛い程に感情が伝わって来た。

 そうだ、憶えている。百合は毎日泣いていた、いっちゃんを思って毎日泣いていたんだ。

「じゃあリィスくん……こうなっては仕方が無い、キミにはもう教えてあげよう」

 先生はリィスに向かって視線を落とす。

「蛍のいる七日間のうちに卒業しなければ、キミの魂は消滅する。それでもキミはユウくんと一緒にいたいか?」

「魂? 消滅……?」

 面食らった表情で、リィスは素っ頓狂な声を漏らした。

「リィスくん、ここはね、死後の世界なんだよ。そしてキミたちはこの村で転生する。キミの記憶の中の自分と、今の自分の姿は違うだろう? その姿は、前世の物とも来世の物とも全く関係の無い、この村に魂を定着させる為に用意しただけの身体だからだ」

 リィスは一度、ゴクリと音を立てて生唾を飲むと、意思のこもった表情で言葉を返した。

「……ここが死後の世界だって事は、昔の事を思い出した時からなんとなくだけど、わかってた……。いっちゃんが病気で死んじゃった記憶と、私が地下鉄のレールに落ちてしまった事も憶えてたから」

 ――一位は病院で百合と対面する事無く死に、百合もまたその日に列車事故で……。

「……」

 リィスは目頭に涙を貯めながら、赤くなった瞳で先生をキッと睨み付けた。

 ユウはそれを見て、百合は昔から良く泣く子だったな、なんて事を、ふと思う。自分の思いが上手く伝わらないと、涙を流しながらでも必死に訴える子だった。

 そんな事を思い出した。

「だから私は構わない……。いっちゃんと共に、たった7日間でも、一緒にいられるなら魂が消滅しても……それでいい」

 悠然と言い放つリィスに、先生は微かに一瞬だけ、言葉を詰まらせた。

「ユウくんの意見は……?」

 闇の中、表情は見えないけれど、先程までのトゲトゲしさの抜けた声が慎重にユウに問い掛けた。ユウの所にまで寄って来たリィスは、その小さな背丈でユウを見上げた。

 ――ユウがここで、リィスに同調してしまえば、もう止まる事が出来ない。この蛍のいるうちの七日間を逃せば、リィスの魂は消滅してしまう。しかし、今この流れで首を縦に振る事は容易だ。そして確かにそうしたい気持ちはある、その気持ちがあったからこそ今ここにいる。……しかし、心の奥底にまだ何か引っかかるものが、ユウの決断を鈍らせる。

 ――なんなんだ……。

 リィスは、予想とは裏腹に黙りこくってしまったユウを見て、心配そうな眼差しでもじもじと落ち着きが無いように動き始めた。

 回答を待つ静寂。その静寂を破ったのは、ユウでもリィスでも先生でも無く、いつからか木陰に身を隠していた小さな身体の男の子だった。

「ユウお兄ちゃんが迷っているのは、リィスの将来を守るか、リィスの今の望みに答えるか……そうだよね?」

 何も無い闇に向かって振り返ると、そこには翡翠色の瞳が二つ煌めいていた。

「イフ、どうして……?」

「ごめんねユウお兄ちゃん。ユウお兄ちゃんはきっと、道に迷ってるんだろうと思って」

 そう言ってから、闇に浮かぶ翡翠色の瞳が一度、ゆっくりと瞬きをして微笑んだ。

 ――確かに迷っている。だがこれは僕とリィスの問題だ……。その答えを、イフは僕にくれるというのだろうか?

「ユウお兄ちゃんとリィス……いや、百合といっちゃんにとって、今の時間は何よりも待ち望んだ時間のはずだ。だけど、ユウお兄ちゃんは、百合の将来を守る事も考えて葛藤している……当たり前だよね、だって百合の魂は消滅してしまうんだ、だけどねユウお兄ちゃん……」

 ――転生した後の世界の百合は、もう百合じゃない。百合が百合であれるのは、この世界が最後なんだ。

 ユウは愕然とし、口を開けたままになった。

「……最後?」

「転生すれば、これまでの記憶は全て無くなる。そうして次の世界で一から始めるんだ……それはつまり百合はもう百合じゃなくなるって事だよ」

 翡翠色の瞳は、寂しそうに下を見つめるようにしていた。

 百合の生前の末路を思い出す――一位が姿を消してから、毎日ただ、死んだように仕事をする様になってしまった百合は、家でもあまり笑わなくなった。時折、思い出したかのように僕の胸に顔を埋めて泣いていた。ぼろぼろになった百合に追い打ちをかけるように一位の死を目前にしてしまい、壊れてしまった……確かに百合が、このままじゃあんまりにも不憫では無いか。ならば私のすべき選択は、百合の愛した『いっちゃん』として、『百合』の幸せの為に――――

 ――あれ? ……何かおかしく無いか?

