【04】
【04】
「リィス……。今年の卒業生は、リィスだってイフから聞いたんだけど……」
ユウと子どもたち三人は、すっかり茜色になった世界の山道を下っていた。ユウとリィスは少し前を歩くイフとイリスから、少し離れた所を歩いていた。
「……うん」
茜に照らされた栗色の髪が、躊躇いもなくフワリと頷く。それを見てユウは、いよいよ落胆した。
「知らなかったよ。……じゃあ、残された時間はもう少ないんだね」
「うん」
「リィスは、それでも知りたいかい? あと一ヶ月で卒業だとしても」
リィスはしばらくうつむいて、直ぐに意を決したように顔を上げた。
「……うん。しりたい。大切なもの、おもいだしたい」
リィスは隣を歩くユウの手を握った。
「いま、手をつないでても、なんか懐かしい感じがするもん。ユウお兄ちゃんとわたしがなんなのか、しりたい」
リィスはオレンジに照らされながら、ニコリと子どもらしく無邪気に笑った。可憐なその笑顔一つ、やはり心の奥底で何かがチクチクとした。
「リィス。イフが、この村は年を重ねる程若返っていくって……リィスもイフも、十八歳の姿でこの村に産まれたって聞いたんだけど」
「そうだよ?」
何の躊躇いもなさそうにリィスは肯定した。
「おかしいよ。人は年をとって、いつか寿命で死ぬんだ。若返っていくなら、最後はどうなるんだよ? 産まれる前に戻るのか?」
「……んー」
リィスは不思議そうにユウの瞳をジッと見つめ続ける。
「そうかな? へんなのかな?」
「そうだよ、覚えてない? 人は産まれ、色んな事を学び、そして仕事をして、いつか年老いて死ぬんだ。そんな事はリィスにも絶対的な概念としてあったはずなんだよ」
リィスはユウの言葉を聞くと、しばらく難しい顔で考え込んだ。
「……ユウお兄ちゃん」
「え?」
「まえもこんなことがあったね。ユウお兄ちゃんが『がっこう』っていったのをきいて、私はがっこうをおもいだした。あたりまえのことなのに、どうしてか忘れてた」
「そうなんだ……。やっぱり、この村には何か秘密があると思うんだ」
「ひみつ?」
「そう、僕たちの記憶を抑止する何か。そこにヒントがあると思うんだ」
「じゃあ、明日いってみよ、そんちょうのとこ」
「ああ。村長ならきっと何か知ってる。そうしよう」
やがて日は暮れて、外灯の無いこの村は、完全に闇に飲み込まれていった。
******
「そんちょー、そんちょー」
リィスはバンバンとけたたましく村長たちの住む日本屋敷の横開き戸を叩いた。
今日はイフとイリスに言って、リィスと二人で行動している。「二人で遊んで来る」と言うと、イリスに訝しげな目で見られた。
「ユウ、リィスのこと好きなんだろぉ」と言われ、また睨まれた。
そうなのだろうか? 僕はリィスの事が好きなのだろうか? 確かにリィスを見ていると心が温かくなる。でもこの感情はよくわからなかった。
結局、その場は昨日の会話で事情を知っていたイフがなんとかイリスを誤魔化して、僕ら二人を送り出してくれたのだった。
「あいあいよー、なんじゃ元気じゃのー」
奥から声が聞こえたかと思うと、リィスの叩いていた戸が、ガラリと横に開いた。
「なんじゃいリィス? ぬ? ユウも、一緒か……」
「……?」
村長はリィスの隣に僕がいるのを見て、少し眉をしかめた。
「そんちょー、ききたいことがあるんだけど」
「……ふむ、聞きたい事とな?」
「あの、この村についてです」
その後はユウが引き継いだ。そして村長はその言葉聞くや否や、――やっぱりか、といった表情を見せた。
「ふぅ。……ま、入りなさい」
そう言うと、村長は玄関を開けっ放しにして、奥に引っ込んだ。ユウとリィスは村長に言われた通り、靴を脱いでから中に入り、先を歩く村長の後に続いた。
「あ〜……。あ〜面倒な事になったのぅ……」
ぶつくさと呟きながら歩く村長は、ある襖の前で足を止めた。
「客の間じゃ」
そう言って襖を開けると、和室の部屋に長方形の木製の机、そしてそこに肘を付いた、真っ黒いスーツ姿の男が座布団に正座をしていた。
「あれ、先生」
「やぁ、ユウくんにリィスくん。まぁ座りなさい」
ユウは一度目を伏せて挨拶をすませると、言われた通り机を挟んで先生と向かい合う座布団に腰掛けた。村長は先生の座る一つ奥の座布団に、だらしなく胡坐をかいていた。
ふと、ユウに習って隣で正座をしているリィスを見ると、先生から顔を隠すように、ユウの背中に顔だけを隠していた。
「リィス、どうしたの?」
すると小さなか細い声が背中から聞こえて来た、
「せんせー、こわいからキライだもん」
「私はリィスくんが好きだよ」
「――ひっ!」
間を割るように先生が答えた。しかしそんな台詞とは裏腹に、先生の表情は一ミリも変わらず厳格なままだ。
