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【03】

   【03】

「ユウお兄ちゃん! 今日は何して遊ぶ?」

 イフはその翡翠色の純真無垢な眼差しをユウに向けた。

 結局あの日は、リィスに教えてもらった小川沿いにあった民家を見つけるには見つけたのだが、中に入ってみて愕然とした。――何もないのだ、必要最低限な物しか置いていなかった。しかし、どうする事もなく、そんな家で何日かを過ごした。

 学校もなく、デパートも何もないこの村でする事と言えば、子どもたちの世話を見ると同時に、公園で遊ぶ事だった。それを毎日繰り返すだけだ。

 不思議とそれを退屈だとは思わない。そして、いつまでもこんな毎日でもユウは平気だった。何年でも同じ事を繰り返していられそうに思えた。繰り返しの渦に呑まれるような感覚だった。

 しかし、ユウには一つの疑問があった。

 ――リィスの事。

 歓迎会の帰りに、小川沿いの夜道でリィスと二人で話して以来、ユウがリィスに感じている不思議な感情は、ユウだけの思い込みではなかった事を知った。

 そしてもう一つ。『いっちゃん』という人物は誰かという事。後日、それを口にしたリィス本人に確認しみてても、わからないと首を振るばかりだったが、その名に、僕もリィスも、疑い様の無い確かな記憶がある事に間違いは無かった。

 この村にはあまりに謎が多い、だからひとまずは、そのうちの一つに焦点を絞る事にした。けれど、そんな大きな疑問に対する疑心すらも、僕らの中で日に日に薄れていっているような気がする。だからこそ、この疑問があるうちにその謎を解いておきたかった。

