【06】
【06】
「あーあ、わたしもお話しききたかったのになー……」
村長との話しを終えてから屋敷を後にし、まだまだ日が登ったままの道を、目的地の検討も付けずにひた歩く。
「ユウお兄ちゃん」
少し前を行くユウにリィスが話し掛ける。
ユウの額にひやりと冷たい物が伝った。村長から聞いた話しを、リィスになんて説明したらいいのか。
――リィスに先の話しをしてしまえば、リィスの魂に消滅してしまう可能性が産まれる。いや、リィスは既にそのリスクを背負ってしまっている、僕のせいで。リィスにこれ以上のリスクを負わせるわけにはいかない。しかし先程まで僕と共にそれを知る為に行動していたリィスに、掌を返した様な結論を出した事をどう説明しようか……。
いや、リィスの卒業まではあとわずか、説明する必要は無いのかもしれない。
リィスの事を大切に思うからこそ、ユウはその選択を選んだ。
しかし、本当にこれで良いのかと疑問にも思う。ユウも未だに気になる事は気になるのだ。けれどこの村が死後の世界だと知らされて、ユウの中の疑問は際限なく大きさを増すばかりだった。
今の自分はなんなのか、そして生前の自分は、どういう形でリィスと関わっていたのだろうか……『いっちゃん』とは生前の記憶の名だろうか?
――僕は誰なんだろうか?
知れば知る程にリスクを抱えるとわかっていながらも、ユウの脳内には様々な疑問が湧いて出る。
「ユウお兄ちゃん、そんちょーなんて?」
「いや村長は、結局『いっちゃん』が誰なのか、僕たちが何なのかは知らなかったんだよ」
へー、と言ってキラキラと光る瞳は、それを疑う事もなく、そのまま疑問符を続けた。
「じゃあこの村のことは? どうしてどんどん子どもになってくかわかった?」
「……いや」
あそこまでの会話をリィスと共に聞いておいて『それも村長は知らなかった』などと言えず、言葉を濁した。
「村長たちも、その現象の理由はよくわからないんだって……」
苦し紛れに口を開くとリィスは、
「なんだーそっか、そんちょーもわかんなかったんだね」
と、子ども様々に納得してくれた。――ごめんよリィス、僕も本当は君と二人で謎を解き明かしたいんだ。君が僕にとってなんだったか、僕が君にとってなんだったのか、けれどそれはもう出来ないんだ。
「ユウお兄ちゃん、どうする? わたしたちのこと、全然わかんないし」
「う、うーん」
もう調べる気は無いんだけど、と思いながら、思案しているふりをして見せる。
「ユウお兄ちゃん。それってクセなの?」
リィスは目を丸くしてユウに問いかけてきた。
「えっ?」
「ほら、ユウお兄ちゃんって、よくほっぺたに手あててる」
言われて、右手を止めてそれを確認すると、確かにその手は無意識に頬にあった。
「そう、なのかな……?」
これは、癖……なのだろうか?
「やっぱり、ユウお兄ちゃんとわたしはむかしむかしに一緒だったんだよ」
「どうして……?」
恐る恐る問うと「だって、そのクセ、知ってる気がするもん」
知ってる気がする。懐かしい気がする。つまりこれは、僕の生前の癖だとでもリィスは言いたいのだろうか? 抜けきらなかった僕の記憶と共に、この村に持ち込んでしまった物なのだろうか……?
生前の記憶に触れるような事をすると、リィスにまた新たなヒントを与えてしまうようだ。それは望ましく無い。ユウはその癖は封じる事に決めた。
「あのね、すっごく大切な人がやってたクセなの」
大切な人の癖……。
駄目だ、本当に危険だ、このままではリィスは思い出してしまう気がする。
「おいおいリィス。それは思い込みじゃないか? 僕は今、ほっぺたが痒かったから掻いただけだよ」
またはぐらかそうかと試みても、子どもは時に鋭さを発揮する。リィスは首を振った。
「ユウお兄ちゃん、この村にきてからそのクセしてるよ? わたし、みてたんだもん」
「えっ、そうなの……?」
気付かなかった、そしてさっき指摘された時も気付いていなかった。
「……はは、いや、虫に刺されちゃってさ、痒いんだ」
リィスは困ったように首を傾げた。
「ねぇ、ユウお兄ちゃん、いまからどこにいくの?」
「え? そうだな」
そんな事は完全に失念していた。
「ねぇ、じゃあ図書館は? ユウお兄ちゃんいったことないでしょ?」
「ああ、それはいいけど、なんでまた図書館なの?」
「べんきょうしたいんだっ! 学校もないから」
「そうか、じゃあ行こうか」
そうか、いつか村長と先生に何故学校が無いのかと尋ねた時に『必要が無いから』と答えた、その言葉の意味が、今になってわかった。
この村では年を重ねる毎に、その人の年齢が巻き戻っていく。つまり知識を覚えても忘れてしまうのだ。だから意味が無いと言ったのだ。
ユウの中で一つ合点がいった。そして意味の無いとわかっている場所へと、ユウはリィスと手を繋いで向かうのだった。
図書館に始めて入ったユウは、その内部に驚いた。
日本屋敷の図書館は珍しいものだが、それよりも、所狭しと置かれた本棚で、壁という壁全てが埋め尽くされている事に驚いた。内部には本を読む為の長机が至る所に配置されていて、椅子は無く、畳に直に腰掛けて本を読める様になっていた。にしても、この膨大な本の数である。確か村長は蔵書だと言っていた、こんなに沢山の本を全て読んだと言われれば驚く他無かった。
「……すごいな」
思わずユウが呟くが、リィスは何も言わずこくりと頷き、サッとユウの服の袖を掴んで背中に隠れた。辺りを見回してみると、奥の長机に、歓迎会に居たくりくり坊主の双子が仲良く並んで本を読んでいた。こちらに気づく様子は無い。
