【08】
【08】
ユウが一位で、リィスは百合。そんな事実が発覚しようとどうなろうと、時は進む事を辞めない。それは残酷でもあり、優しくもある摂理。
あの日、リィスが全てを思い出してから二日の時が経過し、遂に今日この日、村の別れの祭りがある。聞くと、その祭りと同時に、リィスは卒業となるらしかった。蛍は七日間この村で見られるが、その期を逃すと二度と転生出来なくなるので万全を期して早めに行うらしいと聞いた。
だから二日間。百合が一位と共にいられたのはたったの二日間だった。それでも幸せだった。心から渇望して止まなかった相手に死後の世界で出逢えたのだから……。
それでもやはり気掛かりだったのは、全てを知ってしまったリィスが、無事に転成出来るのかという事だった。
夕方になり、村人が続々と集会場に、もとい村長の家でもある日本屋敷の庭に集まった。そこには豪奢に装飾された、屋根だけがついた吹き抜けの舞台がある。
「リィス、卒業だな……」
ユウの隣で、イリスが寂しそうな顔を見せた。その隣にいるイフは何を言う事も無く、口を噤んで舞台を見つめていた。
「うん。イリスくんは、リィスが卒業するのが、悲しい?」
イリスは「べ、べつにっ」と言って顔を俯けた。
「僕は悲しいよ、イリスくん……本当に、これでいいのかな」
リィスは昨日の夜、ユウに抱き付いて離れなかった。離れたく無いと言って、家にも帰らずに目を腫らして泣き続けた。そんなリィスが疲れて眠るまで、ユウはリィスを抱き締めていた。
「ユウお兄ちゃんがそれで納得したなら、これでいいんだよ」
唐突に口を開いたのは、今まで頑なに口を閉じていたイフだった。
「リィスは次の世界で幸せになるんだ……」
村の人たちが集まる庭に、村長がのそのそと現れた。
「おーう、集まっとるのー」
村長が歩いてくると、後ろからトコトコとついて来る白装束姿のリィスが見えた。
「…………っ」
歩く度に栗色の髪を揺らし、白い着物を纏うリィスのその姿は、息を呑む程に綺麗で、ユウはしばし口を開けて見惚れた。
よく見ると、リィスの瞳が、涙で腫れているのがわかった。
リィスは怒っているだろうか? 僕のせいで思い出してしまった事を。
だけどリィスは笑っていた。思い出して良かったと心から笑っていた。
「今日はリィスの卒業式じゃ……寂しくなるが、別れがあってこそ出逢いがあるものだ」
リィスは過去の記憶を思い出したが為に今、あんなに目を腫らしている。
僕のせいだ……。僕がリィスに思い出させてしまったから。
みんなが舞台を取り囲んで輪になった中を、村長を先頭に、リィスが後に続いて舞台へと続く階段を上る。これは神聖な儀式だからか、辺りはそれを見上げたまま静寂となった。
そんな中ぽつり、ぽつりと辺りから蛍の光が現れては、空に舞い上がり始めた。
以前顔を上げないリィスは、下ばかりを見ていた。だけど僕はそんなリィスをしっかりと見守る。
「それじゃ、始めるぞ」
村長は舞台の上の祭壇に乗ったお椀を手に取り、リィスに飲ませた。リィスはそれに従って微かに顔を上げて水を飲んだが、飲み終わるとまたすぐに下を向いてしまった。
そして村長は、リィスの頭に手を添えて目をつぶる。すると辺りにちらほらと見えていた蛍の光が、徐々に数を増し、風に乗り、舞台を取り囲む様に周りを飛び始めた。それはまるで光の風。
そんな光景には目もくれず、ユウは立ち尽くし、リィスをジッと見つめ続けていた。
不意にリィスが顔を上げた。僕たちが何処にいるのかも知らないはずなのに、その視線は、迷う事無く、ユウの視線と混じり合った。
まるでお互い吸い寄せられたかのように、ピンポイントで瞳が合った。
その瞬間、ユウの口は何かに動かされる様に、自然とその場の静寂を切り裂いた。
「――――百合っっ!!」
ユウの声が、静謐だった辺りに響き渡り、周りの視線が一斉にユウへと注がれた。皆、ぽかんとした表情だ。
しかしその声を待ち望んでいた者もいた。
「――いっちゃんっ!!」
リィスは着物の袖を振り乱し、意を決したように舞台に続く階段を駆け下りた。
「お、おい、リィスっ……!」
村長が狼狽の声を上げるが、リィスは止まらない、階段を全て下りきって、人混みを掻き分ける。辺りを取り囲んで飛んでいた蛍も、縄が解けた様に辺りに四散し出した。
ユウも人混みを掻き分ける。当然だ、リィスがこちらに向かって来るのだから迎えにいくのだ。
辺りがざわざわとざわつき始め、ユウの手がリィスの伸ばす左手に触れようとした時、リィスがひょいと抱き抱えられた。
「……ユウくん。キミは何をしているかわかっているのか?」
「先生!」
どこから現れたのか。気付けば、黒いスーツの男がバタバタと暴れるリィスを抱き抱えていた。
「ユウくん。リィスくんが蛍のいるうちに卒業しなければ、どうなるかわかっているね?」
口調こそ丁寧だが、その目はユウを激しく叱責しているように思えた。
「……んっ! ん! 離して! 離して!」
先生に腰を掴まれてバタバタと抵抗するリィス。先生はそんな事、意にも介さない。
「ユウくん。いいね、今の行為には目をつむってあげよう。それでもリィスくんを連れ去ろうとするならば容赦しないよ」
先生は狼のような目つきでユウを睨みつける。
――そうだ、確かに僕は、いったい何をしているんだ……。こんな事をしたら百合の魂は消滅してしまう。
わかっている……。けれど、けれど……っ!!