「……ユウ、お兄ちゃん」

 あの日を境に、すっかりとユウに懐いたリィスが近寄って来て、ユウの服の袖を掴んだ。

「今日は、いつもとちがうことしよ」

「なんだよリィス、いつもとおなじでいいじゃんか。つまんないか?」

 イリスが不思議そうな表情で問うとリィスは「つまんない」とそう短く返した。

「ずーっといっしょにいるけど、リィスがそんなこというのは始めてだよ」

 イリスは不思議そうな表情で、リィスの表情を窺いながそう漏らした。

「じゃあリィスは何がしたいんだ?」

 横合いからイフがリィスの頭に手を置いて尋ねた。するとリィスは。

「……たんけん」と言ってイフに抱きついた。

「たんけん? 探検って、どこに?」

 イフはリィスの頭を撫でながら尋ねる。しかしそんな事を提案した等の本人は「わかんない」と首を捻った。

 どうしたものかとイフが妙に大人っぽい仕草で考え込んでいると、イリスが腰に手を当てて、大きな声で言った。

「じゃあ、あの山は!?」

 そう言ってイリスが指で指し示したのは、数日前にユウが目を覚ましたあの山だった。

「あの山か……。そういえば、ちょっと前に僕は、あの山で目を覚ましたんだ。それで、気付いたらこの村にいた」

 ユウが言うと――僕もだ、私もあそこで目覚めた、皆が言い出した。

「でっかい木のまえで寝てたんだ」

「僕もだよ」

 聞いていると、みんなのこの村の記憶はあの巨木の前から始まるらしい。

「……じゃあ、行ってみる? みんなが目覚めたあの山に」おそろおそろユウが言った。

「いく」

 リィスはそう言って、栗色の髪に指を巻き付けながら首を縦に振った。


 そんな経緯で、僕たち四人は木漏れ日の差す緑の中の山道を登っている最中だった。

「もー、疲れたよ」

「イフ、リィスが頑張ってるんだからもうちょっと頑張って」

「へ、へへーん。おれは平気だもん……ゼェ、ゼェ……ね!」

 あからさまなイリスの虚勢に苦笑いしつつ、ユウはリィスの手を引いて山道を登っていた。リィスは時折辛そうな顔を見せるので、ユウが心配すると。

「だいじょうぶだよ。ユウお兄ちゃん。わたしね。今日、はじめていつもとちがうことをしてるの、だからがんばるの」

 と言って気丈に振舞った。こんな小さな女の子を、何がそんなに奮い立たせるのだろう? 十八歳であるユウの足腰ですら辛いというのに。

「ユウお兄ちゃんが来てから、なんだか毎日が変わったよ」

 一歩後ろで、ヨロヨロと山道を登るイフは言った。

「そうなの? 僕が来る前とどう違うの?」

 ユウが言うと、イフは少し間を開けてから答えた。

「なんかね、村の雰囲気? が変わったよ」

 何を大それた事を、と思った。

「変わらないよ、僕一人が来ただけで」

 すると、ユウの手を握る小さな手の主は、大袈裟に首を横に振った。

「んーん。ユウお兄ちゃんがくる前は、たまに図書館にも行ったけど、あの公園で遊ぶことしかしてなかったもん」

 そう言って、ユウの手をギュッと小さな手が握り直した。

 まぁ、しかしそれに関してはまだリィスたちが幼く、行動力が無いだけなのだと、そう解釈した。

「ふーん。まぁ、図書館と公園しかないこの村で、する事もそんなに無いかもね」

「……がっこうも、ないしね」

 ユウの言葉に便乗したリィスの言葉に、イリスはハッと気付いたように反応した。

「がっこう? ほんとだ、この村、がっこうがないね」

 イリスはと首を傾げる仕草をしてみせた。

「でさ、リィス。なんでまた探検なんだ?」

 驚いた様なイリスを差し置いて、ユウはリィスの大きな瞳をじーっと見てみた。

「うん。……もっと、この村のこと、よく知りたかったから」

「そっか。じゃあ、まだあんまり知らないんだ」

「んー。みんなね、ずっとこの村でくらしてるのに、あんまり村のことをしらないの」

「……なんで? しばらく暮らしてたらなんとなくわかって来るもんじゃないの?」

「んーん。しらないの。しってたとしても、みんな少しずつ忘れていっちゃう」

「……忘れていっちゃう?」

 リィスは、どうしてそんな事がわかるというのだろうか? 実際にそういった人に会った事でもあるのだろうか? ……長年村に住む老人が、村の勝手を知らないなんてそんな事が無い様に、そんな事はあり得ないと思うのだが……。

 ユウは、幼い少女の言葉尻を捕らえる様な真似はせずに、そのまま山を登り続ける事にした。赤トンボが、ユウの目の前を横切って木々の中に消えて行った。


「ついた!」

「うわぁ! すごいよユウお兄ちゃん!」

「……うん、改めて見ると、凄いスケールだね」

 ようやく目的の場所へ到着したユウたちは、この村の記憶の始まる巨大な木の前に並んで立ち尽くし、ひたすらにそれを見上げていた。

 リィスを見ると、過酷な山道を登って来たからか、それとも興奮しているからか、頬が紅潮していた。ユウも同じく頬を染めながら、夢中になって巨木を見上げて呟いた。

「……ここで、みんな産まれたんだ」

 ユウはみんなと一緒になって、天に突き刺さるかの様な木を仰ぎ続けた。樹齢何千年、いや、何万年だと言われても納得してしまいそうな大木をただ無心で見上げ続けた。

 しばらくそうしていた後、暇を持て余した僕たちは、この巨木の前のちょっとしたスペースを利用して、ハンカチ落としをする事した。イリスが提案したのだが、結局探検をしてもやる事はいつもと同じ様な事だった。

 そろり、そろりと、イリスはハンカチを持って内側を向いて輪になった僕たちの周りを回る。そしてそっとハンカチをリィスの後ろに落とすと、全力で走り出す。

「あっ! イリスくん! リィスの時は早歩きだよ」

 イフがそう言ったのを聞いて、リィスはようやく自分の後ろにハンカチが落ちている事に気が付いた。

「あっ、そうか……うーん、でもさ。その前に」

 イリスは僕たちが並んで出来た輪を眺める。

「まるがちっちゃすぎるよ」

「……たしかに」

 三人の人間が連結して出来た輪は、大股三歩で一周出来そうな程小さな円を描いていた。

「なんで最初に気が付かないんだよー! ユウ!」

「え? 僕?」

 するとイリスはユウに指を突き立てる。

「だって、一番年上だろ!」

 ユウはぽりぽりと頬を掻きながら、何て言おうか迷った。実は気付いていたけど、みんながいつ気付くのか気になって黙ってた。なんて本当の事を言ったら、イリスは気を悪くしそうだ。

