黒猫ツバキと呪いの人形
お題は「ドール」「本」「靴下」です。
魔女コンデッサは、ボロノナーレ王国でも指折りの優れた魔法使いとして知られている。
そんな彼女のもとには、名声を慕って多くの相談者が訪れるのだ。
今日も彼女の自宅に、1人の中年男性がやって来た。男は、自分の上半身と同じくらいの大きさの箱を抱えている。
「おお。かの名高い魔女コンデッサ様が、これほど若く、お美しいとは思いもよりませんでした」
「本当のことを、今更ながら聞かされてもな」
「ご主人様。これは、お世辞にゃ。社交辞令というヤツにゃ」
使い魔の黒猫ツバキが、指摘する。
「おや、この猫様は言葉が喋れるのですな。とても賢そうな猫様だ」
「え~。にゃに、当たり前のこと言ってるニャン」
「客人よ。ツバキをおだてたところで、得することは無いぞ」
「ご主人様は、イケずニャ」
「本日、私はコンデッサ様にお願いがあって参りました」
男はそう言って、大きな箱をテーブルの上にデンと載せ、解体してみせた。すると、椅子に腰掛けた人形が中から出てくる。
おかっぱ黒髪に黒い瞳の少女人形で、綺麗な民族衣装を着ている。そして不思議なことに、膝の上にページを開いた本が置いてあった。まるで、人形が本を読んでいるように見える。
「黒い髪に黒い目、加えて振袖を着ている。和の国の人形ですな。珍しい」
「ご主人様。〝和の国〟って?」
「東の海の果てにある、小さな島国だよ。して、客人。この人形が何か?」
「これは、呪いのドールなのです」
男が重々しく語り出す。
「少女人形を見付けたのは、骨董屋の片隅でした。造形が気に入って購入したのですが、その際に店の主人より警告されたのです。『この人形には、奇妙な力がある。本を読みたがるので、書物を与えると喜んで読書を始める。人形が読書をしている間は、人形が居る家の者に類い希な幸運が訪れる。しかし、人形が本を読み終えると、幸せを享受していた家の者たちは途轍もない不運に見舞われてしまう』と。私は、超常現象について一切信じないリアリストです。与太話だと聞き流していました」
「超常現象を一切信じにゃいリアリストが、魔女のご主人様の力を頼るのは変にゃ」
ツバキのツッコミは、コンデッサにも男にもスルーされる。
「ところが、人形を買ったその日の晩のことです。人形が私の夢の中に現れて、『本を読ませろ~』と要求してきたのです。私は怖ろしくなって、椅子に腰掛けさせている人形の膝元に1冊の本を置きました。そうしたら翌日、家の者は人形に全く触れていないのに、人形の膝の上にある本が開かれていたのです。それから、本は1日1ページずつ、いつの間にか捲られているようになりました」
「フム。この少女の人形は、1日で見開きの2ページ分を読むのだな。随分と、のろい読書スピードだ。まさに〝のろいのドール〟。なんちゃって、ハハハ……」
「…………」
「……ご主人様。ちっとも、面白く無いニャン」
「スマン。マリアナ海溝より、深く反省している」
ちなみにマリアナ海溝とは、和の国より更に東の海の底に存在する大変深い凹地である。
「……話を戻しますと、人形は着実に本を読み進めました。けれど〝類い希な幸運〟など一向に訪れないまま、ついにあと数ページで本を読み終えるところまで到達してしまったのです」
コンデッサとツバキが人形の膝元にある本を覗き込んでみると、確かにもうすぐ読書を終了しそうだ。
「私は、人形が本を読み終えた時に降りかかるという〝途轍もない不運〟とやらがおっかなくて堪らない。それでコンデッサ様に人形を預かってもらおうと考え、持ってきたのです」
「幸運にならなかったのなら、不幸にならない可能性もあるのでは?」