 イフの言葉には確かに納得がいった。それは理解している。だけどそこじゃない、この違和感は――――っ

「そうか、それがキミたちの決断なんだね……。ならば私は、キミたちから、力尽くでリィスくんを連れ戻す事になる」

 先生の消えかかっていたオレンジ色の瞳が、強い攻撃性を秘めて輝きを増した。口元のギラギラと光る犬歯を覗かせ、ユウは身構えさせられた。

 先生がザッと一歩踏み出すのと同時に、先生とユウとの間の空間に、一匹の蛍が流れ飛んだ。突然現れたそれを一瞬目で追い、そして視線を元に戻すと、目前に、禿げ上がった頭があった。

「――う、ぅうわっ!!」

「ふぉっふぉっふぉ。とまぁ、それっぽく笑っとくかの」

「村長? い、今どうやって……」

「ここはわしの作った世界じゃぞ? それ位は出来るわい」

 なんでも無いように頭をぽりぽりと搔く村長は、正に飛び掛らんとしていた先生に一瞥をくれる。

「……村長、そこをどいてください」

 オレンジ色の瞳が今度は村長を睨み付ける。しかし村長はふん、と一度鼻を鳴らすだけだけで相手にしない。

「そんな事よりイフ……」

 村長は少し離れた所に漂う翡翠色の瞳に向き直り、ゆるりとした口調で尋ねた。

「おぬし、何故知っとる?」

「…………」

 イフはその言葉を受けて沈黙した。辺りに緊張した空気が漂い始めた頃、イフの翡翠色の瞳は伏せ目がちになった。

 ――何故知っとる? 村長はそう言った。僕らでは無く、翡翠色の方を向いて確かに。

「ふぅ、まさかとは思って生前のプロフィールを見直してみたんじゃが……やはりそうか」

 風が吹き、闇夜の草木をざわわと揺らす。

「村長、いったい何事ですか? そんな事より、リィスくんを連れ戻す事が先決では……」

「先生、もうその必要も無い。リィスもユウも、もう自ら進んで舞台に赴くじゃろうよ」

 リィスは眉間に皺を寄せ、村長に激しい反感の意を示した。もうリィスが止まる事は無いだろう。リィスの一位への気持ちは、先程から痛い程に伝わって来ているのだから。

「どういう事です? これ程拒んでいるユウくんとリィスくんが、今更自ら赴くなどと」

 ふぅ、と一息ついて村長は饒舌に語り出す。

「……イフ、いつからじゃ?」

 静かに村長の言葉が空間に溶ける。

「村長、なんのこと言ってるの……?」

 まるで無邪気な子どもの仕草で、イフは村長に逆に問い直した。しかし村長は大人の相手をするかのように、イフを一言叱責した。

「とぼけるな……もうわかっとるわい。イフ、わしが聞きたいのはお前がいつから前世の記憶を取り戻しとったかと言う事じゃ」

「えっ?」

 場が凍り付くとはこういう事か、先程までざわわと揺れていた草木の音や虫の音も、一瞬でビタリと止み、これ以上の無い無音が闇を支配した。

 ――イフも、前世の記憶を……?

「イフ、おぬしの生前の名は――」

「村長っ――――!!」

 何処までも響くかのような、イフの声が突き抜ける。その声は先程までの子どものイフとは全く違う声音のものだった。

「そ、村長、どういうおつもりですかっ? イフくんに名を教えるなんて……」

 後ろで狼狽える先生を村長は一瞥した。

「いいんじゃ。イフの間違いをこれから正してやる必要がありそうじゃからな……その為には必要な事じゃ。それにこやつは、既に自分の名など知っておる」

「なっ、なに……? いっちゃん、いっちゃんどうなってるの? イフも、イフも生前の事を憶えてたってっ?」

 波風荒れるこんな状況なのに、ユウはあたふたと混乱した様子のリィスが突然に愛おしくなって、頭を撫でて近くに引き寄せた。

 ――あるいはユウの本能が、もうお別れだと告げたのかもしれない。

「イフ、おぬしは間違っておる」村長が言った。

「間違ってる? ……僕は、間違ってなんかいない、ずっと、ずっと百合の幸せを願って見守っていた……っ」

「だからおぬし、何故リィスの生前の名を知っておる」

「……っ!」

「そっ、それはさっきユウお兄ちゃんが卒業の儀式の時に……」

「それが何故リィスの名だと確信を持っとる?」

「それは……」

 視線をあちらこちらへと漂わせるイフ。もう僕らは取り残されて、村長とイフのやり取りをぽかんと見守る事しか出来なくなっていた。

「もうよい、イフ。今日までまんまと気付かんかったが、気付いてしまえばわしにわからぬ事など無い……。そしてわしはおぬしの間違いを正さにゃならん」

「間違い? ……間違ってなんか無い! 僕はただ百合の幸せをっ!」

 しかし村長は首を横に振りイフを静かに否定する。

「おぬしは、自分を攻めすぎとるようじゃ」

 ふとリィスを見ると、自分が二人の論点の中心にいる事に動揺を隠せないでいるようで、ぎゅっとユウの服を掴んでいた。

「わしはおぬしにも幸せになって欲しいし、リィスにも幸せになって欲しい。しかしおぬしの今しようとしている事はどうかの」

「村長、それ以上何も言わないでください……」

「卒業までのあと僅かな時間なら、確かに偽る事は出来たかもしれん……しかしの、このままではリィスの魂は消滅し、二度とこの村には来れんようになる。そして何より、おぬしはリィスに誠の幸せを与える事も、何事も無くリィスを送り出す事も出来たはずじゃ。それが最善だったはずじゃろう」

「そんな事は」

 ――イフはリィスに誠の幸せを与える事も、送り出す事も出来る? イフには、最善のルートが辿れるというのか? イフ、キミはいったい誰なんだ? 何を隠しているんだ?

 なおも頑なに村長の言葉を認めないイフに、村長はオレンジ色の瞳を向け、たった一言で決着を着けた。

 そう、たった一言。

保月一位(ほづきいちい)。リィスの言う『いっちゃん』とはおぬしの事じゃろうて」

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