「先生、聞こえてたんですか?」
掠れる様な小さな声だったのだが、先生には聞こえていたようだった。
「まぁな。村長と違い、私はまだ耳が遠くなっては――」
「誰の耳が遠いって? おおう?」
「いえいえ遠いだなんて、近いと言ったのです」
「耳が近いってなんじゃ」
「いえいえ、死期の話しをしていたのです」
「誰の死期が近いって!? お?」
「村長です」
「貴様ぁっ!」
「ちょ、ちょっとちょっと、やめてくださいよ」
ユウが必死にたしなめると、村長は机に乗せた右足を降ろした。
「そうじゃそうじゃ、こんな事しとる場合でもなかったの」
「全くです」
間髪入れずに先生が答える。
「おおうっ!?」
村長はギラギラと先生にメンチを切っている。しかし先生は気にした風もなく、そんな視線に見向きをしない。
「そんちょー、もうはなしてもいい?」
リィスがユウの背中からひょっこりと顔を出す。
「おお、悪い悪い、まぁ話してみよ。……まぁ、大方予想がつくがの」
「そんちょー、あのね……」
「ふむ」
場に緊張の糸が張る。しかしそんな事に気付いているのかいないのか、リィスはマイペースに話しを進めた。
「この村、なんかおかしい」
その言葉で、場の緊張は最高潮に達したのがなんとなくわかった。
「……と言うと? リィスくん」
リィスは先生に向かい合われ、びくりと顔を強張らせた。
「い、あの、……」
「続きは僕が話します」
「……ん、続けよ」
「この村、現実的じゃありません」
村長が右の眉を吊り上げてユウを眺める。
「現実的じゃないと?」
「はい、年を重ねる程に若返っていくなんておかしい。それになんの疑問も持っていないのだっておかしい。そんなの絶対におかしい。未だに信じられないんですが、本当にそんな現象が起こっているんですか?」
村長は腕を組みながらユウに答えた。
「んー、そうじゃな、おぬしはそれがおかしいと申すか?」
「はい」
「ならばおかしいのはおぬしの方じゃ」
村がおかしいのでは無く、僕がおかしいと言うのか?
「よーく考えてみよ、大方おぬしはこの村に来る前の事を考えとったのじゃろ? よーく考えてみよ」
村長は穏やかで、それでいて鋭いような眼差しで、ユウと瞳を合わせた。
「前など無かったはずじゃ。おぬしはこの村で産まれた。そして若返って、いつか卒業する。それが世の常じゃろうて」
村長の瞳がオレンジ色にゆらゆらと煌めいている。なんて優しい色。なんて優しい瞳。ユウは村長のオレンジ色に包まれて、どんどん引き込まれそうになっていった。
「理不尽な事を言うとると思うか? いや、そんな事はない。おかしい事なんぞ何もない。しかしおぬしのその想像力は必見に値するの、本でも書いてみたらいいかもしれん」
そう言って、村長は緩々と優しく微笑んだ。モヤモヤとしていたユウの疑問は、何かに包まれて消えていきそうになっていく。
「そうだよユウくん。何を言ってるんだ、キミはこの村に来てまだ間も無い、わからない事が多くて混乱しただけだ。徐々に慣れていったらいい」
二人の大人が、ユウの瞳を見つめる。ユウの中の疑問は、少しづつ、ただの夢想として変換されようとしていた。
「ちがうよ、そんちょー。おかしいよ」
リィスが横からあっけらかんとした声を発っした。
「……おかしいとな? リィス、そんな事はないぞ。それにおぬしは十四年間、今日までそれになんの疑問も持たんかったんじゃろ。ユウも、もうわかってくたみたいじゃぞ?」
「リィス。帰ろう。もういいよ。……僕は、どうかしてたみたいだ」
ユウはふらふらと立ち上がろうと腰を上げ様とした。
――すると、立ち上がりかけたユウの胸に、リィスが飛びついて来た、ユウはその反動で勢いよく畳に仰向けに倒れる形になった。
「ユウお兄ちゃん」
「……え」
「おぼえてる?」
「…………」
「わたしはおぼえてるよ」
リィスは、ユウの胸に頭を預けるようにした。
――トクントクン。魂のリズム。
ユウが仰向けに倒れても離れずに密着したリィスの小さな身体から、トクントクンと鼓動のリズムが聞こえて来た。
ひどく懐かしい感覚。この鼓動を胸に再び抱く事を、僕はどれだけ待ち望んでいたのか? かけがえの無い物が、かけがえの無かった物が、今胸の中にある気がする。
だけど、わからなかった。このかけがえの無い物が何なのかわからなかった。だけど大切だった物だ。何にも変え難かった物だ。
ユウの瞳に涙が溢れそうになる。ユウは奥歯を噛んでその涙を押しやり、リィスを抱いたまま二人で立ち上がった。
「返してください」
村長と先生はそんな二人を難しそうな顔で見ていた。
「返してください! 大切な物……大切だった記憶を!」
隣でリィスが、コクリと頷いた。




