7.5:小さな宰相殿の憂鬱
「賢明な判断だ」
そう、僕にダンフォース・アーシェ公爵が囁いた。
あの言葉に僕は何か返すべきだった。
違う!
そうじゃない!
僕は、彼女に同情して婚約を申し込もうとしたんじゃない!!
……本当に?
本当に同情していないと言い切れるのだろうか。
今なら言える。
でも、昔は……?
あれだけ彼女に嫌なことをされても我慢し続けて笑っていた、あの時もそうだろうか?
……きっとその問いには頷けない。
だから、僕は狡いのだ。
……この父のように。
「――るのか! 聞いているのか、マシュー!」
ぼんやりとした意識を、目の前に向けるとアルフレッド・エルロイ。僕の父と目が合う。
「ああ、お前はなんてことをしようとしたのだ!」
父は酷くご立腹らしく、食卓にワイングラスを叩きつけるように置いて僕を睨む。
「たしかに私は公爵家と仲よくしておけと言った、退位したとはいえ使える駒だからな。しかし、あのような”呪われた娘“と婚約したいなどと――」
「ヘンリエッタは呪われた娘ではありません。まだあのような巫女たちの言葉を信じておられるのですか?」
「黙れ!」
僕が言った言葉が余程気に食わなかったのだろう。
父は、ワイングラスを僕に投げつけてくる。
幸いワイングラスは僕の真横を通り過ぎていったので当たることはなかった。
が、背後から聞こえる悲鳴に似たガラスの砕ける音にため息が出る。
ドジなメイドが掃除で手を切らないといいけど。
「いいか、マシュー。お前は選ばれた人間なのだ! それなのにあのような呪われた娘と婚約なんてしてみろ、私たちの家の評判は地に落ちたも同然だ」
「……」
「なんだその目は!」
僕の反応は父にとって気に食わないものらしく大きな声が飛んでくる。
「……何でもありません」
「何でもないことはないだろう!」
「……ごちそうさま」
食事もそこそこに席を立つと、父は僕の手を掴んでくる。
「待て、まだ私に言うことがあるだろう」
痛いくらいに僕の手のひらを握りしめる父の手は、憎しみの感情以外感じられない。
あぁ、彼女の手はあんなに温かかったのにな。
今日同じように握られた優しい彼女の声と言葉を思い出して、胸が温かくなると同時に苦しくなった。
「……勝手な行動は謝ります。僕の置かれた立場を考えると迂闊な行為でした」
「そうだな」
「でも、僕は。僕は、“彼女”に婚約を求めた事実は謝りません」
父の手を振り払って、部屋に走る。
脳内に響くのは、「お前も私と同じようにならなければいけない。いや、いずれどう足掻いたってこうなるのだ」と、まるで僕を呪うような何度も聞かされた父の言葉と、
「賢明な判断だ」と言って、微笑んだアーシェ公爵の顔。
アーシェ公爵は知っているのだ。
僕の父が、ヘンリエッタを嫌っていることも。
呪われた子。
“凶星の子”がどんな運命を辿るのか、も。
知っているからこそ、僕とヘンリエッタの婚約を望んでいないのだ。
それは僕の父のような打算的な考えではなく、僕とヘンリエッタの将来を思って。
だけど。
そうだとしても。
どうかこの欲深い僕にも君を守る手助けをさせてはくれないだろうか。
そっと、心の中で彼女に問いかけてみる。
僕は狡いから、君の求める答えも真実も教えてあげられない。真実は、君は傷つけてしまうから。
だから、きっと近い将来に君の眼には真実を隠そうとする僕は鬱陶しくて邪魔な存在に映るかもしれない。
だけど君が笑っていられるのなら、なんだっていい。
だって、その方が僕の人生が温かいのだから。
と、そこまで思って笑えてくる。
彼女はいつだって僕を優しい人と言ってくれるが本当は違う。
本当は、僕の心地よさのために人に優しくしているだけだ。
人に嫌われたくない臆病で打算的で格好の悪い僕に優しいなんて言葉は似合わない。
なんてことなく微笑んで綺麗にラッピングされた言葉を紡ぐ僕の本音は、僕が忌み嫌う父にそっくりなのだから。
「……いつか、僕は君に相応しい人になれるかな」
自分のことは嫌いだ。
だが、彼女の運命も存在も守ることが出来た将来の自分を考えてみると、自分が好きになれそうな気がした。
「君に相応しい人になれたら、もう一度婚約を申し込もう」
今度は周囲がどう言おうと、彼女が嫌と言おうとも逃がしてあげられないだろう。
だって、僕は狡いから。