「キミの気持ちはわかんでもない……しかしだな、本当にリィスくんの事を思っているのなら――――」
その時、ユウの腰程も無い高さの何かが、遠くから速度をつけて、先生の腹部の辺りに突っ込でいった。
「ぐっ……!」
みぞおちに入ったか、先生はリィスを下ろして片膝を着いた。
突然の事に目を見張りながら、膝を着いた先生の横で立ち上がった影を凝視した。
「ユウお兄ちゃんっ! 最後までリィスを連れて行けよっ! 途中で投げ出すなよ! また不幸な終わり方させんなよっ!!」
イフが瞳を翡翠色に光らせて、ユウや激しく声を飛ばした。周りの者たちは未だにぽかんとそれを見ているだけだった。
けれどイフの小さな身体では、いかに速度をつけようと大人の身体に敵うわけも無く、先生は既にヨロヨロと立ち上がり始めていた。
「早くっ!」
ユウは先生の手元から離れ、尻餅をついているリィスに手を伸ばした。しかし、伸ばしたその手を取る前に、リィスの着物の背を掴んだのは先生だった。
「……行かせるものか」
「いっちゃん!」
先生は即座に後退し、リィスがみるみる離れていってしまう。リィスは抱えられながら、後ろ手にユウに手を伸ばす。ユウは必死になってその手に手を伸ばした。
――駄目だ! 間に合わない、僕のこの手は届かない!
ユウの瞳に涙が溜まる。リィスを求めて伸ばした手が届かない事がありありと分かったが、最後まで必死に手を伸ばした。
――そしてユウの手は、ガッシと力強くリィスの細い腕を取った。
驚き、俯き掛けていた顔を上げる。
「ぐぅっ……!」
リィスの背を掴んでいた先生の腕に、小さな子どもが噛み付いていた。イリスだ!
ユウはイリスのおかげで掴めたその腕を引き寄せ、手早くそのまま抱き上げた。
「まっ、待てっ! ユウくん!」
先生は腕にがぶりと噛み付いたイリスを強引に振りほどくが、イリスは尚も執拗にこちらに向かって飛び掛かった。しかし、所詮子どもに不意はつけたとしても、正面からでは敵いはしない。
「ユウお兄ちゃんっ! 早く行って!」
「おい、ユウ! 早くいけって!」
それでも先生の腰や足にがむしゃらに組み付いたイフとイリスは、何度先生に振りほどかれても、先生に再び組み付いた。
それでもやはり、先生とユウとの距離が縮まって来る。猛禽類の様な目をした先生は、憤怒した表情で火の粉を払う。
「みんなっ、ユウお兄ちゃんとリィスちゃんを守るんだっ!」
僕たちを取り囲んでぽかんとしていた群衆の中から誰かが声を上げた。その声を合図にしたかのように。周りの子どもたちも、先生に飛び掛かっていった。
「いけぇっ! ユウお兄ちゃんとリィスちゃんを守れっ!」
ドドっと辺りの子どもたちが一斉に先生に飛びついた。腰を掴まれ、腕を掴まれ、足を掴まれ髪を掴まれ。子どもと言えどみんなが力を合わせれば一個巨大な力にも勝るのだ。
「なんだ……っ! うっ……!」
先生の頭の位置は徐々に低くなっていき、やがて沈んでいった。
ユウはようやく意思を固めてクルリと反転し、リィスを抱き上げたまま、街灯のように辺りを緩々と照らす蛍の道を駆けた。
ユウが掛けていった後も、わらわらと子どもたちは先生に飛びつき、気付けばそこには人の山が出来上がった。
「あ〜あ〜、困ったのう」
舞台の上で腕を組んで事の成り行きを見守っていた村長が、パチンと指を鳴らし、オレンジ色の瞳を爛々と光らせた。村長に気付いた子どもたちは、一人、また一人と先生から離れていった。
人の山が薄くなり、うつ伏せに倒れたボロボロのスーツが見えて来た。村長は陽炎のようにその山の前に突然現れたかと思うと、息も絶え絶えに呼吸をする先生の襟首を片手で掴み上げ、軽々と身体ごと立ち上がらせた。
「なーにやっとるか。ほれほれ、ユウとリィスを追って来んかい」
ひどくなんでもなさそうに淡々とした口調の村長に、怪訝な視線を一瞥くれてから「すみません」と一言述べて、先生は蛍の漂う中、ユウたちの向かった先へと、ヨロヨロとした足取りで消えていった。
「村長、リィスちゃんどうなっちゃうの?」
小さな男の子が村長を不安気な顔で見つめると、皆も同じような顔で村長を見た。
「んー? わからんなぁー、わからん事が起こっとる」
「村長でも、わかんないことがあるのかー」
「今回のはの……。ふむ、にしても先程……」
「あれ? 村長どこいくの?」
村長は顎に手を当てたまま、くるりと反転して歩き出した。
「いやいや、少し気になる事があっての、おぬしたちはそこで遊んどれ」
村長のその言葉を聞くと、子どもたちはわーいと喜んで、直ぐに仲の良いグループで輪になった。
村長は緩んでいた口角をキュッと引き上げて、闇へと消えていった。
「あれ、イフ? おーいイフ、どこ行ったんだよ? ……まったく、リーダーのぼくを置いてけぼりにして……」
少し離れた所でイリスは、イフがいない事に気が付いて鼻を鳴らしていた。