「リィスは本当に人見知りなんだな」
ユウがそう話し掛けても、リィスは額をピッタリとユウの背中に付けて離れなかった。
「わかったよリィス、こっちだったらあの双子たちからは見えないよ」
背中にリィスを抱えて、双子たちからは本棚で死角となる場所へと足を運んだ。
しかしよく見るとここは、海外・外国語のジャンルの本を置いているようだ。一応ジャンル分けはしてるんだな……と感心しつつ、リィスに他の場所に移るかと聞いたが、リィスはこの部屋で良いと小さな声で言った。
ユウは適当に『ドイツの街並み』といった本を取り、床に胡座をかいてパラパラとページをめくった。
レンガ作りの家が立ち並ぶ情景を撮った写真や、ピッチャーに注がれた本場のビールを、ドイツ人と思しきヒゲ面の男たちが木製の丸机で囲んで飲んでいる写真が載っている。村長がヨダレを垂らしながら読んでいた情景が浮かんだ。
この写真の中に映る人たちは、ユウたちと違って今まさに生きているんだな、と思った。何処か感慨深い気持ちになった。
リィスは抱えきれない程の本を抱えて持って来たかと思うと、パラパラと写真だけ見て本棚に戻して、といった具合に繰り返していた。
「リィス、勉強するんじゃなかったの……? 別にしなくてもいいんだけど」
そんなリィスを見ていて、ユウの顔は自然に綻んだ。
「あっ、そうだった……じゃあ、べんきょうする!」
「何を勉強するの?」と言うと「えいごっ」とリィスは答えた。
リィスは本棚を物色し、高い段に眼鏡に適った本を見つけたか、ユウを呼んだ。
「ユウお兄ちゃん、あれ取って」
指を差しているのだが、本がひしめく本棚に向かってあれ、と指を差されてもわからないので、ユウは立ち上がって、リィスの腰を掴んで上の段に手が届く所まで抱き上げた。
「たかいたかいっ!」
リィスはけたけたと笑った。
高い視点を楽しんでから、リィスは本棚に手を延ばした。それを見てユウはリィスを下ろして、再び畳に座り直した。
「どんな本にしたの?」
リィスはユウにその本の表紙を見せ付けた。
「これっ!」
見せられた広辞苑のような厚さのその本には『網羅する英単語』と書いてある。リィスに英単語を網羅する事は不可能だと思うので、リィスはきっとすぐに飽きてまた遊び出すだろう。
「英語か」
リィスは鼻歌を歌いながらユウのすぐ隣に腰掛け、本を開いた。
村長、あれ全部読んだのか? フランス語も出来るって言ってたし……村長ってもしかして博学? ……にしては英語のニュアンスが変だよな……と心の中で少し笑った。
その後ユウは、自分でも驚く程意外に本にのめり込み、パラパラパラパラとページをめくっては次の本を手にした。
生前の僕は読書が好きだったのかな? と思う程に、ユウにとって読書という時間は楽しいひとときだった。
ユウが様々な国の街並みの本を、五冊程読み終わったので、しばらくの時間が経過していると思うのだが、リィスは未だに、先程の英単語の本を熟読していた。四歳児が分厚い英単語の本を熟読し、十八歳がパラパラとページの大半を写真で埋め尽くされている本を読んでいるこの光景も滑稽だと思ったが、こんな分厚い英単語の本を黙々と読み続けるリィスに、ユウは素直に驚いた。
「……リィス、それそんなに面白いの?」
そう尋ねたが、リィスは没頭し過ぎていて聞こえないのか、返事もせずに英単語を眺め続けていた。
リィスが目を落とす英単語の本に、ユウも共に目を落としてみた。
すると、何十個もの英単語のしき詰まったある一部分に、ユウの視線は吸い込まれたように目がいった。
「……lily」
ほぇ? とリィスがユウに振り返った。
「lily? ちょっとわたしのなまえに似てる……ええーと、植物のなまえで……百合だって、百合の花」
――百合。
リリィ……百合という意味の英単語。
「百合……? ユウお兄ちゃん、わたし、この名前、どこかで……」
ゆり、ユリ、百合。
植物の名前? 違う……。届きそうな気がする、追い求めて来た一番大切な物に手が届きそうな気がする。
一番大切な物……今、隣で僕の事を大きな瞳で見上げている――リィス。
リィス…………リリィ。百合?
「ちょっ、ちょっとごめん」
ユウは、リィスの読んでいた本のページを勢いよくめくり始めた。付箋もせずにページをめくるユウの姿を見てリィスは「…………あぁ」と落胆したような声を漏らした。
直ぐにユウの目当てのページ、目当ての読み方の英単語を見つけた。そろそろとそれに指を這わせて読み上げる。
――yew tree
意味は――一位。一位の木。
「いちい?」
ハッとして本を閉じる、思わず指で指し示たので、リィスにまで読まれてしまった。
「いちい?」
リリィ、百合。
ユウ、一位……。
みるみると、みるみると誰かの記憶が、ユウの中に沸いて来た。ふつふつと、ふつふつと蘇る。これは……生前の、記憶?
しばし呆然となった後、意識を取り戻したか、ユウはリィスに知られては不味いと直ぐにページを閉じようとした。
「……リィス?」
リィスの指が、トンと本の間に挟まって付箋となった。
リィスはしばしそのページに目を落とすと、本から目を離し、呆然とした様子で何も無い空間を見つめた。
「一位、いっちゃ……ん?」
ぶつぶつと何かを呟くリィスが心配になり、ユウはリィスの頭にそっと手を置いた。その時ユウの右手は、無意識に頬を掻いていた。