「そんな、一か八かの運試しをするつもりはありません。リアリストは臆病なのです。魔女のコンデッサ様なら、呪いのドールなど恐るるに足らないはずです。どうか、引き取っていただけないでしょうか?」
「〝預ける〟から〝引き取らせる〟へと、要求がグレードアップしてるニャ。厄介払いする気、まんまんニャン」
男の必死な依頼に根負けし、コンデッサは人形を受け取ってしまった。
♢
男が帰ったあと。
「ご主人様。この人形、どうするニャン。家の中は狭いんだから、正直邪魔にゃ」
「家の広さは、余計なお世話だ。私は、こぢんまりとした住まいが好きなんだよ。人形については、彼女自身に真相を語ってもらおう」
コンデッサは、人形へ《お喋り魔法》を掛けた。
《お喋り魔法》は、無機物を会話可能状態にする便利な魔法である。但し、多用しすぎると、日常雑貨からの苦情を連日聞かされるハメになる。そのため、危険視もされている魔法だ。
『まったく、あの男どもは妾のことを〝呪いのドール〟だとかなんとか、失礼なヤツらだ』
「わ! 人形が喋ったニャ」
『妾の名は、お菊。〝幸せ人形〟とも呼ばれておる』
「お前を私に押し付けていった男は、〝呪いのドール〟と言っていたが」
『それは誤解じゃ。妾は本を読ませてもらう代わりに、その家の者に類い希な幸運を恵んでやる〝幸せ人形〟なのだ』
「類い希な幸運って、どんなのニャ?」
ツバキが、ワクワクしながら質問する。
『聞いて驚け。妾を家に置いておくと、家人が履く靴下の親指部分に穴が開かなくなるのだ!』
「…………」
「……それだけニャ?」
『あと、靴下のかかと部分が擦り切れにくくなる』
「……そりゃ、男も訪れている〝幸運〟に気付かない訳だよ。で、読書を終えたら、お前はどうするんだ? 更に本を読ませなければ、怒って家主を呪ったりするのか?」
『誰が、そのようなことをするか! ただ夢の中で「次ぎの本を読ませてくれ」と催促するだけじゃ』
「にゃのに、どうして〝呪いのドール〟って言われてしまうようになったんニャ?」
『タゴサクのせいだ。タゴサクは30年ほど前に、和の国で妾の持ち主だった男だ。妾がタゴサクの夢に出て「妾に本を読ませてくれ。読書中は、其方に類い希な幸運を授けてやろう」と告げたところ、あの男、妾の膝の上に広辞◯を置きおったのだ!』
「◯辞苑って、なんにゃ?」
「和の国にある、分厚い言語辞典だな」
『広◯苑だぞ、広◯苑! 妾は本が大好きだから、物語や実録、随筆などなら、どれだけページ数が多い書物でも構わんと思っておる。だが広辞◯とは、あんまりでは無いか!』
「まぁ、そこは同情する」
『妾は◯辞苑を読み終えたあと……』
「読んだんだ」
「読んだんニャ」
『腹立たしさをどうしても抑えきれず、タゴサクに復讐してしまったのだ。それが原因で、妾は〝呪いのドール〟なんぞと言う不名誉なあだ名を付けられ、ついには和の国より外国へ輸出されてしまった。外国語を習得するのに、エラい苦労したぞ』
お菊人形は、勉強家であった。努力家でもあった。
「ちなみに、お前はタゴサクとやらへ、どのような復讐をしたのだ? 〝呪いのドール〟と忌避されるようになるほど、酷い仕返しをしたのか?」
『さすがに、アレはヤりすぎだったかもしれん。妾は読み終えた広辞◯を振りかざし、その角でタゴサクの頭へチョップを食らわせたのじゃ。タゴサクの頭には、大きなタンコブが出来ていたな。涙目にもなっていた』
「…………」
「痛そうニャ」
『マリアナ海溝より、深く反省しておる』
♢
その後、お菊人形は王都にある図書館へと寄贈された。ボロノナーレ王国最大の蔵書量を誇る図書館だ。
読書三昧の生活を送れるようになった、お菊。
靴下が長持ちするようになった、図書館職員たち。
皆、ハッピーであった。
お菊は、やはり〝幸せ人形〟だったようである。