小さな宰相殿は悪役令嬢と出会う
王宮で行われた優雅なパーティーの中、僕は一人ため息を吐いた。
つまらないパーティーだ、うんざりすると思った。
ご機嫌を取る父親の姿を情けない背中を見ることも、品定めをするように纏わりついてくる粘っこい視線も。
良家が集まる優雅なお茶会。
なんて名目の誰もが憧れるパーティーの真実はこんなものでまだ大人になりきれていない僕にとっては、己の権力を確認しあう大人たちの会話は苦痛でしかない。
だが、父親は「お前もこうならなければいけない。いや、いずれこうなる」と参加を渋る僕に話してくるし、それも事実なのだと頭では理解している。
ここに集められた人間は、与えられた役割を全うするために存在する人たちなのだ。……もちろん、僕も。
僕も、自分の運命と重責から逃れることは出来ないのだから。
だけど、少しくらい綺麗なものを知りたい。高価な宝石や眩い名声なんていうお金で買えるものでない、心が躍るような……そんな何かを。
と思うのは贅沢な望みなのだろうか。
「マシュー、ヘンリエッタ嬢にご挨拶してきなさい」
そんな時、父が僕に耳打ちをした。
ヘンリエッタ嬢というのは、王族であるアーシェ公爵のご令嬢で僕と同い年の少女だ。そして、僕の友人でもある。
父の言葉は、挨拶回りに付き合うのはここまでにして遊んできなさい。
という、彼なりの気遣いであったのだろうがその言葉は僕の心を更に重たくした。
何故なら、僕はヘンリエッタが苦手だからだ。
身分が上のご令嬢のことを悪く言うのは良くないと分かっているが、恐れ多く申し上げるとこのご令嬢、性格があまりよろしくないのだ。
会って罵倒してくることは当たり前で、時には目の前の噴水に飛び込んでみろと命じてくる彼女に何回振り回され、風邪をひかされたことか。
それなのに従ってしまうのは、子供ながらに逆らってはいけない相手だと分かっているからだ。
身分の高い相手にはへりくだり、下の者には主人として振舞わなければいけない。
本当に、貴族というのは面倒臭い。
なんてことを考えながら、ヘンリエッタを探していると裏庭から声がする。
声、掛けないとなぁ。
「きゃっ」
掛ける言葉を考えながら、裏庭に着いた瞬間少女が茂みに落下していくのが見えた。
もしかして。
いや、もしかしなくてもあのピンクがかった金髪の少女は、ヘンリエッタだ。
凄い音を立てて、茂みの中に消えていった彼女に慌てて駆け寄る。
声を掛けたら僕は八つ当たりされるんだろうなぁ。
『痛いじゃないの!』って。
「……リタ?」
少しの間、覚悟をする時間を作ってから、ヘンリエッタの愛称を呼ぶ。
と、茂みからひょこっと顔を出した彼女と目が合う。
「大丈夫ですか?」
何が起こったか分かっていないような表情のヘンリエッタに、恐る恐る近付いてその顔を覗き込む。
「……」
髪はぼさぼさで至る所に葉っぱがくっつき、顔には細かいひっかき傷が出来ているのに騒ぐことなく静かに見つめ返してくる彼女。
いつもなら、すぐにでも罵倒してくるはずの彼女はまだ夢の中にいるかのような顔でぼんやりしている。
……お医者さんを呼んだほうが良いのかな。
そんな彼女に不安を覚えていると、にこりと彼女は笑った。
常に眉間に皺を寄せて口を開けば罵詈雑言の嵐である、あの彼女がだ!
花が開くようにゆったりと、僕を見て微笑んでいる。
その信じられない光景に、お医者さんを呼ぶという考えは飛び、彼女に釘付けになってしまう。
こうやって見ると、ストロベリーブロンドの髪も目尻がきゅっと上がっているガラス玉のような大きな瞳は高貴な猫を思わせる。
愛らしい少女だ。
と、恥ずかしながら初めて気が付いた。
まるで、花に吸い寄せられた蜜蜂のように。
「僕、初めて君を綺麗だと思った」
緩やかな波に飲まれるように。
僕は、彼女に恋をした。
それが、長きに渡る"悪役"令嬢との日々の始まりとは気付かずに。
当時の僕は、綺麗なものを知りえた喜びで心を躍らせたのだった。