「いやー、でも他に出来る遊びも思い付かなくて」

「駄目だな、ユウは」

 とは言うけれど、提案したのは君だ。とは言わないで苦笑いをしておいた。

「じゃあ、鬼ごっこ!」

「駄目だよ、迷子になって遭難したら大変だろ」

「じゃあかくれんぼ!」

「それも迷子になる」

「うるさいな、じゃあもうユウに石を投げる」

「ゲーム性を感じられないよ!」

 子どもたちに石を投げられるような事をした覚えは無いよ。

「うーん、ユウはわがままだな……」

「ぼ、僕がわがままなの……?」

 イリスは腕を組んでうーん、と唸る。

「ユウ、なんか考えてよ」

「……それならだるまさんが転んだとかは?」

 するとイリスはポンと手を打ち、イフの目はキラキラと好機の色に輝き出した。

「ユウお兄ちゃん、それがいいよ! だるまさんが転んだやろ!」

「よーし、だるまさんが転んだにしようぜ! あの木でやろ!」

 結局、ユウの提案が取り入れられて、あの巨木に鬼が顔を伏せ、だるまさんが転んだをする事になった。

「だーるまさんがー……」

 またもやじゃんけんに負けたイリスは、木に顔を伏せて鬼になる。僕たちはそろそろとその背中や近づいていった。

「ころんだっ!」

「くちゅん」

「あっ! リィス動いた!」

「いまのは、せいりげんしょうだからいいの!」

 イフはイリスに抗議をし始める。しかしそのポーズは何故か一本足打法なので、話しているうちに疲労してぷるぷると震えて来ている。

「………………」

「…………あっ」

 そしてイフは片足を着いた。これは自業自得。だるまさんが転んだで一本足打法で止まるなんて、まだまだ知力が無いと言う他ないが、それに気付いて、ずっと待っていたイリスはなかなか子どもにしては賢い。

「はい、イフうごいた! あとユウだけだ!」

「だめ! リィスはまだセーフなの!」

「なんでだよ! うごいたじゃんか!」

 何やらまたイフとイリスで口論が始まってしまった。その隙にユウは、四股を踏む体制で上げていた左足を気付かれないように降ろした。

「あれ? ユウさっき四股ふんでたのに! うごいただろ!」

「そんな不利な体制でだるまさんが転んだなんてしないよ」

「ぬー……ずるっこだ! 絶対してたのに……」

「じゃあ後はユウお兄ちゃんとリィスだけだね!」

「だからリィスもうごいたの!」

「うごいてない! くしゃみはいいの!」

 イフはリィスを必死に擁護している。何をそんなにムキになるのか、とも思うが、これはこれでイフなりの兄弟愛という事なのだろう。

 論点の中心にいる当のリィスは、目の前を横切っていった黄色いちょうちょを追い掛けていってしまい、あえなく鬼の御用となった。イフが小さくため息をついたのが見えた。

 結局、僕一人しか残っていない。

「よーし、いくぞ! だーるーまー……」

 そろそろそろ……。

「さんがころんだ! ……だーるーまーさーんが……」

 そろそろそろ……。タッチ。

「あっ! しまった、いーちにーいさーん……」

 ユウのタッチで解放されたイフとリィスと共に、鬼から離れて、再び止まる。

「くっそー、ユウめ! いくぞ! だーるまーさーんがころんだ!」

「……くちゅん!」

「あっ! リィスうごいたぁ!」

「くしゃみはいいの!」

「だめだ!」

「……とんぼさんだ」

 そんな具合でだらだらと時は過ぎていったのだった。


 遠くの空に夕暮れが満ちて来始めた。リィスとイリスは、ユウからは少し離れた所でちょうちょを捕まえて遊んでいた。二人は大声ではしゃぎまくっている為、遠くに行きかけたら声が小さくなっていくのですぐにわかる、迷子の心配は無い。

 ユウは村の全貌が見渡せる吹き抜けた所で、茜色に呑み込まれながら、所々に雲が流れる空と、その下の村を漠然と眺めた。山腹にあるこの村から、山を下って行く一本の車道がやはり、妙に気になった。

「みんな、あの道から卒業するんだ」

 隣を見ると、ユウの腰程の高さの少年が特徴的な翡翠色の瞳で持って、遠くを見ていた。その瞬間の表情は、ひどく落ち着いた風に見えた。

「あの、一本だけの道で?」

「そうだよ、蛍の季節になったら、蛍がいなくなるのと一緒に、卒業生は先生が車でつれていっちゃうんだ」

「へー、そっか。……イフは、来年卒業だっけ?」

「うん、そうだよ」

 イフは、さして気にした風も無い様に首を縦に振った。そんなイフからは、悲しみも好機も、何も感じられなかった。

「ふーん。じゃあ、来年イフが卒業したら、来年からリィスとは離れ離れになっちゃう訳だ。まぁ、その時は僕たちが面倒見てくよ」

 そこでイフは振り向いて、ユウに向かって首を傾げた。

「ユウお兄ちゃん、聞いてないの?」

「へ? なにが?」

 ユウの口からマヌケな声が漏れ出た。

「今年卒業するのはリィスだよ? だから先にいなくなるのはリィス。そして来年に僕が卒業だよ?」

 ――――え? 自然に言葉がこぼれ落ちた。

 リィスが今年の卒業生? 

 もう一ヶ月もしないうちに蛍と共に卒業していく卒業生がリィスだと言うのか?

「聞いてなかったんだね……」

 そんな事を言って、翡翠色の瞳がユウを下から覗き込んだ。

「なんで…………」

 ユウのその表情とその言葉に、イフは尚も不思議そうな表情を浮かべた。

「ユウお兄ちゃん。そんなにリィスと離れ離れになることがショックなの? ユウお兄ちゃんとリィスは、まだ出会ってそんなにたってないのに。……どうして?」

「どうしてって……」

 どうして? そんな事はわからなかった。自らの事なのに、それが全くわからなかった。けれど、イフの口からリィスがいなくなる事を聞いて今、心にハッキリとした虚空が産まれたのは確かだ。

 リィスと僕が感じている、理由のわからないシンパシー。初めてでは無いような、それでいてひどく大切だった事をお互いに忘れている様な感覚。つまりそれを解き明かすのに、さほど時間は残されていないらしかった。

「なぁ、イフ。どうしてだよ? どうしてリィスちゃんやイフみたいな、小さい子どもたちが卒業なんだよ?」

 イフはユウの前で立ち上がり、こちらを向いて、背中から夕日を浴びる形になった。逆光となり、真っ暗で表情もわからなくなった。

「ちがうよ、ユウお兄ちゃん。……子どもになったから卒業するんだ」

「え……?」

 イフの言葉を理解出来ずに瞳が泳いだ。影になったままのイフは話しを続けた。

「この村ではね、みんなあの御神木の前で十八歳の年齢で産まれるんだ。そして十四年後、四歳になったら卒業。そういう決まりだよ」

 淡々と説明するイフの影は、これまでの無邪気な印象とは対象的に、まるで大人の様に見えた。

「みんな、十八歳でこの村に産まれる……? じゃあ、イフやリィスも……?」

「そうだよ、昔はユウお兄ちゃんと同じ、十八歳だったんだよ。時が立つ程に、容姿も、頭の中も子どもになっていくんだ」

 年を重ねていくのでは無く……若返っていく? いや、ちょっと待て、だってそんな事はあり得ない。


 ――――あれ、あり得ないんだっけ?


「ユウお兄ちゃん。なにか僕、変なこと言ってるかな?」

「え……いや」

 見えない何かの力が、ユウの思考を抑止しようとしている。

 先程までユウは、年を重ねる程に若返っていく事に疑問を持っていた。けれど、今は若返っていく事の方が当たり前な様な気がしていた。

「ユウお兄ちゃん。人は若返っていくんだよ?」

 逆光で暗くなったイフのシルエットに、翡翠色の瞳だけがギラリと光った。

「…………」

 しばらくの沈黙。狐につままれた様な気持ちのまま、ユウは、イフの背中に見える村の方へ視線を泳がせた。

 この村で十八歳の姿で産まれ、十四年を過ごし、年を追う毎に若返って、そして四歳になったらこの村を卒業する。

 ユウは掠れいく疑問の中で熟考した。現実と非現実。常識と非常識。様々な葛藤が、ユウの頭で繰り広げられる。

 そして答えが出たのか、ユウはいつしか伏せていた顔を静かに上げていた。

「おかしい。やっぱりおかしい! おかしい事ばかりだ!」

 何処からとも無く一陣の風が吹き、ユウの髪をかき乱した。

「なにか、気づいたみたいだね? ユウお兄ちゃん」

「イフ。やっぱりおかしいよ。人は年を重ねる毎に年老いて行き、死んでいくんだ。若返るなんて、巻戻っていくなんて、そんなの摂理に反している……おかしい、おかしいよこの村は」

「そっか。ユウお兄ちゃんはそう思うんだね?」

 ユウは力強く、意志のこもった力で持って頷いた。

 ギラリと鈍く光ったイフの翡翠色の瞳が、少しずつ弱まっていく。

「巻き戻っている、か。……じゃあ、ユウお兄ちゃんは、この村の異変に気付いて、それでいったい何をするの?」

「なにを?」

 そう問われ、ユウの思考に一番始めに出てきたのは、やはりリィスの事だった。

「リィスと、昔どこかで出会っていた気がするんだ。とても、とても大切だった何かを忘れている。その大切な記憶を取り戻したい」

「ユウお兄ちゃん。リィスはもうすぐ卒業なんだ。今更思い出させるような事なの?」

「何年も、何年も何年も互いに互いを待っていた気がするんだ。それ程愛しかった人に、何かの運命で出会えた気がするんだ。その運命の価値を理解したいんだ」

 イフは、ゆらりと動いて顔に手を当てて見せた。既に空は茜色に包まれていて、背中の方からはリィスとイリスのはしゃぐような声と共に、山に住む虫たちの声が聞こえて来た。

「ユウお兄ちゃんは、もうリィスと出会えているじゃないか。他に何かする必要があるの」

「この感情を、この気持ちの理由が知りたい。……いや、きっと知らなくちゃいけないんだ。知らなきゃ、その感情はただの空っぽの抜け殻だ。僕は僕の意志でこの感情を持っていたいんだ。じゃないとこの感情は偽物だよ」

 僅かな沈黙の間、風が凪ぐ。しかし次の風は吹く。確実に。

「そう、じゃあ、やってみたらいいよ。後悔の無い様に。……リィスの事は、任せるよ」

 そっけなくそう言うと、翡翠色の光は完全に消え失せ、ただの黒いシルエットとなった。

「ユウお兄ちゃんは…………りのいったい何なんだろうね」

 微かに呟いて、イフはくるりと村の方へ視線を戻した。

 ユウは、何と無くイフが何かを知っている様な気がして、思わず訪ねてみた。

「イフ。『いっちゃん』って名前に、聞き覚えは無い」

 ユウのその質問に、イフの背中はビクリと反応した。

「その名前を、どこで?」

 イフは、振り向いてユウに問い返した。ユウはその問いに「リィスが無意識で呟いたんだ」と返答した。

「リィスが」

 イフはそれでも涼しい顔で考え込む仕草をした。

「イフは、何か知っているの?」

「ううん。…………知らない」

 イフは変な間を開けて、にっこりとそう答えた。

「で、でも……」

「ユウー、もうすぐ暗くなっちゃうぞ?」

 突然呼び掛けられて後ろを振り向くと、リィスとイリスが二人並んでユウを見ていた。

「あっ、ああ、そうだね……とにかく山を下りようか」

 ユウは後ろ髪を引かれる思いのまま、日が落ちて来た山を下山する事を先決した。

「……イ、イフ。なに話してたの?」

 リィスが不思議そうにイフに問いかけていたが、イフはリィスの頭を撫でるだけで、何も言わなかった。

 この日、この村に対するぼんやりとしていた疑問は、揺るぎない確信へと変わった。

 つまりこの村は、少なくともユウにとっては――異常だった。

 

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